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なぜ僕たちは生きないといけないのか(後半)

前回の続きになります。
まだ見ていない方は↓↓


本質に理由はつかない

生きることってとても抽象的な概念だと思います。なぜなら、すべての生き物に共通しているからです。

つまり、生きるということは本質なのではないのでしょうか。

前回の記事にもあった「なぜ頑張らなくちゃいけないのか」これの頑張るということも抽象的ですよね。

そこで僕が考えたのは、「そもそも生きる意味とかないんじゃないか」ということです。
「ない」というか、あったとしても、ずーっと因果関係を追っていってしまうので、キリがありません。

しかし、人間はどこまででも疑問を持ってしまう生き物です。
どんだけ生きることに意味がないとわかっても、また問うことになります。

僕が思索した限りで、人間は本質を知ることはほぼ不可能だと思います。

なので、「なぜ僕たちは生きないといけないのか」という答えに辿り着くことは到底無理なことなのです。

なぜ僕たちは生きないといけないのか

先ほどの話でこの問いの答えに辿り着くことができないと言いました。こんなの答えになっていないと思う方もいるかもしれません。

もちろん僕は、「生きる理由はありません。したがって、皆さんそれぞれの生き方で生きましょう」では終わりません。
そんなのどこの自己啓発本にも書いてあるので、僕がこの記事を書く理由がありません。

僕が伝えたいことは、心の内で確信できないけどなぜか「生きなくちゃいけない」と感じる自分の心に従うことです。

僕も辛い時期がありましたし、今も学校行くのが辛いです。(いじめられているわけではありません)
周囲とは変わっている人間に生まれてしまったからです。

僕は生きています。
命を粗末にしたい時もありました。
でも、僕の家族のために、特に母を悲しませたくないので生きています。
そして何より、どこか心から感じる「生きなくちゃいけない」という感覚に従って生きています。

頑張らなくちゃいけないのも、心で感じるから、頑張っています。
頑張る理由って永遠に問い続けたら、理由なんてないんです。意味なんてないんです。
でも、心のどこか、心を包み込む何かが、僕たちに「頑張らなくちゃいけないよ」と教えてくれているのだと思います。

科学的にも証明されていない結論ですが、僕はこの答えが好きです。
だって、実際そうだから。
意味なんてないのは、分かってる。分かっているから、意味を一生懸命つけ足して僕たちは生きているんです。

皆さんも悩んだとき、疑問に思ってそれがずっと引きずって解決しないときは、自分の心に感じる違和感、根拠のない「〜しなきゃ」という気持ちを感じ取ってみるのはいかがですか。



(あとがき)
前半に比べてだいぶ短くなりましたが、これで「なぜ僕たちは生きないといけないのか」は終わりです。
根拠のない答えですみません。
でも、僕は本当にこの考えで救われているし、どう頑張って考えてもこれが現実的かなと思ってしまいます。
皆さん、「なぜ人間は生きないといけないのか」ということをぜひ考えてみてください!

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