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シロタ親子の話。  日本国憲法の女性の権利 ウクライナ ロシア ユダヤ人

今、日本の国際ニュース的な話題と言えば「女性の権利 ウクライナ ロシア ユダヤ人」だと思う。
ロシアとユダヤ人に関してはネガティブな印象が強い時期だけど。
しかしに日本の近代史を見ると、ある親子がこのテーマを偶然にも背負っていたりする。
その親子もまさか日本と深く関わるとは全く思っていなかった。
その親子の名前はレオ・シロタとベアテ・シロタの父娘。
父親のレオ・シロタはピアニストとして来日し、ピアノ教師として多くの優れた弟子を育てた。
彼はロシア革命が起こる前にロシアのウクライナ地方で生まれ、激動の人生を送った。
娘のベアテ・シロタはウィーンで生まれ両親と一緒に来日して、太平洋戦争前にアメリカに留学して、戦争終了直後にGHQの通訳として日本に戻ってきた。

GHQには日本国憲法に女性の権利を書く計画は全く無かった。
しかし偶然、通訳として参加していた1人の女性の切実な願いによって日本国憲法に女性の権利が書かれた。
その名前はベアテ・シロタ・ゴードン。
もし彼女が通訳として日本国憲法作成に参加していなければ、『虎に翼』は全く別のドラマになっていたのかもしれない。
戦後の日本の女性の権利は今も戦前と変わらないままになっていたのかもしれない。

NHK朝ドラの『虎に翼』が法曹界における「女性の権利」をテーマにしている。
主人公は戦前から法曹界で活躍しようとするが報われず、青天の霹靂の如く戦後に憲法が変わり、戦前にはなかった「女性の権利」が新しい憲法に入ったことを理由に戦後の法曹界を変えて行く。
『虎に翼』には、シロタ親子は登場しない、残念。

幸にも彼女の自伝は日本語に翻訳されている。『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』 (朝日文庫)



父親のレオ・シロタはヨーロッパでは有名なピアニスト。
シロタという響きから日本語を連想してしまうが、レオ・シロタの両親はウクライナ系のユダヤ人で、日本とは全く関係がない。
レオは1885年生まれなので、帝政ロシアの時代で、まだソ連でも建国していなかった。
地元で神童として有名になりヨーロッパで活躍する。
1928年に演奏旅行でハルピンに行き、そこで山田耕作に出会う。
山田耕作から日本に招待される。
ハルピンに行く前にロシア革命と第1次世界大戦が起こっているので、激動の人生。
しかしロシア革命の時はヨーロッパで活躍し、第1次世界大戦も徴兵は免れている。
日本に来てからは終戦まで日本に住んでいた。


レオは真珠湾攻撃の前にアメリカに留学している娘に会いに行き、ハワイ経由で帰国(1945年11月)。
戦時中は外国人ということで軽井沢に強制疎開。
軽井沢での生活は厳しく(特に冬)、スパイ容疑もあったので辛かったそうです。
しかし東京の自宅は空襲で全壊、不幸中の幸か。

娘のベアテは太平洋戦争の時はアメリカで働きながら大学で勉強しました。
ベアテは最初はパリに留学する予定だったのですが、ナチスを恐れて留学先をアメリカに変更したのです。
しかし戦時中は両親は軽井沢で強制疎開させられ不通になり、戦争が終わり、両親会うためにGHQの通訳に応募して採用されます。

ベアテがGHQの通訳になった理由は、日本国憲法とは全く関係ないのです。

ベアテは日本に行き、軽井沢に強制疎開させられいた両親に会うことができました。
両親は1946年に日本を離れてアメリカに移住しました。
レオは1965年に亡くなりました。
亡くなる前に一度だけ日本に来て、弟子達の歓迎されました。

レオ・シロタの伝記も出ています。『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』
山本尚志   毎日新聞出版 (2004年)

岩波ブックレットでもシロタ親子について紹介しています。
『岩波ブックレットNo.889 ベアテ・シロタと日本国憲法 父と娘の物語』(2014年)


レオ・シロタはNHKのステラでも紹介されています。
シロタ親子の物語が朝ドラで放映されることを望みます。


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