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箒のまじない━━洋の東西

 みなさん、家で箒をお使いでしょうか。特に室内の掃除は掃除機、不織布のワイパー、粘着シートのコロコロなど便利な道具がいろいろあって、箒の出番は昔ほどはなくなってしまったかもしれません。
 実はこの箒には不思議な呪力があるのです。

 古代の律令制度の官職に掃部寮というのがあります。「カモンリョウ」と読みます。掃は掃除の掃。掃部でカモンとは不思議な読みですが、元々はカニモリです。漢字で書けば蟹守です。掃部=蟹守……どういうこと?

 『古語拾遺』によると、
「天祖彦火尊ひこほのみこと、海神のむすめ豊玉姫命をめとり、彦瀲尊ひこなぎさのみことを生む。誕育の日、海浜に室を立つ。時に掃部連かにもりのむらじの遠祖天忍人あめのおしひと命、供奉陪侍し、帚を作り蟹を掃く
すなわち舗設をつかさどり、遂に以て職と為し、号して蟹守と曰う」

 彦火尊とは彦火火出見ひこほほでみ尊(山幸彦)のこと。天孫瓊瓊杵ににぎ尊の息子です。
 彦瀲尊とは彦波瀲武鵜草葺不合ひこなぎさたけうがやふきあへず尊のことで、神武天皇の父です。

 掃部寮の仕事は宮中の舗設や畳や簾の管理、儀式の際の式場の設置と清掃などです。でも、蟹守の神話によれば産屋に寄ってくる蟹を箒で追い払うのが本来の役目のようです。

 でも蟹ですよ、蟹!どうして蟹なの。そしてなぜ蟹を払うだけの役目が重要視されたのでしょう。
 豊玉姫は海辺に産屋を建てて、その中で出産したのです。海辺なので出産のときの胞衣の匂いに蟹が引き寄せられて新生児を危険にさらすので、追い払う必要があった、なんて一見合理的な解説もありますが、そんな理由で宮中の役職にまでなりますかね?

 沖縄では誕生から六日目を「満産」といってお祝いされるのですが、その儀礼の中に、カカンという裳を被った母親が新生児を抱いて、蟹を這わせるそうです。
 吉野裕子氏は『日本人の死生観~蛇 転生する祖先神』(人文書院)の中で、蟹は蛇同様脱皮する。脱皮は再生の象徴であり、蟹を這わせるのは蛇の代用だろうといいます。
 また、平安貴族の赤ん坊の産着を蟹取小袖というそうです。

 つまり、出産に蟹はつきものなのです。

 蟹のことはこの辺にして、箒です。
 箒は元々はハハキといいました。箒神ハハキノカミという神様があります。出産のとき箒神がおいでにならないと子は産まれないとか、お産が重いときは産室の周りにぐるっと箒をたてるとか、箒を粗末にすると難産になるなどなど、やはり出産と箒は切っても切れないようです。

 記紀神話の天稚彦の葬儀の場面にもハハキが出てきます。
「喪屋を作りて(略)鷺をははき持とし…」
 喪屋では、殯が行われます。殯は埋葬するまでの一定期間、遺体を喪屋に安置することですが、ハハキ持ちという役目の人がいたのです。(『古事記』では鷺という鳥ですが)
 現代(といっても昭和以前でしょうが)の葬列に、箒を持った人がいる例があるそうです。

 葬儀における箒の役割は何でしょうか。特にどこかを掃除するわけではないようです。
 cyber kinokawaさんの和歌山紀北の葬送習俗の記事に、野辺送りの葬列の例がありますが、その中にササラというのがあります。竹を細く削って束にしたもので、これが箒と同じ意味を持つと思われます。

 箒は単なる掃除道具ではなくて、何らかの役割のある呪物であり、箒神の依り代のようです。そして、それは誕生と死に深くかかわるようです。

 吉野裕子氏は前出の本の中で、ハハキのハハは蛇のことであり、ハハキの原点は蛇木ハハキあるいは竜樹ハハキと書いています。蛇は祖霊の象徴であり、出産の場に立ち会い、葬送の先導をするのだとも。


 箒のまじないというと思い浮かぶのは、長居をする客を早く帰ってもらいたいときにやる、箒を逆さに立てかけて手拭いをかけておくというものではないでしょうか。(最近では箒自体がない家も多いし、そんなことをする人もいなくなったかもしれませんが)

 サントリーの緑茶のCM。市田ひろみさんの後ろに立てかけられている箒に注目!いけずやわ~(逆さ箒ではないので、追い出そうとしているのではないかも?もっとわかりやすく箒を逆さに立てかけているCMもあったはずなのですが、ネット上では見つかりませんでした。記憶違いか⁇)

 これは箒に穢れを掃き出し魔を払う(退散させる)呪具としての力があると考えられていたからかもしれません。場を清める掃除道具として、最もわかりやすい解釈ではないでしょうか。

 ところで、箒を悪魔を寄せ付けないまじないの道具としたのは、日本だけではないようです。経済人類学者の栗本信一郎氏の『血と薔薇のフォークロア』(リブロポート)は、ハンガリーからルーマニアのトランシルヴァニア地方を旅した記録です。出版されたのは1982年で、両国ともまだ社会主義国の時代ですが、栗本氏の軽妙な文章と、同行したカメラマンの中村英良氏の美しい写真が楽しい本です。

 トランシルヴァニア地方はラテン系のルーマニア人よりもハンガリー系のマジャール人の文化の強い地域です。コロヴァジュールという街を訪れた時、ある民家の玄関の開け放された内側に、箒が立てかけてありました。
 栗本氏は「どうやら、我々が悪魔に見えたらしい」などと、冗談めかしていますが、これだけだと偶然箒が立てかけてあっただけかもしれません。が、中村氏の写真にも魔よけのホーキというキャプションがついています。
 同行したハンガリー人の学者がそのように教えたのかもしれません。

 箒を立てかけておくことで魔よけになるというまじないと、長居をする客を退散させるまじないは、発想がよく似ています。というか、ほとんど同じではないですか。

 西洋で箒と呪術と言えば、ずばり魔女ですよね。魔女はなぜ箒にまたがって空を飛ぶのでしょうか。

 魔女は古代の呪術師の末裔です。彼女らの仕事は、人や家畜の病気を治す医術や、農作物の実りを促したり、天候を操ったり、運勢を占ったりと、人々の生活に密着した大切な役割がありました。また、産婆も大切な仕事の一つでした。

 実は箒こそ産婆のシンボルなのです。ヘカテーという女神については前回の記事で書きましたが、ヘカテーに仕える巫女は産婆もしており、巫女は悪魔に生まれたばかりの赤ん坊を取られないように、箒で掃き清めたといいます。蟹守と似ています。

 箒の柄は男性のシンボルをあらわしています。豊穣のシンボルですね。昔、結婚式で箒の上を飛び越える(またぐ)という風習があったらしいです。きっと早く子宝が授かるようにとのまじないでしょう。
 未婚の女性がうっかり箒をまたいでしまうと、私生児が生まれるという迷信もあります。
 中世ヨーロッパでは農民階級だとまだこのような古代のまじないが残っていたのですね。

 ヘカテーの巫女は、キリスト教社会になってから悪魔に仕える魔女に貶められました。本来魔を払う呪具であった箒は、そのセクシュアルな象徴から、魔女がまたがり(これは悪魔との性交を意味します)、恍惚としてトリップする姿は、空を飛んでサバトに出かける姿と信じられました。
 箒の柄に特別な軟膏をぬりつけてまたがると、空を飛べるというのです。その軟膏はトリカブトなどの薬草が使われ、股の粘膜から浸透するとめまいや幻覚がおきて、空を飛んでいるような感覚がするらしいのです。
 真実かどうかは重要ではありません。そう信じられ、魔女狩りの証拠(自白証拠です)とされたのです。

「若い魔女」ヴィールツ
wikipediaより

 西洋では箒はエニシダを材料ににして作られました。サバトにおいて、エニシダの枝を魔女に捧げる儀式があったそうです。

 エニシダの花言葉は「謙遜」「卑下」です。それにはこんな逸話があります。
 フランス西部の貴族にアンジュー伯爵家がありました。二人の兄弟がいて、当主である兄を弟が殺して党主の座を奪い取ってしまいました。しかし弟は良心の呵責から、エルサレムへ巡礼の旅に出ました。そしてエニシダの小枝を鞭にして体に打ち付け、懺悔を繰り返したというのです。その懺悔の姿からhumilityという花言葉が生まれ、謙遜、卑下と訳されました。

 エニシダの枝をPlanta genetといい、アンジュー伯爵家はPlantagenetという名を持つようになりました。プランタジネット家はイングランド王家でもあります。イギリスではエニシダは豊穣のシンボルだそうです。

 エニシダにアルカロイド・スパルチンという興奮性の成分が花や茎に含まれているそうです。こうしたことも魔女と箒の迷信の原因になったかもしれませんね。

 日本でもヨーロッパでも、箒は実用性とマジカルな用途を兼ね備えた不思議な道具だったのですね。


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