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少子化対策

オスのメス化
メスのオス化

これが大問題。

オスがオスであり、メスがメスであることが少子化対策なのである

しかし、メスがメスであることを望むのは難しいし、そこに期待するのはやめた方がいい。

従って、オスがオスであることに最大限期待したい。

メスがオス化し、それでもメスである以上、「このオスの遺伝子を残したい」と思わせるしかない。

強いオス。
強さも様々だ。
頭の良さも肉体的強さもいろいろあるが、ただメスがメスとしての本能に突き動かされるだけのオスの強さ。

メスが本能的にそのオスの遺伝子を欲しがればいい。

オスはメスの本能を呼び起こさせるだけ強くなればいい。

要はさ、オスが弱いのよ。
オスが強くなれば自動的にメスはその遺伝子を欲しがる。
どんなにメスがオス化していようと、それを凌駕するだけオスが強くなればいい。

社会に出て、様々な課題にぶつかり困難な状況に陥るわけだが、チャレンジしていること自体のレベルが低いのに、課題だ困難だと騒いでいる。
なぜ社会は、会社は、困難のレベルが不可能だと思うようなことにチャレンジしない。⇐甘くなりすぎたせいだ。

その不可能だと思えるような困難のレベルが高いことに果敢にチャレンジしている中で、オス化したメスは自力でどうにもできないことに気付き、メスに戻る。
メス化したオスの本能が覚醒し、その困難な状況を打破する。
その姿にメスがそのオスの遺伝子を求める。

現代社会の問題は、メス化したオスを許容し、オス化したメスを許容してしまうことだ。
オスはオス。メスはメスなのだ。(特異な例はある)

簡単なことだ。

ただそれを許さない社会風潮に絶望している。

知らんけど。

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