『野辺山ウルトラ』4回目の心境
2024年5月19日
『第30回 野辺山ウルトラマラソン(100km)』を走った。
4回目の完走となった。
しばらく『柴又100K』と開催時期が被ってて出れなかったが、今年は『柴又100K』が中止になったので、急遽エントリーした。
『野辺山ウルトラ』は相変わらず起伏のあるタフなコースだが、景色がよく、走ってて飽きない。応援もいっぱいしてくれて、特に約55km地点(北相木村の折り返しゾーン)で、太鼓をポンポコ鳴らしてた応援は、涙が出そうになった。
天気はずっと曇りで、途中雨もパラついた。
だが、気になるほどでもなく、気温も低く走るのに最高のコンディションだったように思う。直射日光がないというのは、長時間走るウルトラにおいて、マジでありがたい(完走後、日焼けで具合悪くなるので……)。
完走タイムは約11時間と、思ってたよりよかった。
「前回、100km走ったのいつだったかなー」と調べたところ、ちょうど1年前の『柴又100K』だった。その時のタイムが12時間半弱。しかも完走後、担架で運ばれてしまったくらい疲弊してた。
それと比べると、今回は無事……でもないが、運転してお家に帰れる余力は残ってた。
・野辺山ウルトラ4回目の心境
4回目の『野辺山ウルトラ』は、精神との戦いだった。
走ってて飽きないコースと言えど、さすがに100kmは長い。
残りの距離を考えると、素直に楽しめない自分もいる。
最終的にゴールするイメージはできてるのだが、そのイメージを具現化するのに、あまりに時間が長過ぎる。
しかもその時間は、自らが進み続けることで動く時間である。止まってしまうと動かない。
「このペースだと、ゴールまであと8時間くらいか?」とか考えると、「なげーよw」と嘆いてしまう。
ゴール後の達成感も、何度も完走経験があると、さすがに薄れてしまう。
なんだったら、「完走できて当然」という風潮すらある。
結果として完走できてるが、実際100kmは何度走っても全然楽じゃないし、やめたいと思う時もたくさんある(現に、去年の『奥信濃100』や、『千葉県横断ウルトラ遠足2(おもしろ走)』はリタイアした)。
うまく説明できないが、苦難の先に得られる達成感が、割に合わなくなってる気がする?
結局、何のために100km走ってるのか分からなくなってくる。
純粋にランニングを楽しみ、ついでに達成感も得たいなら、20~30kmがちょうどええ距離じゃないかと考えてしまう。
何事も適度がよいのであり、やり過ぎはよくない。
さすがに完走直後は、野辺山の『の』の字も聞きたくなかったが、家に帰ってゆっくりしてると、ようやく「また走ってもいいかな」くらいまで回復した。
改めて100km走る理由について問うてみると、以下のような言葉がタタハムの脳裏によぎる。
・過去の栄光くそくらえ
・大事なのは今
・生涯現役たれ
人生色々あると思うが、タタハムにとってランニングだけは、過去の自分に負けたくない……そんな思いが強いといったところか。
あと、大目標である『上州武尊山スカイビュートレイル』を完走したいので、こんなところで嘆いてる場合じゃない……とか?