読書メモ『MBAが会社を滅ぼす: マネジャーの正しい育て方』
僕が読んだ書籍の読書メモです。
僕がポイントだと思ったことや、新たな気付きだと思ったことをピックアップしたものです。書籍全体を満遍なく要約したものではありません。
所感
カナダのマギル大学の経営学の教授、ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)の著書です。
本書は、大きく以下の構成になっています。
序盤:MBAホルダーと、それを輩出するビジネススクールの問題点
中盤:マネージャー教育のあるべき姿
終盤:著者が立ち上げたマネージャー教育プログラムIMPM
MBAホルダーと、それを輩出するビジネススクールの問題点 は様々なことが記述されていますが、ポイントは次の2つだと思いました。
従来のビジネススクールは、マネジメントの経験もなければ、マネジメントをする意思もない者に、マネジメントではなく業務機能の教育を施している。そのような教育を受けて世に送り出されたMBAホルダーに、組織のマネジメントや企業の経営ができるはずがない。
MBAホルダーは、実務経験がなく、評論家的で、役に立たない。
従来のビジネススクールの教育は分析的な「開拓」(「知の深化」)に傾倒している。MBAホルダーも、統計分析に向いた大量生産型の産業や投資銀行に就職する者が多い。創造的な「探検」(「知の探索」)や起業に取り組んで成功している者は多くない。
MBAホルダーは、創造性やゼロから起業する気概がない。
マネージャー教育のあるべき姿 が説かれる中で、マネージャー教育が上手くいっている国として日本が挙げられているのは印象的でした。
日本企業の幹部は、海外のビジネススクールを修了したMBAホルダーが、マネジメント能力を身に付けて帰国しているとは思っていない。
英語力は評価しており、通訳の仕事は任せている。
日本では現場経験を積み上げていった結果として管理職になる。
日本企業は、ジョブ型ではなくメンバーシップ型の終身雇用を採用している。このため、経験を積み上げていく人材育成と親和性が高い。
日本は、欧米型のマネジメントを日本型のマネジメントに融合している。
欧米の形式を複製することが国際化ではなく、それぞれの地域性・国民性が並立することが国際化である。日本のアプローチは正しい。
著者が立ち上げたマネージャー教育プログラムIMPM は、これらの問題点を克服し、あるべき姿を実現するための教育として開発されたものです。
現役のマネージャーを対象とする。
参加者は様々な国の出身者で構成され、講義もイギリス、カナダ、インド、日本、フランスに移動しながら開催する。
座学による理論のインプットだけでなく、参加者同士の実体験を交えたディスカッションや、参加者同士の職場訪問を行う。
これにより、現役のマネージャーが省察を通じて自らの行動を変えられるようになる。マネジメントの実務に理論を関連付け、それを取り込めるようになる。そして、欧米の複製ではない本当の意味での国際化と多様性を理解し、自ら新しい価値観を切り拓いていけるようになる、ということです。
まとめ です。
日本企業ではMBAホルダーの評価が高くない、ということは伝聞で把握していましたが、その理由を論理的に理解できたことは1つの収穫です。
日本のマネージャー教育は上手くいっている、という評価は、以下の現実を目の前にすると見直さなければならないのではないか、との疑問は覚えましたが、それ以外は概ね納得できる内容でした。
この30年間で世界の企業の時価総額ランキング上位50社から日本企業の多くが脱落した(トヨタ自動車株式会社を除く)
僕はこの書籍を読んで、なるほど、ビジネススクールの教育には意味がないのだな、とか、MBAホルダーはダメなのだな、とは思いませんでした。
なぜなら、著者はビジネススクールやMBAホルダーはなぜダメなのか、の理由を述べているからです。
逆説的に言えば、そのダメとされる状況に該当しないのであれば、ビジネススクールやMBAホルダーも意味があるということだと思います。
ビジネススクールのカリキュラム自体を学生の側でコントロールできる余地は少ないですが、そこでの教育をどう受け止めて、どう自分なりに昇華していくか、という学生の側の「あり様」は、学生の側でコントロールできることです。
問題の背景をきちんと把握した上で、自分なりの努力を積み重ねることで、「ダメとされる状況」にならないように自分を導いていくことは不可能ではないと思います。
世の中のものごとには絶対の「正解」も、絶対の「誤り」もありません。そのいずれかの側面のみを見ようとするのではなく、両方の側面を冷静に見つめることが大事だと思います。
実は、僕は日本の大学院の経営管理修士(英語に訳すとMBA)を修了しています。その立場でビジネススクールやMBAホルダーをどう見ているのか? とお話しできることはたくさんあるのですが、それはまた別の機会にお話しできればと思います。
メモ
はじめに
「マネジメント」と「リーダーシップ」は同義語である。両者は分離不可分であり、どちらがどちらに従属することはない。
第1章 間違った人間
マネジメントの成功には、アート、クラフト、サイエンスが必要であるが、MBAのコースに集まる若手はアートやクラフトを持たないため、教育内容もサイエンスに傾倒する。
アート:芸術。ビジネスにおける感性
クラフト:技能。ビジネスにおける実務経験
サイエンス:科学。ビジネスにおける統計的な分析
MBAコースの入学試験もサイエンス(GMATのスコア)に傾倒している。
本来の専門職は、職場が変わっても通用する普遍的な職能である。医師や教師などが該当する。マネージャーは組織と人への依存性が高いため、職場が変わると通用しないことがある。
経営に関係する者は、ビジネスの情熱の有無 × 経営する意思の有無でタイプが分かれる。
有 × 有: 大企業のマネージャー
有 × 無: コンサルタント、起業家
このタイプが多い。経営する意思がないのに大企業を経営したがる
無 × 有: NPOや公共セクターのマネージャー
無 × 無: 研究者
第2章 間違った方法
MBAコースの中心は業務機能(財務、戦略、マーケティング、会計、組織行動)であり、その講義は縦割である。つまり、B(Business: ビジネス)は教えているが、A(Administration: 管理)は教えていない。
ビジネススクールでは、教室内で机上のマネジメント・ゲームを行うが、本物のマネジメントには責任が伴う。ビジネススクールはマネジメントを教えていない。
実際のマネジメントは、直接的な現場経験に足を踏み込んで行うべきであって、すべての情報がお膳立てされたケースメソッドのような単純な世界ではない。
ビジネススクールもコンサルタントも、戦略の立案と実行を分離して、実行には関わろうとしない。しかし、実際には実行を通じた立案へのフィードバックや調整が必要である。
第3章 間違った結果(1) - 教育プロセスの腐敗
MBAの学生が考える「企業の主たる責任」: 株主価値の最大化 70%、従業員の成長と幸福のための投資 50%、地域社会のための価値創造 30%
MBAの学生 / 現役の企業幹部が考える「未来のリーダーに最も重要な資質」: 共感力 4% / 40%
第4章 間違った結果(2) - マネジメント実務の腐敗
ある日本企業の幹部の発言: 米国のMBAを取得した社員に期待するのは英語力のみ。MBAを取得してもビジネススキルは見違えるほどには高くならない。
MBA取得者(上位25校)の63%がコンサルティング会社と投資銀行に職を得ている。
MBA取得者は、マネジメントの訓練を受けていないし、マネジメントしようという意思もないが、リーダーになろうという意思は持っている。
マネジメントを迂回してリーダーになった者は得てして欠陥リーダーになる。
分析が生む秩序は、戦略の創造の前後では有益であるが、戦略の創造の過程では役に立たない。そこで必要なのは創意工夫であり、既存の戦略のコピーや修正ではない。
大量生産型の産業では品質やイノベーションの欠如が許容されてきた。これらの産業では計算型のマネジメントが通用する。株主価値の概念も、計算型のマネジメントを増長させた。
ヒーロー型マネージャー: 社外に目を向けて派手にM&A。コンサルを重用。業績は管理するのではなく判断。絶えず組織変更。リスク・テイク。株価上昇。ストックオプションの獲得。(シニカルな定義)
第5章 間違った結果(3) - 既存の組織の腐敗
マネジメントには「探検」と「開拓」が必要だが、MBAは短期的な「開拓」に傾倒しがちである。
英語では「Exploration」と「Exploitation」。入山章栄さんは「知の探索」と「知の深化」の「両利きの経営」と訳しています。
既存のテクノロジーを使って大量生産をする産業は「開拓」に適しており、MBA取得者はこれらの産業を好む傾向がある。日用消費財の業界はこれにあてはまる。
MBA取得者の起業家は少ない。
米国の急成長企業100社の創業者: 学部卒 81%、MBA取得者 10%
米国の40歳未満の長者番付40人: MBA取得者 1名(≠創業者)
フォーチュン誌上位100社のトップ: MBA取得者 40%
テクノロジー産業93社の創業者: MBA取得者 16%(時価総額20億ドル未満が半数超、100億ドル超は2社のみ)
第6章 間違った結果(4) - 社会制度の腐敗
MBA取得者でなければ、どんなに実務で実績を上げても昇進できない。MBA取得者の中に実務経験を持つ者がいない。という企業が実在する。
短期的な財務評価を過度に優先すると、長期的な利益や社会的責任が排除される可能性がある。BSC(バランス・スコア・カード)も、社会的責任を定量化しずらく、不利に取り扱われがちである。
とびきり頭のいい人を優遇すると、他人の意見に耳を傾けなくなる。そして法令違反や法的堕落(法令違反ではないが市民感覚としては許しがたい行為)を誘発する。
公共セクターにMBAの手法を適用できるとは限らない。「顧客」に相当するのは誰なのか? 行政サービスの質を落としてまで財政を黒字にすることに意味があるのか?
第7章 新しいMBA?
マネジメント教育では、インターネット、テレビ会議といったテクノロジーが導入されているが、教育内容や教育方法は変わっていない。
MBAのグローバル化は進んでいない。
学生: 米国のビジネススクールは米国出身者が多い。欧州のビジネススクールは国外出身者が多い。
教授: 米国のビジネススクールは米国外出身者も一定数いるが、米国で博士号を取得した者であることが多い。
文脈、哲学、文化: 米国に倣い世界中が均質化することがグローバル化だと思われている。
場所: 米国のビジネススクールの米国外のスクールは、米国のクローンであることが多い。
日本のビジネス教育が最も上手くいっている。
米国のMBAは日本のビジネス文化と相性が悪いため、日本企業は過度に米国のMBAに期待していない。
日本のビジネススクールはマネージャーを育成する場でないと割り切っている。
日本は欧米流のマネジメントを日本型マネジメントに融合している
第8章 企業のマネージャー育成
マネージャへの昇進は、まったくの別世界に突然放り込まれるような経験である。
最もよく行われているマネージャー育成方法は、いきなり水の中に突き落として泳ぎ方を覚えさせるという方法である。溺れてしまう人が多く、うまく泳ぎはじめる人は少ない。
『HIGH FLYERS』の著者、Morgan McCallはこう主張している。
第一の法則:能力開発は他人が代わりにやってあげることはできない。自分自身でやらなければならない。
第二の法則:自己開発を促すために、その人の能力の限界を超えた厳しい仕事、敢えて困難を課すことも有効である。
第9章 マネジメント教育の構築
マネジメント教育の対象は、既にリーダーの座についている現役マネージャーに限定し、彼らの成長を後押しするものであるべきだ。テストの点数がよい学生に追い越し車線(実務経験を経ずに経営者になる道)を与えるものであってはならない。
マネージャーの実務に役立つ理論は5種類ある。
意外な理論:常識にとらわれない、新しいものの見方、固定観念を揺さぶる理論。既存の考え方を強化する理論は、大して役に立たない。
間違った理論:理論は現実を単純化したものである。絶対的に正しいということはなく、その意味では間違っている。そのことを認識すべきである。
代替的な理論:目の前の現象を説明するために自分が無意識のうちに使っている理論とは異なる別の理論。使用する理論の選択肢を持つことが重要である。
不愉快な理論:対立する理論を検討したり、正解がなかったりする、ということは不愉快である。しかし、それを避けてばかりいると悪しきマネジメントを助長する。
「第一級の知性の持ち主は、相反する考え方(理論)を同時に頭の中にもったまま機能し続けられる」(F. Scott Fitzgerald)
「単純さを追求し、単純さを嫌え」(Alfred North Whitehead)
記述的な理論:理論は規範的(どう動くべきか)ではなく、記述的(どう動いているか)であるべきだ。
第10章 マネージャーの育成(1) - IMPMプログラム
著者が立ち上げたIMPM(International Masters Program for Managers:国際マネジメント実務修士課程)は5つのマネジメントとそれに対応するマインドセットで構成され、それぞれ別の国で開催される。
自己のマネジメント / 省察のマインドセット / イギリス
組織のマネジメント / 分析のマインドセット / カナダ
文脈のマネジメント / 世間知のマインドセット / インド
人間関係のマネジメント / 協働のマインドセット / 日本
変革のマネジメント / 行動のマインドセット / フランス
第12章 マネージャーの育成(3) - 職場における学習
経験と結びついた学習が必要である。学習は、教室で与えられた刺激をきっかけに職場で行われなければならない。
第13章 マネージャーの育成(4) - 学習のインパクト
教育を通じたインパクトと、教育を受けた者の行動の行動を通じたインパクトが広がるプロセスには4つの形態がある。(順番に大きくなる)
題材の共有: 主導権は受け手にある。
方法論の実践: プロセスが変わる。
行動の変革: 自分の行動が変わり、他人に影響を与える。
新しい枠組の提示(覚醒): 他人に異なる視点でものを見るように促し、その結果、大きな変化を生み出す。
第15章 本物のマネジメントスクールをつくる
優れたMBAプログラムの条件について、ある教授は「一言で言えば、卒業生に最良の就職を可能にできるプログラムだ」と書いた。とんでもない言い草である。
カルガリー大学の哲学教授、Thomas Hurkaはこう主張している。
最初に伝統的なリベラルアーツを教育した方が優秀なマネージャーを輩出できる。一番いいのは哲学を学ばせることかも知れない。
リベラルアーツを専攻した学生は、ビジネスの専門家教育を受けた学生よりも財務や工学などのスキルがなく、マネージャーの仕事の滑り出しに苦労する。しかし、昇進のペースは速い。
AT&T: 入社20年後にマネージャー職に就いている人は、リベラルアーツ系の大学出身者で43%、工学系大学出身者で32%。
チェース・マンハッタン銀行: 社内で最も評価の低いマネージャーの60%がMBA取得者、最も評価の高いマネージャーの60%は学士号のみ保有者
IBM: 最高幹部13人のうち、9人がリベラルアーツ系大学の出身者
しっかりした思考、構造的な関係、抽象的なモデル、象徴性の高い言葉、演繹的推論。学んできたテーマが抽象的であればあるほど、純粋な推論能力が高まる。推論能力が高い人ほど、実用的な分野でも成功する。
実務家が学術論文を読んだときの反応の例は以下のようなものである。
自己満足よりたちが悪い。独善的。信憑性の乏しい、疑わしい、陳腐で皮相的で退屈な研究。
これだけのページを費やして到達した結論が「リーダーの対人関係の処理の仕方には、人によってかなりの相違があり、複雑性がある」とは、なんとご立派な。
本来数量化できないものを数字で測ろうとしている。このようなアプローチは想像力が欠けており、トンチンカンだ。
有能なリーダーはHow toを必要としない。How toが必要なようではリーダーになれない。一方、無能なリーダーにいくら教えたところでHow toを教え込むことなどできない。
ややこしい説明をくどくどとした挙句、いたって当たり前のことを述べているに過ぎない。
すべて研究のための研究になっているのではないか。
マネジメントに「唯一かつ最善の方法」など存在しない。万人に通用する「実用的」な解決策もない。テクニックは、その機能の仕方、成功例、失敗例を説明すべきである。文脈から切り離すと危険である。
思考が停止した人に方程式を与えるのは極めて危険である。だからこそ、マネジメント教育、ビジネス教育は、人々の思考力を磨くことを目指すべきである。
Mintzberg, H. (2004). Managers not MBAs: A hard look at the soft practice of managing and management development. Berrett-Koehler.
Mintzberg, H. (2006). MBAが会社を滅ぼす: マネジャーの正しい育て方. 日経BP社.
McCall, M. W. (1998). High Flyers: Developing the next generation of leaders. Harvard Business Review Press.
McCall, M. W. (2002). ハイ・フライヤー: 次世代リーダーの育成法. プレジデント社.