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ジャパン・バッシング!!      「ジャパノミクス」って、なんどいや? (19)

第19講 「ジャパン・バッシング」とは、ずばり「日本叩き」

アメリカの外交政策には、「60%ルール」というものがあるといわれてます。ある国の経済規模がアメリカの60%になり、さらに追い越そうという勢いのある場合、アメリカはあらゆる手段を用いても必ずそれを潰そうとするというのです。1980年代、日本はこれに抵触しました。

そして、その40年後、中国がこれに抵触し深刻な米中経済摩擦を招いています。

摩擦が激化するに先立って、まずは「異質論」が、決まって持ち出されます。
「異質であること」は、その国が小さく世界経済に及ぼす影響が限られているうちは、問題とはなりません。しかしその国が、強大な経済力を持つようになると、話は別です。「異質性」そのものが、議論の前提になるのです。そして、その「異質性」は、これまで一般的に「強者」が決めるのです。

ー中国の共産党支配下の社会主義的市場主義は、民主主義的な市場資本主義と相容れない。それは、国家によってコントロールされた「異形な」市場主義であり、巨大な国有企業と市場原理から逸脱した計画経済的な産業政策で運営され、必要に応じて他国の技術窃取、特許権侵害を黙認あるいは推奨し、WTOの仕組みを利用して自国に利益誘導するなど、さまざまな面で自由、公平、開放、互恵の原則を守らない「異質な」経済体制であるー

こういった経済体制を持つ中国に対して、自由市場資本主義の下で活動する個々の企業や新興国はあまりに小体で脆弱であるので、アメリカを中心に日本を含む民主的な自由市場資本主義国は協力して、体制を是正修正させ、あるいは特定の分野においては遮断しなければならない、と主張されます。

そして、2018年のペンス副大統領の中国批判以降、アメリカは従来の「関与」政策(中国の国際システムへの取り込み)から「抑止」政策(中国の国際システムからの排除)に舵を切ります。

①中国に市場原則を守らせるため、特定製品における貿易の制限、通商法301条による高率関税を適用するなどして、圧力をかけ続けなければならない。
②中国に法体制の整備を促し、技術の窃取や特許権侵害を防ぐとともに、輸出管理を強化して技術の移転・流出を抑制しなければならない。
③多角的な貿易の枠組みを強化し、国際貿易の需給を歪めるようなダンピングや集中豪雨的な供給や買い占め、不当な自国産業優遇策や補助金政策に対し、罰則規定を設けるとともに、中国資本による自国の有力企業の買収を制限しなければならない。

この現代の「中国異質論」は、1980年代の「日本異質論」と思考回路としては、とても類似しています。そして現代中国と当時の日本の国力や政治力に違いがあるにせよ、アメリカの「喧嘩の仕掛け方」もあまり変わってはいないようです。

さて、ここで一気に、歴史を400年以上さかのぼります。

1588年。スペインのアルマダ(無敵艦隊)を破って、イギリスは一躍ヨーロッパ最強の海運国となりました。
一方、そのイギリスの支援で1609年にスペインから事実上の独立を果たしたオランダは、ピューリタン革命の混乱期にあったイギリスを尻目にアムステルダムを中心とするバルト海中継貿易で経済的繁栄を謳歌しました。
また、両国は、ともにそれぞれ東インド会社、西インド会社を設立し、世界貿易の覇権を巡ってしのぎを削っていました。
オランダの繁栄を快く思わないイギリスは、1651年、オランダを海上封鎖する「航海条例」を一方的に施行します。これに堪えかねたオランダは、翌年イギリスに戦いを挑み、イギリス=オランダ戦争(英蘭戦争)が勃発、結果はイギリスの勝利で50年にわたる両国の通商紛争は決着します。(岡崎久彦「繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える」文藝春秋 1991.6.30)
イギリスではピューリタン革命でチャールズ一世を処刑、クロムウェルの覇権が固まり、国威の充実した時期に当たります。

この歴史は、「豊かな国である」というだけでは尊敬されず、自国のみの経済の繁栄と技術上の優位を誇ることが、いかに他国の嫉視と反発の対象になるか、
そして、権力の中心が脆弱な「弱者」が譲歩を重ねることで経済的軋轢は回避しようとする試みは、権力の明確な明確な「強者」には全く通用せず、時に戦争を避けがたくする原因にすらなる、
という教訓を与えてくれます。
当時のオランダ政府は事態が極端に悪化するまで意志決定ができず、イギリスに対し経済力の許す限りその場しのぎの譲歩を続けますが、このことが、「脅したらいうことを聞いた」という侮蔑を招き、「より手荒な方法を用いれば、その性格を変えさせることができる」というふうに判断されてしまったのです。

また、両者に共通の敵がある場合には、共通の目的のために肩を並べて戦うが、その敵が去ればその友好関係をこれまでと同じように維持することは困難であるということ、をも教えてくれます。

「航海条例」は、「経済的敵対国」オランダを標的に仕掛けたイギリスの保護貿易政策です。「自由貿易論」の祖・リカードゥの母国イギリスでも、当然、これは両国に不利益をもたらすので回避すべきという意見はありましたが、たとえ一時的にイギリスにも不利益があるとしても、オランダにとってより破滅的であればことたりる、という意見の方が有力だったのです。

つまり、国家間の関係で政治の問題が前面に出てくると、経済合理性などはどうでもよくなってしまったのです。

このオランダとイギリスの歴史は、オランダを日本、イギリスをアメリカと置き換えた時、我々日本人にとっては他人事ではない歴史の転帰です。

 時代は下ります。1987年。

同じオランダの著名なジャーナリスト・政治学者のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏はアメリカの外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」1987年冬号に「ジャパンプロブレム」と題する論考を掲載しました。

それは、日本の著しい経済大国化が、世界貿易の不均衝の原因であり、この不均衡や貿易摩擦をもたらしたのは、日本固有の経済・産業・社会構造の諸問題である、という「決めつけ」から始まります。
確かに日本は民主主義国で、表面上はアメリカと同じように見える。しかし、実態は違う、そもそも、日本には、開かれた民主主義なんか根付いていない。
それに、日本には中核となる権力や司令塔がなく、政界や大企業、各省庁に属する様々なエリートの緩やかな集合がすべてを誘導している、その結果、表面上は、国を新しい方向に動かすように説得できる個人や組織が全く存在しない、つまり権力構造は「中空」だというのです。(1989年「日本/権力構造の謎」)

また、マーティン・トルチン氏、スーザン・トルチン氏は、「投資摩擦 買われるアメリカ」(1990年 TBSブリタニカ)で「日本人がアメリカの企業を買収するのは、そのテクノロジーを入手するためで、いずれは主要産業でアメリカの競争力を殺ごうという目論みからだ。日本人は競争を戦争の一種だと考えて汚い戦い方をする。日本人は力ずくでなければいうことを聞かないし、逆に力を行使するものを尊敬する。日本に対しては脅しを行う用意を以て脅しをかけなければ効果的でない」とまで主張していたのです。

日本人は、その急激な経済大国化が世界の貿易不均衡の元凶であるにもかかわらず、その自覚がなく、しかもそれに対処すべき指導者がおらず、官僚をはじめとする緩やかな集団が支配している、従って、この「ジャパンプロブレム」を解決するには、首脳同士の合議は有効でない、むしろ欧米諸国が一致して、保護貿易主義の一斉射撃を浴びせかけて揺さぶり、それから貿易と国際的な分業の直接的な割当制度のテーブルに着かせれば良い、と主張したのです。一発殴って、分からせてからから話し合い、というわけです。

そのほかにも、当時、実際に「日本脅威論」として、多分に過激な一部の論調もメディアで自動車など日本製品を叩き壊すパフォーマンス映像とともに、さまざまな意見が紹介されていました。次のように・・・。

手をこまねいていると、欧米がこれまで優位としていた航空、宇宙、スパコン、デザイン、金融、コンピューターソフトなどの先進的技術もやがては日本に乗っ取られるだろう、技術は盗まれないようにしなければならない。

また、隙を見せて、ある地域や産業分野において真空地帯を生じさせれば、日本企業はすかさずそれを埋めに入って来るだろう、

金が余り続ける日本はそれを利用して、有力な企業や、動産、不動産を買い占め、国際的影響力を高めていくだろう、

しかも、日本は経済的に成功しながら、その経済力に見合った国際的・経済的責任を負わない、

そしてやがては、再び軍事大国になろうとするだろう、

等といった意見です。

さすがに、ビル・エモットは、こういった主張に与していません。

力による報復による問題解決という処方箋は、多少は日本の変革を促すかもしれないが、長期的に見て、こうした自由貿易からの逸脱は、関係するどの国にも健全な経済的繁栄や雇用の安定を保証しない、保護主義に対するに保護主義を以てするのは愚の骨頂である、と主張します。

しかし、その内容は、どの所論よりはるかに冷静で辛辣なもので、しかも、その後の日本の苦境を、相当程度正確に言い当てています。

①   「いずれ、日本は老いる」
65歳人口比率は1980年には10%強だが、2020年には23.5%になる 
(実際は、早くも2018年で28%を超える)

②   「 いずれ、日本人の勤労意欲は低下する」
日本人は豊かさを手に入れて満足し、消費意欲も減退し、勤労に対するモチベーションや考え方が変わってくるだろう。 
(労働生産性は低下し、家計消費はデフレ脱却後今に至るも低調なまま)

③   「 いずれ、日本人の貯蓄率は大幅に低下する」
高齢化が進むにつれ社会保障費や税金の負担等が増え、また、日本人の消費や勤倹意識が変わっていくこともあって、貯蓄率が1985年頃の16%から大幅に低下するであろう
(実際は、2005年16.1%、2018年度4%。パンデミックで一時回復)

④    「いずれ、株式バブルは潰れる」 
株高と円高ドル安で、東証の時価総額がニューヨーク市場の時価総額を抜いた。過剰流動性と「含み資産」で、日本人はこぞってキャピタルゲイン目当てに株式市場に殺到したが、「株が魅力的なのは株が上がっているからで、株が上がるのは買う人がいるからである」というだけの群集心理によるもので、早晩「何か悪いことが起こりそうである」(実際に「何か悪いこと」、つまり1990年に株式市場は暴落し、ついで不動産価格も下落する)

⑤   「 いずれ、すべての市場は崩壊する」
バブル期に膨張した融資が止まり循環的な上昇は、逆に悪循環となり「資金余剰」(カネ余り)は急速に縮小し、不動産市場、金融市場、実物市場は大きく落ち込むだろう。(実際にバブルは崩壊し、金融危機が発生し、デフレスパイラルに落込んだ)

⑥ 「いずれ、日本の強力な官僚組織は信任を失う」
不動産・株などの 資産膨張に対し、大蔵省の官僚たちは、為替レートの維持を優先し、金融引き締めをせず放置した。つまり、バブルの膨張を黙認したのである。日本の経済システムには、大財務省財務省をはじめとする強力な官僚組織の存在があるが、失敗を重ねることでやがて信認を失い、内外の圧力によりその維持も難しくなるであろう。(その後、大和銀行NY支店巨額損失事件での失態や、大蔵官僚接待事件やその後の金融危機の混乱の中で、大蔵省の権限は分割、縮小された)

⑦   「いずれ、日本は世界から無視される」
円高は日本の問題である。従って、日本自らが制度を変えるべきであり、それまでアメリカは対日経済政策を変えることも、ましてアメリカの経済制度を変更することもしない(これを「ビナインネグレクト」という)。つまり、日本を異質なものとして突き放す論調が主流になってくる。(こうして、通商交渉は、双務的なものではなく、日本の「構造改革」に論点が移っていった)

⑧    「いずれ、日本は世界から妬視され、反発される」
世界が日本人の対外投資を見る目には、人種差別的な色合いが付きまとっている。つまり日本人の活動には裏があると、胡散臭く見られていて、対米投資も一筋縄では進まない。そもそも自国の経済安全保障に関わるような投資が、東京にいる日本企業のヘッドクオーターによって下されることへの警戒心が強い。

⑨    「いずれ、日本の銀行への締め付けが始まる」
日本の企業が強いのは、銀行が金融サービスをダンピングしているからで、不公正な国内金融から得た特典で利益を保証されている。銀行による海外進出では、円高で有利になり、銀行は資本力をドル建で伸ばした。
日本の銀行が強いのは、株主が配当に無頓着であること、信用格付けが高いこと、原価主義でバランスシートに含み益を隠し持ち、自己資本比率が低くてもやっていける仕組みになっているからである。
世界基準で見て、日本の銀行の自己資本が低いことは、公平性・安全性の面で問題であり、自己資本規制を強化し、かつ時価会計を導入していくことでバランスシートを適正なものとしなければならない。(実際に、BIS規制導入され漸次厳格化され、また時価会計の導入により、これらへの対応で体力の枯渇した銀行の淘汰が進んだ)


つまり、日本の経済社会は、自律的かつ根本的に解決できない構造的な問題を抱えており、これを放置しておれば、つまり「異質性」を改めなければ、いずれ社会の高齢化、政官の指導力低下、勤労意欲の減退等によってもたらされる消費行動・貯蓄行動・投資活動の変化に直面し、長期的に日本の経済力の源泉であった人的資本や余剰資本は枯渇し、日本経済全体も活力を失うだろう、と結論づけたのです。

しかし、このように「ジャパン・プロブレム」に対するエモット氏の将来予測が正確であったとしても、その解決には、かなり時間がかかりそうです。
どうしたら、日本の成長の足を止め、この「ジャパンプロブレム」の解決を加速させることができるだろうかという課題が残ります。それが次講のテーマです。

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