能登地震救援記 その7

その七
 朝10時、皆に送られて龍昌寺の坂を下りる。遼雲と固い握手の交わし、風ちゃんと赤ゃんらをのせた車と共に出発する。理由なんかないぜ懸命に生きろよと心のなかで叫んだ。酒田の角を右に曲がり走ること三分。反対側からきた軽トラが止まるとこの先の崖が崩れて通れないと言う。確認のため先に進むとカーブの横の道の山が崩れ巨木が二本倒れて道路を塞いでいる。人力で動かさせる代物ではない。横道を探るが雪で覆われている。反対側は道路法も通行止めだ。
 あちゃー帰れなくなった。あっという間に被災民になった。ボーゼンとこの事態を眺めなからそこにいた住民と立ち話をしているとここはAUが繋がると教えられた。これ幸いとまずはこの状況を知らせるため出来るだけの写真を送り各方面にメールを送った。
 シートを倒して一休みして何もかわらない山の緑を眺めている。山の緑は素知らぬ顔でゆったりと揺れている。あたふたしているのはお前だけだよと言わんばかりに。ソウルがらメールで「マキシさん命拾いしたね」と。ピンとこないが確かにそうだった。どうしたもんかと出口のないことに思いを巡らせてと出口は見えない。しばらくすると遼雲から電話があり酒田横の道が開いたと言う。
 千尋の車を待ち一緒た幹線道路にでる。快調に道を進むとすぐに穴水の手前で渋滞が始まった。延々と渋滞を進むと右手の崖が崩れ片側車線を塞いでる。一時間半かけようやくスーパーどんたくの前までたどり着いた。これ以上の渋滞を避けるため右に曲がり門前方面を進む事を選択する。
 自衛隊の車両に先導されながら壊れた道路をゆっくりと進む。門前を通る道は遠回りになるが渋滞はしない。慎重に盛り上がったバンプを越え割れ目を避けて先を急ぐ。
 黒島にたどり着くと再度与呂見から持って来た食料を正哉さん宅に運ぶ。美枝子さんは一人でおり上がって抜けた床を見てよと言う。上がってみると柱は傾き二ヶ所の床が抜け落ちている。こんな所で昨夜の大きな余震をやり過ごしていたのだ。崩壊しても不思議ではないようにおもえた。ここは危ないから与呂見に避難しなさいと言っても私は大丈夫の一点張りだ。
 これは時間がかかるなと思いまず風達の車を先に出発させた。そこにいた秋山さんと一緒に町の公民館頁行き正哉さんに会い。こんど大きな余震が来たら倒壊するぞとつめよった。一緒に家に戻り散々のやり取りの末ようやく三人は一度与呂見に避難することになった。
 三人を見送り一人七尾を目指して走り始めた。一度来た道を戻るのは少し気が楽だった、しかし事態は急変する。来た道が通行止めになっている。カーナビを頼りに知らない道を進む。はや日が暮れてきた。こんな時に志賀町前の村道を1人で走るのは嫌なもんだ。途端に心ぼそくなる。ここで脱輪したら新たな困難に見舞われる。パニック込まれないようにギリの判断力を保たなければならない。至るところ壊れた道路を進みながら一息つくコンビニやラーメン屋もない。
 スマホのカーナビに目を凝らし目の前の見知らね町と幾つかの丘を越えてて七尾の光雲寺にたどり着いた。日はとっぷりと暮れて六時は過ぎていた。八時間の行程だった。わじゅさん寺に上がり炬燵に入りると力が抜けへたりこんだ。
 追記 福田一家は今夕能登を脱出し元さんの実家のある秩父に無事に到着しました。遼雲さん弾くんを残しその他の住民はそれぞれの縁者を頼り避難したそうです。

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