ドラキュラとゼノフォービア―1
『ドラキュラの世紀末』という本を読み返した。著者は丹治愛氏。1997年に東京大学出版会から出版されて、当時書店に出てすぐに購入したと思う。
なぜ、この本を読み直したのか。それはここ数年の日本や世界━━とりわけ「先進国」といわれた(というか自称している)西側諸国の、何とも言えない周辺国に対する焦りのような不安感が、この本の内容とどこか似かよっていると思ったからである。
この本の副題は「ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究」である。このゼノフォービアがキーワードだ。
そして、19世紀末にイギリスで出版された『ドラキュラ(DRACULA)』という小説が、実にこの時代のイギリスやヨーロッパを覆っていた不安と恐怖━━それは必ず外部からくるものと認識されていた━━を見事に表現している作品だったというのだ。
この本の内容に入る前に、まず『ドラキュラ』という作品を紹介しよう。
ドラキュラを知らない人はいるだろうか。吸血鬼(Vampire)という化け物の代表的キャラクター。ドラキュラという言葉自体が吸血鬼とイコールのように言われることもある。
この作品の生みの親はアイルランド生まれのブラム・ストーカー。刊行されたのは1897年である。
かつて聖書の次に読まれた本といわれたこともあるらしい。が、それは多分「欧米において」という意味ではないか。
『ドラキュラ』は舞台、映画、漫画などで映像化もされ、パロディ作品も山のように作らた。
しかし、この超有名な作品を(もちろん原作の小説で)日本人はどれ程読んでいるだろう。そして、ストーリーをどれ程知っているだろう。
ということで、簡単にストーリーを紹介してみる。
イギリスの弁護士助手のジョナサン・ハーカーが、ロンドンに屋敷を購入たいという東欧トランシルヴァニアのドラキュラ伯爵のもとに、不動産引き渡しの手続きの為に訪れるところから物語は始まる。
人里から孤立した山上のドラキュラ城に到着したジョナサンは、ドラキュラ伯爵直々の出迎えを受ける。
伯爵はとても友好的で話好き。しかし、昼間は姿を見せず、他に使用人らしき人間もいない。どうやら監禁されていると感じたジョナサンは、ある日伯爵が地下墓所の棺の中で、眠っているのを発見する。
伯爵はジョナサンを城に置き去りにして、城を去ってしまう。
イギリスのウィトビー海岸から上陸した伯爵は、ルーシー・ウェステンラを最初の犠牲者にした。
ルーシーの婚約者アーサー・ホルムウッド(ゴダルミング卿)、精神科医のジョン・シュワード、アメリカ人のクインシー・モリスは、シュワードの師でアムステル大学の高名な学者のアブラハム・ヴァン・ヘルシングの洞察により、ルーシーが吸血鬼になったことを知る。
そして、彼らはルーシーを不死者の呪いから解放するために彼女の墓に忍び込み、恋人のアーサーが心臓に杭を打ち込むのだった。
一方、ルーシーの友人のミナ・マレーは、トランシルヴァニアに行ったまま音信不通になっていた婚約者のジョナサン・ハーカーが、ブダペストの病院に収容されていると知り、急いで迎えに行く。ジョナサンはショックと恐怖で寝込んでいた。
二人は病院で結婚し、イギリスに帰国する。
ヴァン・ヘルシングはルーシーの友人だったミナと会い、彼女から夫のトランシルヴァニアでの恐ろしい体験を記した日記のコピーを渡される。ヘルシングはルーシーを襲った吸血鬼の正体を知る。
ジョナサンからの情報で、伯爵の屋敷が偶然にもシュワードの精神病院の隣のカーファックス屋敷であることが分かった。
伯爵は城の地下墓所の土が入った木箱を複数個ロンドンに持ち込んでいて、カーファックスの他に数カ所に分散させているらしい。
その穢れた土が日中眠るために伯爵には必要なのだ。
ヘルシングたち吸血鬼ハンターは手分けをして箱を探し出しては土を聖餅で清めていく。
ドラキュラ伯爵は男たちが箱探しに出かけている間に、ミナを襲う。そして、最後のひと箱と共にイギリスから逃げ出す。
ミナは血を吸われるだけでなく、ドラキュラの血を無理やり飲まされていた。ミナの願い出によりヘルシングが彼女に催眠術をかけると、ドラキュラが感じている音や景色などが彼女の口を通じて語られた。
ドラキュラ伯爵は船の中にいる。国外に脱出したのを知ったヘルシングたちも追跡する。
夕暮れ迫るトランシルヴァニアのドラキュラ城の前で、彼らはドラキュラ伯爵の入った木箱を載せた馬車に追いついた。
箱を運んでいたジプシーたちとの戦いで、クインシー・モリスは致命傷を負ってしまう。
しかし、箱の中に横たわるドラキュラに、ジョナサンとクインシーがとどめを刺し、ドラキュラは塵となって滅びた。
ドラキュラの呪いから解き放たれたミナを見て、クインシーは喜びの声を上げ息を引き取った。
この後、七年後のエピソードがあり、物語は終わる。
吸血鬼は主にギリシャより東の東欧圏で信じられてきた化け物で、その特徴は普通の人間が死後に墓からよみがえり、夜中に人の生き血を吸うのだ。吸われた人間はやがて衰弱死して、やはり吸血鬼となってしまう。
鼠算式に増えていく怖さがあり、吸血鬼を退治するには墓を暴いて心臓に杭を打ち、首を切断して、場合によっては頭部をうつぶせにする。
恐怖の源泉は、身近な人間が不死者となってしまうことで、吸血鬼は身内から最初に襲うことが多いということである。
処刑や自殺など、通常と違う死に方をした人間が成りやすいと思われたのは、それが神の教えに反した異常死と考えられていたからだろう。
この中世の暗黒時代を思わせるような迷信に満ちた考えは、意外と最近まで残っていて、20世紀にはいっても吸血鬼退治のために遺体を傷つける行為が行われていたことが分かっている。
このように泥臭く近代の理性的合理的思想と対極的な俗信に満ちた世界から、世界中に植民地を作り「日の沈むことのない国」となり、先端的の科学技術力により産業革命を起こして「世界の工場」となった大英帝国に侵略を試みるのが、ドラキュラという中世の恐怖なのだ。
次回から、丹治愛氏が『ドラキュラの世紀末』において、『ドラキュラ』が書かれた時代の世紀末のイギリスのかかえる外国恐怖症の正体についてどのように紹介しているかをみてみようと思う。