見出し画像

『看護』について、世界で初めて、その必要性を世に知らしめた女性!


#ナイチンゲール #人物伝
#看護師

数週間前、たまたま近くのブックオフに立ちよった。そこで目に飛び込んできたのが、フローレンス・ナイチンゲール著『看護覚え書』という本。本体表示1700円となっていたが売価は220円だった。この本こそ、ナイチンゲールが人類史上初、看護のあり方を解き明かしたもの!その価値を知っていただけにすぐ購入する。

*Fナイチンゲールの生い立ち
1820年、英国の大富豪の家に生まれる。その父(ウィリアム・エドワード)はかなりの教養人だったという。幼少の頃から、フローレンスは英才教育を受けた。語学では、ラテン語イタリア語フランス語、ギリシャ語。さらに歴史から美術・音楽や文学、哲学・数学・天文学に至るまで学んでいる。

何不自由のない暮らしだったが、17歳のとき「神のお告げ」を聞いたという。それは、「貧しい人たちのために役立つ生き方をしろ!」と…。両親としては社交界にデビューさせ、幸せな結婚をすることを望んでいたが、フローレンス本人はそれを望まなかったようだ。25歳となったフローレンス、自分の夢は「病院で介護の仕事に就くこと」をうち明けると、両親から反対されてしまう。

当時の人々にとっての看護師、それは社会的身分が低く、知性や品性、教養のない仕事とみなされていた。また病院というところはかなり不潔であり、汚れたところ。家族に面倒を見てもらえない、惨めな人たちが集まっている場所と見られていた。それゆえに両親は猛反対し絶対に認めなかったということだ。

それから6年後、31歳となったフローレンス。精神を病んでいた姉の面倒を見るという口実で、ドイツの病院附属の学園施設に滞在し、病人の世話の仕方をまなんでいく。そして英国にかえりロンドンの病院に就職した。この頃になると、父ウィリアムスは娘のへの理解を示すようにもなったという。施設の仕事が評価され、33歳でロンドンの看護施設総監督となる。この後、婦人病院院長にも昇りつめ、各地の病院の看護状況を調べあげた。

*クリミア戦争での活躍!
オスマン帝国とロシアとの間で、黒海沿岸の支配権を巡り、クリミア戦争(1853年から1856年)がおきる。これに英仏両国は支援をする形で戦争に巻き込まれていく。この戦いの模様を新聞は毎日報じていたようだ。現地では医師をはじめ医薬品も足りない状態、これにフローレンスは心を動かしたという。

ここでフローレンスがとった行動。社交界で知りあった戦時大臣のハーバードに手紙をおくる。実はこのハーバードも戦地の状況を憂慮していたという。すぐにその申し出をうけいれ、フローレンスは38名の看護団を引きつれ、戦地後方の街スクタリに向かった。しかし待ち受けたのは、陸軍軍医長官のホール。彼は先例がないたみ、この看護団を追い返そうとしたのだ。

現場を見たフローレンス。その施設の汚さには、さすがに驚いたという。病人のベッド横には糞尿が垂れ流し、ズミも走り回っている。とりあえずフローレンスたちはトイレの清掃と厨房の整備をおこなう。この部分に関しては、医療とはまるで関係のないところだったためだが…。一方、戦時大臣にも手紙をしたため状況を知らせる。この話は女王陛下の耳にも入り、現地責任者にも看護団を使うように伝えられたようだ。

*死亡率40%から5%へ!
このスクタリの治療施設での患者の死亡率は四割以上だった。そのほとんどが赤痢やコレラなどの感染病。フローレンスたちの徹底した衛生管理により、みるみる死亡者数が減っていったという。1855年2月が42%、4月になると14.5%、5月では5%になった。

この功績は、本国英国でも新聞で報じられた。それを知った多くの人々、あまりの熱狂ぶりにフローレンスは別名で帰国をする。ただ、このクリミア戦争での体験で、自分自身が体調不良となってしまう。したがって、これ以降は、おもに文筆活動を通じて、人々に看護の必要性を説いていった。

*書籍『看護の覚え書』(1859年)
この書籍のなかでフローレンスが一番伝えたかった事は、「看護の基本は観察にある」ということだ。本書の中で、次のように言っている。「最も重要で、また実際に役立つものは、何を観察するか、どのように観察するか、どのような症状か、病状の改善を示し、悪化を示すものは何か、どれが重要でどれが重要でないのか、……(これらを看護する人に)教えることだ!」と。(P178)

まだ前文において、この本の目的にもふれている。この本は看護師の手引書ではなく、人の健康に責任をおっている女性のために書いた!とした。読んでみると、確かに家庭でも役立つ知識だ、そして未だ目からウロコとなる知識も多々あった。この書籍、現代にも通じる健康書と見ることができるようだ。

*まとめ
一人の女性が、天からの啓示により、看護の重要性を人々に知らしめる活動をした。まさにこれは偉大な活動といっていいだろう。様々な健康情報にあふれる現代。それでもなおフローレンス・ナイチンゲールの偉大な功績を忘れてはならない。学んでみて、それがハッキリした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?