映像に頼らない文化
すんなりと空虚に毎日が過ぎ去っていくなぁ
という感覚に陥るようになってからというものの
それを解消するためにはどんなことが良いかなと考えた結果
一番個人的にしっくりくるものが「文通」という文化というか
趣味をもって生活することだなと思った。
理由はいろいろあるけれども
まず1つ目は
個人的に文字を書くという行為が好きだから。
昔小さいころに習字に通わせてもらった影響で、文字を書くことに
楽しさと喜びを覚えるようになっていた。
もちろん習字というのは何時間も同じものを書写するので自分の集中力と怠惰な心との戦いであるのだが…
恥ずかしながら自分はパソコンという文明の利器がありながら
ブラインドタッチができるようになったのは本当にここ数年での出来事なのでそれくらいには「手書き」という物に愛着を持っている(はずである)。
そして2つ目は(これが割と一番楽しい理由かも)
いつお便りが返ってくるかわからない感覚を味わえるから。
今だからこそやって尚更わかることなのだが
実にいろいろな場所、職業、立場、年齢etc.の方々と
手書きの文のみでのやり取りが行われる。
もちろんそれは郵便局の人がそのやり取りをつないでくれるからであって
メールやSNSのようにすぐに相手に届くものではない。
今ではそれが基本だが、映画の世界で一度は見たことがあるかもしれない
手紙でのやり取り。その空想の世界を実際のリアルな世界でも感じることができるのだ。
そのやり取りの周期は
早い人は1週間ほどで、ゆったりとした方は半年に一回程度の方と、いつ自分のもとに手紙が来るかわからないのだ。
毎日仕事が終わって自分の家の郵便受けを見るのがこんなにもわくわくするのかと思うようにさえなった。
分からないのって普通は怖いはずなのに、楽しんでる自分がいてそれを傍から見てる自分も楽しそうにしていてなんかええやんけ!となる。
そして3つ目は
手紙1つで全国津々浦々の人と繋がっている2.5次元的な感覚になれるから。
これは音声配信とかラジオとか、ライブ配信モノにも通じるんだけれども
本来会うはずのない、物理的に自分から距離が遠い人、文化圏が違う人etc.と実際に映像としては映らないけれども、確かにそこに存在している人として通じ合っているって感覚を得られる。
これは手紙が郵便受けに入っててそれを手に取った時と
それを開封して手紙の文を読んでいる時に感じやすい。
相変わらずだけど、人の創造に任せる文化っていうのは
これから先もなくならずに永遠に生き続けてほしいなと思う。
そういう文化ほど軽視されやすいけれども
それが結局はリアルとも大きく関係しているはずだと信じているから。
そんなこんなで今回は「文通」という文化に関して
思うことをつらつらと書いてしまいました。
ここまで読んでくださった方いたら感謝感激です。
それではまたどこかでお会いしましょう。
またねっ!
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