大山のぶ代さんの声の思い出
俳優の大山のぶ代さんが逝去されて、このnoteでも多くの人が追悼文を寄せています。今更ですが、筆者も大山さんのことを思い出しながら書いてみようと思います。
大山さんと言えばやはり「ドラえもん」。26年も声を担当されていたのですから、報道でもこの作品が当たり前のように取り上げられていました。
筆者も大山さんの代表作として異論はありませんが、それ以外にもいろいろあるけれどなぁ、忘れられているのかなと感じました。
思い起こしてみると、最初に大山さんのお声に出会ったのはおそらく「ブー・フー・ウー」のブーの声です。三匹の子豚を原作にした人形劇+着ぐるみ劇でした。
お姉さんがケースから三匹の子豚の人形を取り出して、壁のハンドルをまわすと、人形が動き出す。動き出すところからは着ぐるみですが、話の最後はお姉さんと三匹の会話があってそこは操り人形でという、ちょっとユニークな構成でした。
ブーは一番上のお兄ちゃんで、いつもブーブー文句を言っているキャラでした。舞台はメキシコ風で、ブーは闘牛士のような衣装を着ていましたね。
次に印象に残っているのは東映動画(現・東映アニメーション)制作の「ハッスルパンチ」の熊のパンチ。
パンチはガラクタ置き場のガラクタの山の上に置かれた廃車に、ネズミのタッチとイタチのブンと一緒に住んでいます。3匹はみなしごという設定らしいですが、当時はそんな設定など知らずに見ていましたね。
パンチがとにかくすごい石頭で、硬いものが頭に当たっても、当たった物のほうが壊れてしまい、本人は頭をさすってケロッとしている。もちろん頭突きが必殺技でした。
大好きな動物が出てくるので、よく見ていました。
「ハリスの旋風」も大山のぶ代さんの声がすごく印象強く残っています。大山さんは主人公の石田国松の声を担当していました。
短気で手の付けられない暴れん坊。でも、弱い者いじめはしない心優しい熱血漢の国松は、スポーツ万能を見込まれて、ハリス学園の運動部で助っ人部員として大活躍します。剣道部、ボクシング部などが特に印象に残っています。
三作品とも、モノクロ作品でした。
この時代の声優大山のぶ代さんは、腕白、やんちゃ、ガキ大将的な少年の役が多かった気がします。
そうかんがえると、ドラえもんのキャラクターはちょっと違いますね。
ドラえもんの「ぼくドラえもん」という有名なセリフや「ふーふーふー」という間延びした独特の笑い声。ちょっぴりペタッとした、ゆっくりと抑揚の少ない話し方の印象がありますが、それはかなり後のほうの声。番組が始まった当初は、もっとペースが速くて、声の質も大山さん特有のハスキーヴォイスでした。少しづつ変化していったんでしょうね。
「ドラえもん」の最後のほうは体調もあまりよろしくなかったようで、大変だったと思います。
一度だけ大山さんにお会いしたことがあります。1981年公開の「映画ドラえもん・のび太の宇宙開拓史」(「怪物くん・怪物ランドへの招待」併映)の公開打ち上げパーティーでした。確か新宿の京王プラザホテルだったと思います。
筆者はその頃某アニメスタジオの新人の絵描きの端くれでしたが、仕事が終わってきたない恰好のまま、社長やら先輩方の後ろにくっついてホテルに到着すると、会場はすでに人がいっぱいで、立食のテーブルで比較的すいていたのは、舞台に近い前のほうだけでした。当然そこは、けっこうお偉い人が来る場所なのです。
その同じテーブルに、着飾った声優の皆さんがいらっしゃったのでした。たしか、たてかべ和也さん(ジャイアン)や、肝付兼太さん(スネ夫)もいらして、大山さんはきらきらラメのドレスに、ドラえもんのブローチを付けておいででした。(のちに大切にしていたそのブローチをなくしてしまい、大山さんがひどく落胆しているというニュースがありました。あれは戻ってきたのでしょうか)
もう、すぐ目の前に有名人がいるという状況に、筆者はただぼっとして、見つめるばかりでしたよ。もちろん会話なんてできるわけがない。
以上、筆者のささやかな大山のぶ代さんの声の思い出でした。