国語と数学、パラドクスの飼い慣らし方。そして野山へ
うぇるかむ とぅ ぱすたふるわーるど!
こんちゃ!希凛のぱすたです。
みなさん。数学の図形問題とかで出てきた
「補助線」
大好きでしたでしょう?
あれ?大好きじゃない?
かくいうぱすたは、大嫌いでした。
お前さん、どこから出てきたんか?
ポケットか?それカンニングちゃうか?
なんで「この問題には、補助線を引いて…」ってそれはどこから持ってくるように
「ひらめく」
「持ってくるように訓練する」
「そういう仕様のもの」
だと、理解せねばならないのでしょうか?
大人になった今なら、
量をこなし、
耐性を身に付け、
解決に向かう糸口として利用する、
補助線というツールを、
気持ちとしては胸ポケットに4色ボールペンと一緒に差し込んでおく。
そういうたぐいのものであると理解できます。
…あくまで理解です。
たぶんですが、未だに数学を解けと言われても、解けないでしょうし、正直、胸ポケットいっぱいに詰め込めてるか?と言われれば、クソ雑魚サラリーマンなのでできてないことでしょう(笑)
しかし、これは数学に限った問題なのでしょうか?
おおよその対極として、
国語を例にとれば、こちらにも「なにやらなやつ」が当てはまりますよね?
作者はこう言ってる。
文中に書いてある。
「だから、こういう意味だよ!」
おい、こういう意味とはどこから出てきた?
お主、文中には記載なかったではないか!?
どうして作者が◯◯って書いてるから、確定で✘✘って気持ちを表現したいとなっている!
んだ!?
なんで決めつけることができるんだ!?
お前はアイツか?作者か?
エーミール、つまり君はそういうやつだったんだね。
愚痴はそこそこにしておいて、
タイトル回収に参ります。
仕事における
補助線。
意思疎通の深度。
言葉の節や流れによって現されるニュアンス。
どれも、かなり曖昧だったり、
明文化不可能なものや、
明文化してはならないブラックボックスだったり、
未知で、
不確定で、
割合によるものや
グラデーションがある、
揺れっぱなしの吊橋であるかと思います。
そんでもって、
「私、文系なんで」
「私、理系なんで」
って決まり文句で回避できた仕事ってありましたか?
文系だと、
人の話、人の気持ちを理解できて、
あたかも意思疎通をとる、
コミュニケーション上手な人
そう思われませんか?
反対に理系だと、
答えのあるものでないと、
確定した解の存在するやり取りが可能。
おいおい、ちょっと待ってくれと。
文系と国語って、本当に結びつきますかね?
理系と数学って、本当に結びつきますかね??
だって、国語は人の心や文脈の判断が!って、
それ、読み取る人やツールで異ならない?
(音声なのか、文章なのか、はたまた目配せなのか、口元の動きなのか、表情と言動に乖離がないか?)
との指摘はあれど、
でも悲しいという言葉を使って現されることが例えば青色です。寒色です。となれば、
悲しいけれど、ちょっと寂しいも含まれている。だなんてときには、青色にちょっと深い緑色が足されているだけ。寒色に変わりはない。
って感じで、おおよその言葉の方向性や、
表現ベクトルは定まっております、
「今、世の中にあるこの問題の解法は存在しない」という状況は生まれづらいとも言えると思うのです。
(例えば、人が結婚したい。と叫んだ!
これは、なんらかのエネルギー、感情的な「情熱」が「必ず」含まれているから発せられたことで、それは確実である。みたいな?)
数学って、
(最近、何十年越しに解けたとかある問題もあるけれども、、、それは別の話として…)
解けない問題に対して、
これまでの叡智を動員して、
もしくはひらめくことで、
「筋立てられた、理解ある、再現性のあるやり方を見つける」
ための「論理的思考が身につく」だけで、
必ず答えは出せます「とは言ってない」ですよね?と。
論理的に問題を解決するためのツールを学ぶことはできて、
それを用いて、手順通りに進めれば、必ず導き出せるとは言っていない。
今、現存する数式とかは、「たまたま」「これまでの学者によって明らかにできた」ものであって、専門家や学者でも「いやぁ、これはわかんないのよね〜。だから解き方考えてるんだけどさぁ?」ってなります。でなければ、そんな職業として、人が行い続ける行為として、論理的でなくなりますよね?
(解き明かしたい=未知のものを明らかにしようとする現地点では、それは答えのない(状態)のものであると)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さあ、帰ってきました(笑)
仕事です。
仕事についてはどうでしょう?
人の気持ち。考え、腹のうち。
わかんねぇよ(笑)
合理的な提案
論理的な会議の進行、有り難いけど、それで飯食えるの?
ってか、補助線なんて2秒後には感情的に却下とかあるやん?(悔しいぃぃ!!www)
やっぱり、総合格闘技ですわ(笑)
んでもって、
体育館とか、
掃除された部屋とかではなく、
むき出しの野生が跋扈する、
野山で、
右手に文系、
左手に理系、
論理的思考の靴を履き、
作者の気持ちを唇が宣う。
こうきたら、
こうかえす!
そんなことするなら、
こうしてやるぅ!!!
の、応酬が仕事、もとい何事にも「現場」なのかもしれません。
ところで、こんな文章を書いてしまったぱすたは、今、何を食べたがっていると思いますか?
作者の気持ちは、、、パスタですか!?
いいえ、ご飯に、味噌汁です(笑)
↑そんなことを考えてないと、
目の前のイヤホンジャックにイヤホンが挿せない人を、見ていられない。
ぱすたがお送りいたしました👷ご安全に
それでは💡
see you,soon!!