見出し画像

ジャズ鑑賞における情動喚起と調整


   

 ─脳神経科学から考えるジャズの表現構造─


本編は筆者、先の「受動的音楽療法としてのジャズ」との対になるものであるので、併せて拝読して頂けると幸いです。


新装・増補改訂版「ジャズる縄文人」より
縄文人と村の風景
合掌土偶(国宝)
イラスト金子大輔
#脳科学心理学

 脳神経科学的には「情動」は大脳辺縁系に領野を属し、主に短期記憶の座「海馬」と「扁桃体」の働きによる。
 現象学のフッサールによれば、感情とは違い「情動」は創造に結びつけられるという。
「感情」はすでに表現されたものであるが、「情動」はマグマ状態である。精神分析フロイトに準拠すると無意識層「イド」に中たる。性欲等本能や欲情の座リピドーである。
その上に「エゴ」(自我)が位置する。感情の座である。
エゴを抑圧するのが「スーパーエゴ(超自我)」であり、周囲と適応しょうと自我(エゴ)が疲弊し、ストレスを溜めやすい。
更に、生来的気質に発達障害等があると、努力しても適応できず、ストレスにより、扁桃体が悲鳴をあげ海馬が萎縮する。自律神経が機能しなくなり、ストレスに対応するホルモンも働かず、DMN(デフォルトモードネットワーク)がバランスよく働かなくなる。DMNはぼんやりした状態の脳が行っている神経活動である。DMNの働きは「創造性」と関係している。また、主な役割に「危機への供え」と「情報整理」がある。
瞑想中の脳波にはアルファ波からシータ波にまたがる6~10Herzの周波数が、深い瞑想の境地を示す脳波である。
シータ波はまどろみと集中力の脳波であり、直感的な判断力が高まっている状態である。シータ波は雑念と関わるDMNの働きを抑制する。
DMNが重要なのは「整理」であり、DMNが働いていれば蓄えられた情報が結びやすく、新しいアイディアが生まれ、創造力が高まる。鬱病や不安症等発症はDMNの過活動状態が根底にある。
 アメリカ精神医学会「精神病理と創造性研究」による1945~1960年代活躍した著名なモダンジャズ演奏家40人を分析結果、有能なジャズミュージシャンの精神障碍発症率が高いと結論。
以下一部紹介する。
【統合失調症】
バド・パウエル(ピアニスト) マイルス・ディヴィス(トランペット)
【強迫性不安障碍】
ジョン・コルトレーン(テナーサックス)
【鬱病】ビル・エバンス(ピアニスト)
 ジャズ演奏家は、精神疾患をもジャズという会話で克服し、さらには芸術として昇華させた。

ジャムセッションは、ジャズによる会話である。いわゆる情動を吐きだすのである。ジャズでいうところのブロー(呻き声)である。現代音楽の故・武満徹は、ジャズとは、呻きと祈りであるという。まさにブルース衝動である。
精神分析の「自由連想法」にも繋がる。
 「自由連想法」は医者と患者のデュオでもある。
但し、医者と患者という主従関係は拭えない。
象徴的言葉や見た夢の断片から、抑圧されているものを引き出して、意識化させ快癒に誘うセッションである。
 オープンダイアローグの手法は当事者同士の交互の会話である。進行役のファシリテーターは指示や誘導は行わない約束がある。
フロイト曰く、分析家の仕事は、とりとめない話しが即興的にできるような場をつくりだすことにある。正にジャムセッションに通底する。
叉、フロイトは、知人のシュテファン・ツヴァイク(ユダヤ系作家・評論家)への手紙に「自由連想」という技法は、精神分析が産みだした最も重要な成果であり、精神分析の他の成果への方法論上の鍵であると述べる。
含蓄に富む言葉である。現在注目されている「オープンダイアローグ」 と “ジャズ演奏の場”とは、双方とも、インプロビゼーションが生起する場という意味で重なる。
 若き俊英ジャズピアニスト魚返明末(おがえりあみ)32歳・男性は次のように語る。(山本由樹・雑誌編集者インタビュー ブログより抜粋  )
 ジャズを演奏するということは、“決まりごとの中の自由”と
格闘する行為である。
 ジャズはいわば黒人たちの民族音楽なんですけれど、奴隷としてアフリカから連れてこられた人がアメリカでの厳しい環境の中で生み出さざるを得なかったアイデンティティが根底に流れている。
 日常生活の中での救いみたいなものがその出発点にある。クラッシックとの大きな違い。クラッシックも大いに救いはあるんですが、黒人音楽の救いとはちよっと違うものだと思っています。
 ジャズが本来持っている自分たちへの救済に、僕自身、演奏するたびに救われていますし、聴く人も救われてほしいと思っています。僕自身救われたいと思っている時にジャズを聴いて救われた経験があるので、 演奏者と聴きてという関係性が、ジャズの救済によってつながる時がある。
個人が個人の自由を認め合うことこそ、「精神の自由」そのもの。
ジャズサキソフォン奏者ウェイン・ショーター(1933-2023)「ジャズとは人生を祝福することだ」さらに、自分の人生を祝福すると同時に、人の人生も祝福する。その肯定力こそがジャズの持つ「自由と救済」の本質を表している。と語る。
 バンド全員が一体となった瞬間は、実はそれぞれの演奏はバラバラなんです。ひとりひとりがいびつな音色でアクセントを出していて、それが全々かみ合わないでトゲトゲのいっぱいある丸みたいな形をしていて、でも、自分の音と他人の音が区別なくなるほど無心になるとバラバラな音が奇跡のように一体化する。そうやって全員が魂を解き放って演奏している時が理想だし、最高に幸せな瞬間なんです。
 ジャズを演奏するということは、ひとつの社会モデルを作っていることであると思う。
違う人間同士が違う音を奏でながら、お互いを認め合っている。それぞれの音がいつの間にか一体化して素晴らしい音楽を生み出している。そんな社会だったらいいと思いませんか?
ジャズは人種とか文化とか宗教とか、そういうものを越えていろんな人の人生を受け入れながら、誰でも肯定できる音楽なんだと思います。(魚返)

 米国、音楽療法家ケネス・E・プルーシアは「即興音楽の諸理論(上巻)」で次のように述べる。
 音楽は、その非言語的な性質ゆえに、コミュニケーションの普遍的な手段となる。音楽は個人の知的水準や状態がいかなるものであれ、音響刺激として精神と身体に直接浸透する。

 演奏家の脳は聴覚系の感覚性言語野の活性活動が非侵襲計測器fMRI(磁気共鳴機能画像法)で確認されている。芸術活動では情動中枢が強く刺激され、言語中枢の働きが大きい。
 記憶に書き込まれた記号化された連続的な内的響きを小脳・大脳関連ループと大脳・基底核・視床関連ループで運動パターンを意識下で呼び覚ますことによって、身体運動により外化させて演奏を行う。聴覚の他に、視覚、体性(皮膚および粘膜)感覚、内臓感覚など全感覚総動員されると感動が生まれる。
帯状回や前頭前野には中脳腹側被蓋野からのドーパミン含有線維多数関わっていて意欲・情操・道徳など「高次精神」機能に関連する領域である。(参照:川村光毅(1934-2021)慶應大学名誉教授教授、脳神経科学・神経解剖学・精神医学/音楽する脳のダイナミズムweb論考より)
「高次精神」とは、天台智顗のいう「境涯」二乗界に繋がるであろう。
 言葉の発生元は、太鼓や笛を合図として鳴らす情動的な背景と結びついて生まれたコミュニケーションの場であり、社会学的にも音楽は概念化した言語と捉えられる。
 

 

 元来、音楽と言語、聴覚と視覚が深い関係性を持つ


芸術作品そのものが基本的に多要素から成り、脳の多機能の駆使によってもたらされている。
 知覚性言語野(受動性、与えられた言語を理解する)この言語領野は視覚性連合野の前方域、体性知覚連合野腹方域に発達。音楽に関する領域は、脳内で言語機能領域と連合線維によって密接に結び付けられる。
 

大脳辺縁系


 大脳皮質内側部の領域で、帯状回、扁桃体、海馬、海馬傍回等からなる。大脳新皮質と比べて発生学的に古い型の皮質であり、情動の表出、食欲、睡眠欲など司り、記憶や自律神経に関与する。
 動物の中枢神経系は魚→鳥→猿→ヒトと進化。
 脊髄→脳幹→大脳辺縁系→間脳→大脳皮質と活動の中心が脳の前方/先端へと移り「高次化」する。
機能的にも「感覚・知覚・認知・認識」等高次化である。
 認知機構・情動機構が相当高度化していないと、ジャズ演奏、傾聴は難しいとされる。
MMN(誤差認知脳波)は一次聴覚野。ERAN(音楽的構文の認知処理)は前頭前野下前頭回に局在するとの報告がある。

         

       ジャズ全脳活性化表現構造


音楽から生じる情動には安心感を伴うような予測通りの刺激と、驚きを伴うような予測を裏切られるような刺激の両方が存在する。
 脳は予測誤差の高い刺激に対して驚愕反応が起こり、神経活動が増加する。反対に、予測通りの刺激に対して神経活動は抑制する。
 

難解な音楽ほど脳内を活性化する。
 ジャズ聴取は全脳を活性化させ、萎縮している前頭前野の樹状突起が拡大し再生する。


聴きなれないジャズに一時扁桃体が不快反応を占めすも、鑑賞後の体感で心地よさを感じ、その心理的制御の感覚を繰り返し取得すると日常のストレスにも動揺しなくなる。日常生活の中にジャズ聴取の機会を設けていくことで全脳のバランスがとれていくと考えられる。
 
 魚の脳は中脳が発達、大脳は小さい。猿やヒトになると一段と発達。脊柱動物の脳が進化。
 ジャズの聴取中の脳活動は聴覚野だけでなく、睡眠や食欲と同様、扁桃体や中脳など脳の報酬系に関与。ゾクゾク感やワサワサ感は神経物質ドーパミンを放出。(報酬を「快楽予測」と「不快体験」したときで異なる領域から伝達放出される。★前者・側坐核。後者・扁桃体)
 

前頭皮質内側部の働きが弱まると扁桃体が脱抑制・活性化し、それにより脳幹を介して生理的覚醒が起こり、強いネガティブ感情を経験しやすくなる。ドーパミンは前頭前野では自己調節機能(オートレセプター)が働かず、過剰な分泌は不安を招く。


報酬系含む「感情的メカニズム」においては音楽と美術で共通点多い。構造処理においては、言語処理メカニズムと密接に関与。
外部からの音情報は空気振動として鼓膜、骨振動、電気信号に変換され、大脳皮質の「一次聴覚野」に到達。
一次聴覚野まできた音情報はそこから、「腹側路」と「背側路」の2経路を辿り、様々な処理されることでメロディーや和音などの音楽認知に変わり、報酬系と複雑に情報のやりとりしながら、芸術まで昇華する。
 「背側路」は音の空間情動や運動に関わる情報の処理する。
 「腹側路」は音の種類情報の処理と、情動と知識の融合に関与する。
 メロディ予測は一次聴覚野と側頭平面からなる聴覚ネットワークである。
 和音予測は情動や報酬系ネットワーク。
 リズム予測は運動系ネット(運動前野・補足運動野・基底核・小脳など)関与する。
 脳全体で様々な部位と相互作用することで音楽体験が可能である。
(参照:大黒達也、東京大学特任助教、脳神経系科学/web論文「音楽と脳」より)
 音楽と言語、聴覚と視覚が深い関係性をもつ。
芸術作品そのものが多要素からなるもので、脳の多機能の駆使によってもたらされる。
側頭葉(聴覚および視覚連合野)が接し合ってる領域である。多数からなるニューロン群は皮質間線維により互いに結合している。
 知覚性言語野(与えられた言語の理解群)は視覚性連合野の前方域に発達している。簡単な響きの中にも多層的意味が内在していればいるほど、脳の活動機能の反映として新皮質レベルの活動に大脳辺縁系に属する古い皮質および、扁桃体や側坐核などと、間脳(視床下部)や中脳(ドーパミンやセロトニン含め)皮質下の情報機構の働きの差に起因する。
 能動的ロゴスの座である運動性言語野を含む前頭連合野と、受動的ロゴスの座である感覚性言語野は連合線維によって結びついている。各ロゴス野の近傍の前頭葉下部と側頭葉前方部はそれぞれパトスの座である大脳辺縁系(扁桃体や海馬)と投射線維によって前頭前野で情報処理した後に、運動系を活性化させている。
演奏表現は、「広義の運動野」の活動によってなされる。
 
 図や絵画を描くときの全体のバランスの取り方、物体を一個のまとまった形態と認知するゲシュタルトと、聴覚的には、単音や複合音、高さの異なる二つ以上の音が同時に鳴り響くことによって合成された和音或いは、協和・不協和音や旋律(メロディ)などの音が或る一つのの音、主音、主和音中心に統一的にまとまり、形成している音組織として調性。更には、リズムが加わった全体的響きとしての音楽の認知がこの領野においてなされる。
 音楽を指して用いられる「形姿」「形態」(ゲシュタルト)は脳内諸領野の働きが総合的に収斂されたところに浮かび上がる存在の形姿に他ならず、概念化、形態化の働きを象徴するロゴス(言語・理性)と存在の形姿の色合いや陰影を指していう情報がパトス(欲情・怒り・恐怖・喜び・憎しみ・哀しみ=情念)の調和、融合である。
 
 人間の喜怒哀楽の情は音の動きによって聴きての魂が揺り動かされ生起すると聴覚連合野の機能に情動が生じることにより高次の脳機能が発揮される。(イタリア哲学者/マルシオ・フィチーノ)
 聴受の場合は、音楽と呼ばれる総合的響き(和音・メロディ・リズム)の全体が脳に働きかけて情動を呼び覚ます。

 一般的に音楽鑑賞や、音楽大学で学ぶ音楽は国内国外問わず、「クラッシック音楽」を学ぶ偏向教育にあるように思う。
我が国では明治12年(1879)音楽取調掛を文部省に開設。1887年「東京音楽学校」(現東京芸大音楽学部)創設。
クラッシック音楽という枠組みの中で、ピアノ文化が 誕生。
クラッシック音楽は“正統文化” と捉え、相対的に高い階層に属する人々の教養とみなされる傾向があった。(片岡栄美/文化社会学)
 米国、ボストン、ニューイングランド音楽院でも作曲家ガンサー・シュラー氏が1960年代院長に就任するまではジャズは教えていなかった。多くの教授陣の多くは、自分たちの規範に「泥を塗る」ようなジャズの即興演奏に嫌悪感すら抱いていた。10年後、シュラーは聴衆や学生に両方の分野で最高の体験をしてもらいたいと、ジャズをカリキュラムに採り入れた。
心理学者は柔軟性こそが、創造性を測る上でより優れたモノサシになる証拠を次々と見つけた。
 ケンブリッジ大学音楽心理学教授、デービッド・グリーンバーグは、ガンサー・シュラー氏に賞賛する。
「体験への寛容性」は、世界に対するアプローチ方法の違いです。体験への寛容性があれば、思慮深く、複雑な知的生活を送ることができる。馴染み薄い新たなアイディアを継続的に取り入れていく能力であり、創造性は、自由と制約の微妙なバランスから生まれる。と述べる。更に、グリーンバーグ氏は、音楽史上最も影響力のあったジャズ演奏家の一人にジョン・コルトレーンを挙げる。
コルトレーンは、アフリカとアジアの要素を自身の音楽に取り入れた。トレーンの体験への寛容性はずば抜けている。「創造的直感」は、芯のしっかりした広い知識から生まれる。と語る。
 意図的になろう。予想から敢えて外れるのだ。
 科学者たちは、ジャズの即興演奏中に、脳内で何が
起きているかを必死で探る。
 クラッシック演奏家は「偶発的な音」を使う。
ジャズ演奏家の意図的な音の一番粋なところは、音楽の垣根を乗り越えること。意図的な偶然は、ほとんど普遍的な現象である。

 クラッシック音楽(以下クラッシックに略す)は、楽曲のメロディの重なりで出来ており、常にリズムを刻んでいる楽器はない。リズムの変化は楽譜の演奏記号に沿って行われ、その他は指揮者によって指示される。
クラッシックでは、それぞれの楽器がメロディを奏でることにより曲になる。楽器の数だけメロディを書かれたスコアと各楽器用パート譜がある。
ジャズはコード進行の流れから、無限にメロディを即興で紡いでいくのがジャズの真骨頂である。
大編成のビックバンド(15人以上)では、和音(コード)が記入されたコード譜やメロディを書かれたメロディ譜が用いられることもある。
それでも指揮者は不在だ。
 ジャズは予期しない状況に直面しても効果的な反応を優先させ、パフォーマンスを中断させない。
 クラッシックでは、ミスをしないための最優先事項である運指に神経を集中させ、誤った運指であっても追従することに全うさせる。
楽譜を正しく演奏した上で、個人的表現を付け加えるとされる。
 ジャズピアニストは「スタンダードなコード進行の中で予期されない和音を演奏させた時、彼らの脳はクラッシックのピアニストよりも素早く演奏を計画しはじめた」(ドイツ/認知・脳科学研究所ロバート・ビアンゴ)
ビアンゴ氏は更に、ジャズピアニストは主に「何を演奏するか」を念頭において演奏し、柔軟的に和音を計画している神経の動きが見つかったと述べる。
 一般的な作曲では作曲家が十分な時間をかけて構造を練り上げる。
 ジャズ演奏家は構造生成とその表出をほぼ同時にこなす必要があり、時間的制約が強く、閃きや周囲メンバーの状況に応じた柔軟な構造生成が求められ、創造性が既存の規制や枠組みに制約されない。片やクラッシックは既存構造再現を中心とする。
クラッシック音楽家は即興に困難を感じることが多い。
 ドイツ・マックス・ブランク認知神経科学研究所は「ジャズとクラッシック演奏家の脳波の違い」を検証によると。コードを追う僅かな運指ミスに反応し、音を修正する速度を計測結果。クラッシック0.6秒。ジャズ0.4秒であった。
 
ジャズの既存の音階やリズムに基づく即興は聴き手が即興を受容するための認知上の下地にもなる。
ジャズのハーモニーは装飾を伴って提示され、特徴は主としてテンションノートで非和声音によってなされ、選択は伴奏者によって即興的に行われる。特定の音を積み重ねることで緊張感を持ったサウンドになる。
ジャズ演奏家はテンションハーモニーから基本となるハーモニーを認知する技能を発達させている。即興上の指標となるハーモニーの的確な把握が不可欠である。
 ジャズ演奏家は脳科学によると、間違えることを恐れなくなり、創造活動が中断されない状態に「前頭前皮質」がなっていて、ジャズ演奏家は演奏中は精神のフィルターや検閲を減らす、リラックス状態にあったと述べる。
前頭連合野は他の脳領域と共に活動し認知機能を遂行する。ワーキングメモリーネットワーク(WMN)は高次元認知課題遂行の役割でデフォルトモードネットワーク(DMN)活動低下を示す。
実行系ネットワークの活動が高い時ほどDMNの活動が低くなっている。ジャズ演奏家は注意が即興演奏という無意図的想起に向けられており、DMN活動低下しており、緊張せずに、無心で外界(メンバーや観客の雰囲気)を受け取っている状態であり、インスピレーションが想起する。習慣的行動や衝動的な反応を抑える実行制御により、過活動DMN活動抑制。
実行制御は瞑想中の脳活動と近似しており、前頭前野はフル活動しているが瞑想状態でfmシータ波が検知される状態である。
 創造性が真に高い人の脳は創造と評価に関わるデフォルトモードネットワーク(DMN)を効率的に活動させることができる。
また、脳波のMMN逸脱検出反応の柔軟性もみられた。
fmシータ波は前頭皮質内側が強く活動している時にみられるシータ波であり、瞑想中のシータ波と同様である。瞑想者は、頭をフル回転させて、習慣的な行動や衝動的な反応を抑制している。エグゼクティブ・アクティブ・ネットワークEAMは外側前頭皮質と前頭頭頂間のコミュニケーションであるが、その他のネットワークを活性化させている。

 量子力学では、全ての物質はミクロの揺らぎで成り立っているとする。自然界や、私たちの臓器や器官も揺らぎに支配されている。
 素粒子は宇宙創生以来振動し続けている。
ミクロの世界では量子的物質は「粒子の性質」と「波の性質」を持っている。(波と粒子の二面性)
ミクロの世界では、一つのものが同時に複数の場所に存在できる。これら、相反する性質が相補って存在し機能することを「相補性」という。脳内ニューロンのマイクロチューブルで、量子学的な重ね合わせが形成され、コヒーレント状態が保たれると意識が生まれ、量子重力理論で与えられるエネルギーの閾値に達すると波動関数の自己収縮が連続して起き、意識の流れが生まれる。
ニューロンは細胞であり物質であるから波動性(物質波)がある。
そのニューロンから生まれる情動に波動性があるのは頷けよう。
意識の第二のレベルである気づき(視覚・聴覚・臭覚などの感覚系)は脳の複数の部位で処理された情報を一つに統合、結合して認識する必要があるが、その機能は神経活動が同期した時に情報が束ねられて意識が生じるという理論があり、実験的にも視覚系や臭覚系において確認されている。
身体における同期現象に心が影響する心拍の力強い運動は心筋細胞一つのリズムか同期して細胞魂の集団リズムに変わり大きな心拍動になる。リズムの振動は波動である。心拍リズム振動は神経系内分泌系、免疫系の影響を受けるのは情動が波動で同期するからではないか。
 音とは、物質中の振動(波)が伝わる現象である。
振動は物体の周りにある空気を押し出し圧縮する。圧縮された空気の濃い部分と薄い部分「疎密波」が発生。波となって伝わる現象を「音」という。音は物質を纏った量子で、準粒子(フォノン)という。気体・液体・固体を形成する最も小さい単位は分子である。多数の分子が集まってそれらを形成し、音の波を伝播させることができる。音は物体を通して伝わる力学的エネルギーの変動であることから、物体を構成する分子と音に何らかの物理的相互作用がおこっても不思議ではないだろう。


音楽はギリシャ語の「musike(ムシケー)」から生まれた言葉でムーサが司るもの。ムーサはギリシャ神話における人間の知的活動を司る女神のことである。
古来、音楽を奏でること、音楽を聴くことは生の本質であると考えられていた。思考や情動、生命の躍動と呼ぶべきもので、芸術の一形態を超えた存在である。
脳内には一億個のニューロンのつなぎ目があり、シナプスという構造がある。語源はギリシャ語のスナプティン。
脳内では、一億個のニューロンの間で、常に物質が伝達されている。多様なリズムのビートが絶え間なく発生されている。
リズムの発生とビートの融合によるシンフォニー現象が常に起きている。量子力学の波動と粒子の関係である。
 米国科学雑誌「PLOSONE」の論文によると、3~4ヶ月目の赤ちゃんにダンスミュージックを聴いてもらうと音の拍子にシンクロナイザーションした。100人中2人位はすごくシンクロに踊る子がいるとの報告。
リズムにシンクロするのは人間とスノーボール(白いオウム)とアシカ位である。
人間が進化の過程で獲得された生得的な機能であることを示唆する。
音楽の三要素はリズム、メロディー、ハーモニーであるが、原点はリズムである。リズムなしに音楽は成立しない。
言語やコミュニケーションのベースでもある。
近現代以前では作業歌によって、テンポよく集中力を絶やさず行ってきた。叉、祝祭などの場面では皆で楽器を奏で、歌い。踊る中で強い情動が共有され、時にはトランス状態に至ることも。
太鼓やラッパの音は皮膚感覚に訴える臨場感溢れる刺激的な音であり、身体の生理的状態が変化することで、仲間と共感し情動が喚起される。
人はリズムを知覚すると、身体を動かしていなくても運動を司る脳の部位が活動する。
音楽を聴いて、身体を動かし、他者とつながるのはヒトの起源にもつながり、時代や洋の東西問わず観察される普遍的な行為である。
米国ジャズドラマー・パーカッショニスト、ミルフオード・グレイヴス(1941-2021)は。
リズムは人間やあらゆる生命体とこの自然、宇宙を反映させた生命力の表れと、ヴァィブレーションの法則だ。更に。
自由を得、解放を得るためにこそ「新しい力」精神と肉体が本当に有機的に結びついた力が生みだされる必要がある。そのためにリズムと呼吸について学ぶことは不可欠です。広く深く、豊かなリズム、広く深く豊かな呼吸、その事において精神と肉体の可能性が実現される。

 スティーブン・H・ノブロック(ジャズ演奏家後精神科医)は著書「精神分析という音楽」で、人は真鍮や銅といったようなあらゆる物質で簡単に反響板を作ることができるが、人間の身体ほど生きた反響板は存在しない。それぞれの原子が鳴り響くので、音が身体の全原子に影響を与える。筋肉、血液循環、神経のメカニズム全体が全てビブラートの力によって動かされる。
リズムは人を構成する全ての本質である。人の身体の全メカニズムは脈搏、心拍、脳波、血流、飢えと乾きもリズムをとって動いている。リズムが狂うことを病気という。

 筑波大学ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究研究センター(征矢英昭教授)グループがニューロサイエンス(Neuroscience)誌で発表。
によると、グルーヴリズム(GR)ジャズのリズムの代名詞でもある。※グルーヴ→「あとノリ」「オフビート」「ゆっくり急げ」等。
※筆者注釈。
グルーヴリズムで前頭前野実行機能と前頭前野背外側部(DLPFC)喜怒哀楽をコントロールする脳の活性化が促進されたとする。
GRで、拍の顕著性・音の数の多さ、低音成分、シンコペーション・テンポなど影響すること明らかに。報酬系の一部である側坐核の神経活動は、主観的な「グルーヴ感」と「ポジティブ感情」の両方レベルと相関関係にあることを明らかにした。
「身体のリズムに共鳴しているように感じた」「興奮した」等。
報酬系の活性化でみられる神経伝達物質の放出亢進は前頭前野機能を賦活化する。運動しなくともGRを聴いてグルーヴ感と認知覚醒機能が高まった人では左DLPFC神経活動と実行機能が高まること明らかにした。
 前頭前野背外側部は脳の司令塔としての役割を持ち、記憶、意思決定、注意、計画推考、実行など、思考や行動の中心となる様々な機能を担っている。叉、喜怒哀楽の感情もコントロールしている。高次の認知機能の領野でもある。故に、ジャズ鑑賞で全脳活性化と情動喚起、調整が可能である。

付記

  日本の精神医療「隔離処遇」は江戸時代「座敷牢」から始まった


 
 小俣和一郎は「精神病院の起源」という歴史書で、我が国の精神科治療は仏教寺院で始まったととする。本書で次の三系統を挙げる。密教系水治療型寺院、漢方治療型浄土真宗寺院、日蓮宗系の読経治療型寺院。
京都、大雲寺・癲狂院(天台宗)は古くは「癲狂院」を精神病院のことを指した。
左京区岩倉周囲には今日でもいわくら病院、洛陽病院、北山病院などの精神病院が集中しており、平安時代から法人等変遷を経て1000年を超える歴史がある。
 江戸時代の徳川幕府によって始められた「寺請制度」は、住民の動向や戸籍の管理を寺院に請け負わせていた。全ての人がいずれかの寺院の檀家になることを強制されており、戸籍上の管理を記録したものが「檀家台帳」と呼ばれる書き付けで、現在で言うところの、市区町村に管理されている住民基本台帳や戸籍原本同様のものであり、寺院は幕府の出先機関の役割を担わされていて、寺院から「寺請証文」という身分証を受け取る制度であった。
江戸時代後期においては、精神障害者への処遇として、入檻、入牢(座敷牢含む)、溜預けの三種類実施されていた。
 精神科医、西丸四方(190--2002)信州大学教授によると、「精神医学入門・南山堂」に、古代から、狂気の記載が認められるとし、須佐之男命(スサノオノミコト)が興奮して天照大神がもてあまして、天の石屋戸に隠れたことを挙げる。確かに須佐之男命の逸脱行動は凄まじい。我が国の歴史は精神病的な問題行動とともに始まったといえるとの西丸氏の論述であるが、歴史作家関裕二は、先住民である縄文人を悩乱させた原因を主張する。著書「縄文国家=出雲王朝の謎」で、天皇家(九州王朝)と天皇家によって抹殺された縄文人の格闘による。二大民族。九州王朝と縄文人、渡来系弥生人と縄文人との相剋であると。
 割引いて、西丸氏の論述に準拠しつつも、須佐之男命がたとえ精神障害としても、爆発行動には裏付けがある。切っ掛けにより、錯乱は一過性心神耗弱もありうる。西丸氏は為政者の視点で見ていないだろうか。
 障害者を排除するのではなく、健常者と同様な生活がおくれるよう支援する考え方をノーマライゼーションという。ノーマライゼーションの父といわれるデンマークのN・E・バンク-ミケルセンにより1959年提唱され、法律として成立。
 読売新聞大阪本社科学部原昌之氏は次のように警鐘を鳴らす。
 精神疾患、精神障害に対する偏見、差別について、障害という区分の中で見ても、身体障害、知的障害に対する国民の平均的意識とはかけ離れている状況にあり、1980年代から本格化したノーマライゼーションの流れの中で取り残されている。
 全国精神障害者家族連合会(全家連)が1997年に全国成人2000人対象の調査結果によると。
 半数以上の人は精神障害者に直接会った経験がない。
事件の加害者という偏見。
 事件報道「わけのわからない事件は精神障害のせいに違いない」という市民側の心理、偏見がある。
 実際には精神障害者の犯罪率は高くない。
 警察庁統計、2000年に交通事故を除く、刑法犯の検挙者数31万人のうち精神障害、又は疑いと警察が判断したのは2071人で0.6%であり、15歳以上の人口の占める精神障害者の比率(1.84%)よりかなり低い。
 犯罪率という意味では、精神障害者全国200万人いて、2071人、比率は0.1%に過ぎない。殺人や殺人未遂は132人で0.006%で危険な人多いとはいえない。
 「心神喪失・心神耗弱と認定された被疑者の9割は不起訴」という俗論。
 すなわち、心神喪失とも心神耗弱とも認定されず、完全責任能力を認定される精神障害者が相当数いるのに、これを分母に加えていないからである。
 原氏は、偏見を生んだ社会的背景を挙げる。
① 精神科病院への隔離収容主義。日本の精神科入院患者は33万人。人口比率、絶対数でも世界一である。
鉄格子のついた病棟に閉じ込めること自体が「危険な存在」という印象を世間に与えてきた。
② その結果、精神障害者と一般市民との接点が乏しい。「知らないから怖い」
③ 行政による差別である。精神科病院の医療スタッフ数は一般医療に比べて少ない。身体障害や知的障害に比べても福祉も非常に遅れている。


精神科医、秋元波留夫氏によると。
 80数年前、1918年、日本の精神医学と精神医療の創始者、東京帝国大学教授呉秀三(1865-1932)帝国大学医科大学教授は明治政府を糾弾する告発の書「精神病者、私宅監置ノ実況及び其の統計的観察」で、非人道的な座敷牢を合法化「精神病者監護法(1900年制定)」で「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」という言葉を残す。
 全国に渡って座敷牢の実情をつぶさに調査してその悲惨な状況を克明に記録したドキュメンタリーであるとともに、非人道的座敷牢を合法化し、その全国的広がりを許している「精神病者監護法」を黙認している明治政府を糾弾する。
 この法律は、精神病者を社会にとって危険であり、監禁の対象であるとみなし、座敷牢を「私宅監置」と呼び、監置の責任を家族に負わせるために「監護義務者」制度をつくり、この法律の施行を内務省と警察の管理下に置き、警察は監護義務者が監禁の責任を果たしているかどうかを監視するというものであった。
 わが国の精神障害に関する法律が監禁の合法化で始まったという歴史を忘れては生らない。
 呉秀三らの私宅監置廃絶の運動は議会を動かし、精神障害者の医療を国の責任で整備するための法律「精神病院法」が1919年制定された。この法律は国および道府県に精神病院の設置を促進することを求めたもので、私宅監置廃絶に絶対に不可欠な法律であり、この法律の制定と同時に、要求していた私宅監置廃絶に絶対不可欠法律であり精神病者監護法は廃止するのが当然であったにも関わらず、生き残ることになった。その理由として、1914年に始まった第一次世界大戦に参戦し、帝国主義の道を走りだしたわが国政府が軍備拡張に要する莫大な国費を捻出するために精神病院設置運営の財源を出し惜しみした。
 精神病院の設置は一向に進まないばかりか、「精神病院監護法」のもとで、私宅監置の悲劇は拡大していった。
 30年にも及んだ精神病院法と精神病者監護法の成立に終止符が打たれ、私宅監置が廃止されたのは、太平洋戦争が終わった5年後の1950年「精神衛生法」が制定されたときであった。
 1941年4月から食料の配給制が実施されたが、不十分な食料配給の煽りを受けたのは、精神病院に入院している人たちであった。
 精神病院死亡統計に明らかだ。
 東京府立松沢病院(現、都立松沢病院)平時死亡者年間20人程度。日中戦争始まる前年、1936年73人増える。1938年121人。1940年、352人。太平洋戦争激戦時の1944年、422人。敗戦の年1945年、480人と激増。死因は、松沢病院の記録から、食料不足による慢性栄養失調である。
 松沢病院は公的施設であり、闇の配給は不可能であり、病死というより、政府の配給計画に問題があったと言えよう。
 「精神衛生法」制定は戦後5年後1950年である。
 精神衛生法は、精神病院法(1919年制定)の隔離収容主義をそのまま受け継いだ。
 私立精神病院増加政策を最優先してきた。増加の一途を辿り、1960年代に始まる「脱施設化」の世界的動向から逸脱していき、社会復帰、福祉施策に至っては、身体障害福祉法、知的障害福祉法による施設の職員数の半数程度である。
 精神保健福祉法第1条、精神障害者の「社会的復帰の促進及び、その自立と社会経済活動への参加の促進のため必要な援助を行う」と謳っているが、絵に描いた餅状態である。
 現在、全国の精神病院には34万近い在院者がいて、少なくとも4分の1、の8万人以上が引き取り手がなく、退院しても生活のめどがたたない現状で、「社会的入院」と呼ばれる人たちである。
呉秀三の言葉を待つまでもなく、21世紀を全ての障害者がこの国に生まれたことを幸せに思う時代にすることが障害と福祉に携わる人たちに課せられた使命である。
(参照:秋元波留夫、日本精神衛生会会長)
 
 

精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本


大熊一夫1937年生まれ、(ジャーナリスト)元、朝日新聞記者。アルコール依存症を装って精神病院に入院し、「ルポ精神病棟」を朝日新聞社会面に連載。精神科病院廃絶に向け活動を行った。
 最新刊「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」(2009年)岩波書店刊。
 フランカ&フランコ・バザーリア財団からバザーリア学術賞賞受賞。
 
 イタリアの精神病院事情。精神科医・上野秀樹
 トリエステに最盛期には1200床あった、サン・ジョバンニ旧精神病院は、イタリア全土から完全に消えた。1999年に先立ち1980年には完全閉鎖した。
 あらゆる閉鎖収容所の歴史と同じく、人間を一つの所に閉じ込めるシステムでは人権の保障がされない状況が必ず発生し、マニュコミオと呼ばれる巨大精神病院においても屈辱的で人間の尊厳を奪う現実があった。
イタリアが現実に眼を向け、1970年代に脱精神病院を掲げて政策転換し、1988年、全ての精神病院が機能停止した。
 幻覚や妄想が主症状となる「統合失調症」は100人に1人は発症する疾患である。
この疾患は、家族や友人、地域社会といった生活環境によって悪化もすれば、改善もしていき、脳機能への生物学的治療だけでは解決できるものではない。
「人間的な苦悩」に対する人間的な関わりや、社会的にその個人の存在が承認されることによって、改善されていくものである。ほとんどの先進国では、精神疾患のある人々を「隔離・収容」してきた歴史があり、その結果、この疾患を発症した人々の多くは何十年と施設に収容されていた。人生の大半を閉鎖病棟で失うという、甚大な人権問題とも言える状況にあった。
 イタリアの改革では、精神科医フランコ・バザーリアがイタリアの小さな町、人口20万人のトリステ県のマニュコミオの解体を始めたことに端を発している。
後に「バザーリア改革」と呼ばれるようになる。彼の改革「右手で病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」という改革1978年に「180号法」という改革法を成立させ、以後、精神病院の開設は禁止された。
 彼の改革の中心にある思想は、フッサールやサルトルの影響が大きいとされ、「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」という信念がある。
 イタリアでは地域精神保健センターによる在宅ケアを中心としつつも医療機関での強制入院は最小限存在する。
総合病院の中に、精神科救急病棟(SPDC)という病床存在する。
 精神医療改革に取り組んできた精神科医ダルコ医師(精神保健センター長)は「人の痛みに応えることが私たちの仕事です。そのためには信頼関係が大切です。家庭に出向き、予防を重視します」と語る。
 幻聴や妄想があるとき、そこにあるのは「疾患」ではなく、そこから生まれる人間関係の亀裂、失職、貧困といった「人生の苦悩」であり、その苦悩は社会的なもので、社会的解決が求められる。
 我々は、言葉を失くした人たちの沈黙の翻訳者になることから始めなければならない。
 世界一精神病院の多い国、日本。
 敗戦後の「高度成長期」、労働力の確保が優先され、労働力とならない、多様な疾患や障害のある人に対して、「施設収容」を推進する施策がとられる。精神疾患に対しては、治安対策として、本人の同意によらない強制入院が合法的に推進された。
1970年代以降、劣悪な閉鎖病棟内で発生する虐待事件が頻繁に報道、社会問題になる。WHO(世界保健機関)始め、国連機関から度重なる指摘を受ける。
 WHOの把握している世界の精神科病床185万病床の内.日本には約32万床あり、世界全体の5分の1のベッドが存在する。(2001年)
 大阪人間科学大学、社会福祉学科准教授吉池毅志は語る。
 近年、72.000人は退院先さえあれば退院できる「社会的入院」であると国が表明するも政府は対策に本腰を入れないと嘆く。
 イタリアでは、「精神病は病気ではなく、人間関係など社会環境の問題であり、人間関係は隔離では改善しない。社会の中でこそ取り戻せる」という思想の元実践、立証された結果、国として精神病院を全廃した。
 患者自身の意思を尊重しながら、地域で生活できることを前提に、精神保健センターを中心に、診療所、デイケアを増やし、在宅(共同生活)で生活できる環境を整備した。
 このような改革を行ない、精神病院を6年かけてなくした。
 日本に来たイタリアの精神科医師「これだけの病院数、どれだけの費用が必要なのかと疑問」と口にした。
 
 イタリア、1999年、精神病院全土で閉鎖。
 日本は1900年、精神病監護法、精神病者の管理と隔離が今日まで続く。
 イタリア・トリエステでは精神障害がある人を支えるのは地域であり、中心にあるのが、4ヶ所に設置されている精神保健センターで、週7日、24時間対応しており、いつでも困ったときに誰かが対応してくれる体制が整えられている。
主なスタッフ、医師4人、心理士1人、ソーシャルワーカー1人、アシスタント1人、リハビリ担当1人、看護師4人、アシスタント8人。体制で対応している。
 職員は白衣などのユニホームは着用せず、利用者と同じ目線で接している。
サービス提供者と利用者という関係性を減らす工夫をしている。
センターのミーティングは頻回に行っており、医師も参加。様々な経験と知識を持った参加者の意見をまんべんなく引き出し、集積していく。地域ごとの特性に合わせたきめ細かい支援を行っている。
 トリエステでは、人間が人間としてあり続けることを支援し、そのために、食事の提供や喫茶の提供に居住の提供も行っている。
 厳しい制限の入院ではそのネットワークを切り捨ててしまい、その人の生活を支える様々なネットワークを考えることはなかった。
それまでの人生から、その人を切り離し、薬物療法によるものであった。
 イタリアでは24時間切れ目なしで365日、ワンストップサービス提供している。
(イタリアにて~日本でもできると感じた理由。上野秀樹、精神科医、Waveより)
 

 

イタリアの精神医療改革


松嶋健、広島大学文化人類学・医療人類学
 イタリアと日本、国民国家が出来るほぼ同じ時代150年前。
それ以前、イタリア半島に多くの都市があった。半島の一部スペイン領やフランス領、ローマ法王領があった。
 一つのイタリアになったのは、1861年、首都トリノで、イタリアの統一に中心的役割を担ったサルデーニャ王国の首都トリノだった。
 日本、明治維新1868年である。
 北東の辺境、ゴリツィアから改革が始まる。
フランコ・バザーリア、精神科医が赴任してくる。
20世紀初頭まで、オーストリア領でイタリアの一部ではなかった。
日本、1900年、精神病者監護法できる。1861年イタリア王国ができる。
 当時、イタリアでは国民にふさわしくない人と線引き、精神障害者、他ならず者含み、精神障害者・アリエナーレ「疎外された者」と呼ばれた。精神的にも疎外されていると同時に社会的にも疎外されている二重疎外。
イタリア、精神医療に関する最初の法律が1904年に制定。(日本とほぼ同時期)「ジョリッテ法」当時の首相の名前を付けた。
「ジョリッテ法」には強制入院の規定が中心にあり、自傷他害の危険性あって公序良俗に反する規定であるも、パブリックススキャンダルの要件に抵触しないと入院が認められない。しかし、一度入ったら出るのは困難だ。精神病院に入院した記録は内務省の記録に犯罪歴同様に記録される。精神科院長に絶大なる権限が与えられている。医療的なものが認められたと同時に社会的危険な存在を管理する役割も課せられていた。この「ジョリッテ法」は第一次、第二次大戦、終結後も続いていた。
 1968年になって法律431号でき、マリオッティという社会主義者の名前をとって付けられた「マリオッティ暫定法」によって、自主入院が認められる。
 その10年後、1978年3月法律180号成立。作成の中心人物、精神科医フランコ・バザーリアにちなみ「バザーリア法」が成立。この法律で精神病院閉鎖が規定された。
 新規の精神病院建設と新規の入院禁止となる。
20年後全ての精神病院閉鎖。イタリア公立の精神病院閉鎖。
(日本と違い、イタリア、ヨーロッパでは公立精神病院が大半)
 近代国家を作るため、ヨーロッパでは文明化された国家を作ることは、伝染病の病院とハンセン病と精神病院をつくることに国家のプロジェクトがあった。
 フランコ・バザーリア(1924-1980)精神科医・神経科学者。「バザーリア法」立案、制定によりイタリア全土の精神病院閉鎖。地域で治療する精神医療創出。
 日本では、公立設置は財政的に無理だったので地方の名士に資金を援助してもらいつくらせた。
 イタリアには私立のクリックは存在するがベッドはない。私立の精神病院も入院施設はない。但し、司法精神病院はある。犯罪を犯した者に精神病があって責任能力がないと認められた場合。叉、刑務所に入っていたものが精神病になって送られるケースがある。イタリア全国に6ヶ所ある。(法務省管轄)医療でない文脈において、司法精神病院、精神科刑務所と呼ぶはうが適切である。
 バザーリアは、制度が問題だから、施設としての精神病院を無くす。1964年、ロンドンの社会精神医学会で報告をする。
そのタイトルが「施設化の場所としての精神病院の破壊」
単に精神病院という空間の破壊ではなく、「制度化」の多様な可能性がきわめて限定されている「施設化」の場所だからこそ精神病院は破壊されるべきと主張。
制度化の過程においてこそ脱制度化を阻む精神病院という施設の廃絶の論理である。
 「脱制度化」は患者さんの問題であるけれど、それ以上にスタッフの方が問題だ。バザーリアと一緒に仕事をしていた精神科医。
 ローマの精神病院を閉鎖するプロジェクトの責任者であった精神科医は「自分たちも一緒に外に出ていって、何より驚いたのは、自分自身にこんなことができるんだ。そんな能力もあったこと、それを発見して驚いた」と言い方をしていた。
 イタリア医師団一行、京都の精神病院に来て、看護師が居心地いい部屋にしていると案内されて、
「これは、もともと、バザーリアの言葉ですけれど「鉄でできていても黄金でできていてもオリはオリなんだ」と言い方をしていた。」そこで働いている人が悪いという非難ではなく、そこで一番疎外されているのはまさに働いているあなたたちというメッセージである。「ほんとうはもっと面白く働けるのに、それが出来てないでしょう」とスタッフに彼らが語っていた。
もう一つ言っておかなければいけないのは、病院の中では、やはり病気という考え方を前提にして関係が作られる。
病気というのは、その人の一部にすぎないわけですね。一部なのに前面化して、それで関係性を規定している。そういう風に「制度化」された場所が病院という施設ということです。
 医者と患者は医者と患者ということでしか関係を作れない。
 役割からずれてみる。役割からでたもの同士が出会う。
「専門性」という枠に閉じこもることによって、「この問題は「専門家」の問題だからタッチしませんという形で「制度化」が常に起こりうる」
 「制度化」ある場所における関係性のあり方を規定しているもの。
 「施設化」ある種の関係性のあり方が空間的に全面化したもの。
 バザーリアたちの場合は、精神病をカッコに括るなかで、それまで当たり前と思っていた関係性のあり方、当たり前と思っていたセッティングを変えると見えてくるものが変わる。人々の関係も変わることに実践のなかで気づいて、いったことが重要である。
 バザーリアの「脱制度化」には哲学的裏付けがある。
 当時の実存主義や現象学であり、サルトルやフッサール、メルロ・ポンティで、それらに影響を受けたドイツの現象学的で人間学的な精神医学、ヤスパースやビンスワンガーなどに影響を受ける。
 バザーリアの論文の一つ、1954年「出会いの現象学的分析」で、医者と患者というのは本当は出会っていない。そこには出会いを不可能にしているものがある。医者と患者が真に出会うことを不可能にしているのは、「精神医学という制度、対象を客体化する医学の眼差し」なのだという。
もう一つの論文1956年「ヒポコンドリーと離人症における身体」で、ヒポコンドリーというのは症状なのではなく、出来事であると述べる。
 問題があるときに、その問題をその人の問題として考えるのではなく、その人が置かれている分脈とか、いろいろな周りとの関係性を含めて、一つの出来事として起こってくるということ。
 問題があるところに、その問題をその人の問題と考えるのではなく、その人が置かれた文脈やいろいろな周りとの関係性を含めて一つの出来事として起こっている。
 出来事、状況として捉えるのは、その人が悪いからだと一人の人間に責任を帰属させ、その上で、その原因を病気とか障害として捉え考えることへの批判である。
 何か事が起こったときに、これはAさんが悪いからと考えること。自分を免罪して、相手が悪いと考える。インタラクションとかコミュニケーションの問題として考えるのではなく、その人が悪いからだと考える。理由付けとしては例えば、そういう性格だからだとか、文化が違うからとか、あるいは病気だからとか。いろいろな理由、説明の付け方があり、「精神病」というものをコミュニケーションにおける逸脱に説明を与えて納得する装置という側面がある。このような仕方で成立していく。
カテゴリーに基づいた関係をバザーリアは「表象に媒介された外的な関係」であると言う。
だから出会いが起こらないという。「表象に媒介された外的な関係」が積み重ねられていく結果、いわゆる臨床的な事実というものが形づくられていく。あたかも、それが事実であるかのように見えてくる。そして、事実として見えるような、そのリアリティを支えているのがまさに精神医学という制度であり、精神病院という場所であると、そういうふうにバザーリアは考えた。
(参照:Wave論考より、フランコ・バザーリアとイタリアの精神医療改革。松嶋健、広島大学・比較文化論文論/准教授)

人類学は「驚き」を大切にする学問
松嶋健(まつしまたけし)


 
 文化人類学の思考法。
 当たり前を疑う。生活の当たり前、会社や社会の当たり前、経済や仕事の当たり前、国家の当たり前が劇的に変化するなか、これまでの「当たり前」から発想を転換する必要がある。文化人類学は「これまでの当たり前」から脱出するための「思考法」である。
 以下、文化人類学者松嶋健氏の言葉を引用する。
 
 私の専門は文化人類学です。人類学は「驚き」を大切にする学問です。当たり前だとされている様々なことに対して心底驚くこと、そこから、どうしてこんな風になっているのか、なぜこんなことが行われているのだろうと「問い」を発し、その「問い」を他の人たちと共有しうる公共的なものに鍛え上げていく。こうした過程は、どのような研究でも重要ですが、とりわけ人類学に特徴的なのは、自らの感性や情動を大切にする点です。
 AIが全面的に社会システムに組み込まれる時代の到来とともに、近代的な知性ではとても太刀打ちできない状況を私たちは生きることを余儀なくされます。その際、今よりずっと大きな意味もつようになるのは、私たちが、「感じる身体」として存在しているということです。AIにはない「感じる身体」が、環世界を構成している自然や人工物、他の生きものや他の人間たちと交錯し、絡み合うなかから生み出される感覚的、情動的知性。こうした知性は、理性より一段低いものとして近代科学の潮流においては軽視されてきましたが、人類学はこうした知を手放さず、粘り強く研究してきました。
そして今、感覚的・情動的知性と、そこから立ち上がる関係性は、新たなかたちを取りながら蘇りつつあります。そこから見えてくる古くて新しい「社会」や「地域」のあり方について研究を行なっています。
(松嶋健、広島大学大学院人間社会科学研究科マネジメントプログラムより転載)

終わりの言葉


 

 筆者、2008年〜2019年の十年間、神奈川県立三ツ池公園と共催で「縄文人になろう会」ワークショップを開催してきた中で、※「下末吉台地」(粘土質で知られる)の粘土を使い、縄文土器の成形から野焼きによる焼成といった手順を皆さんと共に行ってきた中で、毎年園内で「座学」を行い、縄文学を研鑽してきた結論が、「縄文ジャズ療法研究所」設立につながったものである。
 下末吉台地縄文遺跡から多数の縄文土器・土偶が出土されていることからも、時空を超え、縄文土器が作れる確信のようなものが生まれ、粘土から、火を起こす間伐材も地産地消を目指した。
都市公園で厳禁の園内で火気を使用開催することから、神奈川県との調整、理解の上での実現は並大抵のことではなかった。
 ワークショップ開催での縄文土器の野焼きは参加者も感動の渦に包まれた。破損することもなく、それぞれ、自ら制作した土器を目の前に歓喜のうちに分かち合った。
当、ワークショップでは、初心者に、土器・土偶作りのベースである。底の部分の基盤づくりと、2、3cm経の蛇状粘土紐の重ね積み(和積み)をアドバイスしたのちは各自のイメージで制作してもらった。
粘土を自らの感触で、形態をイメージしながら、全体のバランスを取っていくことや、対象の位置と特徴を知覚することで、知覚と認知力をフル活動させることができ、幼少期の粘土遊びといった長期記憶と、制作途上の短期記憶がフル活動することで生成プロセスと、解釈、創造に作用する。土粘土は時間勝負であり、突起物等デコレーションは後からでは乾燥して、水を付けても、土器表面と乾燥速度が違い、密着されず剥がれてしまうのだ。
集中力と瞬間的判断が必要だ。無心に没頭しつつも全体を観察するといった意味でもジヤズ演奏に近似する。
 リーダーは細かい指示はせず、仕草や様子をみながら最小限アドバイスに留めることで、自ら完成させたという達成感を味わえる。
縄文人の土器づくりは、住居内の囲炉裏のそばにおいてあった粘土片が火力で化学変化し、鉄分が溶け固まったことによる発見といわれる。
私たちは縄文人の遺伝子を受け継ぎ、3~4000年前の縄文人の活動が色濃く残る「小仙塚貝塚」を目前に縄文土器野焼きを行った。「小仙塚貝塚」からは、今も当時の貝殻を目にすることができる。

 

 

 
 

縄文土器野焼き


 

※関東ローム層の一つ。旧い順に、立川台地、武蔵野台地に続くのが「下末吉台地」である。三万年前の富士山噴火推積したのが多摩丘陵である。「下末吉台地」は、1930年、東京大学、大塚弥之助教授により確認されている。発見地域の名称「下末吉」が冠された。国道1号線川崎~横浜の中間「下末吉交差点」近くの高台で発見されたことによる。横浜・山手から川崎・溝の口、子母口に広がる標高40~50メートル級の頂上が比較的平坦な台地の総称である。地表上部は関東ローム層で、その下部6~7メートルが古箱根カルデラ噴火が推積した粘土層である。「貝化石の産地」として知られる。12万5千年前の「下末吉海進」による地層である。当時、海底にあった地域であり、縄文時代は浮島状態にあった。
 
 青年期、ビクトル・フランクルの「苦悩の存在論」が座右の書であり、新宿ジャズ喫茶「DIG」が瞑想道場であり、学校だった。老朽化とバブルの煽りで完全閉店まで毎日通い続けた。
 後年、母親から聞いた話しによると、父母が結婚して、二、三年後父親は会社の健康診断で「肺結核」の診断を受け、入院・闘病生活から精神を病み、以来、亡くなる70歳まで無職であり、生活保護を受けながら、弟が小さい頃は母親が背中におぶり、近所の廃品回収業で仕分けの仕事をし、祖母に弟を頼めるようになると、母親は失業対策事業による基幹道路拡大工事作業員に従事。土を固める三角支柱の上部の滑車の綱で重りを引き落とす肉体労働であり、美輪明宏の「ヨイトマケの歌」で知られる。※「ニコヨン」として働く。
※日給に240円。1949年制定。
 筆者、カラオケに行くとつい歌いたくなるのが「ヨイトマケの歌」である。小学生の頃、道路工事現場で働く姿の母親を目にし、中学生になると新聞配達のバイトを朝夕刊三年間休み無く続けた。稼いだお金は母親に全額手渡していた。放課後の球技大会等の練習は、先生に「仕事がありますから」と参加したことはなかった。
幼いころから、まんがを描いているのが好きで、将来の夢は「まんが家」だった。中学生になってからさいとうたかをプロジュニアに参加していて、コマ割りしたストーリー劇画を送り、当時の東京都北区にあったさいとうプロで直接、先生から意見をもらう機会があった。
筆者、まんが家を目指しており、さいとう先生も中卒であることや、家庭の経済状態から進学は諦めていた。中三の時、さいとうプロからアシスタントの誘いがあり、参加する気持ちでいたが、父親から、「親を見捨てるのか!」と激怒にしかたなく諦め、学校の紹介の街工場に就職した。
 20歳頃、絵の道を諦めきれず、書店で購入した「あなたもイラストレーター」なれるというような本の巻末に絵を描いて切手を貼って送る封筒状のものが添付しており、早速、郵送した。
以来、毎週、東京世田谷、等々力の河原淳先生のところで指導を受けた。イラスト“ライター”のはしりであり、文章の脇にイラストを描き、新聞や雑誌に発表していた。
何回か、河原先生主催のグループ展に参加したが、絵に才能がないことを知り、文章で自己表現できたらと、高田馬場の「ジャナセン」に通った。二十代半ばである。学校の行き帰りにジャズ喫茶Introに通うようになった。(並行して新宿DIGも通っていた)Introは、よくジャムセッションを行っていた。
その頃矢崎泰久の編集していた「話の特集」という雑誌で渋谷パルコで読者集会があり、よく参加した。評論家、田原総一朗がテレビマンユニオンにいたころであり、パルコの集会に集っているメンバーに声をかけてきた。東京12チャンネル(現、テレビ東京)「ドキュメント青春」に出ないかと誘われた一人である。筆者は、「人生とは落書き」なる発言をした。師匠、河原淳の著書「らくがき行動学」に影響を受けたものだ。
 近所の友達と謄写版でミニコミ誌を作り、喫茶店等に置いてもらった。月刊誌「らくがき」というタイトルで発行してきた。
その後自然消滅するも書くのが好きで、原稿用紙に手書きで書いていた。ある時友達に読んでもらうと、褒めてくれ、「俺が一緒に出版社にいってあげるよ」の言葉をうのみにし、約束の日、友達の家に行くも、居留守?だった。愛車の中型バイクが玄関前にあったからだ。後日聞くと、行きづらくなったとの返事だった。
筆者、出版社に行くつもりでリストを持っていたので一人で、探しながら出向いた。何社からは、アポは?とか門前払いだったが、一社のドアをノックすると、偶然編集長がいて、原稿読んでくれると好意をしめしてきた。三十分ほどすると、来月から「こんなテーマ」で書いてくれる?と依頼を受けた。
題材はサブカルチャーであった。
1月後、書店で掲載誌を発見したときは飛び上がる程だった。
翌々月にはギャラが振り込まれていた。以来、その出版社とは担当編集長が代わっても、倒産するまでお世話になった。
 三十歳前に結婚した。
周囲から結婚に反対する声が上がった。妻の兄が精神病院に精神分裂病(現、統合失調症)で三十年以上入院しているとの理由だ。(妻に同行して数回面会した。閉鎖病棟だった)今までも人生、目の前の現実を受け止め、受け入れてきた。全てを受け入れようと婚姻の決意した。
妻は、歯科助手として家計を支えてくれた。
歯型を落とし、破損させ院長より叱責されたことにより「鬱病」になり、毎日、死にたいを口にするようになった。打開策を模索し、書籍でユング心理学を学んだ。さらに、解決の道を探り、「日本ユングクラブ」に入会した。
勉強会は、当時、会長であった上智大学研究室で行われた。
会長トーマス・インモース上智大学教授より、ゼミに参加を誘われ、約二年間通った。
ゼミ参加の行き帰りは、四谷駅前のジャズ喫茶「イーグル」でジャズの洗礼を浴びた。
 
 その後、縄文文化に興味をもち、国際縄文学協会に参加した。
そこで、事務局長から機関誌の原稿依頼を受け、連載となった。
その団体に出版社の方も来られていて、出版社の担当者に理事長が紹介してくれた。お互いの意向が合わず、縁があったのが宮帯出版社東京支社の内館朋生編集長である。国際縄文学協会原稿を一冊に纏めたものが「インディオの縄文人」である。
出版して、お褒めの手紙を頂き、まもなく理事長は逝去された。
筆者、脳卒中で倒れてからは、商業依頼原稿は引き受けず、自己のホームページの記事やブログが中心である。
もとより、苦悩に拘泥していた15〜16歳頃、偶然ラジオから流れてきたジョンコルトレーンジャズに「生きる啓示」を受けて以来、ジャズ喫茶通いが始まり、「黒人奴隷」関連や「ジャズ理論」等読破してきたものである。無論ベースには頭の先から、つま先まで筆者の身体そのものにジャズが、血肉状態にあり、縄文ワークショップ活動自体、楽器を使わずジャムセッションといえよう。
 筆者、ジャズ演奏はひと握りの選ばれた才能をもち合わせた者でしか不可能と実感、「鑑賞派」に徹してきた。
 「ジャズは反社会的であるが故にヒップだった」とは、かのジャズ評論家岩浪洋三の言葉である。
岩浪洋三氏は「反社会的的勢力」を認めていたわけではない。
 
 ジャズ的に生きるとはヒップに生きることだ。
米国の生んだ最大の作家ノーマン・メイラーは語る。
 ジャズは「ぼくはこれを感じる。そして、そら、きみだっていまそれを感じている」といったからである。存在の根底は探求であり、究極の結果は意味深長であるが神秘不可思議であるという考えにもとづく生活である。ヒップは巨大なジャングルのなかでの聡明な原始人のソフィスティケーションであって、したがってその魅力はまだ文明人にはわからないからである。
ノーマン・メイラー『ぼく自身のための広告』(山西英一訳)1969年新潮社刊。
 ヒップスターとスクエアーの対比を本書から引用する。


             

 hip            square



ニヒリスティック     × 権威主義
問い           × 答え
自我           × 社会
心理学者としてのマルクス × 社会学者としてのマルクス
D・H・ロレンス       × オルダス・ハックスリー
子供           × 裁判官
私生           × 堕胎
ピカソ          × モンドリアン
本能           × 論理
野性的          × 実際的
      (以下・私見の追加)
縄文人          × 弥生人
岡本太郎         × 横尾忠則
ジャズ演奏家       × クラッシック演奏家
 
 ヒップスターは独立心旺盛で、創造的、契約より自由を愛し、人に使われるのも使うのも嫌いだ。そのくせタフに生きていける。スクエアーを直訳すると四角形という意味で、ヒップスターは、新しいものに敏感な人を指す。
 

 一般的「音楽療法」は、能動的に音楽に参加するものであるが、ジャズを音楽の雄と捉える立ち位置から、ジャズのインプロビゼーションに応えられるクライエントは皆無に等しく、一般の方が「セッション」に参加は不可能と考える。故に、聴取といった「鑑賞」により、秀でたジャズ演奏家との脳内同期(コヒーレンス)することで、心身の不調和を改善可能ではと当研究所【定例会】を開催することになった。
もとより、ジャズ演奏は、メンバー相互の音による会話により即興的に紡ぎだされたものであり、前頭前野はじめ、旧脳を含む、運動系との総合的インタープレイである。
精神的不調和改善はもとより、ジャズ独自のリズム感、グルーヴは、運動しなくとも、運動機能を活性化し、セロトニンの亢進を促進することにより、心身のバランスをとされる。 
 脳神経科学の素人が、本書で脳科学とジャズを取り上げたのは、71歳の時、脳卒中で倒れたのが切っ掛けで脳科学に関心をもったことにもある。以来、YouTube「脳科学の達人」(日本脳神経科学学会)拝聴や、書籍やWave上の論考を学んできた中でジャズを聴取しながら推考して纏めたもので、専門家からのご批判や否定は承知の上である。
 筆者からの切望として、ジャズ好きな脳科学者による「ジャズと脳科学」の書籍をお願いしたい。
或いは、ジャズに関心を持たれた研究者の方に研究対象に加えて頂けますれば望外の幸せである。
又、出版社の方へ、公立はこだて未来大学の田柳恵美子博士の論文、音楽のパフォマンスデザインとイノベーション─ジャズにおける即興と革新を事例として─の書籍化をお願いしたい。
 参照させて頂いた、田柳先生初め、故川村光毅先生他、先達の研究者にお礼を申し上げたい。
本が売れなくなって久しいが、文化遺産として良書を発行して頂きたいと思う今日このごろである。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?