ネガティブを気にしながらの発言
当たり前だが、何か発言するときに相手にとってネガティブにならないように物事を伝えるのは基本と言われる。
昔からなのだが、「疲れた」とか「眠い」とか
そういったネガティブな感情の吐露を言われることが多く、良く困惑した。
というか今でもそれに対しての最適解なんて存在しない(人によってケースバイケースというよくあるパターン)ので困惑はする。
こういうネガティブな発言って言ってる側は意識していないことが多い。
怖いのは、こういう発言をしている人が同じような発言をする人を批判している時だ。
本当にあった怖い話にノミネートしてもいいのではないかとさえ思う。
こういう基本的な発言はまだ許容できるのだが、
勘違いに発展しやすいものもあるなと思う。
それは相手からすると、ただの積極的な提案なのだが
受け手としては自分の本来の意見に対する否定的な意見として受け取ってしまう。
そういった勘違いが身の回りにも自分にも多く起こることである。
大体自分に起こった時は後々後悔します。
もちろん逆も然りで
ただの否定的な提案が、受け手にとっては意見に肯定的な上での批判として受けとってしまう。意図を読み込めないパターンである。
この勘違いの発生における難しいところは
受け手の精神の容量の余裕だと思っている。
そしてこの精神の余裕云々で関係してくるのは
その人がネガティブをどれくらい悪ととらえるかだと思っている。
この悪だと思う度合いが高い人ほど、容量の余裕は少ないと思う。
ネガティブ悪っていう考えが少し前くらいに広がり始めてから、肯定的な言葉とか意見とかばかりが正しいと思われるようになって、
それが差別とかの本来違う畑の問題とごっちゃになって
みたいに、どんどんややこしくなっている気がしてならない。
だからこそ細かいところまで気を遣わなくてはならないと思うのが正解なんだろうけれども、どうしてもネガティブな感情は必須であると思う人間なので、ほどほどにしていきたいと思う。
そもそも受け手のことを考えずに発言する人ほど、ネガティブ悪の考えの度合いが高い人が多い傾向にあると思っているので、
受け手のことを考えすぎて発言できずに、神経を張り巡らしている人たちの方がバカを見ているような感じになっている構図はおかしなことだと思うしなんか勝手にもやもやしてしまう。
乱れた文章に今回はなってしまいましたが、この辺で終わりにしようと思います。
完全に問題提起みたいになってしまいましたね。
こればかりはこれからどういう風に変わっていくのかを見守っていくしか何のかなと思う次第です。
それではまたどこかでお会いしましょう。
ここまで読んでくださった方いたら感謝感激です
またねっ!