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(ゲーム)音楽と私#10-1:サイトロン・レーベルとZUNTATA[前編]

今回もゲームに関連したお話として、
かわぐちようじさんの最新記事にちなんだ
内容でお届けしたい。

《かわぐちさんの最新記事はこちら》

スペースインベーダーが起爆剤となり1つの
”娯楽”としての地位を確立し始めたビデオゲーム。
当初はBEEP音による簡素な効果音くらいしか
発する事は出来なかった。

それがゲーム開始時のファンファーレを奏で始め、
やがてはBGMとして”音楽”が演奏されるようになる。

このBGMに”1つの音楽ジャンル”として早くから
目を付けたアルファ・レコードにより、ゲーム音楽
として初のレコードとなる
『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が発売された。
以降、ゲームミュージックは”VGM(ビデオゲーム
ミュージック)”という1つのジャンルとなった。

すべての始まり『ビデオ・ゲーム・ミュージック』。
YMOの細野晴臣氏も制作に参加している。
収録されているのはゼビウス、マッピーなど。

やがてアルファ・レコードからVGMを専門的に
扱うレーベルが立ち上がり、紆余曲折を経て
ポニーキャニオンで『サイトロン・レーベル』として
ゲームに関する音楽・映像など様々なジャンルを
取り扱う事になる。

サイトロン・レーベルはこれまでゲームとは
切り離して聴く事がなかなか難しかったVGMを
”サウンドトラック”としてより身近に楽しむという
新たな娯楽を提供してくれた。

そこには多くのゲームメーカーも賛同し、
色々なゲームを彩る名曲たちが次々とCDや
レコードとして販売され、気軽に楽しむ事が
出来るようになったのだ。

当時中高生だった私にも手に入れやすい価格帯での
販売だったのも人気の理由だろうか。


実はこれと同様の試みが前述のかわぐちさんも
携わっていたゲーム雑誌『Beep』にて付録に
”ソノシート”を同梱するという形で行われている。

また当時、ファミコンやアーケードゲームの
曲を”直録”するという行為もファンの間では
よく見られた光景である。
かく言う私も『ゼルダの伝説』などお気に入りの
曲をテレビのスピーカーの横にマイクを傾けて、
ラジカセで録音して聴いていたクチだ。

それほどにVGMというものは一部の熱狂的な
ゲームファンにとって”魅力的”なものだったのだ。


こうしたムーブメントは様々な”音楽家”たちにも
波及していく。
プロの音楽家としていち早くVGMに携わったのは
”すぎやまこういち”氏だろう。
言わずと知れた『ドラゴンクエスト』シリーズの
生みの親の一人である。

また各ゲームメーカーで作曲を担当し、後に
メジャーになっていく人たちもいた。
『ファイナルファンタジー』シリーズの作曲で
お馴染み”植松伸夫”氏は当時のスクウェア社に
入社してから大きく羽ばたいた一人だ。


そしてもう1つ。
この当時VGMを取り巻く環境で大きな”うねり”を
生み出したのが、各ゲームメーカーに所属する
サウンドチームとその”バンド化”だ。
サイトロン・レーベルでは各サウンドチームを
”アーティスト”に見立て、VGMのアルバムに
その名を刻んだ。
そして彼ら自身が”直接演奏する”アレンジ音源が
収録されるのが通例となっていた。

そうしたサウンドチームの中でも特に早くから
活動を始め、一躍人気となったのが
SEGAのサウンドチーム”S.S.T.バンド”と
タイトーのサウンドチーム”ZUNTATA”である。

その中でも当時中学生だった私を虜にしたのが
”ZUNTATA”だった。

当時使用されていた”ZUNTATA”のロゴマーク。
タイトル画像にあるのは”現在の”ロゴマークだ。


私が”ZUNTATA”に惹き付けられたのは、
まさに”ZUNTATA”の名を押し上げるキッカケと
なった2つのアーケードゲーム『DARIUSダライアス』そして
『ニンジャウォリアーズ』によるところが大きい。

こちらはサイトロン・レーベルが立ち上がる前に
アルファ・レコードから発売された
『DARIUS』のサウンドトラック。
今なお色褪せぬVGM界の名盤である。


思いもかけず記事が長くなってしまったため、
今回は一旦ここまでとさせていただこう。

次回は”ZUNTATA”の魅力を中心に、多様な
メーカー毎のサウンドチームとサイトロン・
レーベルのその後などをお話出来ればと思う。

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