カウンターレディはプ女子⑥:創作小説と私
石塚は先週末にあずきを送っていった時とは逆の
方向へと車を向けた。
あずきが焦って声を掛ける。
「石やん?」
「ちょっと遠回りするね、見られたくないし。」
「あ・・・。」
あずきが安堵する。
石塚なら大丈夫、そう思っていたはずの心が思わず
揺らいでしまったのが恥ずかしくなった。
「それでさ、あずちゃん。」
「はい?」
「オレの勝手な考えかもしれないけど、しばらく
お母さんの所に居た方がいいんじゃな・・・」
「母には言えません。それだけは・・・。」
あずきは珍しく強い口調で石塚の言葉を遮った。
「あずちゃん・・・。」
「出来ないんです。母は本当はたぶん、今でも
許してくれてはいないので。」
許す?何を?
石塚の頭に疑問が浮かぶ。
だが、とても聞き出せるような雰囲気ではない。
「それなら、あずちゃんが店に出る日はこうして
送迎続けるようにするね。」
「そんな、いいですよ。迷惑じゃないですか。」
「これ右でいい?」
「あ、はい。で、すぐ次を左で。」
住宅街の入り組んだ細い道路を慎重に進む。
あまり運転が得意ではない石塚はそちらに神経を
集中しながらも話を続ける。
「オレ、昔いじめられっ子だったの。」
「え?」
「だから自分の周りで誰かが傷ついたり、泣いたり、
困ってたりするのってイヤなのよ。」
あずきは改めて石塚の表情に目を向けた。
視線は前方に集中しながらも、口元はうっすらと
笑みを浮かべている。
その顔を見たあずきは、石塚の優しさがどこから
来ているのか理解した。
自身が痛みを知っているからこそ、他人の痛みにも
過剰なほどに敏感なのだ。
石塚は頼まずとも、あずきが出勤する時は毎度の
ようにこうして送迎してくれるつもりだろう。
そしてそれを拒むのは、かえって石塚を傷つける
事になりかねない。
あずきは石塚を巻き込んでしまった事に責任を
感じていた。
「あずちゃん、これはオレがそうしたいと思って
やってるだけ。だからあずちゃんは何も気にする
必要ないよ。」
まるで見透かされているかのような石塚の一言に
あずきは驚いた。
「すみちゃんにもママにもそう言っておいて
もらえるかな。オレが言うと怒られそうでさ。」
そう言うと今度は苦笑いを浮かべる石塚。
「石やん、聞いていい?」
「うん?何?」
「石やんとすみちゃんって・・・。」
あぁ、と石塚は苦笑いのまま答えた。
「”今はそうじゃない”。これでいい?」
2人が単なる友達だとは思っていなかったあずきも、
この言葉でようやく腑に落ちた。
アパートの前で車を停めると、石塚はホーム
センターのレジ袋に入ったものをあずきに渡した。
「それベランダの窓に着けておいて。2階でも安全
だとは限らないし。」
あずきが中を見てみると、そこには窓をロックする
ための補助錠が入っている。
「玄関も夜は必ずドアロックを忘れないでね。」
「ありがとうございます。何から何まで。」
「流石にね、毎回泊まり込むわけにはいかないし。」
少し照れくさそうに石塚は笑った。
そういえばさっきから石塚は何かしら笑っている。
これも自分を気にしてくれているからなのだろうか。
石塚の何気無い心遣いにあずきは感じ入った。
「必ず何かお礼しますね。おやすみなさい。」
あずきも精一杯の笑顔で応えた。
「おやすみ、あずちゃん。」
あずきが部屋に入るまで、石塚が車から見守る。
すみちゃんには「やりすぎ」だと睨まれるだろうな、
石塚はそう自嘲しながら家路へとついた。
木曜、金曜とあずきがラウンジへと出勤するたび、
石塚は車で送迎していた。
あずきとすみちゃんが2人揃ってカウンターに立つ
金曜日には、石塚はすみちゃんからの小言を覚悟
していたのだが、特に何も言われなかった。
代わりに彼女は意外な事を言い出した。
「石やん、明日空いてる?」
「あぁ、空いてるよ。何かあるの?」
「じゃあ同伴お願い出来るかな?」
「オレと?珍しい事言うな、すみちゃん。」
「お手当てもらえるしね~、協力してよ石やん。」
「いいよ、お店決めたらLINEするわ。」
「じゃ、私もママに連絡しとくね。」
「じゃ行こうか、あずちゃん。」
運転席のウィンドウ越しでのやり取りが終わると、
石塚はまた回り道しながらあずきのアパートへと
向かって行った。
3度目でようやくこの入り組んだ道にも慣れてきた。
運転にも少し余裕の出てきた石塚が周辺の様子を
窺いながら車を走らせていると、ほとんど人通りの
ない深夜の住宅街に一瞬人影を見た気がした。
(確か先週も金曜日・・・。)
石塚の表情が強ばるのを見たあずきが不安そうに
訊ねる。
「石やん?」
「あずちゃん、アパートの駐車場って空きはある?」
「空き部屋もあるので使ってないスペースは
ありますけど・・・。」
「今日、泊まってもいい?」
「え?あの・・・。」
あずきがしどろもどろになる。
しかし石塚の表情は硬いままだ。
「あ、ごめん。ヘンな意味じゃなくて。」
「あ・・・お願いします。」
あずきも状況を理解した。
途端に血の気が引いていくような気がした。
「大丈夫。安心して。オレがついてるから。」
とはいえ、石塚には何の心得もない。ただの虚勢だ。
それでもあずきを安心させるためにはこうでも
言うほかなかった。
駐車場の空いているスペースに車を駐めると、
あずきはまた石塚の腕を取った。
部屋に入るまで、石塚は神経を周辺に張り巡らす。
わずかな気配や物音も逃すまいと集中した。
その緊張が伝わったのか、あずきが手を取る力が
強くなる。
石塚は空いてる手であずきが腕を組んでいる手に
触れた。少しでも気を落ち着かせてやりたかった。
部屋に入るとあずきは思わず石塚に抱きついた。
「もう大丈夫。大丈夫だから。」
石塚はあずきの背中をぽんぽん、と優しく叩く。
しばらくそうしているうちに落ち着いたのか、
あずきがゆっくりと離れた。
「ごめんなさい、石やん。」
石塚はあずきの肩に手を置いた。
あずきの目をしっかりと見据え、言い聞かせるように
繰り返す。
「大丈夫。もう心配ないから。」
あずきはこくんと大きく頷いた。
「コーヒー淹れますね。」
「うん、お願い。」
(踏み込むな、か・・・。)
石塚はすみちゃんの言葉を思い起こしていた。
コーヒーの香気で気を落ち着かせながら、大きく
息をつく。
石塚のそんな様子を見てあずきが言った。
「アタシ、石やんに無理させてませんか?」
「この前も言ったけど、オレは自分がしたいように
してるだけだから、気にしなくていいよ。それに
こうしてコーヒーの香り嗅いでると落ち着くし。」
石塚がそう言って笑顔を見せる。
あずきは気づいた。
石塚はつらい時や無理をしてる時ほど、それを人に
見せないように笑う人なのだ。自分と同じように。
だから時折、すみちゃんは石塚のことを心配そうに
見ていたのだろう。
「コーヒーって落ち着きますよね。」
あずきもそう言うと笑顔で返した。
それが今、石塚に対して出来る精一杯だった。
「あずちゃん、オレの事はお構いなく。いつでも
寝てもらっていいよ。必要ならまた手くらいは
借してあげるから。」
「は~い。あ、そうだ。」
あずきは寝室にある小さなテーブルからノートPCを
持ち出してきた。
「新日の試合、それで色々観れますから、良ければ
どうぞ。」
「おぉ!ありがと。ヒロムちゃんが観たいな。」
「あ、高橋ヒロム好きなんですか?」
「ヒロムちゃん、カッコよくない?どの試合観ても
ベストバウトって感じだし。」
「え~。アタシはあのキャラが苦手かも。」
「あ、それはわかる。」
2人の笑顔が弾けた。
再び枕元で石塚はあずきに文字通り手を借していた。
手を握りながら微笑みかけるあずきに、石塚は
かねてからの疑問をぶつける事にした。
「あずちゃん、もし良ければ聞かせて欲しい。」
「はい、どうぞ。」
「あずちゃんがそこまでお母さんに気を遣うのは
どうしてなのかなって・・・。」
あずきは石塚から視線をはずし、天井を見ながら
考え込んだ。
そしてゆっくりと、事情を話し始めた。
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