能登地震救援記 その3

その3
 五日目朝を向かえた。朝食を済ませ皿を洗っているとソウル君が現れた。僕たちにガソリン30リットルを持って行って欲しいと持って来たのだ。いつも通る穴水町に抜ける海岸寺は道は渋滞する可能性高いとのことだった。皆考えることは同じで物資を親戚や知り合いに届けようと動き始めていた。相談の上棚までもどり西側のルートをとり志賀町を抜け門前町から三井町に行く道をえらんだ。上棚を抜け暫く走り現金を引き出そうとコンビニに寄ったかやっていなかった。それからすべての商店の明かりが消えていた。
 道はあちこちでよじれ、割れて盛り上がっている。そのバンプの手前で減速し慎重に乗り越えなくてはならない。迂闊に普通のスピードでぶつかるとパンクしかねないのだ。左手には日本海の荒波が打ち寄せ、右からは時折崩れた崖が現れ、その間を元さんはゆっくり慎重に道を選んで走る。    
 途中で温と連絡がとれ澄子を向かえにいけるかと聞いたら車と道の都合で行けないと言う。その代わりに西川のむすこの千尋が氷見から与呂見に向かっている途中に穴水病院の駐車場によれるとことだった。もう一つの手か延び始めた。
 249号線を富来まで走り、さて海側の道をはしるか、山越えを選択するか停車して思案さていると、「マキシなにやってんの」との声。江崎さんちの青がそこに立っているではないか。オレはここに住んでいてこれから輪島の彼女を訪ねるところだという。これ幸いと青の軽自動車ひガソリンを積み替え先導してもらえることになった。
 少し海側に進もうとするといきなりUターンをさ山越えの道をどんどんと進み始めた。新しく造れた道がところどころ破られネジ曲がり段差ができている。青の軽自動車はそれらを軽いリズムで乗り越えて行くのだ。 
山越えをし海岸線をしばらく走ると門前の
黒島に着いた。わじゅさんの弟の正哉さんがこそで針灸院をやっているのだ。黒島の風致地区の街並みは無惨にも崩れていた。至るところ崩壊した家が続いている。壊れた街並みの奥に正哉さんの針灸院はかろうじて立っていた。柱は傾き、床は抜けガチャガチャになった家のなかに美恵子さんがいた。こんな時でよく来たとコーヒーを入れチョコケーキを出してくれた。  
 持ってきた食糧を置き、いとまを告げ先を急いだ。海岸線から左に入り総持寺の前を抜け三井に向かうころ、西川の千尋が澄子を拾ったと連絡がはいった。やれやれまずは一安心だ。 
 歪んだ道走って行くとあるバターンが見えてきた。必ず橋の両側が凹みバンプになっているのだ。橋をつく際に作った盛り土が必ずといっていいほど崩へこんでいるのだ。それらを乗り越え三井町に着くと国土のバイパスは崖が崩れていて通れない。誘導されるまま迂回路にはいり街の本通りには入ると、三井の商店街は無惨に崩れていた。宮下医院の新しい建物は一回戦が潰れていた。その前の自動車整備の店も潰れてきた。なんとも言葉ならない風景画が続いてゆく。 
 さらに進み国道左に入り与呂見に向かう村落に入ると不思議なことに村の家々に被害の跡は見られない。土地によって被害の度合いがまったく違うのだ。 
 七尾から与呂見まで普段車で一時間の距離なのだが、八時間かかってようやく龍昌寺の坂のしたまでたどり着いた。

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