物という縛り

ミニマリストみたいな一人暮らしを始めてもうすぐ四年が経とうとしている。最近思うところもあって以前より大切な物も増えた気がする。
そんな捨てては買って、捨てては買ってを繰り返し続けた僕の買い物の現時点の終着点を提案したいと思う。

1 物の値段は関係ない
タイトルの通り、案外物の値段は関係ない。例えば、欲しい物のジャンルで極端に高い物を買うことで自分が求めている塩梅が分かるということはある。これは資金に余裕があって時間をあまり使いたくないのなら一番手っ取り早い。そのジャンルで一番ないし上位の物であればリセールバリューもいいことが多い。これは違うとなればメルカリで売ってしまえばいい。
ただ、全部が全部そんな風にするのは庶民にはなかなか難しい。なのでほしい理由を明確にすること。それがあって生活がどう変わるか。その二つを考える。実際に僕は、先日までものすごくブレスレットが欲しかったのだが中途半端な物を買うと捨ててしまうと自覚しているので値段の上限を決めずに単純に欲しいと思った物を買おうと思った。伊勢丹やらなんやら色々行って上は40万円くらいから下までいくと5000円くらい。色々つけたり物色して結果、2万円くらいのブレスレットになった。単純に高ければいいわけじゃないと改めて認識した。結局、僕は心の中で所詮ブレスレットだもんな思っている節があった。
これはさらに最近の話なのだが季節の変わり目になって洋服を買い替える。ここ何年かは、毎年UNIQLO、GU、ワークマンを回って最終的に一番いい物を買っていたのだが毎年買い替えるまでの時間、選ぶ時間がとてつもなく長い。軽くストレスだったので現クローゼットの洋服で気に入らないものは、ほぼ全部捨てて、気に入った物だけ我が家に招き入れるという今までにやったことのない方法にチャレンジしてみた。この方法は、それなりにお金がかかるので躊躇していたのだが、やってみて大満足の結果になった。今まで買って、数週間経つともっと他にいい物あるんじゃないかと思ってたのがめっきり減った。気に入った物買ったし、まあいいかという具合に落ちつく。自分が洋服に何を求めるのかを言語化してから気に入るものを買うというこの方法はめちゃくちゃいい。おすすめ。見ないふりをしていたけど要所要所UNIQLOで満足できない物もあったんだなとしみじみ思う。満足のいった物を買うと、その後に買い物をしなくなるので満足度が高く、無駄な物を買わないのでお財布にも優しかったりする。もちろん状況によるが。
これは余談だが、高すぎる服を買って汚れやらなんやらが気になるといってその場に集中できなくなるがとても嫌である。まさしく身の丈に合っていないといえよう。例えがファッションに偏ってしまったが家具や家電も同じである。高いテーブルを買って友人とパーティーしたのはいいが食べ物をこぼされそうで気が気じゃない。これじゃその場を楽しめない。物は自分ではないのだ。物とはいい距離感で付き合っていきたいと常々思う。

2選択肢という罠
物にかけられるお金が増えると必然的に選択肢が広がるのではないだろうか。真剣に調べたり考えたりするのだが、なにせ物が多すぎてめんどくさい。前述したとおり、自分にとってどこがベストなのか分かったりもするから体験としてはいいと思うが本当に欲しい物が高すぎるってことも僕の感覚ではあまりない。年代の趣味嗜好にもよると思うけど高いものより安いものの方が日常使いしやすいということもある。だからこそ自分のちょうどいい塩梅、自分がその物に対して何を求めるのか。買った後その物があることで生活がどうなるのか。そこを想像するのが重要だと思う。基本的にこれから新しく買う物は、今までなくても生活に支障のない物だったのだから。
見栄にお金を使うのはもったいない。実際、物は大してなくてもわりと生活できたりする。外側にばかり欲しい物を求めるのではなく、自分の内側と向き合って何を求めているのか考えることの方が僕は好きだったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?