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ウリウリウリウリ…不思議瓜世界①

 「瓜売りが瓜売りに来て瓜売れず瓜売り(売り売り)帰る瓜売りの声」

 早口言葉ですが、これを知ったのはテレビアニメの「一休さん」。一休さんが新右衛門さん(蜷川新右衛門=寺社奉行で一休さんの弟子を自称する)と、歌の中に同じ言葉をどれだけ織り込めるか競い合った話の中に出てきた。なぜかこの歌だけ忘れられずにいる。(「瓜売れず」の部分が「瓜残り」だったかもしれない)

 昔から日本では瓜といえば真桑瓜のことだった。一休さんや新右衛門さんも夏になったら食べたであろう。
 日本での栽培の歴史は古く、弥生時代の遺跡からも種が出土している。
 『日本書紀』の推古二十年[617]出雲国から朝廷に大きな瓜が生ったと報告があった。わざわざ国史に載せる出来事なのは、瓜が特別な作物だからなのだろうか。

 真桑瓜の真桑とは美濃国(岐阜県)の真桑村(本巣市)に由来する。そこが大昔からの有名な産地で、万葉集にも歌われている。
 織田信長も「美濃の真桑と申す名所の瓜とて」と朝廷に献上している。
 また、慶長年間[1595~1615]に真桑村が徳川家康に真桑瓜を献上したと記録にある。家康は「暑邪を除くべき良薬」と称賛し、諸役を免除し、以後毎年将軍家に献上するのが恒例となった。

和尚さん、瓜だよ
こりゃ、梵天の妙薬じゃ
「鳥獣人物戯画」(部分)高山寺

 京の都では東寺の周辺が瓜の産地で「東寺瓜」というブランド名がついていた。真桑村から種を取り寄せ、栽培したのだという。

 先にも書いたように瓜は偉い人への献上品や宗教儀式のお供物になった。『延喜式』にも盂蘭盆会や仁王経斎会のお供物として熟瓜、青瓜、冬瓜などが見える。
 メロンのように生で食したり、醤瓜や粕漬瓜などの漬物もあった。


 『古今著聞集』にこんな話がある。藤原道長が物忌みをしていた。解脱寺の観修和尚、陰陽師の安倍晴明、医師の丹波忠明、武士の源義家がそれに付き添っていた。
 そこへ奈良より早瓜が献上された。道長は物忌みの最中に瓜を食べてもよいものかと、まず晴明に占わせる。
 晴明は一つの瓜に毒気があると選び出した。観修和尚が加持祈祷をすると、その瓜が動き出した。
 そこで忠明が治療用の針で瓜に二か所刺すと、瓜は動かなくなった。
 最後に義家が腰刀を抜いて瓜を斬った。
 すると、瓜の中には小蛇がわだかまっていた。蛇の両眼には忠明の針が立ち、義家の刀はその首を見事に両断していた。
 その道の名人というものはかくのごとき…。

 その蛇どうやって瓜の中に入ったんだぁっ…て、驚くところはそこじゃない。小蛇は呪いを象徴しているモノ(物の怪)で、通常は目に見えないのだ。
 もしも瓜が物忌みの最中ではなく、付き添いにこれらの名人がいないときだったら、道長はなにも怪しまずに瓜をぱくりと食べただろうね。


 さて、瓜の出てくるおとぎ話といえば『瓜子姫』。子供のいない老夫婦が不思議な子供を授かったというおなじみのパターン。
 瓜子姫の物語は全国に分布していて、地方ごとに少しづつ話が違う。まず、瓜子姫の瓜は夫婦の畑でとれたという話と、川を流れてきたという桃太郎のような話があるのだが、どうも川からという話のほうが古いらしい。

 瓜子姫が嫁入りするとき、天邪鬼あまのじゃく(あるいは山母、狼、猿)が姫をだましてすり替わる場面では、姫は縛られて木に吊るされるパターンと天邪鬼に殺されてしまうパターンがある。いずれも、吊るされた姫や鳥が歌うことによって偽物の正体がばれて、天邪鬼は切り殺される。

 姫が天邪鬼に殺されてしまう話は東北地方に多いらしい。主役が輿入れの前に殺されてしまうなんて救いのない話だが、瓜から生まれた子(つまり神の授け子)が天邪鬼に入れ替わるという話の筋が大事で、入れ替わる時点で瓜子姫が生きているかいないかは二の次なのだろう。

 天邪鬼というと、四天王に踏みつけられているふんどし一丁の邪鬼を連想する。でも瓜子姫と入れ替わるからには女のはずだ。
 色んなパターンの『瓜子姫』の話の中には、天邪鬼を天探女あめのさぐめとするテクストもある。

 天探女は『日本書紀 神代下 第九段』に出てくるのだが、今一つ正体がわからない。天稚彦あめのわかひこに仕える侍女はないかといわれる。どんな話かというと━━


 天照大神と高皇産霊神たかみむすびのかみ瓊瓊杵ににぎ尊を葦原中國あしはらのなかつくにを天降りさせる前に、天穂日ほひ命を派遣した。しかし、天穂日命は三年たっても帰ってこない。
 そこで天國玉の子の天稚彦を派遣することにした。ところが天稚彦は顕國玉うつしくにたま(大己貴神)の娘、下照姫と結婚して葦原中國に居ついてしまった。

 高皇産霊神は無名雉ななしきざし(記では雉の名は鳴女なきめ)に様子を探らせに行かせた。
 雉が桂の木に止まっていると、天探女が天稚彦に「珍しい鳥が木に止まっていますよ」と教えた。
 天稚彦は高皇産霊神から授けられた弓矢をとって、雉を射殺してしまった。矢は雉の胸を貫いて高皇産霊神のいるところまで飛んで行った。
 血の付いた矢を見て高皇産霊神は「この矢は昔、天稚彦にあたえたもの。国神くにつかみと戦っているのか」といって、矢を投げ返した。その矢は落ちて、眠っている天稚彦の胸に刺ささり、天稚彦は死んでしまった。これは所謂「反矢かえしや」という。(反矢=射た矢を敵に拾われて反されると、必ず害を受けるという)

 天稚彦の亡骸は天(高天原)に返され、喪屋に安置された。そこへ葦原中國で天稚彦の親友だった味耜高彦根あぢすきたかひこね神が弔問にやってくる。
 味耜高彦根は天稚彦にそっくりだったため、親も妻子も「我が君は生きていたのか」と喜んだ。味耜高彦根は死人と間違えられたと怒りだし、剣を抜いて喪屋を斬りふせた。喪屋は地上に落ちて山になった。美濃国の喪山がそれである。


 この話で天探女は天稚彦に余計な一言を耳打ちする。そこからアマノジャクはいい加減なことを言う妖怪になった。
 天稚彦の話と瓜子姫の話は一見全く似ていない。でも、天稚彦が死んで、瓜二つな味耜高彦根が登場するするところは、瓜子姫が死んで(縛られて)天邪鬼が登場する部分に相当する。絵巻物では天邪鬼は瓜子姫と似ておらず醜い鬼の姿で表されることが多いが、入れ替わっても老夫婦が気づかないのだから、実は瓜二つだったのだと思う。
 
 また不思議なことに両方の話には鳥がたくさん出てくるのだ。『日本書紀・天稚彦』では雉が偵察の役をする。また葬列を雁、スズメ、ソニ鳥、ササギ(ミソサザイ)鳶、烏などが務めた。『瓜子姫』では、天邪鬼が瓜子姫に成りすましているのがばれたのは、鳥たちの鳴き声からだった。


 …ん?なになに?瓜から話が遠くなっていないか?『紀・天稚彦』には瓜が出てこないじゃないか?まさか、天稚彦と味耜高彦根が瓜二つで瓜の話にしようとしていないか?

 いやいや、この話は続きがある。というわけで、つづきます。


参考資料
『瓜と龍蛇・いまは昔 むかしは今①』網野義彦、大西廣、佐竹昭広 
                             福音館書店
『日本書紀 上』日本古典文學大系              岩波書店
『日本陰陽道史話』村山修一                 大阪書籍
『古今著聞集』新潮日本古典集成                新潮社

タイトル画像は自作です
文中の画像はすべてパブリックドメインで、主にwikipediaからダウンロードさせてもらいました


 
 

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