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ゲームと私[番外編]:Beepフォーエバー
私が日頃ダラダラと思いの丈を綴っている雑記。
その中でも私が幼少の頃からどうゲームと
関わってきたか、あるいは特に印象に残っている
ゲームなどを『ゲームと私』というタイトルで
不定期に記事にしている。
そんな私のゲーム関連に時々”スキ”してくださる
方がいらっしゃるのでご紹介したい。
”かわぐちようじ(川口洋司)”さんという方だ。
川口氏は私たちの世代にとっては非常に
関わりの深い方だ。
というのも、川口氏は日本初のゲーム雑誌
『Beep』のライターのお一人で、のちに
編集長になられたお方だからだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723555903677-rX0bJRSDJP.jpg?width=1200)
ソフトバンクが生み出したゲーム専門誌としては日本初。
画像の11月号は特に有名な1冊ではないだろうか。
Beepはファミコンなどの専門誌が生まれるよりも
一足先に登場した。
それまでビデオゲームといえぱ『LOGiN』や
『マイコンBASICマガジン(ベーマガ)』といった
パソコン誌の1コーナーとして扱われているのが
せいぜいだった(厳密に言えばPCゲームもビデオ
ゲームなのだが上記2誌はゲーム”専門”ではない)。
それまでは少年ジャンプやコロコロコミックの
巻頭に数ページだけという情報と、ウワサや
クチコミなどを頼りに必死に遊んでいたゲーム。
それを専門的に扱う雑誌がいつも遊びに行ってた
ゲーセンの隣の本屋にある日置いてあったのだ。
パラッと立ち読みしただけでその内容に惹かれ、
ゲーム代は書籍代になった。
そこには当時のゲーム少年なら誰もが欲した
『ドルアーガの塔』の情報が載っていたのだ。
Beepはファミコンとアーケード、両方の記事が
一度に手に入る数少ない雑誌だった。
小学校高学年~中学の頃の私はのちにそれぞれの
専門誌である『ファミリーコンピュータMagazine』
『ゲーメスト』へと移行するまではBeepを
読んでいたし、上記2誌を定期的に購読するように
なったあとも度々Beepを購入していた。
それはBeepに時々ついてくる付録狙いだった。
そう、”ソノシート”だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723557625010-NxeWAILt52.jpg?width=1200)
このセガ特集のものはおそらくまだ実家に残っている。
文字通り擦り切れるほどOpa-Opa!していた。
当時まだビデオゲームミュージック(VGM)が
一般的ではなく、CDもまだ生まれる前。
幸い我が家には子供向けの簡素なレコード
プレイヤーがあったため、好きなゲームの曲を
こうして聴けるのはとても嬉しかったのだ。
またBeepはアナログゲーム(当時の紙面では
ペーパーゲームと記されていた)なども扱っており、
付録に軽めのウォーシミュレーションゲームが
付いてきたこともある。全部切り離すのは
なかなか大変だったな、アレ・・・。
読者参加企画などもあり、これらではあの
『コンプティーク』を先取っていたような
ところもあったように思う。
こうしてゲーム少年に少なからず影響を与えた
Beepは、他誌がファミコンに傾倒していく中で
一人SEGAの道を歩んでいく。
カッコいいぜBeep。道は違えたけどね。
それから数年後、社会人になり格闘ゲームに
のめり込んでいた私は再び川口氏が企画に
携わった雑誌にお世話になる。
『ザ・プレイステーション』である。
![](https://assets.st-note.com/img/1723558577726-uX8uJXD9fu.jpg)
この雑誌も体験版やムービー収録のCD-ROMなど
よく付録に付いてきていた。
間違いなくソフトバンクのゲーム雑誌の血統だ。
この当時、私は”鉄拳3”ひと筋だった。
鉄拳の攻略情報では間違いなくザ・プレの
鉄拳攻略班『秘密結社卍党』が最先端だった。
鉄拳3全国大会の大阪予選では実際に記者の方に
お会いする機会などもあり、私はすっかり
ザ・プレのファンになっていたのをよく覚えている。
今なおゲーム業界に携わり続け、精力的に
活動なさっている川口氏。
そんな川口氏にゲーム関連の記事へ”スキ”を
いただけるのはホントに励みになります。
今後ともよろしくお願いします。