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終戦記念日(8月15日)をむかえて、考えることとは?

#終戦記念日 #8月15日
#玉音放送 #ポツダム宣言

日本人にとって「終戦記念日」は、8月15日とされる。しかしこの日に戦争は終わってはいなかった。海外では一律9月2日とされている。この9月2日となって、日本は降伏文書に署名したからだ。調印式は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号でおこなわれた。マッカーサー連合軍最高司令官が見つめるなか、日本代表は外務大臣の重光葵(しげみつまもる)、陸軍参謀総長の梅津美治郎、他11名がのぞんでいる。ここで初めてポツダム宣言が正式に受諾されたということだ。

*8月15日の持つ意味とは?
1945年4月6日に、米国・英国・中国によってポツダム宣言が発表された。注目すべきは、ソ連の名がなかったことだ。日本はソ連を仲介して、終戦工作を考えていた。とくに日本が重視していたのが国体の護持。天皇の身を守ることを最大の目標としていたのだ。そこで米国側へ問い合わせをすると、帰ってきたのは「バーンズ回答」だった。

ジェームズFバーンズは、当時の米国政府内で力を握っていた人物。しかも彼は閣内で唯一の原爆投下強行論者だった。そのため「天皇といえども、連合国最高司令官にsubject to(従属)する」とした。この返答により、日本はポツダムを受け入れられなくなる。その結果招いたのが、広島と長崎への原爆投下だった。

8月14日、これは「日本人にとって一番長い日」となる。いろいろなゴタゴタがあり、紆余曲折のうえ、天皇自らが午前会議の席でポツダム受入れを御述べになられた。そして、その日のうちにレコードに天皇の肉声が収められ、翌日(8月15日) の放送を待ったのだ。こうして8月15日に玉音放送がラジオから流れ、国民が聞くことになる。

内容は次の通り。原文「朕(チン)深く世界の体制と帝国の現状とに鑑(カンガ)み非常なる措置を以って時局を収拾せむと欲し茲(ココ)に忠良なる爾(ナンジ)臣民に告ぐ」から始まる文章である。現代語にすると、「私は深く世界の情勢と日本の現状について考えたところ、非常の手段により今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義善良なあなたたち国民に伝える」と。

現代語訳の続き。「私(天皇)は、日本国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ連に対し、それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。(…以下省略)」。この日本の回答により、連合国は、日本本土への空からの爆撃を止めている。この日を境にして、夜の灯火管制はなくなった。人々は、新しい時代が来たことに胸を撫で下ろした。

*8月15日以降の戦争!
米国大統領F・D・ルーズベルトは、1945年4月12日に突然死している。しかし、2月4日からクリミア半島でおこなわれた米英ソ三国によるヤルタ会談において、ソ連の対日参戦についての密約が交わされていた。「ソ連が参戦してくれたら、南樺太と千島列島をひき渡す」という内容だ。
ソ連のスターリン、さらなる思惑があった。北海道もとってしまおう!さらにうまくいけば東北も手中に収める。そんな狙いがあったようだ。日本政府と軍部は、8月18日午後4時をもって、海外で戦ってる部隊に対し、戦闘行為中止を通達した。しかし戦争はまだ終わっていない。これは現場と中央政府軍部との齟齬があったといっていい。

千島列島の最北端にあった占守島(シュムシュトウ)。ソ連軍は8月18日午後1時過ぎにこの島の北端に上陸する。このとき日本軍は戦闘行為ができる最終日だった。ソ連軍は一方的に攻めてくる。日本軍としては、戦車部隊を動員。どうにか均衡をたもった。この戦いについては、日本側は米国を通じてソ連に戦争を止めるよう仲介を願い出ている。そうした動きで何とかこの地を守りきることになった。この戦いでの死傷者は、日本側600〜千人。ソ連側1500人〜4000人という数字とされる。

*日本本土にとっての8月15日
ほとんどの人が、ラジオにて玉音放送を聞いたと言う。その反応は、内容はよくわからなかったようだ。だが、戦争が終わった事は感じたという。軍部は日本で決戦をおこなおうとしていたが、ほとんどの街は焼け野原となっていた。しかも竹槍ではどうにもならない。そんな事は国民の誰もが分かっていたはずである。

妹尾河童の『少年H』によると、この日を境にして、学校も様変わりしたようだ。それまでは「鬼畜米英」であり、勤労奉仕であった。また、軍事教練も欠かさないもの。それが急になくなり教師の中には民主主義を標榜するものまであらわれた。それまで軍部にヘイコラしていた教師たちだったが…。驚くほどの身の変わりようだった。

*まとめ
8月15日は、天皇が終戦の詔勅(ショウチョク みことのり)を発した記念日というのが正しい理解と言うことになる。戦争が本当に終わった日は、9月2日。高齢者のなかにはこの戦争を未だ引きずって生きている人がいる。これを決して忘れてはならないだろう。8月中旬にテレビ各局で放送される戦争追悼番組、これはすべての国民に見てもらいたいと思う次第だ。

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