カフカ橋
カフカの橋を読む度に、その時々の私の心により、感想は異なる。
不条理なる文学、橋=私、これは読まれた方が皆、代用して、思考、想像するだろう。
橋は、寂しい。
橋は、優しい。
橋は、待つ、待つ、待ちわびる。
橋は一人称で語られる。
橋はわたしである。
思いがけず、出現した旅人(要は、こんな場所には来ないであろうという突然の出来事、未知なる感動、不安、えとせとら)
橋人間たるわたしは、暫定”彼”を、落ちないよう、配慮する。
最大限の誠実さをもって、彼に接する。
しかし、傍若無人なる彼により、橋(わたし)は、在り得ない暴挙に見舞われることとなる。
……足音
どういうことか?誰だ?
誰かがやって来る
杖を持った旅人(彼)の鉄先が
橋を突き立てる
突き立てたまま放置する
彼は谷や山を考えていたのである
彼に寄り添うべく
橋が想いを馳せたとき
彼は突然跳び 橋の真ん中に着地する
橋は(わたしは)悲鳴をあげて、その者を確かめようと寝返りを打つ
かくして橋は真っ逆さまに転落するのである
橋(わたし)は一瞬にしてバラバラに破壊され岩の尖りに刺貫かれる
後書きは記述する
「橋は寝返ってはいけない」という禁止を破り違反と罪を受けたのだと
認識による事故破滅ーを指し示すと、
以前、山椒魚の記事に触れた時にも感じたのだが
山椒魚を愚かしいと見るか
橋を阿呆と見るか
文学だって、美術だって、音楽だって、答なんてありゃしない
だから、面白いのだ
確実に、おそらく、こうなるに違いないと、怯えたり縮こまることなく
どうせ、分からない先ならば
一寸先は闇、ってよりは、眩いほどの、光!だと想像して、負の感情など、払拭したい
橋はいかにも人間的だ
善良なる小市民である
今夜の解釈終了
ちゃんちゃん