【日韓関係問題2】日本の自虐史観論について
日本において戦後の歴史認識で「自虐史観論」みたいなのがありますが
私は、日教組が教えた学校教育は基本正しかったと考えてます。
コラムを読んでくれてる人の為にも
旧日本国(大日本帝国)には大義ある防衛戦争史と大義のない侵略戦争史をした2つの時期があり
日本の小中学校の社会科で習う近代史を時系列を追っておさらいしましょう。
16世紀中頃 鉄砲伝来(織田信長が多用
1639年 徳川幕府による鎖国開始 出島(オランダ限定で南蛮貿易継続
1774年 解体新書
産業革命:Wikipedia説明では18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革。即ち1700年代半ば~1899年までと考えていいでしょう。
1843年 アヘン戦争
1851年 太平天国の乱
1853年 黒船来航
1854年 日米和親条約(不平等条約
1855年 日露和親条約(不平等条約
1856年 アロー戦争
1858年 日米修好通商条約 安政五カ国条約 アイグン条約(ネルチンスク条約破棄
1861年 南北戦争
1862年 高杉晋作上海留学
1863年 薩英戦争 下関戦争
1867年 パリ万国博覧会
1868年(明治元年) 戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦い 明治維新
1869年(明治2年) 五稜郭の戦い 版籍奉還
1871年(明治4年) 散髪脱刀令(欧米人の要請によりチョンマゲ文化廃止) 新貨条例制定 廃藩置県
1873年(明治6年) 地租改正 征韓論
1874年(明治7年) 台湾出兵
1875年(明治8年) 大阪会議 樺太千島交換条約、江華島事件、日清修好条規調印
1876年(明治9年) ★日朝修好条規(韓国の鎖国解除
1877年(明治10年) 西南戦争
1884年(明治17年) 清仏戦争 甲申政変コウシンセイヘン
1885年(明治18年) 天津条約 (日清の朝鮮半島の権益を巡っての条約)
1886年(明治19年) ノルマントン号事件
1887年(明治20年) フランス領インドシナ統治開始
1889年(明治22年) 大日本帝国憲法
1894年(明治27年) ★日清戦争 東学党の乱(農民運動)
1895年(明治28年) 下関条約で日本が台湾・澎湖諸島・遼東半島を獲得、三国干渉で遼東半島を領土剥奪
1896年(明治29年) 明治三陸地震津波
1897年(明治30年) 10月12日朝鮮国より「大韓帝国」に改称★
1898年(明治31年) 米西戦争(アメリカスペイン戦争フィリピンアメリカ統治 ハワイ併合
1899年(明治32年) 米比戦争(フィリピン独立戦争
1900年(明治33年) 義和団の乱 八カ国連合軍北京占領(日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、オーストリア
1902年(明治35年) 日英同盟
1904年(明治37年) 日露戦争 日韓協約
1905年(明治38年) 日本海海戦 ポーツマス条約 日比谷焼打事件
1907年(明治40年) ハーグ密使事件
1908年(明治41年) 赤旗事件
1909年(明治42年) 10月26日伊藤博文暗殺
1910年(明治43年) 大逆事件(幸徳事件ほか) 韓国併合
1911年(明治44年) 辛亥革命(中国で発生した民主主義革命
1912年(明治45年/大正元年) 1月1日南京で中華民国樹立(初代臨時大総統孫文
第一次護憲運動(憲政擁護運動) 明治天皇崩御
1913年(大正2年) 大正政変
1914年(大正3年) 第一次世界大戦1918年11月終結
1915年(大正4年) 対華21ヶ条要求
1917年(大正6年) 石井・ランシング協定締結 ロシア革命(2月10月)
1918年(大正7年) 米騒動、シベリア出兵 原敬暗殺 ソビエト・ウクライナ戦争
1919年(大正8年) 三・一運動
1920年(大正9年) 戦後恐慌(慢性不況)1920-1931年の12年間は長期のデフレーション
ポーランド・ソビエト戦争 尼港事件 朝鮮人内地渡航制限
1922年(大正11年) 四カ国条約、九カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約 山東半島サントウハントウ中国に返還
1923年(大正12年) 関東大震災、亀戸事件、甘粕事件、虎の門事件 日英同盟失効
1924年(大正13年) 第二次護憲運動 アメリカ排日移民法(日本人および有色人種の移民禁止
1925年(大正14年) 治安維持法 普通選挙法
1926年(大正15年/昭和元年) 大正天皇崩御
1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌 東方会議 山東出兵
1928年(昭和3年) 三・一五事件 済南事件 張作霖爆殺事件
1929年(昭和4年) 世界恐慌 光州学生事件(朝鮮人の反日記念日:11月3日学生の日
1930年(昭和5年) ロンドン海軍軍縮会議(対米英の6割の制限された不平等条約、25万人まで軍縮、現在の自衛隊数の基準)昭和恐慌 昭和東北大飢饉
1931年(昭和6年) 中村大尉事件 柳条湖事件 満州事変 三月事件 十月事件
朝鮮排華事件 万宝山事件(朝鮮人による華僑襲撃事件
1932年(昭和7年) 血盟団事件、五・一五事件、1月第一次上海事変 ホロドモール
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、ヒトラー政権発足 ホロコースト 滝川事件 神兵隊事件
1934年(昭和9年) 帝人事件 朝鮮人移住対策ノ件(朝鮮人の本土移住禁止令施行
1935年(昭和10年) 相沢事件、天皇機関説問題 ドイツ:ニュルンベルク法
1936年(昭和11年) 二・二六事件 綏遠事件スイエン 西安事件
東北抗日聯軍コウニチレングン 満州における金日成が主導する反日革命軍結成
1937年(昭和12年) 7月盧溝橋事件、8月第二次上海事変(日中戦争、支那事変始まる) 11月日独伊防共協定
白白教事件ハクハクキョウ朝鮮人カルト大量殺害事件 普天堡事件フテンホ朝鮮人による大規模テロ
1938年(昭和13年) 張鼓峰事件 国家総動員法(配給制度開始) 臨時通貨法制定
1939年(昭和14年) 5-9月ノモンハン事件 8月23日 独ソ不可侵条約 9月1日ポーランド侵攻第二次世界大戦始まる、
1940年(昭和15年) 5月10日-6月25日ナチスのフランス侵攻オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻を開始 6月14日ドイツ軍パリ入城
バトル・オブ・ブリテン(1940年7月~1941年5月
6月北部仏印進駐 9月27日日独伊三国軍事同盟
1941年(昭和16年)
4月1日 日ソ中立条約 6月22日独ソ戦開始 7月28日南部仏印進駐
レニングラード包囲戦(1941年9月8日~1944年1月27日
モスクワの戦い(1941年10月2日~1942年1月7日
スターリングラード攻防戦(1942年6月28日~1943年2月2日
6月ABCD包囲網
10月近衛内閣辞職 東条内閣発足 11月27日ハル・ノート
12月8日 真珠湾攻撃
1942年(昭和17年)
2月15日シンガポール英豪軍降伏
6月5日-7日 ミッドウェー海戦で日本軍敗北
1943年(昭和18年)
5月アッツ島上陸(日本軍全滅し「玉砕」の使用始まる)
9月イタリア降伏 11月大東亜会議
1944年(昭和19年)厚生年金保険開始
3月インパール作戦 4月大陸打通作戦
7月7日サイパン玉砕 8月11日グアム玉砕(本土空襲始まる
1945年(昭和20年)
2月硫黄島の戦い 3月10日 東京大空襲 5月2日ドイツ降伏 7月16日マンハッタン計画原子爆弾の実験に成功
8月6日広島に史上初の原爆投下
8月8日ソ連対日参戦(北方領土問題) 8月9日長崎原爆投下
8月15日玉音放送(終戦)
戦後の出来事
1946年 東京裁判
1948年 朝鮮戦争
1951年 サンフランシスコ平和条約
1955~1975年 ベトナム戦争
1965年 日韓基本条約
1968年 小笠原返還
1972年 沖縄返還
1973年 オイルショック
1978年 アフガン侵攻(西側諸国の五輪ボイコット
1989年 大喪の礼 ベルリンの壁崩壊(東西冷戦終結) 消費税開始
1990年 クエート侵攻 アパルトヘイト終了
1991年 湾岸戦争
1995年 阪神大震災 サリン事件
1997年 山一拓銀破たん金融危機
1998年 アジア通貨危機
2001年 911同時爆破テロ
2003年 イラク戦争
2008年 リーマンショック
2011年 東日本大震災
2014年 クリミア併合
2022年 ロシアのウクライナ侵攻
(注意、7,8割方の内容を小中学校の社会科、現代史で習うはずですが習わない出来事が記述されてること、不足してる出来事も多々あるのもご了承ください。
これらの歴史を日本の学校でさらっとしか習いませんが少ししか習わない反面、教える側の教職員によっては非常に濃い内容を教える先生もいました。
地域差もあるのでしょうが都内区立小中学校育ちの51歳の自分が小中学生1978-87年の頃は、実際に戦争へ行ったお年寄りなどから特に
1931年の満州事変、リットン調査団、42対1、国際連盟脱退、旧日本軍は更に日中戦争、第二次世界大戦(太平洋戦争)という暴走戦争に突き進んだ事について耳にタコができそうなくらい反復教育を受けました。
戦地への補給も滞り戦況が悪くなっていき追い詰められた旧日本は実際に特攻やら玉砕と自国民を殺してでも戦争を続けた凄惨な歴史として現在でも習う歴史のはずです。
竹槍でアメリカと本土決戦の寸前にまで追い込まれた日本は本土決戦前哨戦となった沖縄戦は住民を巻き込んだ特攻・玉砕作戦の象徴です。
それ故に戦時下に幼少期を過ごし学校教育をあまり受けれなかった私の親世代なども
「戦争に負けてよかった」などの自虐発言する人が殆どでした。
現に昭和天皇も広島長崎原爆投下に対して「仕方なかった」発言がYOUTUBE上の動画にも残っていますが
特攻・玉砕作戦まで実施していた旧日本国に原爆投下がなかったとしたら特攻玉砕寸前のジェノサイドに発展していた可能性も高かったからこそ
戦争に負けてよかった。原爆投下されたのは仕方なかった。という自虐史観に至ったと言えると思います。
大東亜共栄圏というのは欧米列強からのアジア解放がお題目の戦争であり姉妹国の中国と戦争してしまった時点で旧日本国の明確な暴走戦争史であり
日本人にとって1931~1945年の通称十五年戦争は、まさに大義もなく無謀な侵略戦争で反省しないといける歴史だったと言えると思います。
しかし1930年以前ロンドン軍縮会議以前の歴史を詳しく調べると
アヘン戦争から日清戦争頃の欧米列強の勢力図
アヘン戦争以前の清という国は日本にとっても宗主国(父のような存在)でしたが
その宗主国がイギリスに負け、その10年後にはアメリカが黒船来航1853で開国を迫られ日本人にしたら
欧米人の圧力に相当なショックだったのを容易に想像できるはずです。
上海留学した維新志士の高杉晋作などは清(中国人)が奴隷のように欧米人に扱われてたいそうショックを受けたそうです。
図からも1843アヘン戦争前まで樺太は中国領であり日本の隣国にロシアは存在しなかった。と言えますが
アヘン戦争で清が負けた事で日本の隣国に突然、欧米人の国ロシアが出現したのが分かるはずです。
少しそれますが今回のロシアのウクライナ侵攻で日本も再度、ロシアの南下政策の歴史を再確認しないといけない状況にあると言えますが
北方領土問題及び日本人が考える。日本人が納得する国境状態に現在はない。と言えますので
外務省は日本人配偶者のいないロシア人に対するビザ交付は本当に止めてください。
アヘン戦争1843に負け、アロー戦争1856に負け、清仏戦争1885に負け、挙句にはアジアの小国であった日本に立て続けに負けてしまった訳ですが
日清戦争の発端は建前上、朝鮮の内乱(甲申政変や東学党の乱)朝鮮半島における権益を巡っての戦争と考えられていますが
当時の日本にとってどちらかと敵国だったフランス人が描いた風刺画でも朝鮮人は人としての扱いをされずにこのように揶揄された描写で描かれています。
日清戦争に勝利した日本は下関条約で遼東半島を獲得しまいしたが
直ぐに三国干渉によって遼東半島の権益を清(中国)に返還したつもりだったのが
事もあろうことかその権益をロシアが奪い関係が悪化し日露戦争にまで発展し
その戦争に日本が勝利しポーツマス条約でロシアが清(中国)国内に敷設した満州鉄道の権益を日本が獲得することになりましたが
清(中国)が守れなかった自国の領土、アジア人の権益を日本がロシアから取り戻した。と言っても過言ではないでしょう。
その後1917第一次世界大戦にも日本は参戦しドイツから山東半島を取り戻し1922年に中国に返還されました。
早い話し1930年のロンドン軍縮会議以前の日本の戦争は総て欧米人からアジアの権益を守る為の
大義名分がある防衛戦争史と言っても問題ないです。
但し、欧米列強の一員となって清という国を崩壊させた事は反省しないといけない史実とは思いますが
日本の小中学校で教えてる内容を欧米人が学校で教えるなど実施しているでしょうか?
おそらく殆どの欧米人は、今も清王朝が崩壊した理由どころか存在していた事すら知らないのではないでしょうか?
歴史は、いろんな要素が絡みあってるので1930年以前の日本の戦争がは100%正しいという考え方もおかしいですが
それでも日本人の考える1930年頃までの一連の流れはこんな感じに考えてると思います。
中国が日本とNATOとの接近を憂慮するのなら日本におけるNATO支部開設に自分は反対です。
理由としては1900年の八カ国連合軍による北京占領を彷彿させるので日本人として中国に配慮すべきだと思います。
1930年以前の大義ある防衛戦争史と
天皇陛下も否定した1931年以降の満州事変、日中戦争、太平洋戦争の大義のない暴走戦争、侵略戦争史と考えてきたのは
自分が日本の義務教育を受けて育ったからであり普通に日本の義務教育を受けた殆どの日本人も
そういう感じに帝国主義時代の旧日本(大日本帝国)の近代史を考えてるのではないでしょうか?
昭和天皇に十五年戦争の責任がなかったのか?という問いは
自分から見ても戦争を止めれなかった天皇陛下にも責任はあると思いましたが但し
東京裁判でA級戦犯ほどの責任はなかった。と判断され死刑は免れました。
そして1989年に昭和天皇崩御し20世紀最大の葬儀とも言える大喪の礼で幕を閉じました。
自分は当時17歳の高校2年生でしたがその光景は、世界は太平洋戦争、十五年戦争の責任を天皇陛下には問わない。というように感じました。
歴代の総理談話でよく言われる事として
「太平洋戦争でアジア諸国に迷惑をかけた」というのはあくまでも既に日本領であった台湾や朝鮮半島を省くという意味であり
十五年戦争において日本が侵略した国々に対しての謝罪であるべきで
謝罪に韓国も含む?みたいな歴史観だったら とんでもない歴史が歪曲されていく可能性が高いので
日本(中央官庁)は歴代の総理談話には韓国台湾を省くと明確にアピールすべきだと自分は考えます。
日本人の殆どが1930年以前の大日本帝国は大義ある防衛戦争史で侵略戦争ではない。と考えてるのに対して
韓国では反日教育(嘘出鱈目の教育)を続け日韓併合すらも侵略戦争と教えてる現状の中で
岸田総理が玉虫色のまま韓国首脳と会談しただけで日韓関係が改善する訳がないです。
その猛烈な歴史認識の乖離の原因は総て韓国国内で「日韓基本条約を教えない」という事に帰結してるのも明白であり
日本の官公庁は韓国に謝罪はしない。仮に韓国側から日本に謝罪を求めた時点で
韓国人は嘘吐きだ!日韓基本条約の不履行だ!国交断絶だ!の意思をはっきり伝えるべきです。
日韓基本条約を不履行してでも日本を批判すると言うのならまず支払われた
「旧日本国が敷設したインフラ賠償の恩恵を受けないでコイサンマン時代の韓国人と同じように電気ガス水道のない暮らしを捨ててから批判しろ!それがスジだ!」とはっきり言うべきであります。
そんな失礼な事を言えないと言う日本人は韓国人と交流すべきではないのです。
何度も言います。
日本人が韓国人と玉虫色に交流し続けたら歴史を歪曲されるのが目に見えてます。
【日韓関係問題3】日本が玉虫色に韓国と仲良くするととんでもない弊害が多数起こります。 コラムに続く
https://note.com/tasty_masaru/n/nd07ae4f4dcbd