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吉原遊郭の歴史! NHK大河ドラマ『べらぼう』の基礎知識として!

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#蔦屋重三郎    #平賀源内

「吉原」という名称は、男なら誰でも知っているはずだ。初恋の彼女と大学2年で別れ、そのまま学生生活が終わってしまう。そして三鷹の某企業に就職。酒も飲まずタバコも吸わないので、給料は月々溜まっていく。このとき学生時代の友人との飲み会があった。5人のうちニ人が春先には結婚すると言う。なぜか取り残された気分になった。これにはすこし焦る。自分がまだチェリーボーイだったためだ。このときは思いついたのは吉原にいくこと。上野駅前からバスで20分ほど、千束バス停で降りた。吉原周辺を散策する。一周したがなかなか入る店が決まらない。意を決して古風な名前の店にはいった。決めていたのは午後一番にゆくこと、さらにシラフでいき、行き帰りはバスを使うことだった。

*江戸時代の吉原遊郭とは!
吉原にはいまだにソープ街がある。家康が、秀吉の命により江戸入り、着々と町の整備を進めていく。このとき売春業を営んでいた商人たちは、空いていた土地に店を出した。だが家康が天下を取ると、諸藩の藩邸が次々につくられていく。こうなると彼らは追い出されることになってしまう。これに困ったのだ。

遊女屋をいとなんでいた者たちは、共同で幕府に陳情書を出す。とにかく遊郭をつくらせてもらう。代わり幕府にとって都合のいい条件を出した。騙されて売られてきた娘は親元へ返す!犯罪者などは届けでる!客の連泊はさせない!など。1617年になり、ようやく江戸初となる吉原遊郭が認められた。

もともとは、日本橋近くにあった。しかし、1657年の明暦の大火により焼失。浅草寺裏(現、台東区千束)へ引っ越した。前者を「元吉原」といい、後者は「新吉原」と呼ばれる。この新吉原が時代をこえてソープランドとなり現在まで続いているのだ。

*非公認の売春業①岡場所!
この「岡」とは「外れ(はずれ)」を意味する。つまり、公認から外れた場所だということだ。大体が街道の宿場につくられた。非公認ではあるが、幕府としては目をつむったということ。これを取り締まると人の往来が減ってしまうため、あえても黙認したのだ。

旅籠には雑用をする「飯盛り女」たちがいた。おもな仕事は、接客応対から食事の準備など、細々とした雑用だが、裏では売春もやっていたのだ。別名は「宿場女郎」。宿場における奉公人として、なかば幕府から認められていた。

*非公認の売春②提げ重とは!
厳格な法規制をすすめる。松平定信は、1700年代の終わり(1787年から1793年)に「寛政の改革」をすすめていく。これにより非公認の岡場所はすべて取り払われた。困ったのは参勤交代により江戸に出てきた諸藩の藩士。1年間は、江戸の藩邸長屋で暮らすが単身なのだ。性には飢えていた。

これまでは岡場所があったため、不自由はしなかった。彼らには金がないので、吉原遊郭などにはゆけない。そこで困ってしまう。ここで現れたのが重箱に「饅頭」をいれて売り歩く女たち、つまり「さげじゅう」。藩邸の警備は、昼間はそれほど厳しくない。だから、彼女たちはたやすく藩邸に入り饅頭を売ったのだ。しかもこのとき性も売る!売春もおこなった。現代でいうところの「デリヘル」だ。

料金は、公認の遊郭が数万円から数十万円。岡場所であれば、千円から一万数千円と言ったところ。とにかく女性の年齢が高くなれば、とうぜん料金も安くなる。岡場所から転職した飯盛女たちも同じような料金だったようだ。

*まとめ
NHK大河ドラマ『べらぼう』の第一話第ニ話でも、遊郭と岡場所のことが触れられている。吉原遊郭前で引手茶屋をいとなむ蔦屋重三郎(主人公)。客を岡場所に取られ、遊郭に客が呼べなくなったことで食事にも事欠くことを問題にし対策を練る。いかに吉原遊郭の魅力を人々に知らしめるか!頭を絞った。

吉原遊廓のガイドブック「吉原細見」をもっと良いものにしようとするのが第二話。稀代の天才にして文筆家としても業績を残した平賀源内に序文を書いてもらうというもの。コピーライターとしても超一流の源内。いまだ「土用の丑の日」は、源内が創作したもので日本人の習慣になっている。この平賀源内とのやりとりが、今後注目するところだ。

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