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報道の自由度ランキングが示す日本の「凄さ」─RAF的視点に基づく世の中観察日記

日本の報道自由度ランキングが68位との報道がつい最近あった。確かにそうしたランキングが公表されていたなと思いだす。最近一人当たりGDPをみても生産性をみても、OECD加盟国やG7中で最下位クラスに喘ぐ日本であるが、それにしても68位とはひどいなと改めて感じる。アジア諸国も全般に低ランクではあるが、それでも韓国や台湾は日本よりも相当上位に入っている。

もっとも、日本のこうした低順位は今に始まったわけではないらしい。ランキングが公表された2010年代初頭から、ほぼ同じような位置に甘んじていたようだ。ということで、比較的最近始まった、目をつぶりたくなるような惨状の経済指標ランキングとはやや趣が異なるようだ。

日本が低ランクの理由としては、例えば、特定秘密保護法によるジャーナリストの取材活動の制限、記者クラブの存在、メディア企業の財界への依存、ジャーナリストのジェンダー不平等が挙げられている。因みにランキング・トップはノルウェーで、基本的には欧州先進諸国が上位を独占する。そういう意味では、記者としての「自由」の空気に関する嗜好や感度の違い(つまりはバイアス)が影響していることは否定できない。もっとも、興味深いのは、こうした世界比較ランキングが大好きな日本で、このランキングは結果だけが淡々と報じられ、その評価については大手メディアから殆ど聞かれないことである。

低ランクの主な理由が、日本の報道体制(大手によるニュースソース寡占、政官財との癒着等)に対する批判なのだから、大手メディアが沈黙を守ったとしても仕方がないのかもしれない。政府の側も、責任の半分は自分たちにあるのだから、わざわざ腫れ物に触るインセンティブはないのであろう。

それにしても、である。多様性の重要性や社会的公正への感度引き上げを世の中に訴えながら、その一方で自らについては「多様性」や「社会公正」に対し後ろ向きな姿勢を維持する「欺瞞」は、なかなかのものではなかろうか。報道ランキング最下位クラスの北朝鮮や中国は、そもそも西側民主主義国とは別の正義の物差しをもっており、そういう意味では報道の自由度ランキングと自分たちの正義間のギャップは小さい。一方で日本は西側民主主義を標榜しているのであり、自分たちが理想とする正義の姿と自由度ランキング間のギャップの大きさは、もしかしたら世界「最大」クラスなのではなかろうか。

さらにいえば、多分、実は多くの日本人こそが、従来の価値観ではなかなか受容できないような多様性や社会的公正を新聞紙面やテレビ画面に持ち込まれても「困る」「むしろ不快に感じる」ということなのかもしれない。仮に新しい考え方が入ってきても、海外の所謂「先進国」が「これが正しい方向だといっているのだから、ある程度はお付き合いでやろうか」程度の流れに止まる。従来の価値観に納得しない少数派は、正論を唱えることができないまま、安定を志向する過半数の(緩い中道左派的)意見のなかに押し込まれてしまう。「分断が許されない社会」では、結局本当の意味での多様性の居場所などないのかもしれない。

日本の「報道の自由度ランキング」は実に低い。但し、「報道の自由の制御度」を「自然に」高めることで、一応「民主主義国家」の体裁をとりながらも、社会の分断を許さず民意の統一性を「半強制的に」保っているこの国の制度は、もしかしたら「凄い」のかもしれない。

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