ザンジバルピザが焼き上がるまでに
観光立国タンザニア
タンザニアに住んでいた、という話をするとき、大抵の人のリアクションは
「タンザニア…」と場所にピンときていなそうな人。(体感70%)
「へー」といってはいるけど、あまり興味がなさそうな人(体感29%)
ダルエスサラームですか?と答える多分地理が好きな人(体感1%)
に分かれる。
一般にはあまり知られていないようだが、タンザニアはサハラ砂漠以南最大の観光立国である。
ライオンキングの舞台になったセレンゲティ・ンゴロンゴロ国立公園、アフリカ最高峰キリマンジャロ、リゾートのザンジバルがメインどころであり、すべて世界遺産である。特に地理的に距離が近い・時差も少ないヨーロッパ圏からの旅行者は多い。
アフリカというと、草原か砂漠かマサイか山かジャングルか、といったイメージを持たれる事が多いのだが、ザンジバルは沖縄やハワイみたいなリゾート島だ。
今回の旅程は、一応は新婚旅行ということもあったので、ザンジバルで数日過ごしたあと、妻の元仕事場と私の元仕事場(キリマンジャロ)に行く予定にしていた。
空港にて
飛行機がザンジバル空港に着いた。空港の匂いが海馬を刺激し、頭を懐かしさでいっぱいにする。香水なのか、スパイスなのか。体臭の説もあると思うが、別にいやな匂いではない。
入国審査で7年ぶりにスワヒリ語を話す。
Habari za asubuhi.(おはようございます。)
Salama. Kwema?(おはようございます。元気ですか?)
Kwema.(元気です)
7年前、何千回繰り返した言葉は思ったよりも頭に染み付いていて、考えるより先に口からスラスラ出てくる。
スワヒリ語が話せる外国人は珍しいので、空港のスタッフも笑顔で話しかけてくれる。通じたことが嬉しくて、ついいろんな人に話しかけてしまう。
空港からタクシーで市街地であるストーンタウンに向かう。
ストーンタウン
7年ぶりに訪れたストーンタウンは、びっくりするほど変わっていなかった。
お気に入りだったジェラート屋さんが潰れていてショックだったが、町並みはほとんど変わっていない。
ゴミ箱ができていたこと、ストローが紙ストローになっていたこと、ビニール袋が使用禁止となって、不織布の袋になっていたことなど、環境に対する意識の変化は感じる。
ストーンタウンは夕日が美しいことで有名だ。島の西端に面している為、インド海に太陽が沈んでいく。
赤からオレンジへ、また緑がかった薄い青から深いネイビーまで、無限の階調を持った空は、いつまでも眺めていられる。
アフリカンハウスホテルというホテルのバーが夕日のベストスポットで、ここには妻と昔来ていたので、同じ構図で写真を取ってみた。
あまりに私の顔つきが変わっていて驚いたが、まぁこれはこれでいい経年変化なのかもな、と思った。(丸くなった。体も心も。笑)
ザンジバルピザが焼き上がるまでに
フォロダニ公園で夕飯を食べた。
フォロダニ公園は海岸沿いにある公園で、屋台の食べ歩きができる場所である。夜になると、どこからともなく屋台がでてきて、ローカルも観光客も混じりあって楽しんでいるところは、台湾の夜市に似ている。
屋台は種類豊富で、海鮮の串焼き(ロブスターやサバっぽい魚など種類豊富)やさとうきびを絞ったジューススタンド、ケバブ(これは7年前にはなかった)などがあるが、ザンジバルピザと呼ばれる食べ物が特に美味しい。
小麦と水と卵で皮を作り、そこに玉ねぎみじん切りとひき肉を入れて焼き上げ、マヨネーズやケチャップで味付けするシンプルな食べ物である。
ピザというか、お好み焼きのような、巨大な餃子というか。。オプションでバナナ、チョコソース、チーズなどがトッピングできるので、クレープのようなアレンジ力がある軽食でもある。
以前に良く食べていたザンジバルピザの屋台を覗くと、あの頃とおなじ屋台のおじさんがピザを作っていた。チーズ入りのザンジバルピザをオーダーして、話しかけてみる。
私「昔、タンザニアに住んでいてさ、あなたと写真を撮ったのを覚えてる。7年ぶりに旅行に来たんだ」
あんちゃん「あーこれは俺だね!7年!それは久しぶりだね。」
私「7年間で何か変化あった?」
あんちゃん「コロナのときは大変だったな。観光客が途絶えて、ストーンタウンがガラガラだった。飯食うのが大変だったね」
確かに観光で成り立っているこの島にコロナが与えた影響は大きかっただろう。タクシーの運転手もホテルマンも漁船のキャプテンも、それぞれ大変な思いをしたはずだ。
こっちもそこそこ7年間いろいろあったし、それなりに毎日大変だった。
遠い国に住んでいる同士が、お互いなんとか毎日を乗り越えて、7年ぶりに人生が交差していることに興奮した。
あんちゃん「次はいつ来るの?」
私「そうだな、5年後かな。笑」
あんちゃん「じゃ5年後またここで会おう。子供連れてこいよ」
私「そうだね、お互い5年乗り越えて会おうね」
感動的な、ウェットな会話ではない。
全てはカラッとしたジョークとして話している。
またきっとタンザニアには行くだろうが、それまでにたくさんの、飽きるほどの”ケ”の日々を過ごして、ごくたまーーにある数回の"ハレ"を味わって噛みしめて過ごすだろう。
そしていつかまた、ザンジバルピザが焼き上がるまでの間、遠い国の人生が交差して、お互い5年間乗り切ったなーと生存確認できればいい。
ジョークで言ったつもりの「5年後会おうね」は、この旅行のテーマとなっていった。
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