明るいが怖い「繁華街」
新井 「正直、歌舞伎町とか繁華街は夜には行きたくないな。明るいっちゃ明るいんだがな。どうも明るいのは表面だけな気がして。」
内田 「割と私は好きかも。なんかね、わくわくするんだよ。どんな人がいるのかな~とか、めっちゃ喧嘩してるな~とか。非日常って感じが割と好きかな。」
河原 「お願いだから、変なことに巻き込まれないでくれよ。」
内田 「好きな映画で、『ミッドスワン』って映画があるんだけど、主人公のアパートが繁華街の近くにあるのね。だから看板のネオンの光とかが部屋の中まで入り込んでるんだよ。私それを見たとき、ちょっといいなって思っちゃった。だって人が絶対近くにいるから。町自体は物騒かもしれないけど、ある意味人のぬくもり的な印象受けたな。」
河原 「慣れ次第なところはあるかもな。音が大きい線路沿いに住むみたいな感じで。でも一人で住むには、ノスタルジックな思いに浸れるかもしれないが、俺は絶対に嫌だね。ましてや子供がいると、そういう街自体にはあまり近づこうとは思わんし、静かなところでのんびりと暮らしたいよ。」
内田 「繁華街の光は寂しさを紛らわすとか、そんな効果もありそうだね。まあ寂しいって定義をどうするかにもよるけど。逆に河原みたいに結婚してる人は家族って人のあったかみが近くにあるわけだし。」
河原 「あったかみがあるからというよりは、純粋に親として行動してるまでだけどな。内田はそれにノスタルジー感じてるから、寂しいんじゃねの?」
内田 「別に。」
新井 「話を少し戻すが、繁華街の広告版の何がいやって、たくさんある広告から自分を見つけてもらうようにどんどん派手になって、どんどん数も増えていくだろ?その数だけサービスと消費が行われているのがなんだか気持ち悪いんだ。」
内田 「すごいスケールの話をするね。虫の目をのぞくのが嫌みたいな感じ?」
河原 「どういうこと?」
新井 「繁華街の1つ1つ店をクローズして考えたくないんだ。いろんな店があって、そこに人がどれだけ入ってっていうのを。繁華街自体、大きい括りで考えるのは平気なんだがな。看板自体も1つずつが特徴的で派手なもんで、こっちに来いって目を合わせて言われてるようでさ。キャッチを振り切るのと同じくらい疲れてしまうんだ。」
河原 「来てほしいがための看板だからな。」
新井 「渋谷とかにある、大看板は平気なのだけど、細かい広告が嫌だなって思ってしまうな。」
内田 「きっと、光にも人と同じような距離感を感じさせることがあるんだよ。パーソナルスペースが新井は広いから、繁華街での距離感の近い光に疲れる。私みたいに、割と近くても平気だよって人は逆に遠くにある光に寂しさを感じる。そういう広告や街灯で街の人間性というか、雰囲気が見えてくるのが街の光のあり方の面白いところなんじゃないかな。」
河原 「まあ、環境に合わせて設計されてるもんだしな。」
内田 「それが好きな人もいるし、苦手な人もいる。街のパーソナル性って光からきて、そこに集まる人間が生み出していってるのかもね。」