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将門を祀る?亀戸香取神社(江東区)

 JR総武線の亀戸かめいど駅の北口に出る。明治通りを北へ進んで、亀戸梅屋敷のある亀戸四丁目の交差点で左に曲がって蔵前橋通りに入った。

亀戸梅屋敷
元々の梅屋敷は江戸時代の呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘
徳川光圀銘名の臥竜梅が評判の梅の名所
現代の梅屋敷はそれにあやかり、文化の発信や名産品を販売する場所になっている

 蔵前橋通りに入ってすぐの所に、亀戸香取神社の鳥居が現れる。

 鳥居をくぐると200メートルほどの参道が伸びている。左右には看板建築の商店が並ぶ。亀戸香取勝運商店街(大門商店街)だ。
 看板建築は関東大震災後、昭和初期に流行した、和風の木造建築に正面だけ洋風の装飾をした建物だ。
 しかしそれにしては、この商店街の建物はどれもきれいだ。

 実は江東区の「観光レトロ商店街モデル事業」によって、平成二十三年[2011]に既存の商店のファサードを看板建築に改装した、復古調疑似レトロ建築なのである。

 そういえば1992年頃から昭和三十年代ブーム(昭和レトロブーム)というのがあり、それが十年ほど続いた。そのブームに乗ったものだろうか。

 参道の両側の歩道は屋台や車が占拠していて、仕方なく真ん中の車道を歩くことになるが、誰も気にも留めない。バイクも歩行者をよけていく。鳥居の内側は参拝者優先なのか。

 やがてもう一つの鳥居があり、神社の境内に入っていく。

 参道の両側に灯篭が並んでいる。その一つ一つに奉納者の絵や言葉が書かれているのだが、スポーツや武道に関するものが多い。この神社はスポーツの神様がいらっしゃるらしい。

 この神社の御祭神は経津主神ふつぬしのかみ。相殿に武甕槌神たけみかづちのかみ大己貴神おおなむじのかみを祀る。
 香取神社は千葉県香取市の香取神宮が総本社で、茨木県鹿島市の鹿島神宮と共に中臣氏が氏神として祀ってきた。鹿島神宮の祭神が武甕槌神である。経津主神、武甕槌神共に武神で、天照大御神の命で豊蘆原瑞穂国とよあしはらみずほのくにを平定したと神話に語られている。

 亀戸香取神社の由緒によると、創立は天智天皇四年[665]のことで、中臣(藤原)鎌足が東国に下向した時、亀の島に船を寄せ、旅の安全を祈願して香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納したのが始まりという。

本殿
江東区史に寄れば、南葛飾郡に香取神社が多いのは、
下総の香取神宮の社領がこの辺りにあったからだそうだ

 この辺りは古代は海で、所々に島が点在した。亀の島(亀島、亀津島とも)というのもその一つだろう。
 亀戸という地名は亀が井戸というのが昔あり、それが亀戸の由来とか。(亀の島の井戸だから亀が井戸なのかもね)

 境内摂社に天祖神社があるが、その昔漁師が風浪危難除けとして伊勢の神様を祀ったという。明治時代、移築の際に境内から多量のいわ(石の碇、または漁網につけるおもり)が出土した。このことからも、この辺りが海に囲まれた土地だったことがわかる。

摂社

 平将門の反乱の追討のため、藤原秀郷はここに参篭し戦勝祈願をしたという。目出度く乱平定を成し遂げた後、秀郷は神恩感謝のしるしとして弓矢を奉納した。それは「勝ち矢」と命名されたという。
 現在も、五月五日に勝矢祭が行われ、武者行列が練り歩くらしい。

先頭を行くのは秀郷さんですかね

 神社の由緒を引用する。

前にも述べたように大神は国土平定に当られ、日本建国の礎を築かれた大功神であり、歴代の天皇をはじめ源頼朝・徳川家康・秀忠・頼房等の武将の篤い崇敬を受け、又塚原卜伝や千葉周作をはじめ多くの剣豪の崇敬も篤く、現代でも武道修行の人々は大神を祖神と崇めております。
最近ではスポーツ振興の神として広く氏子内外を問わず参拝されております。

 境内に勝石という注連縄を廻した大石が置かれている。これに触ると勝運が付くという。
 私も、別に何に勝ちたいという訳でもないが、一応撫でてみた。

勝石
岩の上に剣の浮き彫りされた石がはめ込まれている
鎌足が奉納した剣を象徴しているのだろうか

 亀戸大根の碑なるものもある。地元の名前の大根。明治期までは作られていたようだが、現在は畑そのものが無い。
 また、珍しいことに境内の隅に代々神社の宮司を勤めてきた香取氏の墓地がある。

手水舎と亀戸大根之碑
左の竹垣の向こうに墓地がある





 


 


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