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蛍光灯の自習室
新井のエッセイとなります。
自習室について私が抱いた印象は、非常にストレスフルな環境だということだ。特に、手元を白色蛍光灯でバリバリと強烈に照らされ、隣の人との距離が狭く、周りの音も気になり、集中しづらかった。どこの塾でも似たような環境が提供されており、選択肢がなかったため仕方なく利用していたが、振り返るとあまり好ましいものではなかった。
多くの学校や塾では白色の蛍光灯を使用しているが、私はそれよりも柔らかな光源、全体を照らし切らない穏やかな暗さの方が好ましく感じる。
例えば、社会科の先生の準備室みたいな、物が散々と積み重なりあまりキレイとは言えない環境で、部屋の方々が照らされていたとしても、四隅や壁にぼんやり影が出来てしまうほの暗さが好ましく感じる。ものは多くその分誘惑もあるはずなのに、お前には関係ないと素知らぬ顔をしてくれるのである。なんとなく一人でいるときに環境音が欲しいからテレビを付けてしまう、そんな感覚に似ている。しかし、まんべんなく照らす環境が健康や学習効果に良い影響を与えることは、私も十分に理解している。だからこそ、そうした環境に守られてきたおかげで、今こうして自分に合った作業環境を探せることができるというのは、とてもありがたいことだと感じる。
思い返すと、太陽光を浴びて勉強していたときの方が、よりリラックスできた。大抵はまぶしくなると窓のカーテンを閉められる事が多かったが、私は開けたまま日差しの下で勉強するのが好きだった。手元が見づらくても、日光の暖かさや紙の凹凸がはっきり見えることが楽しかった。太陽光そのものが私にとって心地よく、集中できていなかったかも知れないが勉強の良い思い出として残っている。
最近では日差しを嫌う人が増えており、特に最近は女性に限らず男性も日焼け止めを徹底するようになってきた。しかし私はその反対で、強い日差しが好きである。
日を浴びる事で、すがすがしい幸福感だけでなく、太陽の光を浴びることでビタミンが生成され、健康なんかにも良い。自律神経にも効果があるとされるため、日光を浴びること自体は決して悪いことではないと思う。
だからこそ最近の「絶対に日焼けしない」という風潮には少し違和感がある。確かに真っ白な肌も美しい。それは近年の美の基準が透明感や凹凸のなさというのにこだわっているからだと感じる。私は白人の美しさを間近に見たことはないが、ヨーロッパやアメリカ等では健康的な肌が美しいとされることが多いように思う。ブロンザーを使って肌に影を作る化粧方法も、日本より普及している。
日本では、なぜこのような肌が好まれるのか考えてみると、照明といった環境の影響が大きいと感じる。学校や職場などの作業する場所では、ほとんどが全体を明るく照らす環境である。そのため、顔の細かい部分までさらけ出されることで、きれいにしなければならないという美意識が高まっているのではないかと感じる。特にアイドルやステージに立つ人々は、強い照明を浴びることで肌が飛ばされ、クリアな白さが目立つ。我々がその姿を目標にすることで、白く玉のような肌への憧れが強まっているのではないかと考える。
まんべんなく照らされる環境にはしっかりと意味があり、私たちの生活を豊かにしてくれていると思っている。しかしそれが当たり前と感じていると、照らされたときにどう見えるだとか、無意識のうちにストレスを感じたりだとか、良い面もあればマイナスに捉えられる面も浮かび上がる。照らされることが当たり前である日本であるが、もう少し暗さを楽しんでもいいと思うのはわがままだろうか。