独り法師
ずっと自分のいる場所、いた場所、いるべき場所が、わからない。
しがらみのプレッシャーも真剣なまなざしも怖いから、長年の付き合いを保存したくはないし、棒読みで出身地を尋ねられて愛想よく答えるのは心が削られるから、期限が一日の関係を構築したくはない。
住んだことの無いところに住んでみたいと、実家から日本列島の全長の半分くらい離れた町に引っ越してから、もう2年、一人でもやっていけることを証明するには充分な時が経ったはずなのに、今日は駄目だった。本当に駄目だった。
コロナでずっと中止していたのだろう、下宿先の町のだんじり祭りを初めて目にした。地元の人はおそろいの法被に袖を通し、太鼓の地響きに包まれて群をなしていた。金髪の兄ちゃんの掛け声で、神輿を引っ張る中学生たちが一斉に盛り上がって、商店街の居酒屋の夫婦が拍手をして、ママ友たちが写真を撮って、おじさんグループはタバコをふかして。
世界で私だけがひとりぼっちだった。
いい加減土地勘も得てきた町に、こんなにも人が集まっていると、錯覚しそうになる。目を凝らせば、小学校の同級生がいたりして。人混みの中、私を探している人がいたりして。
部屋の窓から聞こえた祭囃子なんかにつられるんじゃなかった。玄関で少し無意識に躊躇したあのとき、引き返すべきだった。
行進の列をかき分けて、脇道に入ったら、いつも以上にひっそりとしていた。もうみんな出払っていて、私は、少し嗚咽した。本来ならコップ一杯分くらいの涙に相当する、余りある感情を、実際はたった一粒の涙に凝縮して詰め込んで追い出した。
あれ。私ってどこで生まれ育ったんだっけ。
なんだかんだ、結局、しがらみがほしいのだろうか。うざったるくて無視したくなるようなしがらみが。