LIVE備忘録 vol.19 【10月18日 渋谷にて 折坂悠太】
『折坂悠太 呪文ツアー』 at LINE CUBE SHIBUYA
音楽好きのカツヲの致命的な欠点。
それは音楽を聴くのが遅いこと。
折坂悠太は2022年末頃から聴いていたと思う。
小山田壮平のソロツアーに帯同していたことや、小山田壮平のツイキャスでちょくちょく話題に上がることから存在自体は2020年頃から知っていた。
本格的に聴き始めたのは2023年。この「本格的に聴き始めた」というのは、「アルバムひとつひとつに向き合って聴く」ということであり、これが自分が音楽を聴くのが遅い一因なのだが。
手始めに聴き始めた『平成』に度肝を抜かれた。
あまりにも名盤だった。
平成元年に産まれた折坂悠太による『平成』は2018年10月にリリースされ、2019年のCDショップ大賞を受賞した。
折坂悠太の作る音楽は唯一無二で、決して流行のものとは異なるが、全くもって古臭さは感じない。
公式のキャッチフレーズが素晴らしい。
折坂悠太の曲を聴くと、あぁ音楽だ、と思う。
世の中に良い歌詞の曲が多いせいで歌詞に縛りつけられて過ごしていた自分を貫いた折坂悠太の音楽。
聴いていて楽しすぎるあまり、歌詞を聴きとる必要なんかないし、頑張って聴きとってみても全然わからんし。なんだか妙な読後感があるし。
だって“音楽”ってそれでいいはずだ。“詩楽”じゃないんだもん。“音楽”だから。
それからというもの『平成』を聴きまくったカツヲは、2024年2月頃からやっと『心理』を聴き始めた。
そして2024年6月に『呪文』をリリース。
頃合いを見てはここでライブに行こう、と意気込んで衝動的に呪文ツアーに応募した。
大学院生になってから単純に音楽を聴く時間が少なくなったのはあるが、『心理』と『呪文』はどちらも6割ぐらいしか聴けていない。
しかも、ライブに申し込めば聴くようになるだろう、という雑な義務感を己に与えたため、『平成』ほどの思い入れはない。
そして音楽好きあるあるだが、真摯に接しすぎてアルバムの1曲目から聴くせいで、アルバムの最後の方の曲には耳馴染みがない。
そんな微かな不安を抱えつつ迫るツアーにワクワク、ソワソワ。
2024年10月18日(金)
東京公演2日目、そしてツアー最終日の今日。
相変わらずソワソワしてはいるが、楽しみなのことには変わりは無い。
これをこだわりと呼ぶのならそれはそれで陳腐かもしれないが、折坂悠太はアコギではなくクラギを使うし、ソリッドギターではなくフルアコを使う。そんなところにもワクワクしつつ向かうのは渋谷。
なんともはっきりしない天気の渋谷だが、気分は晴れ晴れ。
今回のチケットはオンラインではなく紙。
入場すればツアーグッズのキーチェーンをゲットし座席につく。
舞台上に置かれたGibson SGに、フルアコでは無いことに驚きをおぼえる。
正直に白状するが、あまり期待していなかった。
殊に自分が原因だ。
前述した通り『呪文』はおろか『心理』さえもしっかりと聴き込めてない。
ライブの定番曲等も知らないため、セットリストへの驚きは生まれないだろう。予想外の曲がセトリ入りしていた時の高揚感もライブの楽しみのひとつのはずだから。
そしてほとんどCD音源しか聴いたことがない。ロックバンドはライブの方が良かったりするが、折坂悠太みたいなアーティストはどっちになるタイプかわからないし。
歌詞もわからないから、より歌手の思いが伝わってくるはずのライブで彼らの思いをちゃんと読み取れるだろうか。
雑念もよそに、こんなに小さい頃から折坂悠太なんて聴いていたらどうなっちゃうんだろう、だなん邪念も抱えながら家族で足を運んでいる子どもに目配せしつつ開演を待つ。
ゆったりとしたスラックスとシャツで出てきた折坂悠太はクラシックギターを取り出す。
エレキギターは山内弘太、コントラバスは宮田あずみ、ドラムはsenno ricky、サックス, フルートはハラナツコだ。
1曲目は“呪文”。
いい声だ。
深呼吸のような柔らかさの持った歌声で、時折みせる緩急がたまらない。
アウトロでは「ディダバディ」のリズムで徐々に音圧を増していく各楽器、そしてやや荒いクラシックギターのストロークが良い。
かっこよかった。
そしてさっきまでの自分のウダウダはとても杞憂だったことに気づかされた。
2曲目は“坂道”。
くねくねと体を揺らしながら歌う。
アウトロでは一変して華麗なギターの指さばき。
次の曲への始まりのような劇的なアウトロが、良すぎるんですよ。
そして、さっきまでのウダウダはほんとうに杞憂だった!楽しすぎる!
MCのタイミングは覚えていないが、この辺だったか。たくさんありがとうと会場に伝える。
一変してゆったりと始まった“人人”は4人のコーラスがなんとも心地よい。
観客も一緒にコーラスを口ずさんだのはこの曲だったかしら。
ジャズのような曲調に語り口調の緩やかな日本語が乗せられる“夜香木”に続いて披露した“凪”は特に印象的だった。
やや不安定にも思えるクラシックギターのベース音に、独特なリズム感で紡がれる歌詞。間奏ではそれぞれの楽器が各々のリズムを刻みながら徐々に集まっていく様子が、まさに小さな波が複雑に混ざりあう凪のようだった。
曲順の前後はあれど『呪文』の流れで繋がれていき、『心理』から“炎”が歌われる。
続く“信濃路”では、折坂悠太は微笑みながらステージ上にゆったりと座り、Gibson SGの甘い音を奏でる。ライブでインストの曲を聴いたのは初めてだったが、なんとも心地よいメロディに目を瞑りながら浸る。
入場時にもらったマンガの題材となっていた“正気”では、柔らかいアルペジオと折坂悠太の優しい歌声に思わず感傷的な気持ちになりつつ、やや自由なギターの音から始まったのは“朝顔”。
ドラマの主題歌として世間での折坂悠太の認知度を大幅に上げたこの曲。
Aメロからサビにかけて徐々にビルドアップしていく音調にうっとりしていると、目の覚めるような軽快なアウトロに続く。
余韻を残さず続いた“夜学”は圧巻だった。軽快なリズムにのせて落語のような歌詞を語りあげる姿に釘付けになる。
歌詞を変えて
「令和6年 10月18日 LINE CUBE SHIBUYAにて 折坂悠太 夜学」
と語り、酔い躍るサックスのソロとともに曲が終わると一際大きな拍手が巻き上がった。
一変してパンキッシュなエレキギターのフレーズとともに始まった“努努”に続き、マンドリンに持ち替えて歌ったのは“さびしさ”。
歌名とは対象的な明るい曲調が印象的だ。
時折マンドリンらしい小刻なストロークしてギターを鳴らしながら伸びやかに歌う。
ここいらでMC
軽快なドラムの音とコントラバスのうねるリズムで始まった曲は“心”。
「例えばそれは、ハラナツコ」
と呼びかけると華麗なサックスソロが始まる。
同様にバンドメンバー一人ひとりを紹介しながら各々のソロが続く。
跳ねるような折坂悠太のギターさばきに、独特のリズムで紡がれる歌詞は現代落語のよう。
一変してゆったりとしたテンポで“無言”が歌われると、なお一層クライマックスを感じさせる。
『呪文』の空気感を保ったまま進んだセットリストは本編最後の曲。ジャズのような雰囲気にゆったりとした折坂悠太の歌声が響く“ハチス”。
たしかギターを置いてマラカスを振りながら歌っていた。
オーケストラのような楽器のアンサンブルは、なんとも心地よいエンディングだった。
アンコールでひとりで出てきた折坂悠太には、しっぽが生えていた。
そう言って、会場上手側から順々に見得を切る折坂悠太。
お茶目な折坂悠太の姿にすっかり温まった会場で
分かりやすくない戦いをする人に歌います
と言って歌ったのは“暁の鐘”。
奄美大島出身の歌手“元ちとせ”に提供した曲とのこと。
バンドメンバーも登場し演奏された最後の曲は“トーチ”。
柔らかい音たちがつくる夢見心地な空間に響く伸びやかな歌声。
孤独とは。無力感とは。コロナ禍ととも人々を襲ったそんな感情は、それから3, 4年経った今ではすっかり心の奥底にしまわれているようで。それなのに、ことある事に孤独や無力感が湧き上がってきてしまうのは、感傷癖の私たちには仕方の無いことで。
微かな光でも、暖かい炎でも、そんなトーチが私たちの孤独や無力感を照らしてくれるならなんだかまた歩いて行けそうな気がする。
華金の渋谷の街を歩く。
楽しかった。
『平成』に固執している自分を『呪文』の世界へ引っ張ってくれた。
楽しかった。
ライブで思ったことがある。
折坂悠太の曲は色々なリズムが入り乱れている。
“凪”や“夜香木”がわかりやすいが、それぞれの楽器も、歌声も、各々が自由にリズムを刻んでいる印象がある。
それ故に、折坂悠太の曲って環境音すらも音楽になる。
電車のアナウンスだったり、車の走る音だったり、高校生の話し声だったり。そういう雑音でさえも音楽の一部のようになってしまう。
“平成”を地下鉄で聴くとなお良いんですよ。
そんでなんかの曲の前で折坂悠太が指ハートをしてた気がするんだけど、良かったですね。
そろそろ歌詞に注目する余裕が出来てきたから、もっと折坂悠太の音楽に潜っていこうかな。
次のライブが楽しみだ。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
今日だけはイヤホンのノイズキャンセリングを切って環境音を楽しみながら、今回のライブのセトリなんかを聴いてみてください。
[セットリスト]
1. スペル
2. 坂道
3. 人々
4. 夜香木
5. 凪
6. 炎
7. 信濃路
8. 正気
9. 朝顔
10. 夜学
11. 努努
12. さびしさ
13. 心
14. 無言
15. ハチス
~encore~
16. 暁の鐘
17. トーチ