シナリオ【駒は乙女に頬染めさせて・PARTⅡ】
主な登場人物
朝倉美途―JRA騎手
海野颯希―右同
橘川(千堂)寿々芽―JRA騎手
早坂姫香―右同
若草雅人―JRA騎手
工藤貴康―JRA騎手
猿渡広道―JRA騎手
海野穣一―右同・颯希の父
北光邦―調教師
和田学―右同
石村春樹―右同
垣内力也―右同
里見隆三―画家
赤坂―馬主
麻生泉美―巫女・中学生
木崎真央―泉美の親友
〇栗東トレーニングセンター(以下栗東トレセン)
調教コース(早朝)
ウッドチップコースを併せ馬で走っている
二頭。それぞれ鞍上の 橘川寿々芽(29)
と早坂姫香(24)。
〇同・四階スタンド・ベランダ(早朝)
寿々芽と姫香の調教の様子を見ている海野
颯希(15)と朝倉美途(15)
二人の輝く瞳。颯希の父、騎手の穣一(51)
が来て。
穣一「降りて挨拶してこい」
振り返る二人。穣一〈行け〉と顎でコナして。
颯希「行こっ!」
美途「うんっ!」
駆け出す二人。
〇同・調教スタンド前(早朝)
颯希と美途が待っているところへ、寿々芽と
姫香の騎乗馬が戻ってくる。
それぞれ下馬し、厩務員に馬を引き渡す二人。
颯希・美途「おはようございます!」
深く頭を下げる二人。
寿々芽「(姫香に)海野さんの娘さんと朝倉オーナー
の姪っ子」
姫香「ああ。競馬学校受かった」
颯希「はい! 海野颯希です! よろしくお願いし
ます!」
美途「朝倉美途です! よろしくお願いします!」
姫香「うるさいくらいのいい挨拶。学校、受け答え
に厳しい教官もいるから、それくらいでちょうど
いいよ」
颯希・美途「はい!」
寿々芽「ああ、若さが眩しい」
姫香「でしょうね~~。三十路はすぐそこだもん
ね~」
寿々芽「うるさいよっ!」
颯希「あの――エリザベス女王杯、すごかったで
す」
見かわし、笑う寿々芽と姫香。
寿々芽「美途ちゃん。朝倉オーナー、馬主資格返
上したんだって?」
美途「はい。レナーテも引退したから、会社やり
ながら引退馬協会の運営に協力するって」
寿々芽「そうか。立派だね。レナはエリ女で燃え
尽きちゃった。マリアも引退しちゃったしなあ。
あ~あ、ラストランの有馬、わたしが乗ってりゃ
なあ」
姫香「はいはい。寿々芽さんが乗ってりゃ掛かり
まくって四コーナーでズブズブでしたよ」
寿々芽「なに~~」
颯希「でも、ジャパンカップ勝ったブルースキッ
ドの首差二着はやっぱりすごいです」
姫香「ふふふ。ありがとう」
寿々芽「辛いよ、競馬学校の三年間は。今考え
てるより、ずっと」
姫香「辞めたいって思う事、何回でもあると思
う。覚悟しておいた方がいい」
颯希・美途「――はい」
寿々芽「いつかGⅠ、四人でいっしょに乗ろう
ね」
姫香「待ってる」
颯希・美途「――はいっ!」
寿々芽「おー、いい返事だ。頑張るんだよ」
姫香「あ~、おなかすいた~。うど~ん。きつ
ねうど~ん。おにぎり~。おごれ~、寿々芽
よおごるのだ~~」
寿々芽「なんでわたしがあんたに朝メシおごん
なきゃなんないのよ!」
じゃれあうようにしながら調教スタンド
に入っていく二人の背中を見つめる颯希
と美途。
颯希「かっこええ」
美途「世界で一番の二人だよ」
颯希「いつか、四人で、GⅠ」
美途「うん。きっと」
どちらからともなく手を繋ぐ。その手を
強く握り合う二人。
〇メインタイトル
〈駒は乙女に頬染めさせてⅡ〉
〇東京競馬場・ダートコース
テロップ(以下〈T〉〈三年後・競馬学
校卒業生模擬レース〉
土曜日開催の昼休みに行われる卒業生模
擬レース。競馬学校卒業予定の生徒十人
が各々の騎乗馬に乗りゲートインする。
6番の颯希。7番の美途。二人以外は男
子。
ゲートが開く。中団に位置する二人。淡
々と進むレース。
最後の直線。颯希の馬が抜け出す。美途
の馬が追いすがる。残り百メートルで二
人の騎乗馬の轡が並ぶ。ゴール手前で美
途の馬が颯希の馬を振り切る。
美途、一着でゴールイン。
クールダウンで馬を走らせている美途。
颯希がうしろからやってきて。
颯希「やられた~」
美途「馬がよかっただけだよ」
颯希「ワンツー決めてしもうたね」
美途「だね」
颯希「GⅠはこの逆やから」
美途「うぅん。このまんま」
颯希「そうはいくか」
しばらく並走している二人。颯希が手
をかざす。美途が手を挙げる。
パァン! 馬上のハイタッチ。
観客から拍手が送られ続けている。
〇栗東トレセン・独身寮・外景(夜)
〈T〉三年後【四月】
〇前同・寮内・美途の部屋(夜)
木馬に乗って騎乗練習をしている美途。
真剣なその顔。
ノックの音。気づかない美途。扉を開
ける寿々芽。木馬練習を続ける美途を
じっと見つめる。
寿々芽「美途ちゃん!」
気づく美途。
美途「寿々芽さん」
寿々芽「部屋の鍵はかけておいた方がいいん
じゃない」
美途「……」
寿々芽「ご飯食べに行こうか」
美途「え」
微笑んで見途を見る寿々芽。
〇栗東市内の居酒屋『テツ屋』・外景(夜)
暖簾が出ている。
〇同・店内(夜)
賑わっている店内。カウンター席
に並んで座っている美途と寿々芽。
寿々芽の前にビールの中ジョッキ。
美途の前ウーロン茶のグラス。
寿々芽「前にも言ったっけ。わたしさ、
颯希ちゃんが栗東で、美途ちゃんが美
浦だと思ってたんだよね」
美途「海野さんが颯希に『美浦の厩舎に
所属しろ』って言ったんです。じゃあ、
わたしはこっちかなって」
寿々芽「親元に置かなかったか。厳しい
ねぇ、牝馬のジョーは」
美途「でも颯希はやっぱりすごい。ここ
まで七十五勝。根岸ステークスも七夕
賞も勝ってるし。GⅠにも乗ってるし。
学校のときから騎乗技術ずば抜けてま
したもん」
寿々芽「ここまで何勝だっけ、美途ちゃん」
美途「初年度五勝、二年目四勝、今年こ
こまで一勝の十勝です」
寿々芽「昔の自分を見てるようだなあ。焦
る?」
美途「……はい、やっぱり」
寿々芽「それでいい。焦れ」
美途「え?」
寿々芽「できた人間なら『焦らなくてもい
い』とか言うんだろうけど、わたしはそ
うじゃないから。焦って焦って焦りまく
れ。『必死のパッチ』って言葉知ってる?」
美途「いえ」
寿々芽「関西の人がよく使うんだよ。『必死
のパッチ』で頑張ってみな。最近思うんだ。
若いとき、もうちょっと一生懸命だったら、
きっともっと勝ててたよなって。騎乗も、
営業も」
美途「『必死のパッチ』……」
寿々芽「エージェント、どうしてるんだっけ」
美途「つけてないです。石村先生がエージェ
ント制度あまりよく思ってない人で」
寿々芽「そっか。じゃあなおさら営業も頑張
らないとね」
美途「はい。あ、改めまして高松宮記念優勝、
おめでとうございます」
寿々芽「ありがとう。GⅠもう勝てないかもっ
て思ってたからさ、ほっとした」
美途「どんな気分ですか、GⅠ勝つのって」
寿々芽「そりゃまあ、最高だよ。あの感じは
勝った者にしか分からないよ」
美途「勝った者にしか……寿々芽さん、次の
目標は?」
寿々芽「ん? 次かぁ――やっぱりダービー、
獲りたいよねえ」
美途「ダービー……」
寿々芽「騎手になったからにはさあ。美途ちゃ
んだってそうでしょ」
美途「いや、あまりに遠すぎて……」
寿々芽「運命の馬との出会いなんていつあ
るか分からないんだからさ。その時のた
めに必死のパッチで頑張りな。まあ、そ
れも明日からだ。今日は食え。ほら、好
きなもの頼んでいいよ」
メニュー表を差し出す寿々芽。しば
らくそれを見ている美途。
美途「――すみませーん」
手を挙げる美途。従業員が注文を取
りにくる。
美途「土手焼き。ちくわチーズフライ。ご
ぼうサラダ。だし巻き卵。あと手羽ぎょ
うざ。それからおにぎり。とりあえず以
上で」
寿々芽「ちょっと! 減量どうなっても知
らないよ!」
美途「あー、わたしそれは大丈夫な体なん
で。減量気にしないでいいのだけは颯希
に羨ましがられてました」
寿々芽「騎手としていちばんの才能だ、そ
れは」
美途「ですよね~」
笑いあう二人。
〇栗東トレセン・調教コース【二日後】
(早朝)
販路コースで調教騎乗の美途。
〇同・調教スタンド前(早朝)
騎乗馬を厩務員に引き渡す美途。
調教師の北光邦(50)もいる。
光邦「ご苦労さん。しっかり追ってくれ
たな」
美途「はい――あの、北先生」
光邦「ん?」
美途「あの、あの――この馬、乗せてく
ださい」
美途をじっと見つめる光邦。
光邦「前走のヤネは誠やったんやけどな」
美途「あ――」
光邦「天下の舘誠に替えて、きみに乗せ
るのもおもろいな」
美途「……すみません」
光邦「謝らんでもええ。そういう姿勢は
大事やぞ」
美途「え」
光邦「女性騎手の軽ハンデは魅力や。気
にかけとくわ」
美途「はい! ありがとうございます!」
深く頭を下げる美途。
〇同・厩舎地区敷地内
自転車に乗っている美途。
美途「必死のパッチ。必死のパッチ……」
〇同・独身寮・駐輪場
自転車を止める美途。
〇同・独身寮・食堂
何人かの騎手が朝食を摂っている。
その中の一人、若草雅人(21)の
前に座る美途。
美途「若草君」
雅人「朝倉さん。どうしたん?」
美途「若草くんさ、次の日曜、和田厩舎主
催で若手の騎手や厩務員集めたカラオケ
大会やるって言ってたよね」
雅人「言うてたもなにも誘ったやん。そん
で断ったやん、朝倉さん」
美途「出るから」
雅人「え?」
美途「だから出るから。それって和田先生
も来るんだよね?」
雅人「当たり前や。主催者なんやから。先
生ムード歌謡いうのが好きでなあ。行っ
たらずっと聞かされんねん。たまらんで」
美途「え、ヌード歌謡?」
雅人「ムード歌謡。昔スナックとかでよう
唄われてた歌なんやって。てか朝倉さん、
なんで急に?」
美途「――必死のパッチだから、わたし」
雅人「はぁ?」
〇同・独身寮・美途の部屋(夜)
スマホの動画サイトでムード歌謡を
視聴している美途。繰り返し観て、
口ずさんでいく。
〇栗東市内のカラオケハウス【六日後】(夜)
新人騎手や若い厩務員、調教助手
など十数名がソファに座っている。
ステージで唄っている調教師の和
田学(55)と美途。
『銀座の恋の物語』をデュエット唄
で唄う二人。
× × ×
『北空港』を唄う二人。
× × ×
『二人の大阪』を唄う二人。
ご満悦の学を微笑んで見る美途。
× × ×
ソファに並んで座っている美途と学。
学「いや~、朝倉くんがムード歌謡好きやっ
たとはなあ」
美途「亡くなった父がカラオケに行くとい
つも唄ってたんです。それでわたしも覚
えて」
学「そうか、君、ご両親亡くしてるんやっ
たな――よう頑張ってる、この男社会の
中、よう頑張ってる思うよ、ほんまに」
美途「ありがとうございます――次『アマ
ン』いきましょうよ先生」
学「おぉ~。ええ歌知ってるがな~。おも
ろい! 朝倉くん、君は実におもろい!」
美途「ありがとうございます!」
鼻白んだ顔で二人を見る雅人。
〇栗東トレセン・調教コース【二日後】(早朝)
ウッドチップコースで調教騎乗をし
ている美途。
〇同・独身寮・食堂
朝食を摂っている美途の前に雅人が
座る。しばらく無言で食事を続ける
二人。
雅人「カラオケ、びっくりしたわ」
美途「そう」
雅人「学校のときのイメージとは違うよな
あ」
美途「――和田先生にまたカラオケいっしょ
に行きましょうって言っといてよ」
雅人「分かった」
食事を続ける美途。
〇阪神競馬場・ダートコース【一週間後】
第二レース発走前。スタート地点へ
向かう各馬。後ろから寿々芽の騎乗
馬がやって来て、美途の隣に並ぶ。
寿々芽「和田先生とカラオケでデュエット
したんだって」
美途「はい。『お礼だ』ってこの馬乗せ
てくれました」
寿々芽「やったじゃん」
美途「でも――」
寿々芽「すっきりしない気分?」
美途「はい。ああいうのは、情けない気
持ちもあったり……」
寿々芽「カラオケほんと好きだもんね、
和田先生。実はわたしもそれやって
和田先生の馬に乗せてもらおうって
考えたことある」
美途「寿々芽さんも、ですか」
寿々芽「うん。でも、やらなかった。
てか、やれなかった。わたし音痴
なの。かなりの」
美途「音痴、ですか」
寿々芽「そう。やったところで逆効
果だからね。だからやめといた」
クククッと笑う美途。
寿々芽「なによぉ、失礼ねぇ」
美途「今度いっしょにカラオケ行き
ましょうよ、寿々芽さん」
寿々芽「調子乗ってんじゃないわよっ」
出走地点へ向かっていく二人
の騎乗馬。
× × ×
ゲートが開き各馬がスタートする。
美途「必死のパッチ、必死のパッチ……」
ぶつぶつ呟きながら騎乗する美途。
四コーナーを回って先頭は寿々芽
の騎乗馬。中団から抜け出した美
途の馬が追いすがる。寿々芽振り
返って。
寿々芽「来たな~、抜かさん!」
美途「抜く!」
必死に馬を追う美途。ゴール前五
十メートルの地点で、寿々芽の馬
に追いつき、一気に抜き去る。そ
のままゴールイン。
小さくガッツポーズをする美途。
〇同・検量室前
後検量を終えて出てきた美途を学
が迎える。
学「ようやってくれた!」
美途「はい、ありがとうございます!
乗せていただいた先生のおかげです!」
学「次も頼んだで」
美途「え! いいんですかわたしで」
頷く学。マイクを持つふりをして。
学「こっちの方もな」
美途「はい、もちろんです!」
がっちり握手をする二人。
〇石村厩舎・馬房【一か月後】
馬房掃除をしている美途。調教師
の石村春樹(52)がやって来る。
春樹「美途」
美途「はい」
春樹「最近よう他の厩舎回ってるらし
いな。ええこっちゃ」
美途「はい」
春樹「おれは闇雲にエージェント制度
に異を唱えてるわけやない。おまえ
みたいなヒヨッコがそんなもんに頼
るのはおかしいって思ってるだけや。
そうやってボロ掃除した足でいろん
な人に会って、きちんと挨拶して、
人間関係築いた上で、一頭 の馬と
巡りあえるんや。その当たり前のこ
とを身に染みこませろ。ええな」
美途「はい」
春樹「正しい道を歩んでるおまえは。
自信持ってええ」
美途「はい、ありがとうございます」
馬房を出ていく春樹。その後ろ
姿に頭を下げ、掃除に戻る美途。
〇美途の騎乗馬獲得の為の営業活動の様
子。
①〈某厩舎事務所〉調教師の孫娘二人に
絵本を読んでやっている美途。
②〈某厩舎事務所前〉調教師の妻に
頼まれていた買い物を終えて、戻っ
てくる美途。
③〈ボーリング場〉調教師たちとのボー
リング大会。ストライクを出した
調教師とハイタッチをする美途。
④〈卓球場〉調教師と卓球をしてい
る美途。
⑤〈プロレス会場〉調教師とプロレ
ス観戦をしている美途。
⑥〈ゴルフ場〉 第一打を打つ調教師。
「ナイスショット」の声をかけるゴ
ルフウェアの美途。
⑦〈カラオケハウス〉学と見つめあい
デュエットする美途。
〇京都競馬場・芝コース【六月】
一着でゴールインする美途の騎
乗馬。
〇同・検量室前
後検量を終えて出てきた美途が、
騎乗馬の調教師と握手。その調
教師が去ったところへやってく
る光邦。
光邦「おめでとう。ええ騎乗やったな」
美途「ありがとうございます」
光邦「絶好調やな。この勝ちでここま
で――」
美途「十五勝です。先生方がいい馬に
乗せてくださるおかげです。それだ
けです」
光邦「謙虚やなあ。でな朝倉、俺から
もひとつ頼み事あるんやけどな」
美途「え」
光邦「ここではなんやから、明日昼す
ぎに、事務所まで来てくれるか」
美途「はい」
光邦「待ってるわ」
光邦、去る。その後ろ姿をしば
らく見ている美途。
〇京都・〈KAWACAFE〉
鴨川添いにあるカフェレストラ
ン。窓際の席に座り、鴨川の流
れを見ている美途。昨日光邦と
交わした会話が思い出されてく
る。
美途(声)「〈画家の方が、ですか〉」
光邦(声)「〈ああ。その人な、七十
二歳の画家や。里見さんって言う。
馬主の赤坂さんが画商やいうことは
知ってるな〉」
美途(声)「〈はい〉」
光邦(声)「〈里見さんと赤坂さんは
昵懇の仲や。この前赤坂さんが馬主
席に里見さんを呼んだときに朝倉の
ことを見たそうや。そのとき里見さ
ん、朝倉と直接会っていろいろ話を
したいって思ったんやて〉」
美途(声)「〈――あの、お話を、す
るだけですよね〉」
光邦(声)「〈もちろんや。俺も会っ
たことあるけど上品な人や。画壇の
重鎮。国から勲章貰ってるほどの立
派な絵描きさんや。俺が保証する。
赤坂さんからの話しは俺もむげには
断れんのや。どうや」
美途(声)「〈――はい、分かりまし
た〉」
ぼーっと鴨川を見ている美途。
隆三「朝倉美途さん、やね」
立っている里見隆三。
美途「あ、は、はい」
隆三「初めまして。お待たせしてしも
うたね。里見隆三です。座ってもえ
えかな」
美途「あ、はい、ど、どうぞ。は、初
めまして。朝倉美途です」
向かい合って座る二人。
× × ×
コーヒーカップを前に向かい合
う二人。
緊張気味の美途だったが、上手
く水を向ける隆三の語り口につ
られ、騎手生活の話しなどをは
じめる美途。表情豊かに聞く隆
三の様に気持ちもほぐれていく。
隆三「しかしなんやなあ。間近で見る
と、余計に描きたぁなってくるなあ」
美途「え」
隆三「美しいよ、きみは。内面の輝き
が溢れ出ている」
美途「あの――」
隆三「馬主席からきみを見たとき、本
当に光って見えた。きみが6レース
に勝ったとき、ぼくは駆け下りた。
地下馬道に消える前のきみを見た。
馬上から観客に笑顔で手を振るきみ
は、本当に美しかった」
美途「――」
隆三「きみをモデルに絵を描きたい。
それをお願いするために、今日お
呼びしたんや」
美途「わたしをモデルに、絵を、で
すか」
隆三「騙すようなことは嫌やから最
初に言うわ。ぼくはきみの裸を描
きたいんや」
美途「!」
隆三「驚かせてしもうたね。ぼくは
若い頃裸婦画を主に描いていた。
ぼくの原点や」
美途「裸婦画――」
隆三「うん。今は風景画中心に描い
てる。手慰みに仏画なんかもね。
そのぼくがや、きみを見て久々に
裸婦画描きたいって思った。どん
な女性見ても四十年以上そんなこ
と思わへんかったぼくがや」
美途「……」
隆三「スケベな爺さんやと思ってく
れてええよ。事実その通りや。今
の時代、セクハラいうのになるん
やろうね、こういうのは。でもぼ
くは、初恋の人に告白するのと同
じ気持ちで、今きみに言葉を伝え
てる。朝倉美途さん。ぼくはあな
たの裸を描きたい。あなたの美し
さを描きたいのや」
隆三を見つめる美途。やがて
目を伏せる。
隆三「もちろん、お礼はさせてもら
う。断ってくれてええ。けど、そ
の返事、今すぐここでは返さんとっ
てほしい」
顔を上げ、隆三を見る美途。
隆三「この話し持ち帰って、一人で考
えてみてくれへんか。その上で断っ
てほしい。きみの気持ちを尊重する。
そのときは、これはなかった話や。
しつこく頼むことはないから安心し
てええ」
美途「――はい」
〇栗東トレセン・独身寮・女風呂
【三日後】(夜)
湯舟に浸かっている美途。目を
閉じ、沈思黙考。やがてゆっく
りと頭を湯の中に沈めていく――。
美途「ぶあっ!」
十五秒ほどして頭を出す美途。
美途「断る!」
風呂場に響く美途の絶叫。
〇栗東トレセン・南馬場調教スタンド前
【三日後】(早朝)
調教前の馬(デュエルナイフ)に
乗っている美途。光邦がいて。
光邦「会ったんか、里見さんと」
美途「はい。楽しくお話させていただき
ました」
光邦「それだけか?」
美途「はい。それだけです」
光邦「――分かった。そしたらデュエル
ナイフの攻め馬、しっかり頼むわ。馬
なりで走らせたらええ。赤坂さんの馬
や」
美途「赤坂さんの」
光邦「ああ。里見さんに会ってくれたお
礼に、攻め馬乗せてやってくれって赤
坂さんがな。うちの期待の二歳牡馬や」
〇同・ウッドチップコース(早朝)
調教騎乗の美途。驚く。
美途「なに、この馬……」
〇同・南馬場調教スタンド前(早朝)
戻ってくる美途と騎乗馬。下馬し、
光邦と向き合う美途。
光邦「どうやった」
美途「――加速が強烈です。こんな乗り
味の馬、初めてです」
光邦「ああ。逸材や。この馬GⅠに進め
られへんかったら、俺はこの仕事辞め
なあかんて思ってる。最初の目標は朝
日杯や」
美途「……」
厩務員に曳かれ帰っていくデュエ
ルナイフ。その後ろを光邦も。
美途「北先生」
振り返る光邦。
美途「デュエルナイフ、鞍上は」
光邦「アルヌールかロバートソンに頼む
つもりや。朝倉、さすがにおまえには
この馬は家賃が高いわ。攻め馬できた
だけでもありがたいって思ってくれや」
去っていく光邦とデュエルナイフ
をじっと見ている美途。
〇隆三の家の前【三日後】(夜)
豪邸。玄関前に立っている美途。
〇同・中・隆三のアトリエ(夜)
ソファに座り向かい合っている美
途と隆三。
隆三「心変わりの理由を訊くのは、野暮
やな」
美途「――」
隆三「ほんまに、描かせてくれるんやね」
美途「電話でお話したとおり、条件があ
ります」
隆三「うん」
美途「わたしが里見さんの絵のモデルに
なったこと、誰にも言わないでくださ
い」
隆三「もちろんや」
美途「絵は、誰にも見せないでください。
里見さんだけのものにしてください」
隆三「最初からそのつもりや。誰にも見
せることはない」
美途「それから」
隆三「なんや。遠慮のう言うてみ」
美途「北調教師の厩舎にデュエルナイフ
という二歳馬がいます。ご存じでしょ
うか」
隆三「ご存じもなにも、ぼくが名付け親や」
美途「え」
隆三「馬主の赤坂は若い時ぼくの書生――
マネージャー兼秘書やったんや。持ち
馬の名前付けてくれってよう頼みにき
よる」
見つめあう美途と隆三。
隆三「乗りたいやろ、デュエルナイフに」
美途「――はい」
隆三「「ぼくの言うことは聞きよるよ、
赤坂は。赤坂に言うとく。強うに言う
とく。それでええな」
美途「――――はい」
隆三「よっしゃ。じゃあこっちからも条
件。ぼくの言うポーズを素直にとりな
さい」
美途「――」
隆三「足開けとは言わんから安心し。まっ
すぐ立ってもらうだけや。けど、全部脱
いでもらうよ、ええね」
俯く美途。やがて顔を上げ隆三をまっ
すぐ見て、きっぱりと。
美途「はい」
隆三「うん、そしたら隣の部屋で裸になって
戻ってきなさい」
美途「はい」
立ち上がる美途。
〇アトリエの隣の小部屋。
深呼吸する美途。
美途「――デュエルナイフ、朝日杯、皐月
賞――ダービー……」
服を脱ぎ始める美途。
〇隆三のアトリエ(夜)
全裸になり、戻ってくる美途。胸と
股間を手で隠している。
隆三と美途、対峙する。
隆三「手を降ろして、髪を肩の前に垂らし
なさい」
美途「――はい」
言われたとおりにする美途。ほうっ
と息をつく隆三。
隆三「ヴィーナスの美を持った女性は何人
も描いた。けどワルキューレの美しさを
持った女性には初めて会うた。ぼくの
目はまちがってなかった」
美途「――」
隆三「じゃあ描くよ、ええね」
美途「はい」
隆三「大事な体や。風邪ひかせるわけに
いかん。寒くなったら言うんやで」
美途「はい」
美途、少し笑む。
〇栗東トレセン・調教コース【四日後】(早朝)
ウッドチップコース、デュエルナ
イフに調教騎乗の美途。
〇同・調教スタンド前(早朝)
戻ってくる美途。下馬し、厩務員
にデュエルナイフを引き渡す。去っ
ていく 同馬。光邦が近寄る。対
峙する二人。
光邦「どうやった」
美途「やっぱり最高です。今までに乗っ
たどんな馬よりも」
光邦「里見さんに頼んだんやな」
美途「はい。せっかくご縁を結ばさせ
ていただいたので」
光邦「なるほどな」
美途「どう思われてもかまいません」
光邦「いや、見上げたプロ根性や」
じっと美途を見る光邦。その目
を逸らさない美途。
光邦「馬主の強い意向には逆らえん。
けどな朝倉、主戦と決まったわけや
ないぞ。新馬戦は任せる。けど負け
たら替える、次はない。それは赤坂
さんにも了承してもらった。ええな」
美途「はい。分かっています。この馬
で新馬戦勝てなかったら、騎手辞め
る覚悟です」
光邦「――おまえがそこまでガッツの
ある乗り役やとは思わんかったわ」
光邦、ニヤッと笑って。
〇阪神競馬場・芝コース
〈T〉9月・阪神5R・新馬戦・
一六〇〇m(芝・良)
ゲートインしているデュエルナ
イフ。その首を鞍上の美途が優
しく叩く。
美途「離すもんか」
ゲートが開く。揃ったきれいな
スタート。中団に位置するデュ
エルナイフ。
レースは淡々と進み、第4コー
ナー。
ゴーサインを出す美途。馬群
から抜け出す同馬。一気に他
馬を置き去りにする。
直線に入り二番手以下をなお
も突き放す。どよめきが起きる。
八馬身差の圧勝劇。
〇京都・祇園の高級クラブ『ガーネット』(夜)
美途の祝勝会が行われている。参
加者は美途、光邦、隆三、赤坂の
四人。それぞれの隣にホステスが
座っている。
きらびやかな雰囲気に戸惑い気味
の美途。
赤坂「こういうところは初めてか、朝倉
くん」
美途「はい」
ママ・祐未「惚れ惚れする。女の子で騎
手やなんて。お年は?」
美途「二十一です」
祐未「うちの娘といっしょやん。親の稼
ぎで遊び回ってるわ。爪の垢でも煎じ
て飲ませてやりたいわぁ」
隆三「強いよ、この子は。なあ、北君」
光邦「はい。礼儀もきちっとしてます。
石村調教師の指導がよほどよかった
んだと思います。そやろ、朝倉」
美途「はい。石村先生には本当に感謝
しています。もっと上手くなって、
ご恩返しをしたいです」
祐未「ええこと言わはるわ。いっぺん
にファンになってしもうた。今度馬
券買うわね」
美途「ありがとうございます」
赤坂「デュエルナイフ、次も頼んだよ。
異存はないですね、北さん」
光邦「はい。今日の騎乗を見て、替え
る理由は見当たりません」
美途「あの、北先生」
光邦「ん、なんや」
美途「ありがとうございます。嬉しい
です。でも、ミスしたら遠慮なく替
えてください。デュエルナイフを離
したくはありません。でも、甘い気
持ちで乗りたくもありません」
祐未「(若いホステスたちに)あんた
らもちょっとは見習い。これがプロ
の姿勢や」
隆三「朝倉くん。きみは本当に美しい
よ」
微笑んで美途を見る隆三。美途、
チラッと隆三を見る。すぐに目
を逸らし、僅かにカクテルグラ
スに唇をつける。
〇京都競馬場・芝コース
〈T〉10月・京都9R・もみ
じステークス・一四〇〇m(芝・良)
出走しているデュエルナイフ。
最後の直線。後続を大きく引き離す
同馬。
またも大差をつけてのゴールイン。
(F・O)
〇美浦トレセン・独身寮・外景(夜)
〇同・一階フロア(夜)
テレビ前のソファに座ってスポーツ
新聞を読んでいる颯希。紙面は大き
くデュエルナイフの二連勝を取り上
げている。後ろから若手騎手、工藤
貴康(26)がやってきて紙面をの
ぞき込む。
貴康「『デュエルナイフ、その切れ味世代
最強!』か。(颯希の前に座り)次、ぶ
つかるんだろ、デイリー杯で海野のイチ
ノアレックスと」
颯希「はい」
貴康「関西初遠征か、楽しみ?」
颯希「ですね。美途と同じレースに乗るの
は、卒業前の模擬レース以来やから」
貴康「急激に勝ち鞍伸ばしてきたな、朝倉」
颯希「いつかゾーンに入ると思っていまし
た。あんなに頑張った子、いませんから」
貴康「努力が花開いたってか」
颯希「はい」
貴康「そればっかりじゃないみたいだけど」
颯希「え」
貴康「営業、ガンガンかけてるらしいよ彼
女。休みの日はテキの趣味にお付き合い
して、ご機嫌とって、ご褒美にいい馬乗
せてもらってるってさ」
颯希「――それかて、あの子の努力のうち
です。なにも悪いことやとは思いません」
貴康「だね。そこでとどまってたらいいけ
どさ」
颯希「どういう、ことですか」
貴康「デュエルナイフほどの良血の素質馬
が、なぜ一流とはいえない朝倉のお手馬
になったか。馬主はどうして彼女を乗せ
るよう北調教師に言ったのか」
立ち上がる貴康。
貴康「枕営業やったのじゃないかって、もっ
ぱらの噂。ネット上でも、厩舎関係者の
間でも」
去っていく貴康。しばらく固まった
ようになっている颯希。新聞を置き、
立ち上がる。貴康を追いかけていく。
颯希「待ちぃや――おい! 待て!」
振り返る貴康を睨みつける颯希。
颯希「なに言うた……今なに言うたんや!」
貴康「海野、なに怒ってんだよ」
颯希「美途は、美途はな。四十度の熱が
あっても授業休まへんかった。休みの日
もずっと走って、トレーニングしてきた。
血尿出しても馬に乗ってきたんや!」
貴康に掴みかかる颯希。
貴康「うわっ!」
颯希「ふざけんな! おまえ! ふざけん
なよ! もう一回言うてみいや! おい!
なに言うたんや、今!」
フロアに居た騎手たちが止めに入
り二人を引き離す。姫香も。
姫香「颯希ちゃん! やめなさい! 落ち
着いて!」
貴康「海野! おまえ、海野さんの娘だか
らっていい気になってんじゃないぞ!」
颯希「うるさいわ、ボケ! 謝れ! 美途
に謝れっ!」
泣きながら貴康にくってかかる颯希。
必死で制止する姫香。
× × ×
ソファに隣り合わせで座っている颯
希と姫香。
姫香「そうかあ。そんなこと言ったか、ク
ドタカ。バカだからなあ、あいつ。去年
東京大賞典勝って調子乗ってんだよ。寮
長としてわたしがきっちりシメておく」
颯希「すみません……」
姫香「でも、二人本当に仲いいんだね」
颯希「正直センスはなかったです、美途。
でも努力の天才です。あの子の努力が
十なら、わたしのそれなんか一にも満
たない――美途は、わたしの憧れです」
姫香「ふふっ」
颯希「?」
姫香「いや、うらやましいなあって思っ
て。わたし、同級生に女の子いなかっ
たもん」
机の上に置かれたスポーツ紙の
美途の記事をじっと見つめる颯希。
〇栗東トレセン・岡島厩舎事務所・内
【一週間後】(夕方)
中学生女子と並んで座り、彼女
に数学を教えている美途。
〇同・岡島厩舎事務所・入口(夕方)
美途「失礼します」
出てくる美途。颯希が笑って
立っている。
颯希「石村先生に訊いてきた。終わっ
た? カテキョ――久しぶり」
美途「うん」
微笑み合う二人。
〇同・路上(夕方)
並んで歩く二人。
美途「岡島先生から頼まれたの。娘
さん学校済んだら事務所に来させ
るから勉強みてやってくれって」
颯希「そっかー。美途、学科ダント
ツやったもんね」
美途「実技はいつもビリケツだった」
颯希「でも、いちばん頑張った。模
擬レース一着。大泉教官あの後号
泣してたやん『朝倉の成長は、俺
の誇りだ』いうて」
美途「そんなことあったね」
颯希「岡島先生、いい馬に乗せてく
れそう?」
美途「さあ、どうだろう」
颯希「相変わらず頑張り屋やなあ、
美途は。すごいよ」
美途「――本当に、そう思ってく
れる?」
颯希「え?」
立ち止まる二人。
美途「最近は『鬼営業の朝倉』なん
か言われちゃっててさ。まあ、
間違いじゃないんだけど」
颯希「それも全部ええ馬に乗るため
にやってることやろ。そんなん努
力してない人間のやっかみや。ほっ
といたらええんや。言わせたいや
つには言わせとき」
美途「――うん。ありがとう颯希」
颯希「なあ、久々にここの調教スタ
ンド行ってみたい」
美途「え――うん。行こっか。にし
ても向こう行って大分なるのに関
西弁全開だね、颯希は」
颯希「うるさいわ! あんたかてい
つまで経っても東京の言葉喋って
るやないの!」
笑いながら調教スタンドに向
かう二人。
〇同・調教スタンド四階・ベランダ
(夕方)
並んで立ち、夕暮れの調教コー
スを眺める二人。
颯希「なあ、覚えてる? 卒業前にこ
こから、寿々芽さんと姫香さんの調
教見たの」
美途「うん。覚えてるよ。あの後二人
で挨拶に行って。寿々芽さん『いつ
か四人でGⅠ乗ろうね』って」
颯希「もうすぐやね、その日も。あと
何勝でGⅠ乗れるんやった?」
美途「五勝」
颯希「そうか。ほんまに一気に勝ち鞍
伸ばしてきたなあ。明日のレース、
もちろん全力で乗るけど、正直美途
の馬に勝つのはちょっとなあ――な
あ、美途」
美途「え?」
颯希「そのデュエルナイフのことで――
いや、やめやめ。なんでもない」
美途「――言って。お願い」
颯希「いやぁ、しょうもない噂やねん……
あかんあかん。訊くのもアホくさいわ。
ごめんな。寒くなってきたな。帰ろう
や。ちょっと早いけど調整ルーム入ろ」
ベランダを出かける颯希。調教コー
スを見つめたままその場を動かない美途。
颯希「(振り返って)美途?」
美途「知ってる、その噂」
颯希「――ごめんな。訊いたわたしがアホや」
美途、颯希に向き直る。
美途「してない」
颯希「うん。分かってる」
美途「枕営業は、してない」
颯希「え――『枕営業は』って?」
美途「――」
美途をじっと見つめる颯希。俯く美途。
颯希「言うて、美途」
美途「――赤坂オーナーの、師匠みたいな人で、
里見さんって人がいる。七十二歳の画家」
颯希「画家」
美途「北先生通じて里見さんに会って。その
とき、里見さんわたしの絵を描きたいって
言って。でも、最初は断ったの。その後、
わたし、デュエルナイフの攻め馬して、
そしたら、あの馬凄くて。今まで乗った
ことない感覚で。だから、どうしてもあ
の馬に乗りたくて……」
颯希「――だから、その人に、頼んだん?」
小さく頷く美途。
颯希「絵を描かせるから、デュエルナイフ
に乗せろって?」
小さく頷く美途。
颯希「――どんな絵?」
答えない美途。
颯希「どんな絵?」
答えない美途。
颯希「どんな絵か訊いてるやん! 答えてぇ
や!」
美途「――裸の絵」
颯希「――描かせたん、裸、その人に」
俯いたまま小さく頷く美途。美途を
見つめたままの颯希。重く長い沈黙。
颯希「汚ぁ。信じられへん。なにそれ」
美途「……」
颯希「体触らせてないけど枕営業といっ
しょやん、そんなん。噂はほんまやっ
てんや」
美途「颯希ぃ……」
颯希「気安く名前呼びなや!」
美途「……」
颯希「なあ、あんた『まだ』やんね、わ
たしもそうやけどさ。遊んでる時間な
んかないもんね。それやのに七十二歳
のエロジジィに裸見せたんや。笑うて
しまうわ」
美途、涙をこぼす。
颯希「今泣くのやったら、最初からそん
なことやりなや! あんたがそんなこ
とする子やなんて思わへんかったわ――
ここの調整ルーム入るのやめとくわ。
京都競馬場行くわ。あんたと同じ空気
吸いたくない」
立ち去りかける颯希。
美途「乗りたかった! デュエルナイフ
にどうしても乗りたかった! あの馬
なら、GⅠ乗れるって。颯希と――寿
々芽さんや姫香さんといっしょにGⅠ
乗れるって。だから、だから――」
颯希「それでいっしょのレースに乗って
わたしが、寿々芽さんや姫香さんが、
喜ぶとでも思ったんか! そんな汚
いことして馬手に入れたあんたと同
じGⅠに乗って!」
美途「ごめん、ごめんなさい……」
颯希「なにに、だれに謝ってるのん――
絶交や。二度と話しかけてこんとい
て。安心し、誰にも言わんといたる
から。言うたら自分まで汚い人間に
なってしまいそうや」
颯希、ベランダから去る。
残される美途。蹲る。泣く。
〇同・路上(夕方)
力なく歩いていく美途。後ろか
ら自転車でやってくる寿々芽。
美途を追いぬいてから停まり、
向いて。
寿々芽「美途ちゃん――あれ、颯希
ちゃんといっしょだったのじゃな
いの?」
美途「はあ、そうだったんですけど」
力なく俯く美途。
寿々芽「どうしたのよ。昨日まで颯
希ちゃん来るのすごく楽しみにし
てたじゃない」
美途「そうだったんですけど……そ
うだったんですけどぉ……」
寿々芽「え、美途ちゃん」
美途の零す涙が路上にぽた
ぽたと落ちていく。
〇ファミリーレストラン・店内(夜)
テーブル席に向かい合ってい
る美途と寿々芽。
寿々芽「う~ん、そっかあ」
美途「軽蔑、ですよね、寿々芽さん
も」
寿々芽「うぅん、そんなことないよ。
見上げたプロ根性だって思う。た
だ、やり方がちょっと下手だった
かな」
美途「下手」
寿々芽「うん。わたしだったらその
画家の人に『とにかく先に一回乗
せてください。勝っても負けても
裸描かせてあげますから』つって、
その後『裸描かせろって言ってき
たことマスコミにばらしますよ』
つって脅して、デュエルナイフお
手馬にしちゃう」
美途「――」
寿々芽「なんてね。当事者じゃない
から言えることだよね。そうか。
そうまでして乗りたい馬だったか」
美途「はい」
美途の額にデコピンをする寿々
芽。
美途「痛っ」
寿々芽「はい、これで終わり。ヌード
モデルになっていい馬手にしたのは
確かにやりすぎって言われても仕方
ない。けど、やってしまったことを
後悔しちゃだめ。ふっきらなきゃだ
めよ」
美途「え」
寿々芽「颯希ちゃんのこと。競馬学校
のときはいろいろ女二人で乗り切っ
てきたのかもしれないけど、今はお
互いプロなのよ。仲良しこよしでど
うするの。『悔しかったらおまえも
それくらいの手を使って強い馬、手
にしてみろ』くらいの気持ちになら
なきゃ」
美途「颯希を、ふっきる……」
寿々芽「成績で負けてるあの子に勝ち
たいんでしょ。GⅠでも勝負できる
と思ったから裸
晒してまでデュエルナイフお手馬にし
たんでしょ。一線は超えなかった、
その自分を信じてあげなさい――わ
たしは、認めてあげるから」
美途「寿々芽さん」
寿々芽「明日のデイリー杯で、颯希ちゃ
んにデュエルナイフの力を見せつけ
てやるの。それがプロよ」
じっと見つめあう美途と寿々芽。
やがて美途、深く頷く。
〇京都競馬場・パドック【翌日】
小雨が降っている。
デュエルナイフに乗り最終周回
をしている美途。
イチノアレックスに乗り最終周
回をしている颯希。
〇同・出走地点へ
大きく離れ、出走地点へ向かう
美途、颯希。
〇同・芝コース・スタート地点
〈T〉11月 京都11R デ
イリー杯二歳ステークス 一六
〇〇m(芝・稍重)
出走。先団のイチノアレックス。
デュエルナイフは後方待機。淡
々とレースが進む。
最後の直線に入る。イチノアレッ
クスが抜け出す。
颯希「よしっ」
その時美途が鞭を入れる。馬銜
(ハミ)を取るデュエルナイフ。
一気の加速。直線途中で並ぶ間
もなくイチノアレックスを抜き
去る。
颯希「えっ……」
二着馬に五馬身の差をつけ勝利
するデュエルナイフ。颯希のイ
チノアレックスは五着。
〇同・検量室
検量後で他騎手から握手攻めに
あっている美途。やがて二人が
擦れ違う。
美途「朝日杯――GⅠ先に取るから」
颯希「!」
美途「いくらでも嫌って、いくらで
も軽蔑したらいいよ」
勝利騎手インタビューに向か
う美途の背中をじっと見る颯
希。
〇東京競馬場【一か月後】
〈T〉12月 中山10R
市川ステークス一八〇〇m(ダート・良)
レース中の颯希。最後の直線で
大きく斜行。不利を受ける他馬。
七着でゴールインする颯希の馬。
電光掲示板に審議の赤ランプが
灯り、颯希の馬の斜行が審議対
象となっていることを場内アナ
ウンスが告げる。
〈T〉【海野颯希、四日間の騎
乗停止・朝日杯フューチュリ
ティステークスは騎乗不可】
〇阪神競馬場
〈T〉阪神11R 朝日杯フュー
チュリティステークス(GⅠ)
一六〇〇m(芝・外・良)
ゲートインしているデュエルナ
イフ。鞍上の美途。
ゲートが開く。後続に位置するデュ
エルナイフ。最終コーナーを回り
抜け出す同馬。
ごぼう抜きでそのまま他馬を一気に
突き放す。二着馬に六馬身の差をつ
ける圧勝で勝利する。ガッツポーズ
の美途。
〇同・検量室前
美途の勝利者インタビューの様子。
アナウンサー(以下・アナ)「朝日杯フュー
チュリティステークスをデュエルナイ
フで制した朝倉美途騎手です。おめで
とうございます!」
美途「ありがとうございます!」
アナ「今のお気持ちを聞かせてくださ
い」
美途「はい。素直に嬉しいです。GI
を勝つのは夢だったので」
アナ「圧勝劇でしたね」
美途「はい。最後の直線に入って手応
えがどんどんよくなる感じで。本当
に凄い馬です」
アナ「早坂姫香騎手、橘川寿々芽騎手
に続き女性騎手として三人目のGI
ジョッキーとなりました。そのこと
については」
美途「そうですね。後に続きたいと思っ
ていたので嬉しいです。でもまだま
だ差があると思ってるので、頑張っ
て追いつきたいです。あの、ひとこ
といいでしょうか」
アナ「はい、なんでしょう」
美途「――わたしがデュエルナイフに
騎乗することになったことについて、
SNSなどでいろんな噂が取りざた
されているのは、知っています。最
初に機会を得て調教に乗せていただ
いたとき、絶対にこの馬に乗り続け
たいと思い、北先生、赤坂オーナー、
そしてデュエルナイフの名付け親で
ある里見画伯にお願いしました。一
生懸命お願いしました。結果、乗せ
ていただけることになりました。そ
れがすべてです」
アナ「――心無い噂を払拭する勝利で
したよ」
美途「そう言っていただければ嬉しい
です。これからも頑張りますので応
援よろしくお願いします!」
涙ぐみながら、笑顔を見せる美
途。隆三、光邦、赤坂らが祝福
に駆けよる様子が画面に映って。
〇美浦トレセン・独身寮・颯希の部屋
テレビ画面に映る美途の勝利者インタ
ビューを座ってじっと見ている颯希。
颯希「どうやって『一生懸命お願い』した
かちゃんと言えや」
リモコンのスイッチを押し、テレ
ビを消す颯希。
〇東京競馬場【一か月後】
〈T〉一月 東京9R招福ステー
クス一八〇〇m(ダート・稍重)
直線で抜け出しかける颯希の騎乗
馬。
並走していた馬が大きくヨレ、颯
希の馬にぶつかる。
颯希「うわっ!」
あわや落馬しそうになる颯希。騎
乗馬もそれまでの勢いをなくし、
失速。後続馬群に追い抜かれていく。
〇同・検量室
採決室から出てきた、颯希の馬に
不利を与えた新人騎手Aの元へ詰
め寄る颯希。
颯希「なんなんあんた! 今の騎乗なに
よ!」
A「す、すみません」
Aにつめよる颯希。
颯希「女や思ってなめてんの! 競馬学
校からやりなおせ!」
Aの頭をはたこうと手を振り上
げる颯希。後ろからその手を掴ま
れる。止めたのはベテラン騎手猿
渡広道(49)
広道「学校からやり直すのはおまえだよ、
海野。また騎乗停止になりたいのか」
颯希「……」
広道「おまえが最近勝ち鞍から見放され
てる理由がよく分かった。心根の問題
だよ」
広道を振り切るように検量室を出
ていく颯希。
〇美浦トレセン・独身寮・颯希の部屋
【一週間後】(夜)
横になってボーっとテレビを見
ている颯希。スポーツニュース
が引退したかつての 重賞馬、
葦毛馬ハヤテサクラコの特集を
放送している。
颯希「サクラコだ……」
(映像と共にテレビナレーション)
「かつて重賞チューリップ賞、
阪神牝馬ステークスを制し、桜花
賞も三着と健闘したハヤテサクラ
コは今、瀬戸内海の稲 島という
小島の神社で繋養され神馬となっ
ています。宮司さん始め島の人た
ちの愛を受けて生きるこの馬の一
日を追いました――」
テレビ画面を見つめる颯希。
幼い頃のハヤテサクラコとの
邂逅が思い出されてくる。
〇〈颯希の回想〉
〈T〉12年前、チューリップ賞。
一着でゴールするハヤテサクラコ。
鞍上は颯希の父、穣一。
× × ×
勝利馬口取り式。その写真撮影風
景。十歳の颯希も関係者と共に写
真に収まる。
颯希、鞍上の父を見上げて。
颯希「お父さん」
穣一「ん、なんや」
颯希「わたし、サクラコ大好きや。今ま
でお父さんが乗った馬の中で、一番好
きや。一番きれいな馬や」
穣一「そうか。お父さんもサクラコのこ
と大好きやで」
颯希「桜花賞、獲れるよね、サクラコ」
穣一「当たり前や。牝馬三冠、もらった
で」
颯希「やった」
穣一「顔、触ったれ」
颯希「うん」
ハヤテサクラコの鼻づらを優しく
撫でる颯希。されるままになって
いる同馬。
颯希「お父さん。わたしやっぱり騎手に
なる。騎手になってサクラコみたいな
馬に乗るんや」
穣一「また始まったかあ」
颯希「ほんまやで! ほんまのほんまに
騎手になるんや! 今日ほんまに決め
たんや!」
ハヤテサクラコをじっと見る颯希。
同馬も颯希を見つめ返して。
〇美浦トレセン・独身寮・颯希の部屋に
もどって(夜)
颯希「なにが牝馬三冠や。オークスな
んかボロ負けやったやん」
大晦日、美麗に着飾られ島の道
を闊歩するハヤテサクラコ。そ
の様子が映るテレビ画面を見続
ける颯希。
〇瀬戸内海を進む小型フェリー【一週
間後】
〇同・そのデッキ
手すりによりかかり穏やかな
海を見ている颯希。稲島が遠
く見えてくる。
〇着岸するフェリー
タラップが着けられ降りてく
る乗客たち。颯希も降りる。
〇島の小路
スマホに映る島の地図を見つ
つ歩いていく颯希。
〇稲島神社・前
鳥居の前に立つ颯希。鳥居を
くぐり歩いていく。
〇同・本殿
本殿の前に立つ颯希。
颯希「どこだろう」
その時本殿奥の方から馬の
嘶きが聞こえる。
颯希「あ」
本殿奥へと進んでいく颯希。
〇ハヤテサクラコの厩の前
ハヤテサクラコが厩の中で
立っている。
近づき、同馬の前に立つ颯
希。
颯希「久しぶり、サクラコ」
颯希をじっと見つめる同馬。
颯希「覚えてる? 元気そうやね」
ハヤテサクラコの鼻づらを
撫でようと手を伸ばす颯希。
そのとき。
真央「ちょっと待って!」
驚き振り返る颯希。少し離
れたところに、ツナギの作
業服を着た少女、木崎真央
(14)と巫女の衣装を着
た少女、麻生泉美(14)
が立っている。
泉美「ハヤテサクラコは神馬です。
本来なら斎戒沐浴してから接し
ないといけないような馬です――
手水舎で手を洗い、口をゆすが
れましたか?」
首を横に振る颯希。
泉美「では、もう一度鳥居をくぐ
るところからやり直してくださ
い。海野颯希騎手」
驚き泉美を見る颯希。にっ
こりと笑う
泉美。じっと颯希を見ている真央。
泉美「今から散歩の時間です。つ
いてこられますか」
頷く颯希。
〇島の道
ハヤテサクラコの手綱を曳
いている真央。その少し後
ろを歩く颯希と泉美。
〇砂浜
砂浜に降り立つ二人とハヤ
テサクラコ。
真央が同馬を歩かせている。
泉美「サクラコはここを散歩する
のが大好きです。現役時代ダー
トコースは走ったことなかった
のに」
颯希「競馬のこと、詳しいんやね」
泉美「お父さんが競馬が好きで。
小一の頃から一緒に予想してます。
わたしの予想、よく当たるんです
よ。海野さんがらみの万馬券、お
父さんに取らせたこともあります。
『競馬・勝利の方程式』は毎号買っ
てます」
颯希「いくつ?」
泉美「十四、中二です」
颯希「あの子も? テレビに出てた
よね」
泉美「はい。真央とは保育園の頃か
らいつもいっしょです。むかしか
ら動物が大好きで、サクラコがこ
こに来てから、毎日世話してくれ
てます」
颯希「いつもその恰好してるん?」
泉美「はい。学校から帰ったら。な
んか落ち着くんですよね、これ着
ると」
颯希「そっか。大好きなんやね二人
とも、サクラコのこと」
泉美「海野さんも、そうでしょ」
颯希「え?」
泉美「そやから、久しぶりにサクラ
コに会いに来た。飛行機使って、
日帰りで。でしょ」
颯希「――テレビ観て、どうしても
会いたくなってしもうてね」
泉美「悔しいですか、朝倉騎手に先
にGⅠ勝たれて」
颯希「え――」
泉美「読みました『方程式』で。仲
悪くなっっちゃったんでしょ、朝
倉騎手と」
颯希「……」
泉美「また仲良くなれたらええです
ね」
颯希「え――それは、もう無理やわ」
泉美「わたしもこれから真央と仲悪
くなったりすることあるんかな――
なんかそんなん絶対いややわ」
颯希「……」
泉美「そうや。サクラコに一頭だけ
産駒がいるの知ってます?」
颯希「え? そうなん」
泉美「テレビじゃ言ってなかったで
すもんね。現在三歳牡馬のハイデュ
ク。五年連続不受胎だったサクラ
コが繁殖牝馬最終年に産んだ馬で
す。サクラコの意地の結晶ですね」
颯希「ハイデュク――知らない」
泉美「だめですねえ。ここまで三戦
勝ちなし。でも、素質はあると思
うんやけどなあ。もっと短いとこ
ろ使った方がいいと思いますよあ
の馬。マイル戦で勝負しないと」
颯希「泉美ちゃん」
泉美「はい」
颯希「なにもん、あなた?」
泉美「え、サクラコのことが大好き
で、グリーンチャンネルで競馬観
てるただの中学二年女子ですよ――っ
て、変かなやっぱり、わたしって
ば。あはは」
真央がハヤテサクラコを曳い
て戻ってくる。まっすぐ颯希
を見て。
真央「泉美は平安時代から続く稲島
神社の巫女。神様の使いです」
微笑んでいる泉美。ハヤテ
サクラコが嘶く。颯希、海を
じっと見つめて。
〇美浦トレセン・厩舎地区【一週間後】
厩舎に挟まれた道を歩いてい
く颯希。
〇同・垣内厩舎・事務所前
事務所に入っていく颯希。事務
机に座ってスマホで話をしてい
る調教師、垣内力哉(50)。
電話を終え、颯希と向き合う。
力哉「よう、問題騎手」
颯希「――」
力哉「ははは、すまんすまん。まあ座
れ」
颯希「はい、失礼します」
テーブルを挟み向かい合って座
る二人。
力哉「で、なんだ。会って話したいこ
とってのは」
颯希「はい――先生のところにハイデュ
クっっていう三歳馬がいますよね」
力哉「ああ。いるよ。残念ながらここ
まで着にも来ず三戦ゼロ勝――そ
れが?」
颯希「先生。ワタシをハイデュクに
乗せてください」
力哉「珍しいな、おまえが自分から
乗せてくれってやってくるなんて
よ」
颯希「ハイデュク、次戦の鞍上は」
力哉「いや、まだ決めてない」
颯希「お願いします」
深々と頭を下げる颯希。
力哉「一回も跨ってないのになん
で頭下げてまで乗りたいって思
うんだ。それも未勝利馬だ。お
とっつあんが乗ってた馬の子供
だから乗ってみたいのか」
颯希「いえ。わたし、ハヤテサク
ラコがチューリップ賞勝ったの
を見て本気で騎手になるって
決心したんです。だから、あの
馬の子供で、騎手としての気持
ち、切り替えたいんです」
力哉「ロマンチストだな、おまえ
は」
颯希「ダメでしょうか」
力哉「最近はみんなエージェント
頼みで、わざわざ足運んで頭下
げて乗せてくれっていう乗り役
も少なくなってきたよなあ」
颯希「――わたしもそうでした」
力哉「下卑た噂もついて回ってる
が、関西の朝倉美途は立派なも
のだと思ってるよ、俺は」
力哉「……」
力哉「おまえの気持ちを買ってや
る。馬主さんには言っておく。
明日の攻め馬から頼んだぞ。だ
けど下手こいたら次はないぞ」
颯希「はいっ!」
力哉「目が違ってきたな海野」
颯希「はい?」
力哉「ちょっと前まで魚の腐った
ような目をしてたよ、おまえは」
颯希、静かに視線をテーブ
ルの上に落として。
〇美浦トレセン・南馬場・調教コー
ス(早朝)
ウッドチップコース、葦毛
馬ハイデュクの調教をして
いる颯希。勢いのある同馬
の走り。
〇同・調教スタンド前(早朝)
力哉が待っている。ハイデュ
クから降りる颯希。厩務員
に同馬を引き渡す。
力哉「どうだった」
颯希「なんでこの馬が勝ち上がれ
ないでいるのか分かりません。
終いの足も際立ってます。性
格も素直で乗りやすいし……」
力哉「俺のミスなんだよ」
颯希「え」
力哉「ここまで三戦、あの馬に
千八と二千を走らせた俺のミ
ス。親父のマコトハリマオが
春天とステイヤーズステーク
ス勝ってるから長いところ走
らせてみたんだけどな。おっ
かさんの血に賭けてみるよ。
次戦は千六だ。マイルで勝
負する」
颯希「――泉美ちゃんが言っ
たとおりだ」
力哉「ん? なんだって」
颯希「いえ。先生、わたしも
そう思います」
力哉「そうか。乗ってそう感
じたか」
颯希「ええ。それに、競馬の
神様がそう言ってるみたい
です」
力哉「はぁ!?――おい海野。
おまえなんか変な宗教入っ
たのか?」
颯希「いややなあ、そんなわ
けないやないですか。変な
噂流さないでくださいよ」
微笑む颯希を不思議そ
うな目で見る力哉。
〇中山競馬場・芝コース【二週間後】
発走地点へ向かう各馬。
ハイデュク鞍上の颯希に同
じレースに乗る広道が声を
かける。
広道「海野」
颯希「猿渡さん――あの、この前
はありがとうございました。あ
のままやと、わたし」
広道「俺も不利受けた新人騎手に
同じことやりかけたことがある。
札幌だったな。おやじさんに止
められたんだよ。あれがなけれ
ば俺はどうなってただろうな。
変な縁だな」
颯希「――はい」
× × ×
ゲートインしている各馬
〈T〉中山・5R三歳未勝
利一六〇〇m(芝・外)
発走。スタートダッシュを
決めるハイデュク。好位置
でレースを進める。
4コーナーを回り最後の直線、
一気に抜け出すハイデュク。
後続に大きく差をつけての勝
利。
颯希「いける!」
〇同・検量室前
ハイデュクから下馬した颯希
のところへやってくる力哉。
力哉「やったな、海野!」
颯希「はい! 先生、ハイデュクは
ハヤテサクラコの意地の結晶です!」
力哉「競馬の神様がそう言ってたか?」
颯希「はい!」
がっちり握手をする二人。
〈T〉【ハイデュクは翌月の次
戦も勝利。初の重賞・ファルコ
ンステークスに駒を進めた】
〇京都競馬場・芝コース
〈T〉二月・11R きさらぎ賞・
一八〇〇m(芝・外・良)
ゲートインしているデュエルナイ
フと鞍上の美途。
発走。中団に位置しているデュエ
ルナイフ。最後の直線に入り進出
を開始。抜け出しかけるが、残り
二百メートルを切ったあたりで一
気に失速。
美途「えぇっ!?」
ズルズルと後退していくデュエル
ナイフ。十着でゴールする同馬。
美途「なんで……」
鞍上で動揺している美途。
〇北厩舎・事務所【翌日】
テーブルを挟み向かい合って
座っている美途と光邦。
光邦「やっぱりだったか」
美途「え?」
光邦「デュエルナイフの母父はマイ
ルチャンピオンシップ連覇したミ
カノイーグル。それもあってデビ
ュー戦からここまで千六ばっかり
走らせてきた。あの馬自身の能力
で長いところも乗り切ってくれる
と踏んでたが、無理だったな」
美途「……」
光邦「残り二百切っての手応え、ど
うやった」
美途「ガクンっていう感じで落ちま
した。馬自身が戸惑ってるみたい
でした」
光邦「そうか――朝倉、デュエルナ
イフはマイラーや。生粋のな。千
六超えたら三流以下の馬や」
美途「生粋のマイラー……」
光邦「ああ、マイル戦勝つために生
まれてきたような馬や。目標変更
や。皐月賞には行かん。ここから
はNHKマイルカップを目指す。
ええな」
美途「マイルカップ……あの先生、
ダービーは」
光邦「あの馬に二四〇〇走らせて、
最下位で歩くようにゴールさせ
たいか、おまえ」
美途「……それは」
光邦「ダービーに乗りたいおまえ
の気持ちはよう分かる。けどな、
調教師として勝てる見込みのな
いレースを走らせるわけにはい
かん」
美途「はい……」
光邦「マイルカップなら勝てる。
朝日杯で分かったやろ、同世
代で千六走らせてデュエルナ
イフに勝てる馬がいると思う
か?」
美途「いえ」
光邦「その状況は今も変わって
ない。マイルカップ勝ったら
次は安田記念や」
美途「安田記念」
光邦「ああ。上の世代のマイラー
と対決や。十分勝負できるや
ろ。おれは安田記念っていう
のはGⅠの中でも別格レース
の一つやと思ってる。秋はも
ちろんマイルチャンピオンシッ
プや。マイル三冠も夢やない
ぞ、朝倉」
美途「マイル三冠、ですか」
光邦「ああ。で、来年は海外遠征。
フランス、ジャック・ル・マ
ロワ賞。ドーヴィルの平坦直
線千六百メートルを先頭でぶっ
ちぎるデュエルナイフの姿を
想像してみろ、朝倉」
驚いたように光邦を見る美
途。
光邦「その鞍上はもちろんおまえ
や」
美途「はい!」
強く頷く美途。
〈T〉【デュエルナイフは
次戦の三歳馬限定マイルG
Ⅱ、アーリントンカップを
圧勝し、難なくNHKマイ
ルカップに駒を進めた】
〇ファルコンステークス・ゴール
シーン
勝利するハイデュク。
〈T〉【ハイデュク、GⅢ
ファルコンステークス勝利】
〇ニュージーランドトロフィー・
ゴールシーン
ゴール前の激戦。首差抜け出
し、勝利するハイデュク。小
さくガッツポーズをする颯希。
その姿に颯希と力哉の声が重
なる。
力哉(声)「よくやった海野!」
颯希(声)「はい!」
力哉(声)「マイルカップ、行くぞ!」
颯希(声)「はい!」
力哉(声)「強い馬が一頭いるがな……」
颯希(声)「ハイデュクのことです
よね」
力哉(声)「海野、おまえ」
颯希(声)「同世代のマイラーで一番強
いのはハイデュクです! それを証明
します!」
力哉(声)「競馬の神様がそう言って
るか」
颯希(声)「いえ、わたしが言ってま
す!」
力哉(声)「よしっ! 全力で仕上げる!
取るぞマイルカップ!」
颯希(声)「はいっ!」
〈T〉【ハイデュク、激戦を制し
GⅡニュージーランドトロフィー
勝利。四連勝でGⅠNHKマイル
カップへ】
〇☆☆ホテル・外景
〇同・入口
それなりに着飾りやってくる颯
希。一旦立ち止まり、ため息を
つく。意を決したようにして中
へ。
〇同・小ホール
扉を開けて中に入る颯希。横並
びに椅子が四つ。寿々芽、姫香、
美途が座っている。
寿々芽「おそ~い。先輩待たせるとは
不届きだ」
颯希「すみません」
姫香「ほら、座って。記者さんもカメ
ラマンさんもお待ちかねだよ」
颯希「はい」
美途の隣の椅子に座る颯希。視
線を合わせない二人。
× × ×
四人並んでの写真撮影。颯希と
美途に笑顔はない。
スポーツ紙による女性騎手四
人のインタビューが始まる。
記者「ではまずは千堂騎手から。い
かかがですか、次のマイルカップ、
女性騎手四人が騎乗することになっ
た今のお気持ちは」
寿々芽「そうですね。やっとこの日
が来たかと。でも意外と早かった
んじゃないですか。美途ちゃんと
颯希ちゃんの頑張りはたいしたも
のだと思います。わたしなんかデ
ビューしてからずっとくすぶって
ましたもん」
記者「早坂騎手、いかがです」
姫香「はい。(颯希と美途を見て)
ここ一年くらい、とにかくこの二
人の追い上げがものすごくて。確
かに記念すべきレースになると思
いますが、これからはこの状況が
当たり前のものになっていくと思
います。二人とも強い馬に乗りま
すが、恥ずかしいレースはできま
せんね」
記者「朝倉騎手は朝日杯に続いて二
つ目のGⅠを狙う事になりますね。
今のお気持ちを聞かせてください」
美途「はい。デュエルナイフを信じ
て乗る、それだけです」
記者「女性騎手四人でGⅠに乗るこ
とになった、それについては」
美途「――あまりそういうことは意
識せず、騎乗したいと思います」
記者「同級生の海野騎手と初めて戦
うことについては?」
美途「特になにも」
記者「――そうですか。では海野騎
手。一気の四連勝でハイデュクと
ともにGⅠ出走となりましたね」
颯希「はい。ハイデュクは強い馬で
す。同世代マイラーの中でいちば
ん強いと思ってます」
チラッと颯希を見る美途。
寿々芽「おお~~」
姫香「言うねぇ」
フッと鼻で笑う美途。チラッ
と美途を見る颯希。二人の様
子を見ていた寿々芽。
寿々芽「記者さん」
記者「はい?」
寿々芽「バチバチなんですよ、この
二人、今。わたしと姫香も覚えが
あるけど。同じ空気吸いたくもな
いってやつ」
姫香「みたいだねぇ」
寿々芽「先輩として帰らせてあげた
いんだけど、ダメかな」
記者「いや、それじゃ紙面が」
寿々芽「大丈夫。わたしと姫香の赤
裸々フリートークってことでお釣
り来るくらいのネタ持たせて帰し
てあげるから」
記者「はぁ――じゃあ最後に二人
に一つだけ質問いいでしょうか」
寿々芽「(颯希と美途を見て)ほ
ら、ここまでしてあげたんだか
ら、最後にちゃんと答えて終わ
りなさい。マスコミ対応もプロ
の仕事の一つよ」
記者「では最後に。本番では本命
デュエルナイフ、対抗ハイデュ
クということになりそうですが、
相手の馬に勝つ自信は。朝倉騎
手」
美途「勝ち方が問われるレースだ
と思っています。力の差を見せ
つけます」
記者「海野騎手」
颯希「ハイデュクはまだ底を見せ
ていません。GⅠ馬に勝って、
さっきも言ったように同世代最
強マイラーであることを証明し
ます」
決して目を見かわさない二
人。
× × ×
颯希と美途がいなくなった
小ホール。
寿々芽「煽りすぎちゃったかなあ」
姫香「ん?」
寿々芽「いや、美途ちゃんをね。
颯希ちゃんも腹くくったみたい
だしさ」
姫香「確かに、バッチバチだね。
あれはもう修復不可能な域ま
でいってるわ」
記者「あの、すみません。じゃ
あここからは」
寿々芽「ああ、ごめんごめん。姫
香、いい機会だから、あれもう
言っちゃいなさいよ。記者さん
たちも手ぶらで帰るわけにはい
かないんだから」
姫香「え~~、このタイミングで~?」
寿々芽「ここんところ話題あの二
人に持って行かれっぱなしなんだ
から、強烈なのぶっこんでやりな
さいよ、ほら」
姫香「しかたないなあ。まあいずれ
分かることだし……あのね、わた
し半年前ドバイに遠征したじゃな
いですか」
記者「はい」
姫香「あのとき王族からいきなり
プロポーズされちゃった」
記者「えぇっ!?」
寿々芽「姫香が騎乗した馬の馬主の
第二婦人の六男坊。オリエンタル
ビューティー、ヒメカ・ハヤサカ
がハートをズキュンだよ。ちなみ
に超イケメン」
記者「で、どうしたんですか」
姫香「この前日本にやってきた、そ
いつ」
記者「はぁ? その六男坊ってのが?」
姫香「うん。『プロポーズ受けてく
れるまで帰らない』つって。ホテル
に住んでる。親も『十五人いる子供
の中にそんなのが一人くらいいても
いい』って言ってんだってさ」
記者「で、で、その後は」
姫香「んふふふ」
記者「ちょっと、それ、凄いネタです
よ。詳しく教えてくださいよ!」
寿々芽「だから言ったでしょ『お釣
りくるくらいのネタ持たせて帰
してあげる』って」
余裕の笑みを浮かべる姫香に
必死に食い下がる記者。それ
を大笑いしながら見ている寿
々芽。
〇隆三のアトリエ【一週間後】(夜)
壁に賭けられた完成した自
分の裸婦画を見ている美途。
隆三が入ってきて、美途の
横に立つ。
隆三「どうや」
美途「――後悔は、全てなくなり
ました」
隆三「そうか。辛い思いもしたよ
うに聞いてる」
美途「そんなのなんともないです。
この絵観たくなったらまた来て
もいいですか」
隆三「もちろんや」
美途「マイルカップなんか通過点
です。世界を奪いにいきます。
わたしとデュエルナイフで」
隆三「うん。ドーヴィルまで応援
にいくわ。しかし、きみはほん
まに強いなあ。ぼくの誇りや、
この絵は」
じっと絵を見続ける美途。
〇美浦トレセン・独身寮・一階
フロア(夜)【同じく前々
場面から一週間後】
若手騎手たちが、テレビ
を見たりしてくつろいでいる。
穣一「こんばんは」
入ってくる穣一。驚く騎手た
ち。直立不動になる。
騎手たち「こんばんはっ!」
穣一「颯希は部屋か」
貴康「はい」
穣一「呼んできてくれへんか。ああ、
工藤君、大阪杯優勝、おめでとう。
ええ騎乗やったで」
貴康「はい、ありがとうございます!」
颯希を呼びにいく貴康。
〇居酒屋『二の脚』・外景(夜)
暖簾が出ている。
〇同・店内(夜)
二人用卓で差し向いに座っ
ている颯希と穣一。二人の
前の生ビールグラス。
穣一「お母さんも来たがってたん
やどな、ちょっと風邪気味でな」
颯希「知ってる」
穣一「ああ、ようやりとりしてる
んやってな、ラインっちゅうや
つで」
颯希「うん」
穣一「俺はあんなんは苦手や」
颯希「いつまでガラケー持ってる
つもりなんよ。いつか調教師試
験受けるんやろ。いろんなやり
とりスマホやないとできひんよ
うなるで、これから」
穣一「はは、そうやな。使い方颯
希に教えてもらわなあかんな」
ビールを旨そうに飲む穣一。
颯希「ていうか、ダサいわ騎乗停
止とか。デビューから一回もな
かったのに」
穣一「そうやなあ。晩節を汚すい
うやつやなあ。けど、スタート
直後に立ち上がってあそこまで
ヨレられたら俺もさすがになあ――
前に寿々芽にやられたのといっ
しょや」
颯希「いいわけやん、そんなの」
ビールを飲む颯希。
穣一「サクラコに会うてきたんやっ
て?」
颯希「え?」
穣一「お母さんから聞いた」
颯希「――うん」
穣一「桜花賞は苦手の重馬場。オー
クスははっきりした不利。秋華
賞は熱発で回避。あの馬で牝馬
三冠獲れんかったのは、いまで
も悔しい」
颯希「――」
穣一「おまえがハイデュクに乗っ
てくれて、俺は嬉しい。おまえ
もハイデュクに乗れて嬉しいやろ」
颯希「え――」
小さく頷く颯希。
穣一「その気持ちのままマイルカップ、
ハイデュクに乗れ。鞍の上に恨み
つらみを乗せるな。それは負担斤
量になる」
颯希「お父さん」
穣一「勝ってこい」
見つめあう父娘。強く頷く颯
希。
颯希「お父さん、今日は?」
穣一「同期でな、馬乗りでは芽が出
んかったけど、そば屋やって成功
してるやつがいる。そいつのとこ
ろに泊まるんや。昔語りで飲み明
かしや」
颯希「そっか」
穣一「なんや、抱っこして寝てほし
いんか」
颯希「アホかっ!」
笑う穣一。
穣一「もうちょっと、飲もうかい」
颯希「――うん」
ビールを口にする父娘。
〇東京競馬場・スタンド【NHKマ
イルカップ当日】
観客で超満員のスタンド。
〇同・芝コーススタート地点
マイルカップ出走前。出走各
馬が輪乗りをしている。六番
ゼッケンのデュエルナイフ、
鞍上の美途。七番ゼッケンの
ハイデュク、鞍上の颯希。
スターターが鞍上に立つ。関
東GⅠのファンファーレが
鳴り響く。大歓声。
枠入りが始まる。スムーズな
枠入り。
ゲートの中、相手を見る美途
と颯希のタイミングが合う。
数秒間互いを見る。同じタイ
ミングで目を外し、まっすぐ
前を見る。全馬の枠入りが終わる。
ゲートが開き発走。飛び出して
いく出走各馬――
(F・O)
〇瀬戸内海を進むフェリー【大晦日】
〇前同・そのデッキ
冬晴れの空。手すりに寄りか
かり潮風を受けている颯希と
姫香。
姫香「あー、ほんと気持ちいい。一
人旅がよかった?」
颯希「いえ。でも姫香さんがあのテ
レビ観てたって知らなかった」
姫香「こっちこそ会いに行ってた
なんて知らなかったよ」
進むフェリー。稲島が近づい
てくる。
〇港に着岸するフェリー
タラップが着けられ降りてく
る乗客たち。颯希と姫香も。
〇稲島の港
港に降り立つ二人。そこには、
寿々芽と美途がいる。驚く颯
希と美途。颯希、姫香を見て。
美途、寿々芽を見て。
そこにやってくる巫女姿の泉
美。
泉美「わたしが二人にツイッターで
メッセージ送ったんです」
姫香「いやあ、便利な世の中だ」
颯希「泉美ちゃん――」
泉美「仲直りしなきゃだめですよ」
寿々芽「ほら、競馬の神様のお使い
が言ってるんだから言う事聞くの
よ、二人とも」
じっと見つめあう颯希と美途。
二人、無言で。
〇同・島の路(夕方)
美しく装飾が施されたハヤテ
サクラコ。その鞍上の泉美。
同馬を曳くのは真央。
子供たちがその後ろをついて
歩いている。家々から人が出
てきて、ハヤテサクラコに向
かい柏手を打ち、深々と礼を
する。
その様子を見ている颯希ら四
人。
突然柏手を打ち頭を下げる寿
々芽。
寿々芽「ダービー、獲れますように!」
姫香「あっ、わたしも! 三冠ジョッ
キーになれますように!」
寿々芽「無ー理ーだーねー」
姫香「ふっふーん。オイルマネーがバッ
クについちゃったもんねー。いい馬
ガンガン回ってくるもんねー」
寿々芽「昔っからそういう打算的なと
ころのある女だよあんたは!」
かまびすしく会話する二人。
言葉を交わさない颯希と美途。
〇同・稲島神社・社務所・広間(夜)
島の若者たちの宴会が行われて
いる。颯希たち四人もいること
もあって浮かれた賑やかな雰囲
気。はしゃいでいる寿々芽と姫
香。広間を出ていく颯希。
寿々芽「ほら」
美途の背中を押す寿々芽。美途
も広間を出る。
〇同・砂浜
穏やかな夜の海を見ている颯希。
美途がやってくる。振り返る颯
希。颯希の横に並び立つ美途。
砂浜に座る颯希。美途も。二人、
じっと海を見つめて。
颯希「ごめん。言い過ぎた」
美途「え――うん、だよ」
颯希「うん」
美途「やりすぎた、かもしれない。で
も、後悔はしてない」
颯希の前に顔を出す美途。
颯希「?」
美途「デコピン」
颯希「え?」
美途「前に寿々芽さんにやってもらっ
たんだ。姫香さんにも。だから颯希
もやってよ」
美途をじっと見る颯希。
美途「それで、許してほしい。絶交な
んて、やっぱりいやだ」
まっすぐ美途を見る颯希。やが
て頷き、美途の額に中指でデコ
ピンを食らわせる。
美途「!――っつっ!!」
あまりの痛さに座り込む美途。
その様を見ている颯希。
美途「颯希のが、いちばん痛かった――」
笑う颯希。
颯希「そりゃあ、そうだよ」
美途「うん、だよね」
美途も笑いだす。座る颯希。
二人、見つめあう。颯希が手
を伸ばし、美途の手を握る。
その手を握り返す美途。
砂浜の上で固く握られる二人
の手。
寿々芽「おーい」
缶ビールのロング缶を手に寿
々芽と姫香がやってくる。立
ち上がる二人。
寿々芽「来た甲斐があったみたいだ
ねえ」
姫香「同級生のライバルがいる。恵
まれてるんだから二人とも」
寿々芽「たまにはいいこというね、
あんたも」
姫香「ずっといいことしか言いませ
ん――最初に会ったときもこうだっ
たね」
颯希「え?」
姫香「ほら、栗東の調教コースで。こ
うやって四人向かい合ってた」
美途「――はい」
寿々芽「今じゃ横一線か」
そのとき響いてくる除夜の鐘。
寿々芽「お、年が明けた。はい、みん
な並んで並んで」
砂浜に並び立つ四人。
寿々芽「ダービー、獲るぞ!」
海に向かって叫ぶ寿々芽。
姫香「リーディングジョッキーになっ
てやる!」
美途「わたしは――デュエルナイフ
でジャック・ル・マロワ賞絶対に
勝つ!」
颯希「――お父さんの勝ってないG
Ⅰを勝つ! 朝日杯、安田記念、
菊花賞、秋天、有馬記念……全部
勝つ!」
寿々芽「意外とファザコンだね」
颯希「ほっといてくださいよっ!」
美途「颯希に勝つ!」
叫ぶ美途。一瞬驚く颯希。
颯希「美途に勝つ!」
二人、見つめあって。笑みあう。
(F・O)
〇東京競馬場・芝コース
NHKマイルカップ発走。
レースは淡々と進む。先団のデュ
エルナイフ。後方に位置するハイ
デュク。
残り半マイルを切り徐々に進出を
開始するハイデュク。
最後の直線で抜け出すデュエルナ
イフ。
他馬を引き離しにかかる。ハイデュ
クが一気に追いついてくる。轡が並ぶ。
叩き合いになる。
残り百メートルを切っても轡は並ん
だまま。必死に鞭を振るう颯希、美
途。
並んだままゴール板を過ぎるデュエ
ルナイフとハイデュク。
大歓声が沸き起こっている。
颯希のウイニングラン。
美途のウイニングラン。
〇同・地下馬道入口
デュエルナイフを止める美途。
ハイデュクを止める颯希。
二人、無言で見つめあう。
ただ、じっと見つめあったまま
でいる。
〇エンディング
エンディングテーマと共に、キャ
スト、スタッフロールが流れて
いく。
〇東京競馬場・場内掲示板
<写>の表示がなされた場内掲示
板が大写しになる。6と7の間
に、<同着>の文字が赤く灯る。
大歓声が沸き上がる。
(了
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