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PBR>1は「結果」か「目標」か? 「ジャパノミクス」ってなんどいや?(26)

2024年8月5日日経平均は一日で4551円下げ、1ヶ月前の7月5日の40912円から、実に▲9454円(▲23%)の下落になりました。東証の要請を受けてPBR>1倍以上を目指すとした会社も、さすがに顔色なしといったところでしょう。

2013年、第二次安倍内閣により「日本再興計画」が発表され、いわゆる「伊藤レポート」が公表されました。
「伊藤レポート1.0」では、ROE(自己資本利益率)8%以上を目指すこととし、企業には、そのための自由市場資本主義的なコーポレートガバナンス改革が求められ、確かにROEは若干の改善をみます(2014年8.4%⇒2018年9.4%)。しかし、その間、欧米との格差は広がる一方であったことから、2017年の「伊藤レポート2.0」では、持続的成長に向けた長期的投資を促すために、低迷しているPBRに着目し、これを1倍以上に高めることを目指すよう提言しました。

しかし、それでも2023年5月時点でPBR1倍未満の上場会社の比率は54%となっており、同じ時期のアメリカの19%にくらべ著しく低調なままでありました。

これに業を煮やしたのか、東証は、上場企業に対し2024年1月から「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に関する開示を求めることにしました。

具体的には、資本コスト(株主からの出資により調達した資本に対するコスト≑株主の期待収益)や資本収益性(自己資本利益率)を意識した経営を実践するために、①まず自社の資本コストや資本収益性を把握し、②取締役会で現状を分析・評価し、③その改善に向けた計画を策定・開示した上で、④株主とのエンゲージメントを図り、これを継続的にフォローする、ことを企業に要請したのです。

この東証の狙いは、ずばりPBRの改善を求めるということです。というのも、大まかに言って、PBRは、株主の期待収益率(PERの逆数)と自己資本利益率(ROE)で構成されているからです。

PBR(Price Book-Value Ratio)とは、株価純資産倍率といい、株価を1株あたり純資産で割って、何倍かを示す指標で、もともとは投資家が、株価の割安度を測る指標(買うための基準)として、昔から使ってきたものです。

PBRが1を下回るということは、企業の清算価値より時価総額が低いことを意味します。簡単に言うと、株主にとっては、「この際、さっさと会社を畳んで清算してもらった方が儲かる」という状況になっているということです。
これは会社にとってはまことによろしくない状況で、なんとかPBRを高めようと努力するでしょうから、いずれ株価は上がる、つまり投資家の目から見れば「割安」だということになります。
しかし、もし仮にこの状況が長く続くようだと、この会社は将来性がないか、経営者の能力や努力が足りないのではないかと株主から疑われることになります。

一方、PER(Price Earning Ratio:株価収益率)も、株価の「割安さ」を測る指標です。これは、EPS(Earning Per Share:一株あたりの純利益)の何倍であるかということを示し、株価と一株あたり純利益を天秤にかけて比較する指標です。

そして、大まかにいって、PBR<1、PER<10倍であれば、「低位株」あるいは「割安」、逆に、その数値が大きければ大きいほど、「優良株」もしくは「割高」であると判断します。

そして、このPBRとPERとの関係は次の算式で表されます

PBR= 時価総額/資本
=(利益/売上)×(売上/総資産)×(総資産/資本)×(時価総額/利益)

=(利益率×総資産回転率×財務レバレッジ)×株価収益率(PER)

ところで、

ROE= 利益/資本
   = (利益/売上高) × (売上高/総資産) × (総資産/資本)  
      利益率       総資産回転率     財務レバレッジ 

ここで、ROE(Return On Equity:自己資本利益率)という指標が出てきました。
これは、株主資本が、どれだけ働いて利益を上げているのかを示す指標です。これをPBRの式に代入しますと、

∴ PBR=ROE×PER  となります。

この意味するところは、PBRを上げるにはROEとPER(つまり株価)を上げなければなりません、ということです。これが、まさに「伊藤レポート」や東証の要請の意味するところなのです。

このような東証の要請を受けて、多くの企業がPBRを意識するようになり、実際に、年初来株価は急速に上昇してきました。
「ようやく株主を意識した効率的で透明性の高い経営をしはじめた日本企業の努力を、海外投資家が正しく評価したことによるものだ」 これが今回の「暴落前の」市場関係者の見立てでした。

ところで、最近の例で言いますと、2019年3月のPBRは0.83倍で、TOPIX454社のうち「PBR1倍割れ」企業は実に39%に上っていました(経産省調べ)。その時点で日本株は超割安であったわけですが、さほど大きな経済イベントがない中、投資マインドが改善し、年末には1.20倍程度に戻っていきました。

その前にも同じような事象がありました。
2008年のリーマンショックで、世界中の市場が売り一色となり、日経平均株価も急落、その結果PBRは0.81倍となりました。しかし、その後、各国が財政支援や金融緩和などの政策をとったことにより、株価は回復し、2010年4月にPBR1.45倍まで戻りました。

さらに、2011年3月に起きた東日本大震災で日本経済は失速し、株価が低迷、2012年6月には、PBRが0.87倍まで落ち込みました。ところが、第2次安倍政権が発足すると、「黒田バズーカ」といわれる日銀の超金融緩和政策を契機に、日経平均は急上昇し、2015年4月にPBRは1.55倍まで上昇しました。(JPXデータ)

このように、PBRが1を下回っているということは、割安であることを意味しているので、あるところまで来ると、何らかのきっかけで底打ちの期待が高まり自律反転する傾向があります。つまり短期的には、PBRは、株価向上に向けた企業努力を必ずしもストレートに反映するとは限らないといえそうです。

確かに、「PBR1倍割れ」というのは、時価総額が清算価値をも下回るという意味では異常な状況であり、経営の真価が問われるという意味では、経営者にとっては「恐怖指数」ですが、実は、外部要素によって大きく変動するもの、つまり個々の企業努力によってはいかんともしがたい「アンコントローラブル」な要素によるところが大きいと考える方が自然です。

とすれば、「PBR>1」というのは、「結果」でしかありえず、個別企業がめざすべき「目標」たり得るのか、という疑問が起こります。

(ROEを引き上げる)

そこで、PBRを改善するために、ROEを引き上げることを考えます。

「伊藤レポート1.0」では、ROE=8%を目指すべきであるとされました。これを、上の算式を当てはめると、PBR=1を確保するためには、PERは12.5倍でなければなりません。業種によってはこの数値は厳しく、株価変動に晒されますので、近年の上場会社はROE目標を10%以上におくところが多くなっています。それに、ROEは、PBRに比べてより使い勝手の良い指標です。

実際にROEを引き上げるには、利益率、総資産回転率、財務レバレッジを改善すれば良いのです。

まず、利益率を上げるために、費用をコントロールしながら売上を伸ばして企業成長する、というのが理想的ですが、徹底したリストラによりコストカットして利益率のみ上げることもできます。

総資産回転率を上げるためには、現在の資産負債をうまく使って売上高を増加させることが理想的ですが、徹底したリストラなどでアセットを圧縮し回転率を上げることもできます。

財務レバレッジを上げるためには、企業成長のために資産負債を適度に増加させることが理想的ですが、自社株買いなどで株主資本を圧縮することで財務レバレッジを向上させることができます。

このように、ROEを引き上げるためには、バランスシートを使って、売上を伸ばし利益率を高める「拡大均衡」であることが理想的ですが、逆に、①リストラで経費を削減し、②アセットを使わないフィービジネスの比重を高め、③リストラで資産負債を圧縮し、⑤捻出した余剰資金を自社株買入に充当することで、「縮小均衡」的にROE目標を達成することもできます。

ところで、ROE目標達成のためには利益は最も大切な要素ですが、一方、PBRを算出する上では、利益は分母と分子にあるために消去されます。つまり利益の上昇はPBRの改善に「直接的には」寄与しないのです。

また、PBRを構成するもう一つの項であるPERの分子である株価は、常に株式市場の変動に晒されているので、個々の企業の財務的な努力だけでコントロールすることは困難です。

「日本の企業は、非効率で株主軽視の経営を行ってきたからROEが低く、それゆえに魅力がなく株価が上がらず、PBRも低い」これが定説で、それゆえ、「まずは効率経営を示すROEの改善を目指せ」これが「伊藤レポート」の骨子でした。「伊藤レポート」の狙いは、どちらかというと将来に向けての「拡大均衡的な」効率経営の実現にあったはずです。

ところが近年では「政策投資株や遊休不動産等など本業の利益に貢献しない資産を処分換金し、適度な外部借入(レバレッジ)を使って資金を作り、より将来性のある分野に対して積極的に投資するべきである、さもなくば、配当や自社株買入資金に充当し、株主に還元すべきである」とする市場関係者やアクティビストの要請を受けて、各社のROE改善に向けての努力は、専ら、人件費も含めた余剰経費を圧縮して利益率を上げることと、バランスシート上の資産の売却処分、株主還元に注がれて、「縮小均衡」の方向に向かう傾向が強くなりました。

こうした「縮小均衡的」な財務戦略は、一時的には効果があっても、株価の水準そのものを引き上げるには力不足です

企業収益が改善してROEが上昇すれば、EPSも上昇してPERが低下し「割安感」が高まって株価が上昇しそうなものですが、実際には、株価がこれに追いつかず、このことがPBRの上昇しない原因となっていた可能性がありそうです。(実際にJPXのデータをみれば、2018年から2023年の6月統計で、コロナ感染症下の2020年~21年を除いて、PERは13~15倍、PBRは1.1~1.2倍のレンジで低位安定的に推移しています。そして、市場が活力を取り戻した2024年5月のプライム市場の単純PERは17.9倍、PBRは1.4倍に上昇しています)

(PERを引き上げる)

PERが低いというのは、その会社が稼いでいる利益対比株価が低く評価されているということ意味します。

たとえ会社が相応に利益を稼いでいても、それがリストラによるものであったり、将来に向けての発信力や訴求力が乏しく、株主還元やエンゲージメントが不十分であったり、さらには財務内容の真実性やコンプライアンスに対する不透明感があったりして、その会社そのものに魅力がなく、株主の期待に応えられていない、だから株価が低迷し、実力より低い水準にとどまっているということです。

逆に言えば、株価の引き上げは、企業の財務的努力では限界があるといいましたが、実は株価の「評判」を引き上げれば可能となります。今流に言えば、投資家との「エンゲージメント」を重視することです。

分かりやすくいうと、将来の会社の業績発展の「ストーリー」を熱く投資家に語りかけ、その共感を得ることで株を買ってもらってPERを改善させるのです。そして、ケインズのいう「美人投票」(市場参加者の多くが値上がりするだろうと判断する株を選ぶこと)を演出することができれば、大成功です。

PBRに着目したこうした株価引き上げの典型例があります。
1980年代の日本の株式市場で「Qレシオ」という指標が、株価の割安感を測る指標として使われました。

「Qレシオ」とは、実質株価純資産倍率といわれ、次の算式で算出されます。
Qレシオ=株価/実質純資産

実質純資産=純資産+含み益  含み益=時価-簿価

つまり、PBRの計算に、現在実現していないが、将来実現するかもしれない「含み利益」を加えて株価の割安度を測ろうとするものです。この指標を使うことによって、簿価の低い不動産や株式を抱えている老舗企業の株に人気が集まり、仕手筋(投機的株式投資家)によってバブルが助長されました。

ところで、このQレシオというのも一つの「ストーリー」です。含み益の大きな不動産や株を保有する会社は、これを売却するか、借入の担保に差し入れることで、多額の投資資金を手に入れることができるので、潜在的に成長余力の大きな会社である、という「ストーリー」です。

このように潜在的な要素を期待値として組み入れて「ストーリー」を組み立てるという思考経路は、現代の企業と投資家との間における「エンゲージメント」の形成過程と通じるものがあります。

例えば、現代では、サステナビリティの観点から、人的投資やESG投資がに対する「非財務情報の開示」が重視されていますが、それらが直ちに企業の業績にダイレクトに結びつくとは限りません。少なくともこれらの経済効果が、単なる物的投資よりも遙かに測りがたいものであることは間違いありません。

サステナビリティ重視の「空気」に押され、上場企業は、自ら描く「ストーリー」の実現に向けた努力は怠らないでしょうが、それが現実的に将来の収益に結びつくかどうか、さらには「永続性」や「公益性」を保証するかどうかについては、全く不確かな世界で、ひょっとしたら、Qレシオの「ストーリー」ほどにも、そのフィージビリティに関して推し量ることが難しいのかもしれません。

結局は、「非財務情報の開示」は企業経営や企業倫理、大きくは公共的正義の観点からして、重要であることは論を俟たないにしても、「非財務情報」を市場に晒すことによって、それが現実のグリーディーな市場に生きる投資家の意志決定において「美人投票」のためのツールに利用される可能性は排除できません。

「非財務情報」は、自由市場資本主義のフレームワークの中で、一定のルールに則って広く開示されます。
それだけに、なにより問題なのは、良くできた「ストーリー」であればあるほど、Qレシオのように、多くの人を欺く可能性があるということなのです。PBRの上昇をことさら煽り立ててしまうと、こういったことが起こる余地が生じるという危険性を意識すべきでしょう。


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