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NHK歴史探偵、明治維新、新政府の挑戦!

#日本史 #テレビ番組評
#NHK歴史探偵 #廃藩置県
#明治維新 #版籍奉還

日本史に関わる番組はいつも観るようにしている。ウェブ配信のNHKプラスの登録はしているが、テレビ番組をDVDで録画をしているのだ。今回観たのは、今年(2024年) 11月13日に放送されたもの。つい先週このnoteでも明治維新について扱かったため、新しい情報を求め、観たわけである。ほとんど知りえていた内容だったが、再確認の意味で最後まで観た。不足を補うカタチで番組評を書くことにする。

*心情として判官贔屓(ほうがんびいき)
明治維新=日本が近代国家として動きだす契機となったとの見方がある。ただどうしても徳川方に同情してしまうのだ。将軍・慶喜は大政奉還により権力を天皇に返した。つまり、幕府と薩摩長州との戦さを望んではいなかったということ。将軍・慶喜の目論見は「寄合所帯の薩長土肥、彼らに政治はできない」。必ず自分を求めてくるはず、そう考えていた。

薩摩長州軍は、官軍と称してムリヤリ戦火をまじわるようにする。かなり道義にも反するおこないをして幕府軍を挑発、それにより暴発してしまう徳川勢がいた。これにより無駄ともいえる戊辰戦争が始まる。同情するのは会津藩、戦により3千名もの藩士が命を落とした。また戦後は、藩が取りつぶしとなり、藩士は北のはずれの青森、その不毛の土地へと送られ、食事にも事欠く始末だったという。

*明治新政府、取巻く状況とは?
番組の指摘とおり、明治新政府には何らチカラがなかった。そもそもへも諸藩から借りもの。また兵を養う金もない状況。これではもし反乱軍が決起すれば、たちどころに明治政府は潰されていたはず。明治政府を動かしていた大久保利通や木戸孝允、岩倉具視もそう考えていた。

そんななか軍政改革に成功した藩があった。紀州(和歌山)の徳川茂承(もりつぐ)が、津田出(いずる)にやらせた改革である。家臣の禄(給与)を10分の1にまで減らし、浮いた金をもとに、軍制改革をしたのだ。はずは独自の徴兵をおこない、常備軍7千名、予備軍1万4千を揃えた。

番組では、これが明治新政府にとって大変参考になったとしている。補足説明をすれば、兵は士族でなくてもよく、民間人であれば、費用も安く済むということだろう。ただし、これをすぐに実行に移すだけのチカラも、新政府にはそもそもなかった。

*版籍奉還のもつ意味とは?
「版」とは藩の領地のことで、「籍」は、藩の領民(武士や農民町民)のこと。これら全てを朝廷に返上すると言うことだ。藩主(大名)は、政府の地方官、つまり「知藩事」となって、そのまま今までの領地をおさめた。たんに名称が変わっただけで、実態はほとんど変わってはいない。

明治政府としては、自前の軍をもつ必要があった。戊辰戦争の総大将、西郷隆盛は薩長土3藩にたいし兵を政府に献納させる。これにより、1871年(明治4年) 6月には、東京に8千名の軍隊が出来あがった。ようやく自前の軍を政府はもったと言える。

*廃藩置県、いわばクーデター!
番組では、この案を考えたのは、山県有朋(やまがたありとも)としていた。だがじつは、これを山県に申しでた人物がいたのだ。軍政に詳しい中堅官僚の野村靖と鳥尾小弥太、この2名である。野村は吉田松陰の門下生。鳥尾は戊辰戦争に参戦し、戦後は紀州和歌山藩の軍制改革に参加している。

2人は7月4日同じ長州藩出身の山県有朋にこの廃藩置県の話をする。賛同した山県は、井上馨に話した(7月5日)。翌6日、井上は、木戸孝義(桂小五郎)に話を持っていったと言う。一方、山県は7月5日に西郷隆盛にも話にいった。断られると思ったが西郷はあっさり同意する。西郷はこのことをすぐに大久保利通に伝え、了解を得たようだ。7月9日になると大山巌と西郷従道の了解もえた。

7月12日になると宮中の岩倉具視と三条実美にも知らせたという。そして彼らにより明治天皇の耳にも入り、秘密裏に事が進められていく。そしてとうとう7月14日午前中に薩長土肥と鳥取・尾張・熊本・徳島の8名の知藩事へ、天皇の勅語が下された。午後になると、在京の知藩事が呼び出され、明治天皇から「廃藩置県」の詔がくだされる。ここにおいて、武家政治は幕を引くこととなった。

*まとめ
この後に、明治政府への不満により、薩摩において士族の反乱軍が決起する。大将として担ぎ出される最後隆盛、西南戦争においてその命を落とした。だが、一方で明治政府を強固につくり替えた人物でもあったのだ。あきらかに勝ち目がない反乱、しかし最後まで彼らを見捨てなかった。西郷の残した言葉がある。「天を敬い、人を愛する」。そんな生き様だったと言えるのではないだろうか。

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