シュミットとシビル・ウォー、時々玉木
第50回衆議院議員総選挙が終わった。
私が比例で国民民主に投票したという事実がバイアスとして影響していることは否めないが、現状キャスティングボートを握っているのは明らかに玉木雄一郎その人に見える。とにかく、私は選挙数日後のTwitterのタイムラインを見て、急いで基礎控除と給与所得控除の違いについて調べた。一方で、反安部的言説から近年の自民党ではかなり異色の存在感を放ち続け、しかも選挙にめっぽう強く一般的に智者としてみられていたと思われ、この程ついに総理総裁の座を射止めた石破茂その人の現状を見るに、少なからずの失望を抱かずにはいられない。中でも、選挙に大敗したことを受けて非公認ながら選挙を突破してきた元安倍派重鎮達を一旦は自民党に迎え入れることを表明したにもかかわらず、ネット上の熱烈な批判を受けて一転公認の決定を撤回した様は、とてもじゃないが褒められた物ではなかった。そう考えれば、高橋洋一チャンネルで選挙当日に公開された「テレビより面白い!衆議院選挙開票速報 ゲスト:東野幸治」(1)の中で高橋が石破総理のそれまでの動きを批判しつつ「リーダーってのはブレないことが大事なんだ」と言っていたのは、一定的を射た発言に思える。私は高橋洋一氏の言動については、賛同しかねることが多く、彼から見たらリベラルな思想(例えば、選択的夫婦別姓支持とか)を持っている。しかし、彼の選挙ライブが同時接続10万人を超えていたという事実や、数年前に彼と時の男玉木雄一郎による本チャンネルでの財政に関する政策論議を視聴した事実を踏まえれば、高橋洋一という男を決して軽視してはならないように思うのである。
ところで、私の中では大いに盛り上がっていた本邦選挙の中、とある言説を見かけた。それと言うのは、直近にアメリカ大統領選挙を控えているということは、この選挙が日本の行く末を決めるには本来ほどの影響力を持ち合わせていないことを意味している、というものである。
なるほど、彼の意見は一理あるかもしれない。とにかく、私は上記の発言を聞くまで、これほどまでにアメリカ大統領選挙が差し迫っていることを知らなかったし、一方で直近「シビル・ウォー」(10)を観たこと、更にカール・シュミット著「政治的なものの概念」を読んだことを踏まえて、一旦諸々のことについて整理することが大いに意味あることに思える。
映画「シビル・ウォー」は色々な意味で衝撃的ではあったが(特に、IMAXで観たことはより大きなインパクトをもたらしたと言える)、Twitterで見かけた「あの映画は結局内戦の原因を描写しなかった訳だが、米国の現状を見るにつけしたくてもできなかったであろう、そしてそれは賢い選択であると言える」という感想については、この映画が今公開されることのアメリカにとっての意味と、アメリカ国内の想像以上の分断の深さについて大いに考えさせられた。
幸いなことに、日本では国会議事堂の占拠と言ったような頭を覆いたくなるような事件が起きるような状況には未だ至っていないように思える。しかし、事実を眺めてみれば、歴代最長の政権を率いたリーダーは選挙期間中に殺されているし、この程自民党本部にガソリンを積んだ車が突っ込んでいる。そういう現実を知れば知るほど、冷静でいること、中立でいることの難しさを感じずにはいられない。
そして、この困難な状況について言及しているのが先述したカール・シュミット著「政治的なものの概念」である。本著でシュミットは政治とは、道徳が物事を善と悪に区別し、美的感覚が対象をそれと醜たる感覚に分類するように、人々を敵と味方に区別するものであると述べている。(2)要するに、分断はイレギュラーや間違った結果というわけではない、むしろ、分断こそが政治の本質であるというわけである。
そしてより衝撃的なことに、「政治的敵とは他者であり、他人にとどまる」(2)つまり、他人であること、それだけが敵たる条件であると述べている。テストの点数の良し悪しと運動神経の有無が重ならないように、政治における敵味方と道徳における善悪には何らの共通もない。敵は悪である必要はなく、我々は必ずしも正義ではない。
一方で、悲しいことに大抵の場合において政治的な区別は、他のあらゆる可能な区別(善悪)を、自分を意識的に正当化し根拠づけるため、引き入れて利用するという現象が見られる。(3)つまり、先ほど我々が衝撃を受けたのはある意味正しい反応で、悪だから敵なのではなく、敵を悪と認識するような振る舞いは政治においてまま見られる現象なのである。
本著が書かれたのは1933年であるが、それから10年足らずしてユダヤ人が政治的な敵を超えた絶やすべき悪とみなされ、凄惨な虐殺に遭ったのが、何を隠そうシュミットの母国で立ち上がったナチスドイツによるものであったことは、彼の理論が決して荒唐無稽な何かではなく、むしろ彼がナチスドイツに協力していたという事実を踏まえてより意義深く扱う必要があることを示している。
さて、シュミットは敵対関係の最も極端な実現として「戦争」がありうると述べている。(4)
ここでいう極端な実現とは、決して戦争自体が政治の目標や目的というわけではなく、現実の可能性として常に存在する前提であり(5)、あくまでも政治の最終局面に過ぎないことを意味している。シュミットはこの状況を表す言葉として「政治家は、兵士よりも良く、闘争のため訓練されている。というのも、政治家は生涯闘い続けるが、兵士は例外的にのみ闘うからだ」(5)というクラウゼヴィッツの言葉を引用している。
つまり、戦争そのものにフォーカスしても(反対しても)そこに真の解決は見出せない。戦争に至った時点で最早対立は後戻りのできない所まで達してしまっているのであるから、戦争に至るまでの政治こそが最も重要な地点である。
しかし一方では、戦争は政治の延長でしかなく、戦争の存在は政治の前提であり、両者を完全に分離することもできない。従って、戦争の可能性なき政治は考えられないということでもある。政治的に戦争反対!!と人々が声高に叫ぶ時代ほど、実は戦争は近くにあり、逆に誰もそのような声をあげない時代は、戦争が遠ざかっているというのは皮肉な事実である。
「より大きな問題は国内の人だと思う。米国には非常に悪い人間がいるし、病んだ人々もいる。急進左翼の異常者だ」
「必要なら州兵によって、あるいはもし本当に必要なら軍隊によって、ごく簡単に対処できると思う。彼らならそういった事態になるのを未然に防げる」(6)
これは、シビル・ウォーの作中発言ではない。
トランプ氏が選挙期間中に支持者に向けて話した内容である。もはや、フィクションと現実の境目は消えかけている。
これについてもカール・シュミットは以下のようなことを述べている。
「政治につき語りうるには、闘争の現実的可能性はつねに存在していなければならないが、こうした「内政の優位」の場合、この可能性は、当然の帰結として、もはや組織された国民的統一(国家または帝国)の間の戦争ではなく、内戦に関係してくる。」(7)
さて、我々はとかく、このような問題は基本的にアメリカに差し迫ったものであり、なんだかんだ能天気に生きていても成り立つのであろうと考えがちであるが、そういう我々も無関係ではいられない、むしろ我々のことについてシュミットは以下のように述べている。
「一国民が政治的実存の苦労とリスクを恐れるならば、「外敵に対する保護」と政治的支配を引き受けて、その国民の苦労を取り去る別の国民がまさに現れるだろう。その場合、保護と服従の永遠の連関により、保護者が敵を定めるのだ。」(8)
これは、まさに日本の姿そのものである。
アメリカに保護されて戦争を忘れて生きる道はかつて存在したし、今もその空気感は我が国全体に蔓延している。その空気を私は決して否定しないし、結果的に今までは多くの国民はむしろ幸せだったのかもしれない。しかし、その独特な空気感は、まさしくアメリカへの服従によって成り立っているということを我々は覚えておくべきだ。また、このことは結局我々は容易に戦争の可能性というものから逃れることができないことを証明している。
シビル・ウォーの作中で幾度となく流れていた場違いな音楽(例えば、Silver ApplesのLovefingersなど)はその都度無理やり私の意識を現実に引き戻した。それは、私にはまるで「お前が観ているのは架空のファンタジーなんかじゃないんだ。考えろ。お前にはその義務がある」と言われているように感じられた。
最後に、政治と善悪の関係についてもう少し語りたい。最近ハリー・ポッターリターン・トゥ・ホグワーツ(9)を観たのだが、その中でハグリッド役の俳優「ロビー・コルトレーン」がハリーポッターという作品について、敵は悪であり、善が勝つか、悪が勝つか、そういう戦いであると述べていた。彼の心からの正義が自陣にあるという発言には文化の違いも感じられたし、確かにハリー・ポッターという作品は、種を超えた差別などの複雑な問題を描きつつも、ラスボスであるヴォルデモート卿は悲しい生い立ちではありながら、同等の境遇で育ったハリーとは対照的に愚かな悪党として描かれていることから、勧善懲悪の色味が強い。一方で、日本のアニメや漫画作品においては、単純な善悪で語れるものはむしろ少数派である。フリーザのような一方的な悪は珍しく、幽☆遊☆白書の仙水忍、ONE PIECEのアーロンにロブ・ルッチ、進撃の巨人のジーク、僕のヒーローアカデミアの死柄木弔というように、人間のありとあらゆる差別や欺瞞、残酷さを描き、果ては正義と悪の転換まで見せるという段階まで達している。そしてその複雑性を大衆は支持しており、今となってはフリーザ的な悪に対して物足りなさすら感じる段階まで来ている。
我々は今、容易に政治から逃れることのできない時代へと歩みを進めている。そうであるからして、政治の本質をしっかりと認識し、せめて容易に善悪の判断をしないことが重要であると思われる。また、政治と同様に戦争についてもあくまでも政治の延長にあることを認識し、恐れるのではなく正しく理解し対処することが求められているのである。そして尚且つ、国際的マナーに苦しむ石破氏と女性問題に揺れる玉木氏を温かい目で見守るくらいの度量を持つのが良いのかもしれない。
(1) 高橋洋一チャンネル(2024)「テレビより面白い!衆議院選挙開票速報ゲスト:東野幸治」(URL)
(2)カール・シュミット(2022)(訳:権左武志)「政治的なものの概念」p120
(3)同書p122
(4)同書p130
(5)同書p132
(6)CNN(2024.10.15)「トランプ氏、「内なる敵」に軍隊使用する考え示唆 米大統領選当日」(URL)(アクセス日:2025.1.13)
(7) カール・シュミット前掲書p129
(8)同書p156
(9) Casey Patterson(2022.1.1)「ハリー・ポッター20周年記念: リターン・トゥ・ホグワーツ」max
(10)アレックス・ガーランド(2024)「シビル・ウォー アメリカ最後の日」A24