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受動的音楽療法としてのジャズ

本編は、「ジャズ鑑賞における情動喚起と調整」の前編になります。
 



 

新装・増補改訂版「ジャズる縄文人」より
縄文集落の風景
イラスト金子大輔
#心理脳神経科学

ジャズと縄文

 はじめに
 ─当縄文ジャズ療法研究所の「冠」縄文について─

  当縄文ジャズ療法研究所の「縄文」の冠に違和感を覚える方もいることと思う。叉、縄文人をマンガ、園山 俊二 「ギャートルズ」の石器時代人と同一視する方も多いようである。
縄文人は、縄文土器の発明。定住化。自然との共生で狩猟・採集・漁労活動を行い。植生の栽培の痕跡も確認されている。
 人々との共助は小児麻痺(ポリオウイルス説も)の子供が成人し、周囲に認められた証の抜歯跡(通過儀礼)等からも共生社会の構成員として認知された証。丁重に埋葬された痕跡の遺構もあり、開かれたコミュニケーション、共生・共助社会を実感するものである。
 当、縄文ジャズ療法研究所は縄文時代に学べをテーゼに、誰人も差別や区別、隔離の無い共生・共助社会の実現を縄文人に学ぶ。
 精神科病院における閉鎖病棟長期入院や拘束、最低「賃金」も支払われず、「工賃」の名目で作業所に於ける低賃金雇用も隔離、差別に含まれまれると考える。
 かつ、黒人差別の渦中誕生した魂の音楽ジャズの存在意義と「音楽療法」としてのジャズによるカタルシス効果を体験し、当事者始め、ご家族の苦悩からの解放を実感していただきたいと考えているものである。

 インディアンやアイヌ等、先住民族の豊かな文化や自然との共生を学ぶ。アメリカ大陸先住民族は侵略者により人権を剥奪されてきた上、それでも人足らずアフリカからも黒人を奴隷としてアメリカ本土に陸揚げした。
 縄文人は一万年以上続いた豊かで平和な社会を約二千年前に渡来系弥生人により滅ぼされてしまった。縄文土器や土偶にみる芸術性は、あの岡本太郎も共感させた感性と悟性の賜物であり、造形美の原点である。
哲学者、梅原猛曰わく、縄文土器は黒人ジャズだと述べ、「共通の雰囲気をもつが同一作品はない」と述べる。
 土器の発明は、石器時代の移動生活から定住に変わってきた。土器に食物の貯蔵や煮炊きすることで、食の安全性が確保されるようになった。
 片や、音楽の原点は、奴隷という被差別者黒人により創出されたジャズある。4beatや6beat等バックビートを用いたあらゆる現代ミュージックのルーツであり、縄文人、ジャズ演奏家双方共、過酷な環境が生み出した。自然環境と社会環境である。
 弥生時代以降、稲作の導入により水田拡大による山裾の浸食等、自然は支配するもののになった。富の蓄えは人心を荒廃させ、弥生土器や埴輪には美的感性も失われて、実用、効率主義に陥り、埴輪に至っては権力の象徴となり、稲作収穫における「雑草」や「害虫」駆除の概念が生まれた。効率や能率主義は「優性思想」を生み、今日につづく差別、階級社会となった。

 クラッシック音楽は教会音楽からはじまり、やがて、王侯貴族といった特権階級のための宮廷音楽が原初にあり、譜面を外すことは失敗である。今日、「現代音楽」ではジャズのアドリブが取り入れられており、又、近年はクラッシック音楽家を目指すもジャズ演奏家への転向も多く見られる。
 縄文人とジャズマンの共通項は感性と悟性が純化した境涯が高い人々と言えよう。当研究所では、土偶は「仏像」ジャズは「音曼陀羅」と捉える。

知覚循環 縄文人とジャズ演奏家の共通項を考える

 uナイサー(心理学者)の「知覚循環」を元にジャズ演奏家と縄文人の共通項を考察したいと思う。
 uナイサーは、知覚を認知と現実世界が出会う重要な接点と捉えた。
知覚とは目、耳、鼻、舌、皮膚の五感を司る感覚器官から直接的に情報を摂取する過程である。ウェルトハイマーが創始したゲシュタルト心理学が発展の原動力になっている。
※ゲシュタルト心理学は「ルビンの壺」で知られるように、視覚の錯覚「ゲシュタルト崩壊」から検証された。
壺に見えるか、向き合う顔に見えるかというもので、同時に両方は認識出来ない。
コロナ禍、後遺症で、嗅覚、味覚の異常が報告された。
これもゲシュタルトの崩壊の一つである。
ウェルトハイマーは構成要素に還元することでは理解不可能な「仮現運動」や「プレグナンッの法則」を構成主義の反証として提言。私たちもパラパラ漫画やアニメを例に理解可能と思う。
音楽のメロディーやリズムは構成要素の音階を取り出して調べても、メロディーやリズムの流麗さを理解するには構成要素の音の集合であるゲシュタルト(全体性)を知覚して味あう必要がある。
 ウェルトハイマーは、人間が「対象の位置と特徴」を的確に知覚(認知)する為には身体認知と空間認知、環境知覚情報を得るための「認知地図」が必要になってくるという。
この長期記憶と短期記憶との間には常に相互交換がある。
 ジャズ演奏における創造的認知システムにおいては、ゲシュタルト的な力が大きな位置を占める。最も基本的な能力は近接するもの類似するものを極限まで区別する力である。ジャズ演奏においては知覚情報と認知の両者は不可分な関係にある。演奏では音楽の生成プロセスと、解釈、評価プロセスの両方に作用している。
ジャズ演奏では、演奏された音楽を聴取し、複雑な要素を区別し、グルービングし、解釈しながら直ぐつぎの生成に繋げる。このサイクルが常に繰り返される。その結果全体として意味のある表現が構成されていく。
 縄文人の日常も同様で、情報処理と聞き取りという作業を同時におこなうわけで、強い集中力を必要とする全脳的作業といえる。
「内的反復力」の活性度合いはゲシュタルト的な感受能力の鍛錬や経験値の蓄積による。
更に、新たな創造はゲシュタルト的感受能力の鍛錬が求められ、高度に構成的な認知プロセスが発動される。
音楽学者、哲学者、Lメイヤーは「音楽における意味は「逸脱」によって生じ、蓋然性が逸脱によって妨げられたときに文脈や状況を超越して、音楽の非指示的な意味が成起する」とする。縄文人の日常も偶発的逸脱の日々と思われる。
Lメイヤーは逸脱類型として三点を上げた。
①予測される現象の遅延
②多義的可能性や曖昧さの現象
③事後予測不可能な状態
 ドイツ・現代音楽作曲家/シュトックハウゼンは言う。
「意外性の契機が最も強いとき」とは「逸脱」の生起するときに他ならない。人々の「感動」を喚起するプロセスに他ならない。
 縄文人も、危機を創造に結びつけた収穫の際は「感動」を集落全員と共に、「動植物」の命に「頂きます」と生命の循環に感謝と、アイヌの「熊送り」同様に神への転身を祈り、祭祀を行う。
「火炎土器」に代表される、装飾を施された、日常使用の土器とは別の土器や「縄文の女神」や「縄文のビーナス」等、意匠を託されたの土偶を祭壇に囲み、縄文太鼓や土笛を用い、歌い、舞い踊り、非日常のハレの日を祝う祝祭空間だ。
ジャズの野外フェスティバルの感動の後のフィナーレにも近似する。
 ジャズ演奏家は意図的に逸脱行為をするときがある。
新主流派の帝王といわれたマイルス・ディヴィスは、他の演奏家との協調から繰り返される精確には割り切れない拍動、偶発的でありなから必然性を感じさせうる逸脱の微妙なタイミングなどを意図的に行い、メンバーに創造力を鼓舞する。故に、マイルスの複雑に織りなされる音響情報の全てを模倣することは不可能である。
以下はハービー・ハンコック(P)が、マイルスとのセッションでコードミスした体験を語る。マイルスはメンバーの逸脱をも創造に変えていく。ハービーがミスり、頭真っ白にさせられるも、マイルスにより最高の演奏ができたというものだ。マイルスはミスとは捉えず、想定外と、臨機応変に対応した。人生の教訓だとハービーは語る。


夢のようだった。すべての音楽家が羨望するような夜。緊張の一線が張り詰め、徐々にピークに近づく。マイルスの代表作 “So What” に入った。ウェイン・ショーターのソロが終わり、トニー・ウィリアムズのドラムが火を噴き、ロン・カーターは煙を上げ、マイルスがソロを吹き、演奏は最高潮を迎え、ピークに達したとき、俺もあるコードを弾いた。

そのコードは100% 完璧なまでに全くもって、ミスった…

誤ったコード。誰が聞いても間違っていた。せっかく盛り上げた夜を崩壊させた感覚だ。一瞬にしてね。その瞬間、時間が止まった。ショックだった。心が壊れた。

しかし、次の瞬間、マイルスは息継ぎをするとあるフレーズを吹いた。そのコードに合わせてね。唖然とした。一体どうやったんだ!魔法にかかったのか。それとも魔術か。催眠術か。ミスコードを正解コードにどうやって変化させた。不可能なはずだ。

謎が解けるのに時間がかかった。マイルスはそれを「ミス」として認識せず、ただの「想定外」として受け取った。先入観をもった者は彼ではなく、私だった。マイルスはジャズ演奏家の鏡だ。何が起きても臨機応変に対処する。人生の教訓としても見習わなければならない。
https://t.co/kSgwlcQWyb
─ハービー・ハンコック、マイルスバンド文字起こし─


 縄文人も自然災害等、ジャズ演奏家の意図的逸脱とは違い、偶然的逸脱の日々と察せられる。縄文人も個人的鍛錬はもとより、一方では、既存の技巧や知識を踏まえながら、その実績に絶えず疑問を持ち、試行と修正を繰り返す作業「確認」プロセスであり、逸脱と追認を繰り返す認知的な交渉にもとづく構成的手法であり、縄文人は、ジャズ演奏の表現構造を楽器を使わず日常活動で実践してきたといえよう。
故に「縄文人は日常活動でジャズってた」との結論に結びつく。


ジャズの歴史

ジャズの誕生(1900年頃〜1920年代前半)
ジャズ草創期〜新たな音楽を生んだ異文化との融合による

 米ルイジアナ州の港町、ニューオーリンズで1900年頃に誕生したとされるジャズだが、ニューオーリンズがかって欧州から移住した人々や欧州系白人と黒人の混血「クレオール」や、奴隷制があった時代にアフリカから労働力として強制的に連行された人々など、多種多様な人種が集まり、新たな文化が生まれやすい人種の坩堝だったということである。
20世紀初頭、米国では過酷な労働を強いられた黒人労働者が怒りや苦悩、不満といった自らの感情を表現する手段として用いた音楽が労働歌、ブルースへと発展した。これに加えて、ニューオーリンズでは歓楽街「ストーリーヴィル」などのピアニストたちが軽快なタッチで演奏する「ラグタイム」で人気を集め、アフリカ系の人々もトランペット、トロンボーン、クラリネットといった西洋楽器を使ったマーチングバンドによる街頭演奏を行うようになっていた。ジャズが誕生したのは、同時期の様々な音楽がニューオーリンズで発展・融合し強烈な「化学反応」を起こした結果といっていい。
ニューオーリンズから華やかに羽ばたいた最大のミュージシャンは「サッチモ」と呼ばれたトランペットのルイ・アームストロング。他にも「ジャズ・ミュージシャンの父」ともいわれるコルネット奏者のバディ・ホールデン※や同じコルネットのキング・オリヴァー、ラグタイムを発展させ、ジャズの礎を築いたといわれるピアニストのジェリー・ロール・モートンなどがいるが、残念ながら現在残されている音源は僅かで、ジャズ草創期の全貌が解明されない一つの障壁になっている。
 ※バディ・ボールデン(コルネット奏者)1877~1931(54歳没)弦楽器中心だったラグタイムから金管楽器を主導にブルースを演奏した。自由で、より即興に予測のつかない演奏スタイルを草案した。理不尽で不条理な黒人差別の渦中、アルコール依存に。23歳頃、統合失調症発症するも絶え間ない即興演奏スタイルで知られる。7年後精神病院に収監される。
 ジャズでの録音もこの時期。1917年、ニューオーリンズ出身の白人5人組バンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」だったといわれている。
この時代の代表的なミュージシャン
ジョー・オリバー(コルネット奏者)
 スウィングの時代(1920年代前半~1940年代前半)
 ニューオーリンズで生まれたジャズが転機を迎えたのは1917年。これまで貿易従事者、港湾労働者を中心に音楽や酒、賭博、売春の中心だった歓楽街「ストーリーヴィル」が第一次世界大戦の影響で閉鎖され、仕事にあぶれた多くのミュージシャンたちがミシシッピ川に沿って北上してシカゴに辿り着いた。すでにニューオーリンズで人気者になっていたルイ・アームストロングもその一人で、彼は1922年ごろシカゴに、さらには今や「ジャズの聖地」となったニューヨークに拠点を移した。
ルイの足跡と軌を一にする形で1920年代からジャズ文化の中心地に躍り出たのはニューヨーク。歌や踊りのバックに流れる音楽として、ハーレムや高級クラブなどで高い人気を誇った。さらにジャズの成長を後押ししたといわれるのは1920年に制定され、1933年まで13年間続いた「禁酒法」だった。ジャズはこの禁酒社会のさなか、皮肉にも暗黒街のマフィアらによる「スピーク・イージー」と呼ばれた違法酒場で不可欠な音楽となり、人の感情を高揚させる「酒と音楽」はいつの世も切り離せないものだったことが窺える。

  スウィングジャズ

1929年にいわゆる「世界大恐慌」が発生し、ニューヨークのウォール街が壊滅的な打撃を受けた。人々はこの恐慌がもたらした絶望感の中、ジャズという音楽に一筋の明るい光、未来への希望を期待するようになった。この結果生まれたのが陽気で自然と体が踊り出してしまうような「スウィング・ジャズ」だった。1930年代にはクラリネット奏者のベニー・グッドマン※₁やピアニストのデューク・エリントン※₃、カウント・ベイシー※₄、それにトロンボーンのグレン・ミラー※₂らがトランペット、サックス、トロンボーンなどによる大編成のビッグバンドを率いて、米国各地のダンスクラブを席巻した。
スウィング・ジャズの栄華を示す出来事として今でも語り継がれるのが1938年のベニー・グッドマン楽団によるカーネギー・ホールでのコンサートといわれている。「シング・シング・シング」「イン・ザ・ムード」「A列車で行こう」といった、今でもブラスバンドなどで頻繁に演奏されるナンバーが多いのも、この時代のジャズ人気の高さを象徴しているのではないだろうか。 
デューク・エリントン(1899-1984) (バンドリーダー、ピアニスト)
 米国が生んだ最も偉大なミュージシャンの1人にして、ビッグバンドの草分け的存在。1927年にニューヨークの高級クラブ「コットンクラブ」に出演を果たして以降、アルトサックスのジョニー・ホッジスなど演奏者の個性を輝かせる華のある作曲・編曲で熱狂的な支持を集めた。
カウント・ベイシー(1904-1984) (バンドリーダー、ピアニスト)
 デューク・エリントンと並び称されるスイング・ジャズの大家。1930年代にカンサス・シティでビッグバンドを立ち上げると、聴衆を興奮の渦に巻き込むかのような歯切れのよいリズムとアップダウンが激しいながらも統制の取れたサウンドが一気に全米で注目を浴びるようになった。
※₁ベニー・グッドマン、ロシア系移民。
※₂グレン・ミラー、ドイツ系アメリカ人。
※₃デューク・エリントン、父親、著名な白人医師。
※₄カウント・ベイシー、父親、白人判事。

 ベニー・グッドマン(トロンボーン奏者、リーダー)
1930年代、アメリカでは、ジムクロウ法による人権隔離政策をとる南部では勿論、ニューヨークなど北部でも白人と黒人が同一バンドで演奏することはなかった。ベニー・グッドマンは悪しき慣習を打ち破り、黒人ドラマーやギタリストを採用した。
 野球のメジャーリーグに初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンが登場する10年以上前のことである。
 ベニー・グッドマンは、肌の色なんかより、その時代の優れたミュージシャンを採用し、新しい息吹を迎え入れ、自分の楽団を常に第一線の刺激的存在にしておくことが、グッドマンにとって最優先だった。楽団から出てくる音さえ素晴らしいものであれば、ご機嫌なスイングさえあれば関係なかった。


ジャズの絶頂期ビ・バップ〜ハードバップ
(1940年代〜1960年代前半)


 一般大衆にジャズを広めたスウィングであったが、1940年を過ぎるとダンスと一体化したジャズを毛嫌いする聴衆やミュージシャンも現れ、発展を繰り返したジャズの歴史にあって、初の「倦怠期」がやって来た。こうした中、ビッグバンドに所属していた当時の若手ミュージシャンがニューヨークのハーレム街に近い「ミントンズ・プレイハウス」に出入りし、本来の仕事を終えた後にジャムセッションを繰り返すようになった。ミントンズ・プレイハウスでは従来のスウィングにはない、コード進行を基づくアドリブを中心とした自由な演奏が繰り広げられた。アルトサックスのチャーリー・パーカー、トランペットのディジー・ガレスピー、ピアノのセロニアス・モンクやバド・パウエル、ギターのチャーリー・クリスチャン、ドラムのケニー・クラークetc、ジャズ史を彩る偉大なるミュージシャンの数々がこうしたジャムセッションでの熱い魂、創造力をぶつけ合い、「ビ・バップ」という新たなジャズが生まれた。彼らが60年以上前に録音で残した超絶技巧の数々は今も色あせないどころか、一層輝きを増しているといえる。
 従来のジャズの常識を覆したビ・バップはいわゆる「モダン・ジャズ」の基礎になり、様々なジャズの変化形を生み、「ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスはパーカーの薫陶を受けた後、知的でビ・バップよりも感情を抑えた「クール・ジャズ」の流れを作り、その後1950年代前半に白人ミュージシャン中心に西海岸で一大センセーションを巻き起こした編曲重視の「ウエスト・コースト・ジャズ」の端緒にもなった。絶大な人気を誇ったトランペットのチェット・ベイカー、バリトンサックスのジェリー・マリガンは「ウエスト・コースト・ジャズ」の代表格で、「小鳥のささやき」のような音色で人気を集めたテナーサックスのスタン・ゲッツもこうしたクール・ジャズの延長線上のミュージシャンである。
一方、1950年代前半からビ・バップをより分かりやすく発展させた音楽がニューヨークなど東海岸中心に「ハード・バップ」として花開き、全体を通して「アドリブ合戦」になり、やや緊張感がありすぎた感も否めなかったビ・バップをさらに咀嚼し、感情や曲の起伏を鮮明にして単調さを排除したといえば分かりやすいかもしれない。人々は常にマンネリ化した音楽を目の当たりにすると、新たな音楽を渇望するようになる。
ハード・バップ幕開けの号砲を放ったのは1951年録音のマイルス・デイヴィス「ディグ」だという説が有力であり、「ディグ」にはテナーサックスのソニー・ロリンズ、アルトサックスのジャッキー・マクリーン、そしてドラムのアート・ブレイキーといった錚々たるメンバーが参加し、若干青さが残るものの新時代の到来をうかがわせる演奏を見せてくれた。ビ・バップからクール、さらにはハード・バップと、ジャズの変遷はマイルスとともにあるといっても過言ではない。
さらに1954年、ニューヨークのライブハウス「バードランド」で録音された「バードランドの夜」は「ハード・バップ誕生の瞬間」を捉えた歴史的名盤といわれており、演奏するのは「ジャズ・メッセンジャーズ」の前身となるアート・ブレイキーとピアノのホレス・シルヴァーによる双頭クインテット。後にドラマーのマックス・ローチとのクインテットを立ち上げるトランペットのクリフォード・ブラウンがセッションに参加していたことを考えても、「バードランドの夜」の価値に頷けよう。
死ぬまでジャズの最前線に立ち続け、常に時代の一歩先を行ったマイルス、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズといったマイルスの門下生、その後30年以上にわたり、若手の登竜門「ジャズ・メッセンジャーズ」のリーダーとしてジャズ界を牽引するアート・ブレイキーとその師弟達etc。彼ら先駆者のほとばしる音楽への情熱がこの後1960年代にかけて絶頂期を迎えるジャズ黄金時代の屋台骨を支えていった。
この時代の代表的なミュージシャン
チャーリー・パーカー (1920-1955)(アルトサックス奏者)
アドリブに象徴されるビ・バップの創始者。モダンジャズの歴史はパーカーから始まり、その後のすべてのミュージシャンは彼の奏法を基礎にジャズを発展させたといえる。酒・女・麻薬に溺れ続けた破天荒な人生もジャズ・ミュージシャンらしさの典型例として語り継がれている。
マイルス・デイビス(1926-1991) (トランペット奏者)
1940年代のビ・バップ期からこの世を去る91年まで、ジャズ界を常に牽引し続けた最大のカリスマ。抑揚をつけたクールなトランペットの音色とバンドリーダーとしての優れた才能はほかの追随を許さない。演奏家の資質を見抜く慧眼も超一級で、彼のバンドからはジョン・コルトレーンやハービー・ハンコックなど数々の才能あふれるミュージシャンが巣立っていった。
セロニアス・モンク(1920-1982) (ピアニスト)
モダンジャズ期の異才。独特の感性や時空の歪みを連想させる変則的なリズム、不協和音が織りなす音楽は、鍵盤を叩く音を1回聴くだけでモンクその人と分かるほど唯一無二にして絶対的。偏屈な性格もあいまってか、時代を先取りしすぎて人々に理解されない一面もあったが、その揺るぎない音楽性や彼の名曲の数々は時代を超えて燦然と輝き続けている。


モダンジャズから現代ジャズ(1960年代前半~現在)

  試行錯誤するジャズ「脱ハード・バップ」への動き
 しばらく続くと思われたハード・バップを中心とするジャズの潮流を変えたのはまたしてもマイルス・デイヴィス。ハード・バップまでの曲のコード進行に沿って一定の小節を吹き終えたらまた頭のコードに戻り、アドリブの掛け合いをする奏法から、現代音楽などに見られる音階、メロディーラインを生かしたモード奏法への脱却を試みたのであり、集大成ともいえるのが1959年の「カインド・オブ・ブルー」。初めの一音を聞いただけでも、新たな歴史の萌芽が感じられる名盤中の名盤である。この後、マイルスは60年代、ハービー・ハンコックやウエイン・ショーターらと黄金クインテットを結成し、モード・ジャズを牽引した。
「カインド・オフ・ブルー」に愛弟子のテナーサックス奏者、ジョン・コルトレーンが参加していたことも見逃せず、彼はこのアルバムの直後に録音された「ジャイアント・ステップス」で超絶技巧を駆使した、畳み掛けるような音符の嵐で聴く者だけでなく、共演者までも圧倒する「シーツ・オブ・サウンド」を披露し、ハード・バップの到達点を示した。ハード・バップを極めたコルトレーンにモード奏法という新たな「武器」が加わり、自分の感情や思想を音楽という手段を通じて最大限爆発させたいと考えていたコルトレーンをコードの束縛から解放した。これが後に触れるフリー・ジャズの広がりにも繋がっていくことになる。
ハード・バップの余韻を残しつつ、新たな方法論を産み出したマイルスとその弟子によるラインとは別に「自由への飛翔」を模索していたのがアルトサックスのオーネット・コールマンであり、彼の音楽、いや音楽というよりも阿鼻叫喚、喜怒哀楽といった人間の感情そのものを表現したかのような「音の原風景」ともいえる演奏は当初ほとんど受け入れられなかった。しかし、前述したマイルスやコルトレーンによる「ポスト・ハード・バップ」に向けた試行錯誤の動きや、アルトサックス、フルート、バスクラリネットを駆使して従来のジャズとフリー・ジャズの間を巧みに空間移動し、橋渡し役を果たしたエリック・ドルフィー、「激情型ジャズ」の代表格ともいえるベーシストにして名作曲家、有能なバンドリーダーでもあるチャールス・ミンガスなどの精力的な活動が融合し、フリー・ジャズの大きなうねりが生じる。
1970年代にはマイルスや彼の弟子のハービー・ハンコックやウエイン・ショーター、チック・コリアらがジャズに電子楽器やエイトビートのようなロックの要素を取り入れたフュージョンを演奏するようになり、一躍ジャズの主流に躍り出た。特にショーターとジョー・サヴィヌルが中心となって結成した「ウェザー・リポート」、チック・コリアの「リターン・トゥー・フォーエバー」はジャズファンでない人々にも支持され、ジャズの裾のを広げてゆく。しかしその反面、フュージョンの台頭は伝統的なジャズの衰退をも意味して、かつてジャズが聴衆を熱狂の渦に巻き込んだ時代は終わり、「暗黒時代」が到来したと嘆息した人々も少なくなかった。
その一人、理論的ジャズ評論家相倉久人は「ジャズは死んだか」を上梓した。
1980年代以降はウイントン・マルサリスなどの若手を中心に、フュージョンからの「揺り戻し」を狙った伝統的ジャズの見直しの動きが広がる一方、クラシックや民族音楽、ポップスなどとの融合も進み、一言で「ジャズ」と括れなくなるほど多様な音楽へと進化している。
この時代の代表的なjミュージシャン
 ジョン・コルトレーン(1926-1967) (サックス奏者)
1955年にマイルス・デイヴィスに見いだされてバンドメンバーとなり、一気に頭角を現すと、後にマイルスから独り立ち。複雑なコード進行をもとに、ロングフレーズを一気に吹ききる圧倒的な技術と深い精神性や思想に裏打ちされた激情型のサウンドは、ジャズを芸術の域にまで高めた。アルバム「至上の愛」はコルトレーン音楽の集大成となった
ハービー・ハンコック (1940〜)(ピアニスト、作曲家)
現代のジャズ界を代表するピアニスト。マイルス・デイヴィスのバンドに加入して以降は「新主流派」の旗手として1960年代のジャズ・シーンを牽引。広大な宇宙を漂流するかのような流麗かつ斬新なサウンドは、フュージョンに繋がる次世代の扉をこじ開けた。演奏の傍ら、ジャズフェスティバルなどのプロデューサー的役割もこなし、ジャズの普及と発展にも精力的に取り組んでいる。

ウィントン・マルサリス (1961〜)(トランペット奏者、作曲家)
完成された技術とクラシックやジャズの理論を極めた頭脳的なプレイにより、電化が急速に進み、「ロック的」色彩が濃くなっていたジャズから伝統的なジャズへの回帰を目指した世界有数のトランペッター。後進に指導にも大変熱心。ただ、あまりに完ぺきな演奏から、創造性や面白みが欠けるとの評価もある。
   (参照:「出典」ジャズ入門綜合情報@jazzより)

ジャズより他に神は無し


 ニーチェは神は死んだと叫び、ベルグソンは各人の生命の躍動感を説いた。ジャズ評論家・故 平岡正明は「ジャズより他に神は無し」と自著に表題を付し、ジャズのスピリットによる人間変革と社会変革をテーゼとした。故 相倉久人・ジャズ評論家は「ジャズの表現構造及び活性化理論」を打ち立て、不動の体系化を構築した。
 ジャズをこよなく愛し過ぎたため、現代音楽家の道を選択した巨匠、武満徹の個を超越した祈りとしてのジャズ論。
 

武満徹とジヤズ

武満徹(1930-1996)現代音楽・作曲家・映画音楽。
 武満徹はモダンジャズを作曲することも多く、前面に出ることは少なかったが、草月アートセンターでの日本へのモダンジャズ導入にあたり、ワークショップを支えてきた。いち早く、ウエイン・ショーターの天才性を賛美した。
 武満は父親がジャズ好きだった影響もあり、子供の頃からジャズを聴いて育った。叉、終戦後の進駐軍との間にもジャズとの繋がりがあった。そんな武満のすぐそばにあり、ここから、武満の作曲の源泉の一つにジャズが関わっていた。
 彼は、ジャズの即興という性質そのものに、人間の激しい個性と生命の躍動をみてとっていた。
 何となくに聴こえてくる鳥の歌は無意味なのではなく、鳥にとってはコミュニケーションのために機能している。
叉、即興的で自由なものと聴いてしまうこともできる。ジャズの演奏そのものもまた、音の生成とその聴取理解を試す側面をもっているだろう。そして、武満は、そのようなジャズへの親近感を強く示しながらも、個と個の関係のなかで結ばれる境地としては、ジャズとは異なる方向に向かっていった。その点を彼の「祈りをめぐる思索」に着目して考えてみたい。
 チャーリー・パーカーの鳥の歌の文法。
ジャズはある曲が繰り返されるとしても、奏者によって、そのたびごとにアレンジされることが、譜面の指定されている楽曲より大きい。コード進行や主旋律はありながらも、余白として残された自由度が高い。とりわけ、モダンジャズが盛んであった1960年代後半よりも、それ以前のジャズ、例えばビ・パップでは個々のプレイヤーによって、即興性を競われていた。
楽譜がないどころか、録音媒体すらも限られてた。パーカーの奏法は聴くだけでは、どのように生起しているか分からない程に、再現不可能な1回性の音楽である。
 例えば、1946年3月28日に録音された鳥類学を意味する名前のついた《アーニソロジー》という曲があるが、鳥の自由溢れる囀りを聴いているように、パーカーのサックスの響きは、「記録・記譜」とは別次元である。
 武満は「樹の鏡、草原の鏡」(新潮社)で、即興について。
 即興性ということは、ひとつの大きな規律のなかで行われるものであり、そこに「面白さや意味があるのである。即興は旋律とリズムの音階(旋法)に魂を委ねてはじめて可能になる。そして、音階はまたその時にはじめて姿を顕わす。それは日々生まれ変わり、特定の日や時間、特定の場所、また特定の内的な場景と深く結びつく。音階は人間が歩む道であり、果てしないが、無数の葉脈のような道は、いつか唯一の宇宙的な音階へ合流する。それは「神」の名で呼ばれるものであり、地上の音階は「神」の容ぼうを映しだす鏡の無数の細片なのである」
 ここから、武満は、音楽は個でも複数でもなく、誰かに、何者かに所属するものではなく、個との関係のなかにあり、形をあらわすものだとして、関係性「リレーション」への欲求こそが言葉にならない祈りだと言語化するのである。それが、ジャズによって実現しているという。しかしながら、ジャズの根底にアフリカ系アメリカ人によるキリスト教信仰と黒人霊歌─ブルースの起点─があることを武満は感じていたはずである。強い共感とともに常に距離が見え隠れするのは、神と信仰の問題が伴われているからではないだろうか。
 武満は、「音楽を呼びさますもの」に。私の受けた音楽教育の中で、「音楽は生活の中から生まれて、常に個人から出発して、そしてまた個人にもどるものです」と記されている。
 「the try─ジャズ試論」では、ジャズは「祈りの呪文」だという。ジャズは論じられるものではなくて、感じるものだと前置きしつつ、言葉で説明している。ここからは、武満がジャズに見出す獣的ともいえる生命感や「不思議な静けさと安らぎ」が、彼の同時代の精神においては、感じられなくなりつつある─、そのような人間の感覚世界と実在について、危機感をつうじてジヤズを語る。
 武満は、ジャズは「表現よりも行動という感覚に近い」と。それは欲望の呻きであり、嗚咽であり、祈りの呪文である。「生に対する激しい執着が、彼らをしてジャズさせたのだ」
故に、彼らの音楽は、神を讃美すると同時に、獣的な欲望の匂いを発散させている。ジャズは生命を証すものなのだと語る。
このようにジャズの激しい強度と静かな優しさを讃えつつも、武満の脳裏にあるものは、静けさや優しさとは異なる生や音のありように思われる。
 彼は、ジャズ奏者が、所与のメロディー、リズム、コードを制約ともせずに生きることそのものとして演奏する様子について、「優れた即興は再び繰り返すことはできない」小さな理論を越えたはるかに大きな力で、彼らは自然的な交感を終わると讃えている。
 武満は、規則を安全に守るだけの生活を批判し、人間の言葉が虚しくなってしまったと嘆く。そして、虐げあったり、疑ったりせずに、どのように人間が結びつき生きることができるかと、自問して、自分が出会ったサックス奏者について、このように語る。
 さっき、サキソフォンを吹いている男がいた。彼の吹くという行為は、生の挙動そのものだった。吹くことで、彼は自分を証した。そして、いつか彼をとり囲む全てのものと結びついていた。ぼくたちに言葉はなかった。
 ここに現れているのは、演奏者と聴衆とが結ばれる姿である。サックス奏者が、その行為によって、周囲と結びつき、その音色を聴く武満も言葉なしに近づいたことから、武満は「人間の結びつきは、行為の中に自分のすべてを没くした時だけ可能なのだ。その時、世界は大きく広がって、自分と他とは区別できないものになる。それは愛だ」
 自他の境界がなくなる「愛」という言葉で語る。
 武満がここで愛と呼んでいる関係への欲望は、言葉なき祈りとしての音楽と結ばれるだろう。先程の論述のように、個でも複数でもない関係のなかにこそ、音楽の極地とも読み取れるように、ジャズが讃えられている
 武満はジャズを「移り変わる瞬間ごとに演奏者の心にみたてられる感情を音楽的に置きかえる!」として、「様式であるよりはむしろひとつの状態であり、それは魂のひとつの容貌をうつしだしているものだ」とする。そして、ジャズは集団的体験ではない、個人の音楽体験である。それは神の存在があくまで個人の体験としてあるように、祈りの感情によって支えられ、そこに生まれるからだ。と書いている。
 最後に彼は、個人的体験の集合としての普遍を獲得するジャズの強度を確かめながら、次のように結ぶ。
 即興ということは、ひとつの大きな規律のなかで行われるものであり、そこに面白さやいみがあるのである。
そして、音階はその時にはじめて姿を顕わす。それは日々生まれ変わり、特定の日や時間、特定の場所、また、特定の内的場景と深く結びつく。音階は人間が歩む道であり、果てしないが、その無数の葉脈のような道は、いつか唯一の宇宙的な音階へと合流する。それは「神」の名で呼ばれるものであり、地上の音階は「神」の容貌を映し出す鏡の細片なのである。
(小沼純一編著「武満徹エッセィ選─言葉の海へ」ちくま学芸文庫より)
 音楽プロデューサ堀内宏公氏によれば、
現代音楽家、武満徹はデューク・エリントンにオーケストレーションを師事することを夢見ていたほど、ジャズへの耽溺はジャズについて語ることを自ら封印するまでに深かった。
寺山修司との対談のなかで、武満は、ジャズの魅力を言葉で語ることを本質的に不可能なことだと断じ、もし語れば、自分がやっている音楽や活動そのものを否定することにもつながりかねないと述べていた。

 

ジャズ療法としてのリレーション



 個との関係性「リレーション」としてのエンカウンターやオープンダイアローグが再び注目されている。患者が蚊帳の外に置かれ治療方針が決定づけられてきた従来型に警鐘を鳴らす意義は大きい。だが、情動に支配されている当事者と支援者のリレーションシップは円滑に行われるだろうか?「精神療法という音楽」の著者であり、ジャズミュージシャンと精神科医の顔をもつスティーブン・H・ノブロックはいう。言語というものは、いかに簡単なものでも、その中に音楽を含まずに存在し得ないと。
 音楽が言葉に確固たる表現形を与える。というインドの音楽家カーンの箴言を用いつつ、抑鬱状態にある人や統合失調症者、自閉症患者は支援者との会話のリズムが一致しないと言う。ケースワーカーや援助者、医師等に非言語的コミュニケーションの訓練が求められる。ジャズの表現構造は治療の行き詰まりから救ってくれたと語る。グリッサンドやビブラートが散りばめられている原始的メロディーには柔軟性の質があり、不明瞭な音に寄って隠された認知度がもたらされる。ジャズの中での音楽の即興演奏の経験により、成人の治療が有用になる。

 ジャズピアニスト、セロニア・スモンクは「リスナーの予想を裏切るような予想外の変更や方向転換をつかって、その感情のインパクトを再活性化させ、特定の音が音楽の作曲やジャズの伴奏で起きるハーモニーやリズムの動きから情動的意味や影響力を得る」と語る。
 プロセスの形成(ボリューム、トーン、テンポ、リズム、掛け合い)を観察することで推察できる。感情、快楽、覚醒、動機の譜面を含んでいる。
悲言語的構造への注意がいかに行き詰まりから私達を救ってくれた。






受動的音楽療法

 


 音楽療法に対する一般的認識は、楽器や歌を用いたクライエントに対して活動的な療法をイメージするのではないだろうか。
次に挙げられるのが、音楽を聴取してリラックスする方法である。前者を能動的音楽療法、後者を受動的音楽療法と捉えられる。
但し、国内外を問わず主流は能動的音楽療法である。
能動的音楽療法と受動的音楽療法と合わせて音楽療法を2種類に大別したのはドイツの音楽療法家シュヴァーベ(Schwabe.C.H)であるとされている。
受動的音楽療法の定義はケネス・E・ブルシアのものが理解しやすい。「音楽療法を定義する(東海大学出版会)」(一分抜粋)「クライエントは音楽を聴き、その経験に対して沈黙、言葉、または、他の表現方法で反応する。使われる音楽は、生か録音音楽があり、聴くという経験によって音楽の身体的、感情的、知的、美的、または霊的な面に焦点をあてることができ、クライエントの反応は、その経験の療法的な目的によって設定される」とする。
 受動的音楽療法は、あらかじめ決められた楽曲を聴取し、その楽曲に対していだくイメージや身体に感じたことを聴取中もしくは、聴取後にフィードバックし、参加メンバーとシェアするものである。
 心理療法的な方法としては、セラピストとクライエントとの音楽を媒介した言語的やりとりが特徴である。外国で確立したものとして、【GIM】(Guided imagery and Music. 以下GIM)と【RMT】(ReguIative Musiktherapie)の2つが挙げられる。
GIMは音楽によるイメージ誘導法で、ヘレン・ボニー(メリーランド精神医学センター)によって作成された。GIMの定義は、「創造性、治療的な関わり、自己への理解、そして宗教的(霊的)体験を目的として、イメージ、象徴あるいは感情を引き出すために、リラックスした状態で音楽を聴く一つの技法である」とされる。GIMはセッション中、変性意識状態を扱うことやトランス状態を解除する技法が必要なため、GIMは他の音楽療法とは別の免許制になっており、我が国での実施、検証は皆無に等しい。
もう一つの技法RMTについては我が国でも大学等での継続的研究報告がある。RMT(調整的音楽療法)は、ドイツのシュヴァーべにより開発された技法である。音楽という刺激を「受け容れ、受け流す」という作業を通して、外界に対する認知や知覚の過敏性を変容させることで、対人恐怖や不安といった神経症的諸症状の改善を図る一種のトレーニング効果をもつとされる。
この音楽療法は、良い音楽を聴いてリラックスするというだけに止まらないことを強調する。
原理について、心の中に解決されていない葛藤状態があると、精神的・身体的に誤った緊張が生じ、それは、集中力の障害、絶え間ない緊張や不安や動揺、不全感などの形で現れ、仕事を効果的に行ったり、余暇によって心身の疲労を回復したりすることを妨げ、又、不眠、肩や首など筋肉の痛み、消化器障害、心臓の痛み、頭痛、めまい、冷え性などの循環器系の障害も引き起こす。RMTでは、その誤った緊張状態を音楽の力を利用して適切な状態に調整する。
誤った緊張状態を引き起こす原因となっている心の中の葛藤そのものを解決しようとするわけではないが、誤った緊張をなくす訓練を続けているうちに、自分の中にある問題や葛藤を距離をおいて眺められ、それらに囚われなくなることができる。
 シュヴァーべにより開発された、音楽によって、意識を三つの領域に向ける【意識の振り子】とは、1音楽、2、身体感覚、3、思考(感情・気分)である。好きなように3領域を振り子のように動かす。楽曲聴取中は軽く目を閉じ楽な姿勢でまんべんなく意識を動かすのである。この「意識の振り子」がRMTの要である。
楽曲聴取後は参加者全員で体験したこと、イメージしたことを語り合い「シェアリング」を行う。
このRMTは参加者に演奏を行わせないという点で、参加者への負担が比較的少ない音楽療法である。
(参照:神戸女学院大学/人間科学研究科教授、國吉知子)

シュヴァーべは「クラッシック音楽」を用いるが、RMT技法に準拠しつつ当、縄文ジャズ療法研究所ではジョンコルトレーンジャズを用いる。
 縄文ジャズ療法研究所では、受動的ジャズ鑑賞を通して、感性と悟性の純化が可能と考えるものであり、やがて縄文時代に関心や意識が向かっていく人々が増大することが共生社会へとシフトが転換することになる。精神や身体の疾患を持つ人々をインディアン社会でははワカンタンカといい、霊性を持つと尊ばれており、疾患を持つ人の叫びや振る舞いは社会の鏡といえる。経済優先でなく、弱い立場に立つ人を中心とする社会が人の道である。

 ジャズ療法は当事者の参加が求められるが、寄り添い、苦渋の渦中におられるご家族の参加により、援助者自らの当事者への対応が変化していくことで、発せられる言動、振る舞いを当事者は敏感に感じ取る。体、曲がれば影斜めなりの格言があるよう、環境は主体の鏡である。視野狭窄に陥りやすい気持ちにゆとりを生ませる一つとして障碍者「家族会」は重要な場であるが、更に、求められるのが、ご家族一人ひとりの精神の浄化であり、ジャズ鑑賞で可能である。
 ジャズは芸術の一つのカテゴリーではあるが、唯一、苦悩の渦中に汚泥することなく、演奏者相互間の即興による知恵が紡ぎ出され昇華した音楽である。
 ジャズは解らない、興味ない。と消極的になることなく、「芸術」は魂を浄化する大衆に拓かれたツールであり、更に、「音楽」は波動が細胞の隅々まで浸透する。音は、量子学では、媒体を振動して伝わるフォノン(準粒子)ゆえである。ジャズは宗教や祈祷と違い芸術ですので安心してご聴取下さい。自己変革が可能であり、思考が柔軟になり、不思議にもご家族の振る舞いの変化は当事者にも快癒の兆しが出てくると考えるものである。
当縄文ジャズ療法研究所では、月一回、CDを用いた受動的音楽療法を開催しており、ドイツの音楽療法家シュヴァーにより開発された調整的音楽療法(RMT)技法に準拠しつつ、シュヴァーべはクラッシック音楽を用いるが当研究所では「ジャズ」を用いる。
  RMTは、自分の身体や心の囚われという緊張状態を音楽を利用して調整していく技法であり、葛藤そのものを解決するプログラムではなく、誤った緊張をなくす訓練を持続することにより、自分の中にある問題や葛藤に距離をおき、捕われなくなることができる。
 カウンセリングのように、問題や葛藤そのものを話す必要はない。
 シュヴァーべの調整的音楽療法とは、
音楽に意識を向けることにより、意識が自分の身体や心から離れることにより、囚われからの解放である。
 シュヴァーべの物事を生起するままに放っておくという考えで、「現実のあらゆる快・不快な精神的知覚、或いは、音楽や外的刺激の影響に対して、期待を持たず、自己を開示し、それに自己を委ねる能動的実現」とする。
 不安を恒常的に軽減するものではなく、音楽・身体・気分(感情)の三つの領域に意識を偏りなく向け続ける訓練を習得することで、不安や不快な気分が生じてもそれを適切性に自己調整できるようになる。
 思考や感情は、現実や自分そのものではなく、心の中の一過性の出来事に過ぎないが、そういうものが自分と対象との間に割り込んでくるために、対象をあるがままに体験できなくなり、そのことが、緊張や苦しみを生む原因となっている。
 過去の体験を思い出してあれこれ悩んだりするか、未来に対する心配や期待しているかのどちらかであって、今の瞬間にはそもそも思考の題材が少ない。
 「今の瞬間の現実に常に意識を向けるようにする」それでも、余分な思考や感情が生まれてきたら、それを自覚しつつ、また、今の瞬間に意識的に戻すように繰り返し作業を行う必要がある。
 シュヴァーべは一般的受動的音楽療法に用いられるリラクゼーション音楽(小川のせせらぎ、鳥のさえずり、山のざわめき)等は用いない。この手の音楽は持続的な夢想への願望と固執を強める。結果、現実に入っていくことが困難になる。「シュヴァーべ(社会的音楽療法)より」(参照:神戸女学院大学・心理、行動科学、國吉知子web論文抜粋)

RMT音楽療法を大学の学生相談室で実践している森平直子は、セッション回数、週一回5ヶ月20回を行っているが、10回程度での実施でも相応の効果を認められるとする。
 当縄文ジャズ療法研究所では、施設の利用制約から、月一回開催している。一年以上参加されている方(十回以上)の効果を以下参加者アンケートから抜粋する。
エビデンス結果、参加者のジヤズ鑑賞後の気分では
悪くなった。0名  良くなった5名  普通3名   無回答2名
(継続参加の方では気分が良くなった傾向が多い)
個別意見では、
(選択アンケート無回答の方でも自由記述の方もいる)
 ◆ 便秘、不整脈が改善した70代男
 ◆ 半覚醒状態のほうが、身体そのものがリズムに反応する。まさに忘我、心地よかった。50代男
 ◆ 虚心達観、禅との共通を感じる。50代男
 ◆ 自分がしたいことを明確にできた。 己々が感じたことを発言する機会になる。40代男
 ◆ 音にゆらされ、心地よく、うとうとし、この間疲れがとれていくようでした。いろいろな方がいらして融合の場になってると思います。70代女
 ◆ リラックスできてよかったです。70代女
(以上は個人的感想であります)

ジャズとオープンダイアローグ

当縄文ジャズ療法研究所では月一回─ジャズによるオープンダイアローグ─としてワークショップを開催している。
 ジャズは「会話」ではなく音楽じゃないか。と翻る方もいる。
ジャズの表現構造はメンバー同士の音による会話から紡ぎ出されるインプロビゼーション(即興)の結実である。
ジャズ演奏、就中、「ジャムセッション」は「オープンダイアローグ」と言ってよい。それも、ノンバーバル(非言語)コミュニケーションの場である。演奏はメンバー同士お互い聴き手に徹底し、お互いに伝え、汲み取ろうとする意思のもと成立する。べースとフレーズの絡み合いである。相手が出したフレーズから汎用性のもとテンポを掴み、フレーズに対してビートを対応、自分の出した音を続けながら、フィルインで時間を埋めたり、ビートを変化させながらメンバーが反応してくる瞬間的呼吸を察知する。メンバーが応える前に次のフレーズに移ってはいけない。瞬間的間合いでメンバーの仕草や姿勢を汲み取ることによってグルーヴ感も生まれる。才あるリーダーはソロに横槍を入れず、ソロがエモーショナルになるよう、メンバー間と調整していくのである。
各々メンバーも演奏された音楽を聴取し、複雑な要素を区別し、グルーピングし、解釈しながら瞬間的につぎの生成に繋げる。このサイクルが常に繰り返される。

当研究所のワークショップ[定例会]一部では、ジャズ界の聖者ジョンコルトレーンCDをアルバムを2枚傾聴する。(約40~50分程度
)その演奏過程が、インプロビゼーションという音楽によるメンバー間の会話と捉える。五感と情動により紡ぎ出された音楽での表出であり、そもそも、言語は意思伝達手段である音楽の発生に結びつく。
ジャズによるオープンダイアローグで、ジャズ鑑賞を設けるのは、
「ジャムセッション」に共通項をもつ故だ。そもそも、ニュオリンズの港町で、楽器片手に、即興で夜な夜な繰り広げられたジャムセッションがジャズコンボの源流である。ニーガと呼ばれる偏見。変えることの不可能な容姿や肌の色。黒人という被差別者であり、南北戦争終決後も苦渋を強いられてきた。麻薬や酒に溺れる者、自殺する者数しれず、苦悩の存在者である。そんな彼らの自己表現の場が、唯一、クラブ等安酒場での南軍の払い下げ楽器を手にした日銭稼ぎのジャムセッションだった。
愚痴や呻き声、声にならない声を楽器に吐き出しぶつけてきた。
祖国アフリカのリズム感をベースにゴスペルや西洋音楽の要素を取り入れ、耳コピーで手探りに演奏した。
集まったみんなで様々なフレーズを出し合う。
リーダー役もいて、参加者の意見を取りまとめる。
聴き慣れたメロディーを使い即興演奏することも。
やがて、コード進行やキーを使うようになる。
あれこれ試すのもジャムセッションならではである。
お互いに相手の意見を受け入れて、新たな創造をする。
ジャムセッションは、指示や誘導ではなく、インプロビゼーションの積み重ねによって、今日のモダンジャズへと発展した。
 
 オープンダイアローグという治療法自体、「会話」による解決を手段とせず、「会話」自体を目的とする。
会話においては、「今、この瞬間」を大事にするのが、ファシリテーター(進行役)の努めでもある。「予定調和」に縛られず、沈黙にも、場の雰囲気を察し、「即興的」問いかけをしていく。会話はどのような方向に展開するかも予測出来ない。ファシリテーターの「不確実性への耐性」が求められ、グルーヴ感のある対話が奏でられることが大切である。
 オープンダイアローグではミーティング中起こっていることや反応・感情を重視し、参加者それぞれの考えや感じ方の多様性を重視しする。
 フィンランド、西ラップランド地方では「オープンダイアローグ」という会話で薬物治療を行わず高い治療効果がでており、服薬を必要とした患者は全体の35%(2年間の予後調査で、82%は再発ない)わが国では薬物投与99%
(参照:筑波大学・保健医療社会精神保健学教授/斎藤環、オープンダイアローグとは何か/医学書院、他ウェーブ論考より)

1980年代、フィンランド西ラップランド地方・ケロブダス病院で、統合失調症治療法として開発された。
 閉じられた“モノローグ”を開かれた“ダイアローグ”へと題する鼎談が、「医学界新聞」ウェーブ版に掲載されていた。
 筑波大学教授、斎藤環、九大大学院教授、黒木俊秀、メンタルヘルス診療所「しっぽふぁ~れ」千葉県市川市。院長、伊藤順一郎の三者。
 伊藤先生はフィンランドの「オープンダイアローグ」に対して、
患者さんや家族の語りを大切にし、対話空間にポリフォニー(複数の声)が満ちることそのものが、患者さんの安心感や安全性を保障していくわけですよね。こうした治療が成果を挙げているという事実は、地域で精神医療に取り組んでいる医療者にとって励みになります。と語る。

当縄文ジャズ療法研究所では、
一般的オープンダイアローグでは、「グルーブミーティング」と二部の「リフレクション」はセットであるが、当研究所定例会では、一般的オープンダイアローグのように「グルーブミーティング」は行わず、代わりに「会話の昇華」であるジョンコルトレーンジャズ鑑賞を一部で行う。
ジャズ鑑賞の後、参加者の「リフレクション」がメインとなり、ジャズ聴取後の心・身体の「気づき」の確認の場であり、各々参加者の会話を聞くことにより、自らの気づきにつながると考えるものである。
 既存の「オープンダイアローグ」でのワークショップでも、初対面同士コミュニケーションに、身構えはあることと思う。
 ジャズによるオープンダイアローグでは、ジャズ鑑賞後に行うことで、参加者全員の感性と悟性が純化されており、邪な感情がなく、柔和質直になっており、参加者全員がお互いを認め合う気持ちが育まれる。
 自閉症の方や統合失調症の方等、対話相手とコミュニケーションがとれにくい方もおり、そのような方にオープンダイアローグ自体抵抗があることと思われ、フィンランドでのワークショップでも参加していただくまで、並大抵のことではないと察しられる。今日、ジャズは全世界に行き渡っており、ドイツ等でもジャズによる精神療法は認知られており、ワークショップに入る前に参加者全員でジャズ鑑賞をしてのワークショップ参加はリレーション可能と思われる。
 当事者は、当研究所のジャズによるワークショップ参加後、地域の「オープンダイアローグ」への参加は、グルーブ会話も抵抗無く発言でき、グルーヴ感が生まれ、気づきが生まれよう。
支援者に於いては、ジャズ鑑賞後の「リフレクション」参加により、各自「オープンダイアローグ」におけるミーティングの進行にも役立ち、予定調和に縛られず、会話の方向性や展開にも柔軟になり、今、この瞬間を即興的に対応が可能になり、グルーヴ感のある進行が可能で、ミーティング会話参加者も本心を吐露することができ、参加者の精神の解放につながると考えられる。

     ジャズによるマインドフルネス

シュヴァーべの音楽療法は「マインドフルネス」といってよい。
 当研究所ではジャズを「音曼荼羅」として用いる。
 「マインドフルネス」は米国、マサチューセッツ大学医学部教授ジョン・カバット・ジンが禅の指導者に瞑想修行法を学び、そのエッセンスを宗教と関係なく、一般のひとにもと、取り組んだツールとして1979年に提唱したものである。
 「瞑想」には、大きく二つに大別され、サマタ瞑想とヴィパッサ瞑想がある。
「サマタ瞑想」=「止行瞑想」は、特定の対象に集中し、対象からそらさず集中力を高める方法である。
「ヴィパッサ瞑想」=「観行瞑想」は、瞬間瞬間に意識に浮かんできたものをありのまま知覚し、観察する方法である。
一般的、ワークショップでの「マインドフルネス」はヴィパッサ瞑想を用いるが、当研究所ワークショップでは「ジャズ鑑賞」を取り入れ「サマタ瞑想」と「ヴィパッサ瞑想」の折衷瞑想である。
 各地、施設で「マインドフルネス」が開催されているが、安易に参加して、心身共に体調を崩す方もいるようである。
重度の精神疾患の方は、主治医に相談の上、参加が望ましい。
当研究所のマインドフルネスは「ジャズ鑑賞」という芸術を用いるので、危険性はないといえるが、ひどい抑圧を抱えた方では、音楽の不協和音に一時的に情動が揺り動かされ、悩乱する方もいる。
一過性のもので、ロビーで深呼吸等行い、落ち着いてきたら、再入場が望ましい。シュヴァーべのいうところの音楽という環境を受け止め、受け入れ、受け流すという作業を通じ、外界に対する認知や知覚の過敏性を変容させることで対人恐怖や不安といった神経症的諸症状の改善を図られることで耐性がつくられていくと考えるからである。
 心の中に解決されていない葛藤状態があると、精神的・身体的に誤った緊張が生じ、集中力の障害、絶え間ない緊張や不安や動揺、不全感などの症状が現れ、仕事を効果的に行ったり、余暇にも心身の疲労を回復を妨げる。
RMT、は一般でいう受動的音楽療法の、良い音楽を聴いてリラックスするという簡易なものでないことを強調している。(森平直子/相模女子大学、人間社会学部人間心理学科教授)
脳神経科学的には、「報酬系」と呼ばれるドーパミンだが、前頭前野では不安を感じさせる。この高次中枢は三角形をした錐体細胞というネットワークを介して働く、この回路は日々遭遇する不安や心配に対して敏感に反応し、非常に脆弱である。ストレスがかかると、ノルアドレナリンやドーパミンの神経伝達物質が放出される。これらの濃度が前頭前野で高まると神経細胞間の活動が弱まり、やがて停止する。行動を調整する能力も低下、視床下部から下垂体に指令が届き、副腎がストレスホルモンコルチゾールを血液中に放出、脳に届くと自制心はバランスを崩すとされる。

ジャズ演奏は、記憶に書き込まれた記号化された連続的な内的響きを小脳・大脳関連ループと大脳・基底核・視床関連ループで運動パターンを意識下で呼び覚ますことによって、身体運動により外化させて演奏を行う。聴覚の他に、視覚、体性(皮膚および粘膜)感覚、内臓感覚など全感覚総動員されると感動が生まれる。
帯状回や前頭前野には中脳腹側被蓋野からのドーパミン含有線維多数関わっていて意欲・情操・道徳など「高次精神」機能に関連する領域である。(参照:川村光毅(1934-2021)慶應大学名誉教授教授、脳神経科学・神経解剖学・精神医学/音楽する脳のダイナミズムweb論考より)

難解な音楽ほど脳内を活性化する。
ジャズ聴取は全脳を活性化させ、萎縮している前頭前野の樹状突起を拡大し再生する。


聴きなれないジャズに一時扁桃体が不快反応を占めすも、鑑賞後の体感で心地よさを感じ、その心理的制御の感覚を繰り返し取得することで日常のストレスにも動揺しなくなる。日常生活の中にジャズ聴取の機会を設けていくことで全脳のバランスがとれていくと考えられる。
 又、ジャズ独特のグルーヴリズム(GR)で前頭前野実行機能と前頭前野背外側部(DLPFC)の活性化が促進されたとする報告がある。
GRで、拍の顕著性・音の数の多さ、低音成分、シンコペーション・テンポなど影響すること明らかに。報酬系の一部である側坐核の神経活動は、主観的な「グルーヴ感」と「ポジティブ感情」の両方レベルと相関関係にあることを明らかにした。
故に、感性と悟性を純化していく。

ジャズ演奏家の創造的脳内活動を考えたい。
脳内神経細胞は多数のニューロンを繋ぐ膨大なルートである。発火点シナプス結合の中から特定の結合が選ばれて働いている。ニューロン間での情報の受け渡しの際、脳波を発生する。
1929年、ドイツ・精神科医ハンス・ベルガー「ヒトの脳波について」論文発表。現代臨床脳波学の基礎となっている。
1~3Hz(ヘルツ)デルタ波、4~7Hzシータ波、8~13Hzアルファ波、14~30Hzベーター波30Hz~ガンマ波。デルタ波は深い睡眠時のノンレム睡眠で知られる。
シータ波は雑念と関わる神経DMN、デフォルトネットワーク(Default Mode Network)が働き、ぼんやりした状態の脳が行っている神経活動で、雑念と関わる神経ネットワークの働きを抑制するという研究結果がある。デフォルトモードネットワーク、DMNの働きは「危機への備え」や「創造性」と「情報の整理」があり、うつ病や不安神経症や雑念はDMNの過活動状態が根底にあり、脳内処理できてない状態といえる。自動車のアイドリングに例えられ、ON・OFFの切り替えが脳内ホルモン「セロトニン」の働きである。
シータ波はまどろみと集中力の脳波であり、脳がリラックスしている状態の脳波である。シータ波が出ている状態を多く経験することによって、脳の記憶や情報処理を行う部位である海馬の歯状回に変化が起こり、新生ニューロンの数を増加させる。
アルファ波が連続して深い瞑想に入るとシータ波になる。ジャズ演奏家はこの悟りの境地に入っていたといえよう。

ジャズ演奏家はパーソネルとのセッションは会話であり、同時に鑑賞者でもある。セッションのパーソネル同士は波の持つ特性である神経同期=コヒ-レンス(可干渉性)が働き、複数の波の振幅と位相の間に、一定の関係が認められ、脳の一部を刺激しあい、脳活動の創造性を高める。
 近赤外分光法測定で、演奏家と聴衆の脳はシンクロしていたということが科学的に判明。(左側頭皮質、右前頭葉下部、中心後皮質で血流活性化)双方、脳の活動量が一致したとする結果。古くから、仏典に「声仏事を為す(声明、鐘や太鼓)」等、「経」や音楽だけが持つといわれた精神的伝達能力が科学的に証明された結果でもあり、特に、相互集中力を求められる即興ジャズのリーダーとメンバーは精神的に共鳴し、共通の歓喜、共通の精神的光景を生み出している証拠にもなる。叉、フォローワー同士以上に、リーダーとフォローワーの脳波コヒーレンスは強く同期していたとの報告もある。
脳神経外科医、奥村歩氏は「複雑な音楽は、ある種の複雑なニューロンのパターンを促し、逆に反復性のある音楽は逆効果を生む可能性がある」と自著(音楽で脳はここまで再生する/人間と歴史社)で述べる。難解であれば、覚知したときの喜び、探求心が刺激されることにより、報酬系という部位からドーパミンという神経伝達物質により活性化され、愉悦感を感じる。正に、ジャズは五感と認知機能をフル活動させ全能を用いるインプロビゼーションそのものだ。
ニューロン同士を接続するシナプスはさまざまな経験することで記憶や、変化するシナプスの働きを強くしたり、シナプスの数を増やしたりする構造的変化が起きる。数が増えれば情報をたくさん伝えられる。
ジャズ演奏家グルーヴリズムは脳内ホルモン「セロトニン」のバランスよい働きをする。
セロトニン神経核は脳幹部縫線核である。中脳から脳幹の内側部に分布する細胞集団で免疫組織学的手法によりセロトニン細胞の分布と重なる。シナプス間隙のセロトニンが増加するとシナプス前膜のネガティブフィードバック(オートセレプター)が働き、セロトニンの働きを抑制する。情動や認知機能にも関与する。(関西医科大学医学部中村加枝教授)
セロトニンの分布抑制因子はストレスである。セロトニンが過剰に働くと、遊離された神経伝達物質の一部は神経前終末へ回収される。オートセレプターを適応性に保つにはジャズ鑑賞等、シータ波との同期、感応や、叉、マインドフルネスの継続が求められ、オートセレプターの数が適応性に減少し、セロトニン神経が賦活化されると考えられる。
東邦大学医学部名誉教授有田秀穂氏は道元の「只管打坐」を例に、マインドフルネスの効果「気づき」は数週間から数ヶ月の実践を要するという。「セロトニン欠乏脳(NHK出版)」

   ジャズ界の聖者ジョン・コルトレーンの軌跡

  

 ジョンコルトレーンは1926年米国ノースカロナイナ州で誕生する。ハイスクールに入った頃からクラリネットを学校バンドで始める。その後母親から誕生日にアルトサックスをプレゼントされる。父親は仕立て屋で、数種類の楽器を演奏するアマチュアミュージシャンでもある。
両親共、メソジスト教徒の牧師であり、母親の祖父はゴスペル伝導師であるという。敬虔な親族信仰心のもと育ち、一人っ子であったトレーンはゴスペル音楽がバックミュージックにあった。
 1940年半ばからトレーンはミュージシャンとして活動。1949年にディジーガレスビーバンドに参加を契機にテナーサックスに転向した。その後、無名のバンドを転々としながら食いつないでいく生活続く。
 1955年にはマイルスディヴィスクインテットに加入したがトレーンはヘロインやアルコール依存症に陥っており、生活も荒んでおり、遅刻も度々でマイルスから解雇された。コルトレーンは精神的動揺を受け、ヘロインやアルコール過剰摂取になった。1955年にはマイルスディヴィスクインテットに再加入するも評価されず間もなく退団する。その直後、トレーンは麻薬中毒を断つ、禁断状態を経験し、そこからぬけだした。1958年、マイルスバンドに再加入する前に、セロにアスモンクバンドに弟子入りしたことでジャズ理論を学び飛躍の年となった。
 ビートからの自由な精神のあり方、調性に収まり切らない「音を敢えて調子が外れたようなメロディー」「躓いたようなリズム」等々。調性にゆらぎを与えることを学ぶ。
モンクのピアノは、幼児が“歌う”ように、文法を度外視して奏でることで、身体に染み付いた感覚性自体を分析している。
モンクのプリミティ(原始的・野性的)をコルトレーンは研鑽。トレーンは自ら創造において、自分の“歌う”必然性を感じることによって普遍性を得たといってよい。以来、これまでになく謙虚で自己批判的になり、真実の音楽、究極の音というものを深く求めていく。
1959年、マイルスディヴィスバンドに再加入するも翌年1960年には退団。マッコイタイナーやエルヴィンジョーンズらとレギュラーバンドを組み、その傑作が「マイ・フェイヴァリット・シングス」である。(1961年)ソプラノサックスを一躍メジャーな存在に押し上げた。この時期、エリックドルフィと出会い、音楽的にも天才的閃きだけでなく、幅の広がりを証明した。
ドルフィー独自の奏法には音色の「艶」と「腰の強さ」のパワフルを備えている。普通両立は難しい。
コルトレーンは少しずつ精神的高みを追求していく。
1964年12月、ロングアイランドのディックスヒルズで薬物の禁断状態を乗り越え、平穏に満ちた環境のもと、神に誓った訓戒、楽曲「至上の愛」の制作に没頭した。
1965年、カバラというユダヤ教由来の神秘主義の影響を受け、神への愛をテーマに4部組曲「至上の愛」を発表。
その後、フリージャズへと接近。1965年には、アーチー・シェップやファラオ・サンダースといった気鋭のフリー奏者を加えた大編成バンドで「アセンション」発表。
コルトレーンは精神的探求のための改心などが過激主義に陥り、「アセンション」ではノイズしか聴こえないと、不満を口にした、メンバーでそれまでタッグを組んでいたマッコイ・タイナーやエルビン・ジョーンズと袂を分かち、新たにピアノにアリス・コルトレーン、(アリス・マクロード)ドラムスにラシトアリを迎えフリーインプロビゼーションに磨きをかけていく。遺作「エクスプレッション」を録音して間もなく肝臓癌により1967年7月17日亡くなった。40歳であった。
 コルトレーンは、「アラバマ事件」を契機に音楽を生みだすアイデンティティにも影響を与え、1963年制作の「アラバマ」を発表。白人至上主義者に苛立たせる。
 1963年9月15日、アラバマ州北部バーミンハム、パプティスト教会にダイナマイトを仕掛けられ、日曜学校に来ていた黒人女子小・中学生四人死亡。当時、バーミンハムのいくつかの学校で人種統合が予定されていた。人種差別主義者たちはその動きを阻止しようとしていた。差別主義者の白人を非難し、遺族に哀悼のための曲でもある。
コルトレーンは人間の生を自分の内面に問いかけ、そこから溢れてくるものを音楽として表現してきた。スピリチュアルであり続けた。1966年コルトレーン来日公演。7月9日実施の来日記者会見で、はにかみながらも、「私は聖者になりたい」とコメントを口にした。17日間で12公演という強行スケジュールの中、原爆被災地である長崎と広島でも公演を行ない、「地球の平和」という新曲を披露。長崎平和公園では献花し、祈りを捧げ、フルートを奏でたという。コルトレーンは大の親日家であると共に、平和を祈って止まない人間性を併せ持っていた。

ジャズ聴取による三昧鏡と自己開発


 
 

 人間には種々の感情がある。 生命的な感情や心情的感情、そして精神的感情があるが、
その基盤には爽やかで生き生きとして活気に満ちた生命的感情などあるが、それを「生命的感情」と定義したい。
このように活力溢れる生命状態を希求し、招来する本源的なものに合一しょうとする欲望を「本源的欲望」と呼びたい
爽やかな生命的感情が出れば怒りや憎悪の心が消滅するのではなく、人間的心情の豊さを示すものだ。この「本源的欲望」が弱まり、「生命的感情」の流れが枯渇してしまえば、人間の心情も精神的感情も人間のものとは思われないほど干からびたものになる。 統合失調症の患者の中には、欲望さえなくなってしまう人もいる。無論、各種の欲望も失われ生きる屍となる。
生命の他種の欲望にエネルギーを与える「本源的欲望」自体が衰えているのである。
生物としての生を維持する「脳幹」には意識的精神活動は関与しない。眠っている時、上位の大脳皮質の細胞は活動を停止しているが、脳幹の部分は働き生命を維持してい
る。全身に分布する植物神経系である。このような生命エネルギーの基盤になるのが「本源的欲望」である。 人間や生物などの生命を貫き宇宙自体に流れるエネルギーと「本源的欲望」は合一を希求している。
宇宙力学のデヴッド・ボーム(1917-1992)(理論物理学・ロンドン大学教授)は、思考という作業には限界がある。 しかし、イマジネーションはクリエーティブエネルギー(宇宙エネルギー)を知覚できる、と。そしては思考という手段を通して発現される知覚であるという。更に、理性が欲望から解放されたとき、普遍的な領域インデビジュアルエネルギーに到達する。解放され理性は宇宙法則を知覚できると、述べた。
ジャズ評論家、バリーウラノフは言う。
自己誇示以外の何物でもない妙技などまったく無意味であり、高揚や三味境が「楽しみ」や「有頂天」以上のものであることや、それがまたジャズによって達成し得るものであり、重要な帰結に達するであろう。高揚や三味境は、この音がそうだと言って現すことは出来ないが、ジャズで表現出来るものなのである。「ジャズ栄光の巨人たち』 スイングジャーナル社刊)
しかし、本源的欲望は宇宙エネルギーであるユニバーサルエネルギーとの合一を希求しているが、ジャズでの可能性は個的生命流の純化であるインデビジュアルエネルギーの上位域「縁覚」という賢者の境涯だ。慢心するか。 謙虚でいられるか。 ジャズ演奏家の生き方次第で 岐路は分かれる。更なるビジョン、宇宙エネルギーとの合一が可能なのだ。
天台智頭※は「摩訶止観」 一念三千の法門・十界論で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十の境涯を覚知。三昧鏡とは声聞・縁覚で四聖(声聞界以上)の二乗にあたる。下位、六道輪廻とは宇宙に溶け込まれず、生死を転生する境涯だ。
※中国、南北朝〜隋にかけての智者大師。
ジャズ演奏は独自の奏法が「縁」で覚者の境涯を顕在化する。
 一流の域に達したジャズマンはアブストラクトセンセーションを脱し、宇宙エネルギーであるユニバーサルエネルギーとの合一に限りなく近づいたといえよう。なぜなら、聴衆に三昧の境地を与える菩薩行を実践しているからである。
 私見だがジョンコルトレーンは多種の働きをする仏の振る舞いのその一つ、「妙音菩薩」である。菩薩の到達点が「仏」であり、「神」である。四十歳で肝臓癌で亡くなったが、生き方は聖者そのものである。死んでも多くのリスナーに、限りなき名盤を残し、鑑賞者の無明を純化させ、苦悩から解放させるエネルギーを与える続ける。更に、現在のジャズマンの中で生き続けている。
 神は死んだが、人間を宇宙エネルギーと合一させる芸術はジャズより他にない。
 アルバート・アイラーに代表されるジャズのアルバムタイトルに「魂の合一」「聖霊」「魂の喜び」といった宗教的なのも偶然ではない。結びとして、ジャズの効用について、詩人でもある故、鍵谷幸信「(1930-1989)(慶應大学教授・英米文学者)」の言葉をもって本項を閉じたい。
 ジャズの優れた作品を聴く時、いつもアタマにいや心の中を去来するものは「サウンド」 「チャンス」 「時間」「空間」そして「沈黙」ということである。 サウンドがいきなりどこから出てきたのか判らないままなりひびく、そのチャンスはおそらくいかなる論理や先入観をもはるかに超えたものである。それから時間が融通無碍に働き始める。現在が過去が逆流し、過去が現在を飛びこえて未来へつながる。 空間が変幻自在に回転してくる。 ミクロが傾斜し、マクロが進む、もう僕はその真只中にいる。つまらない想念や常識や通念を一瞬にして忘却させる。 自分から「自分」が浄化されていくのをいつも感じる。別の自分が生まれている。 モダンジャズは僕にとって自己解放と同時に自己開発の大いなる力を発揮したのである。
     (『音は立ったままでやってくる』集英社刊)



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