「早川ゆたか」40代子育てサラリーマンの自由への挑戦
はじめまして!早川 ゆたかです。
興味を持っていただき、ありがとうございます。
自分の備忘録と共に、私のこれまでの経験やその発信が誰かの役に立てばと願い、noteに投稿していくことに決めました。
私は、
人生の主軸を「家族と自分」に置きつつ、次点として仕事も頑張る
まさに「家族>仕事」という価値観を大切に生きている40代サラリーマンです。
プライベートでは妻と共に小6男子を子育て中です。
息子は中学受験に向け、勉強を頑張っています。
そして、今まさに「残業ゼロで家族との時間を大切にする」という、サラリーマンとしての理想の生き方ができています。
そして、2024年にそのノウハウをまとめたKindle本
「40代子育てサラリーマンが贈る
家族と仕事の両立を叶える残業ゼロの時間術」
を出版しました。
おかげさまで反響をいただいて、ランキング上位を獲得できました。
<Amazonランキング獲得実績>
ビジネス・経済3位 & 8部門で1位獲得!
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とはいえ、過去の自分は決してそうではありませんでした。
今に至る道のりを、少しご紹介させてください。
①極度の内向型で辛い思いをした学生~新卒時代
学生時代の親からのレッテルは「引っ込み思案」、「クソ真面目」。
物怖じしない外向型の友人達と、よく比較されて育ちました。
(ちなみに私のHSP診断は、人口の約12%を占める非HSS型HSP(繊細で内向的))
特に思春期真っ只中の高校生からその傾向が顕著になり、自分から喋りかけることができないばかりか、喋りかけてくれたクラスメイトともうまく話せなくて、クラスで孤立。
視線恐怖や赤面症もあったので、とにかく人を避けて過ごしました。
体育祭や文化祭など、集団で行う行事も極度の苦手。
一緒に回る友人もおらず、トイレに籠って過ごしたことは、今となっては苦い思い出です。
唯一できたのが勉強。
テスト前や受験前の駆け込み型でしたが、やれば成績は上がっていったので、地方にある旧帝大に現役合格しました。
大学~大学院時代。
入学早々に髪を金髪に染めてイメチェンを企てたけど、あえなく失敗。
いくら外見をいくら変えてみたって、中身はやっぱり内向型の自分。
クラスの集団にはうまく溶け込めなかったものの、同じく孤立しがちな友人と意気投合できたのは幸いでした。
大学4年に研究室に配属となり、一気に大学生活に活気がでてきます。
研究に没頭することがとても楽しく(ちなみに、理学系)、今でも飲む親友と出会ったり、初めて彼女ができたり。
毎月の研究室での報告会が最初嫌で仕方なかったけど、やってみると「プレゼンが分かりやすい」、「すごい結果だね」と先輩方からお褒めの言葉をいただいて、一気に自分に自信をつけた大学時代でした。
そして、私の社会人キャリアは、大手製薬会社での新卒入社からスタートしました。
当時は就職氷河期の真っただ中。
就活に苦労する同僚を尻目に、大手企業から早々に内定をいただけたのは、幸運としか言いようがありませんでした。
しかし、実際に入社してみて気づいたのは、自分が大企業の環境に馴染まないこと。
残業は月80時間、先輩は200時間を超えることも珍しくなく、土日もなく働くその環境に、自分の将来を重ねることができなかったのです。
広いフロアに机を向かい合わせ、常に見られて仕事をする環境も、内向型の私には落ち着かず。
周りには良い先輩方もいたものの、会社の門をくぐる度に緊張を強いられる日々でした。
とはいえ、退職の決断は簡単ではありません。
「せっかく入社した大企業に勤め続けるべきだ」という周囲のプレッシャーも感じましたが、心の中では日に日に不安が募り、自分が消耗していく感覚を覚えました。
「このまま続けて本当に大丈夫か?
こんなことをやりたかった訳ではなかったのではないか?」
そう思った私は、別の道を目指すという口実のもと、1年で退職する決断をしました。
②ブランクを経て入った医療機器会社で、自分に合う環境を知った20代
退職後、1年間のブランクを取り、自分自身と向き合う時間を持ちました。
この1年はただの「休養」ではなく、自分を見つめ直すための時間でした。
将来のキャリアについて考える中で、別の道を志す決断をし、そのための勉強に励みました。
しかし、その勉強が1年内に結実することはなく、まずは前職でのわずかな経験を糧に、派遣社員として医療機器会社に入社することにしました。
当初お金を得ることだけが目的だったはずが、ここの環境が私にとって心地良く、やがて正社員としてのお誘いを受けるに至りました。
気付いたのは、私は落ち着いた環境でコツコツと積み上げる仕事が好きだということ。
背丈ほどのパーティションで、プライバシーが確保されたデスクは、私にとっては快適そのものでした。
また、コツコツと集中力を持続して取り組むことが、自分の強みだと認識したのもこの頃です。
そして、やれば評価してもらえる。
多分この職種は天職なんだと思いました。
この気づきがあったからこそ、自信を持ってその後のキャリアを築くことができました。
③家庭(子育て)と仕事との狭間で葛藤した30代
仕事での安定を手に入れた30歳過ぎ、私は結婚し、息子が生まれました。
家族を大切にしたいという思いが強くなる一方、仕事での成長も得たいという思いが、会社に時間を差し出すという選択に向かった時期です。
この頃の月残業時間は40時間超え。
新卒当時よりマシではあるものの、1日2時間の残業。
20~21時に帰宅すると、既に妻は保育園に息子を迎えに行き、夕食や入浴も済ませています。
妻が用意してくれた夕食を済ませ、風呂は簡単にシャワーだけで済ませるともう寝る時間。
家事と言えば皿洗い位、育児はかろうじて朝に保育園に連れていく程度。
平日の妻や息子とのスキンシップは、夜の「おやすみ」の一言だけでした。
仕事でのノルマをこなしつつ、やりがいや成長も追求したいという思いは、当時の私にとって「会社に自分の時間を差し出し、家族を犠牲にする」ことでしか成し得なかったのです。
同時に、夫婦のコミュニケーション不足から、一方的に家事や育児の負担を強いられる妻の不満が高まっていき、ケンカが頻発したり、時には離婚話にも発展するようになりました。
また、当時の会社で10年以上働き続ける中で、次第に仕事内容にマンネリを感じ始め、家族との狭間でどうすれば良いかを悩み、模索を始めるようになったのです。
④人生を変える本とコーチとの出会い
「このままではダメだ」
家族崩壊の危機を感じた私は、自己啓発本を読み始めます。
転機となったのは、「ザ・コーチ - 最高の自分に出会える『目標の達人ノート』(谷口貴彦(著)、プレジデント社)」という本との出会い。
それまで会社から与えられる仕事の目標だけだったものが、プライベートの目標を設定するきっかけになりました。
こうして自分との対話を繰り返していくうちに、「仕事よりまず家族を大切にしたい」という、自分の奥底に眠っていた価値観をしっかりと言語化することができました。
この頃にコーチングにも出会い、コーチの伴走の下、この価値観に沿った人生設計やタイムマネジメントにテコ入れしていくことになります。
徐々に人生の歯車が、家族と自分を軸とした理想の状態へと回り始めたのです。
⑤残業を8分の1に減らし、家族との時間確保に成功した40代
最初の課題は、月40時間の残業を減らし、価値観に沿った家族優先の生き方ができること。
コーチに日々伴走してもらいながら、終業時間の目標を立て、それを意識したトライアル&エラーを繰り返していきました。
そうすると、すぐに効果が現れました。
月40時間だった残業時間は、月5時間(8分の1)にまで減らすことができたのです。
さらに、残業が減ったにも関わらず、仕事の成果が落ちることはなく、むしろ良い評価をもらえるようになりました。
つまり、家族を優先することで、仕事がうまく行くようになったのです。
タイムマネジメントのコツを習得した私は、コロナ下で始まった完全在宅勤務の後押しを受け、「残業ゼロ×家族時間最大化」へと自走する仕組みを手にしたのでした。
⑥在宅勤務と出社回帰-そして自由な働き方への挑戦
残業時間は減ったものの、私の中には1つのモヤモヤが残っていました。
それは「できる限り自分のやりたいことだけをやって生きていきたい」ということ。
とは言うものの、やりたくないことも時にやらなければならないのが、サラリーマンの宿命。
ちょうど医療機器会社に入社して15年経ち、仕事もマンネリ気味になっていた時でした。
「家族との時間は確保できるようになった。でも、仕事はなんだか物足りない。」
サラリーマンである以上、やりたくないことを完全に排除することは難しい。
であれば、せめて業務内容に自己成長の要素は求めていきたい。
私は、15年いる会社から離れ、転職によって新たな領域に挑戦することにしたのです。
転職では、恒久的な在宅勤務制度があることを必須条件とし、自己成長要素を大切にした会社選びをしました。
その結果、医療機器業界のトップ3社全てから内定をもらい、理想に掲げた条件を満たす1社を選ぶことができたのです。
面接で得た感触のとおり、転職先は良い人ばかり。
一見理想的な職場に思えました。
しかし、新たな領域へのチャレンジだったはずが、実際やってみると意外にも困難なく対応できてしまったのです。
前職での経験で、既にどんな領域にも対応できる能力を身に付けていた自分に気付きました。
「もう領域に囚われる必要はない。
ストレスなく自分がやりたいことをやれる環境に身を置き、得意を活かしてコツコツ前進していくこと。
それ以上でもそれ以下でもない。」
そして、コロナが落ち着いたかと思った矢先、転職した会社にも出社回帰の流れが押し寄せてきます。
先に述べたとおり、恒久的な在宅勤務は転職時の必須条件。
出社すると通勤に往復3時間を取られてしまうので、家族とのアフター5や自分時間の捻出を考えると、自分にとっても家族にとってもマイナスでしかない。
そうなると、常に家にいられる起業がベストな選択。
でも、今の自分には、独立して家族を養える程の実力はまだ備わっていません。
さらには、まもなく中学受験を迎える息子のために、中学~大学までの安定収入を確保する必要もあります。
私は、サラリーマンとしての最高の自由かつ最大の成果を出せる在宅勤務の選択肢を死守するため、その環境を手に入れられる会社へと再度転職を決意したのです。
転職してから約3年が経っていました。
⑦本当の自由への飽くなき挑戦ーまずは副業から
これまでの約20年に渡るサラリーマン人生を振り返ってみると、その時々のライフステージに合わせ、自分にとってのベストな環境を掴むための試行錯誤と挑戦の積み重ねだったように思います。
でもそれらがあったからこそ、今、家族との時間をしっかり確保し、息子の受験勉強もサポートし、サラリーマンとして満足した環境で働ける自由を手にすることができています。
さらに、残業ゼロで得られた時間を使い、副業にもチャレンジしています。
第一弾として、先に紹介したKindle出版を行うことができました。
今後も私の経験から得られたノウハウを、残業や仕事のタイムマネジメントに悩んでいるサラリーマンの方々にお届けするべく、発信を続けていきたいと考えています。
ぜひ今後の発信をお楽しみに!
最後に…
私の発信に興味をもっていただけたなら、ぜひ私のKindle本を読んみてください。
主に上記③~⑤のライフステージで得られた残業を減らすための知識やノウハウを、全て詰め込んだ一冊となっています。
Kindle Unlimited会員でしたら、無料で読めます👇
また、Kindle本をご購入いただいた方には、3つの限定特典をプレゼントしていますので、この機会にぜひ!
では、今後ともどうぞよろしくお願いします!
早川 ゆたか