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人と向き合うということ

歳をかさねるにつれ、人と向き合う大切さと難しさを感じることが増えた。
きっと今までも向き合う必要のあるタイミングは沢山あったはずだ。しかし、さらっと受け流して相手のことをちゃんと見ようとしなかったことが私自身が気付くだけでも沢山ある。
もっと、相手の気持ちを考える努力をすれば良かった…だれしも少なからず感じたことのある感情なのではないか。

押しつけと、考えることの違い。その難しさ。

相手と対峙するとき、人は今までの経験で、先入観を持って考えを膨らませてしまいがちだ。


仕事において。
この年齢まで不自由なく元気に過ごしてきた方が急に余命を宣告されるような癌になったと知ったら。自分の死と向き合うことを突然必要とされたら・・・。

私は、自分の想像と、今までみてきた患者さん達との経験から、今の患者さんをみるわけだ。そして、どんな風に声をかえるべきか考える。
でも毎回思うことは、本当に人それぞれだということ。

苦悩を受け止め、口に出し、涙される方。
この歳まで何もなく、元気に生きてこれたのだから仕方ない。と自分の中で受容をしようと言語化される方。
私たちの前では、涙も悲しい顔もされず、寝れない夜を過ごす方。
自分の心配ではなく、一人になるかもしれない夫のことを思う方。

決して答えは一つではない。
私はその人の姿を前にして、こうゆう受け止め方もあるのかと毎回思うのだ。
この人の人生背景を考え、こんな風に苦しい思いをするんじゃないかな?と自分の経験からその人を考えて関わることは必要だが、それが押しつけになってはいけない。
私は今目の前にいる人、一人ひとりをしっかりみて、寄り添う努力をしないといけないな。と毎回思わされる。

相手の辛さを完全には理解できることはないが、理解しようとしたい。考えたい。苦悩し、葛藤する日々。


正解も不正解もないが、こんな風に考え悩みながらも患者さんに寄り添おうとすることが、見るではなく、看ることなんじゃないかなあと、思う。

おっと、いけない、私の真面目スイッチが入ってしまった。


経験から、諦める。経験から、人を信じられない辛さ。

恋愛において。
今まで色んな形で傷ついてきた。それと同じくらい人のことも傷つけた。
出会い、その人との関係をスタートしようとする時今までの経験が私の脳内をちらつく。そして、不安になる。

また、傷ついたらどうしよう。
あー、これってまた私が好きなだけだ。
好きになってしまったからこの恋は終わりだな。

経験から、諦める。経験から、その人を信じられず、結局は私の手で終わりを作ってしまう。
そんなことが何度もあった。

その度に思う。あー、今までのこんな経験なんてなくて、毎回まっさらな状態で人と出会えたらいいのに。

でも、こんな風に被害者ずらしておいて思うのが、
一番の被害者は相手だってこと。

今までのトラウマで、なかなか人に踏み込めないのかもしれない。
でも、その相手は今までの相手とは、全く違う人だから。
そんな私のトラウマなんて、知ったこっちゃないから。

ね。頭では分かっているのだが。
自分の人生の中で、自分が主人公だから、自分が一番大切だから、自分を守ろうと予防線を引くのだろうか。

仕事においては、考えられるはずなのに、自分の問題になると
どうも上手く考えられないのだなあ。


自分と同じように、相手も。

でも、きっと相手も同じで。
相手にも今までの人生があって、その時々に感じた感情があり、今がある。
今までの人生をなかったことにはできないし、今までがその人の今を構成している。良くも悪くも。

自分だけではなく、相手もそうだと思い、寄り添える部分は寄り添っていきたい。そこに有意差なんてない。自分が受け入れられることは、皆それぞれ受け入れたらいいのだ。

結局人は一人で生きられないし、死ぬこともできない。
お互いに影響を与え合って生きている。

今の自分の相手への対応が、相手の新たな傷になることも、相手の過去の傷を癒すことにも、なれるということだ。

向き合うということは、きっとそういうことだ。


ちょっと、まとまりないけど今日のことろはこの辺で。






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