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ドラキュラとゼノフォービア━4

 19世紀のイギリスは啓蒙主義の国として、大陸の他のヨーロッパ諸国と比べても、比較的移民に寛容であったらしい。根底にドーヴァー海峡で大陸から独立した島国であったことや、「移民はいずれ同化してゆく」という考えがあったからという。

 しかし、その考えはあることがきっかけとなって少しづつしぼんでいく。そして、次第に厄介な社会問題へと変化していった。

 丹治愛氏の著作『ドラキュラの世紀末~ヴィクトリア朝外国恐怖症ゼノフォービアの文化研究』から、その辺りの事情を見ていくことにしよう。

ユダヤ人恐怖

 1881年3月13日、ペテルブルグで起きたロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺事件をきっかけに、ユダヤ人に対する迫害と殺戮ポグロムが起きた。
 更に1882年5月、アレクサンドル3世がユダヤ人関連臨時法(5月法)という、反ユダヤ的な法律を発布。ロシア領に組み入れたポーランドに居留地を作って、多くのユダヤ人を押し込めた。

 その結果、生活に困窮した多くの東欧ユダヤ人たちが西へのがれた。大量の移民に悩まされたプロイセンも1886年にユダヤ人追放に踏み切った。

 こうして大量の難民が海を越えてイギリス、アメリカに押し寄せることになった。

彼らはほとんど例外なく、居留地から脱出してきたばかりで同化能力に乏しく、英語すらほとんどしゃべることのできない人びと。そして「ほとんど例外なく全員が汚れて黄色くなり、ひどい臭いだった」、あるいは「たいがいの場合、彼らはまったく金をもっていない」と言われているとおり、独特の悪臭と汚らしさを発散させている貧しい人びとでした。

『ドラキュラの世紀末』丹治愛

 当初イギリスはユダヤ移民たちに同情的だった。それに宗教的不寛容を排する啓蒙主義と自由主義を推し進めるイギリスは、ユダヤ人に対する不平等を撤廃する方針を進めようとしていた。
 ただ、これには「ユダヤ人の同化」という条件があったのだけれど。

 1880年代後半になると、あまりに大量のユダヤ移民が増えて、ロンドンの人口過密は大きな社会問題になってしまう。
 特に貧しい人々の住む地域の家賃の上昇、イギリス人労働者の失業、衛生状態の悪化、犯罪の増加、アナキズムの助長などなど。
 
 これまでイギリス社会が自信をもって誇ってきた「移民の同化/吸収」力が確実に揺らいでいた。東欧(ロシア系)ユダヤ移民は、厄介者だった。

 いつまでたっても他の民族と交わらず、言語でさえ同じでなく、食べる物飲む物も違い、ともに祈ることもない。同化を拒絶するユダヤ移民は、イギリスに住んでいてもイギリス人にはなれず、それでいてどんどん増殖していき、経済的にも政治的にも影響は拡大していく。

 次第にユダヤ移民は〈国家内に国家〉、〈帝国内に帝国〉をつくる癌のような異物とみなされるようになっていった。

シャイロックに扮するサー・ヘンリー・アーヴィング
ストーカーはアーヴィングのライシアム劇場のマネージャーを30年近く務めた。
一説にドラキュラの風貌はアーヴィングをイメージしたという。
シェークスピアのシャイロックは多くのイギリス人が持つユダヤ人の典型的イメージ。

 ドラキュラはパーフリートのカーファックス屋敷をロンドンでの最初の拠点にし、そこから故郷から持ちこんだ「汚れた土」の入った50個もの木の箱を市内の数カ所に分散させる。その場所は、一か所を除いて特に貧しい地区ばかりで、とりわけユダヤ人が多く住んでいる場所だった。これは偶然ではなく、ストーカーが意図的に選んだのだろうという。

 ドラキュラが大金持ちだったことは、ジョナサン・ハーカーがトランシルヴァニアのドラキュラの城で、ほこりをかぶった金貨の山を目撃しているので間違いない。裕福な伯爵がわざわざ貧民窟になぜ隠れ家を求めたのか。それは、ロンドンをよく知る読者にとっては、ユダヤ人を容易に連想させる場所だったからではないか。

 パーフリートの荒れ屋敷に箱を運び込んだ配達夫はこういう。

あそこの家は、いままで見たことのないくらい奇妙な家でした。この100年のあいだずっと人がふれたことがなかったんですね。なにしろ埃が積もっていて、床にそのまま眠ったとしても身体が痛いなんてことはなかったでしょう。そのくらいほったらかしにされていたもんだから、中はまるでエルサレム旧市みたいな臭いでした。(丹治愛 訳)

 エルサレム旧市みたいな臭いとは、どういう表現だろう。これはユダヤ人は臭いと言っているのと同じだ。当時のイギリス人はこのように彼らを認識していた。そして、東欧からやって来た吸血鬼はユダヤ人同様に臭い。

 そう、ドラキュラは臭いのだ。(ドラキュラにゴチック小説の耽美なロマンを求めている人よ。怒らないでくれ。原作にそう書いているのであるのだから。)

 ドラキュラはユダヤ人ではない。自分ではセーケイ人だと言っている。フン族のアッチラ王の血をひいているとも云っている。しかし、ドラキュラの風貌は明らかにユダヤ人をほうふつとさせる。

 ドラキュラ城でのハーカーの日記から。

伯爵の顔は精悍な荒鷲のような顔であった。肉の薄い鼻が反り橋のようにこうもり高くつきでて、左右の小鼻が異様にいかり、額はグッと張りだし、髪の毛は横鬢のあたりがわずかに薄いだけで、あとはふさふさしている。太い眉がくっつきそうに鼻の上に迫り、モジャモジャした口ひげの下の「へ」の字に結んだ、すこし意地の悪そうな口元には、異様に尖った白い犬歯がむきだし、唇は年齢にしては精気がありすぎるくらい、毒々しいほどに赤い色をしている。そのくせ耳には血のけが薄く、その先がいやにキュッと尖っている。顎はいかつく角ばり、頬は肉こそ落ちているが、見るからにガッチリとして、顔色は総体にばかに青白い。
(略)
どういう拍子だったか忘れたが、伯爵が暖炉の前で、身をこごめて両手で自分の肩を軽くおさえたときに、なぜか自分はゾッと身うちが震えた。伯爵の息が、なんともいえない生臭い、いやな匂いがして、正直なところ、吐き気をもよおすほど胸が悪くなった。ゾッとしたのは、たぶんそのせいだったのだろう。自分は不快の色を顔に出しては悪いとおもったが、とても我慢できなかった。(平井呈一 訳)

 鷲のような反った鉤鼻や、モジャモジャの濃い眉などはステレオタイプなユダヤ人像である。
 そして、伯爵の吐く息は吐き気をもよおすほど不快な匂い(それは困窮ユダヤ移民のような)なのである。

 文化史家のブラム・ダイクストラはドラキュラについて次のように書く。
「ドラキュラは表向きストーカーが執筆した当時誰もが恐怖心を抱いていたユダヤ人ではないかもしれないが、それに近いことは確かである。なぜならドラキュラは(中略)東ヨーロッパ人だからである」(ブラム・ダイクストラ『倒錯の偶像 世紀末幻想としての女性悪』富士川義之他訳)

 東ヨーロッパはユダヤ移民の供給地だった。


 さて、ドラキュラのロンドンの拠点のうち、一か所だけ貧民街ではない場所があった。そこはピカディリ347番地。347番地は実際は存在しないらしいが、この界隈にはユダヤ人の大富豪で、イギリスの金融を牛耳っていたロスチャイルドの屋敷があるのだ。

 ライオネル・ネイサン・ロスチャイルドは、キリスト教に改宗することなく下院議員に就任した最初のユダヤ人だ。また息子のナサニエルはユダヤ人で初めて英国貴族の爵位を授与されている。(ライオネルの男爵位はオーストリアの称号)

 ロスチャイルド家はライオネルの兄弟がドイツ、フランス、オーストリア、ナポリの主要都市に住み、互いに暗号文で情報をやり取りしながら、それぞれの政府や王侯貴族に金を貸し付けながら、巨利を得た。
 たとえこれらの国同士が戦争になって、どちらかの国が勝っても、ロスチャイルドの銀行だけは損をすることは無いのだ。

 「彼等(ロスチャイルド兄弟)の団結はこれらの国々の間に存する確執や相反する利害によって一瞬たりとも乱されない」(ハナ・アーレント)
 つまり国家に対する忠誠に束縛されることなく、目的のためなら政府を裏切るし、そのことを密かに麻痺させる反国家的金銭の力を持つ「吸血鬼の一族」とみられていたのだ。

 ストーカーがこの世界一成功したユダヤ人の屋敷のある界隈にドラキュラの住処を設定したのは、偶然だろうか。それとも意図したことだろうか。

 

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