「倫理」か「政経」か迷っている人へ
(注:これは「センター試験」時代に書かれたものです)
「倫理」が専門、ということにしている。
大学で哲学専攻だったから、というのがその理由だけれども、実はキャリアとしては既に「政治経済」や「現代社会」の方が長かったりする。
大学では趣味の延長みたいな感じで哲学に近いところにいただけだから、あまり哲学専攻だったとは言いたくない。ゼミの教授の影がちらついて怖いのだ。「きみ、あれで哲学をやってたなんて言えるのかね」とか言われそうで。講師や臨任になって給料を稼ぎつつ教科研究していた分、政治経済の方が「勉強した」という実感もある。
そういう訳で、専門は倫理ということにしているが、「『倫理』って何を勉強するんですか?」と聞かれると「ううん、それは…」と困ってしまう。「哲学って何するんですか?」という質問も然り。
進学校の場合、この「『倫理』って何を勉強するんですか?」という質問は「受験科目としてどうなんですか?」の意味合いが大きいから、「古今東西の思想とか宗教について勉強する科目だけど、まぁ、日本史や世界史に比べればラクだよ」とか適当に答えることができる。
この「ラク」というのは、単純に教科書の厚さの違いで、日本史Bや世界史Bの教科書が約400ページであるのに比べて、倫理は半分の約200ページくらいである。これは「現代社会」や「政経」も同じことで、国公立受験者が要領よく社会で点数を稼ぐための教科、それが公民(倫理、現代社会、政治経済)であり、センター試験に新しく「倫政」が出来たのも、露骨な点数稼ぎを防ぐための措置なのだろう。
…が、まぁ、それでも哲学に近いところにいた人間からすると、暗記科目として「倫理」を勉強されるのはちょっといただけないところもやはり出てくる。というのは、以前、単語帳の表に「タレス」、裏に「水」と書いている生徒を見て、思わず「ううむ」とうなってしまったことがあるからだ。
ちなみにセンター試験には以下のような問題が出るから、勉強法としては彼は間違っていない。
タレスさんが何者か、というか、それが人の名前かどうかさえ知らなくても、「タレス=水」と記憶しておけば正解の②にたどり着ける、という訳だ。
まぁ、「倫理」の教科書にしたって「タレスは万物の根源を水と考えた」程度にしか書かれてないのだから、「『倫理』って何を勉強するんですか?」、意訳すると「勉強して何か意味あるんですか?」となるのもよく分かる。ここで「万物の根源」という言葉にときめかない人間は倫理に向いてない。「万物の根源」を古代ギリシア語で「アルケー」と呼ぶことにアカデミックな色気を感じない人間はもっと倫理に向いてない。
一応、教科書の説明を噛み砕いておくと、タレスはむかーしむかしのギリシャのおじさんである。彼は「世界って、一体、何で出来とるんや?」と考えて考えて考えた結果、「世界を構成する根っこは水や!」と言ったらしい。
なんで世界の根っこが水? これはブライアン・マギーの「知の歴史 ―ビジュアル版哲学入門-」が分かりやすく説明しているから引用しよう。
ボクなんか「陸地が終わるところには必ず水がある」、「大地は水に浮かんでいるのだから、大地はもともと水からできている」、植物は大地から生え、その植物を動物が食べ、その動物も6割が水でできており、動物は死ねば大地に還り、その大地は水からできているのだから…という論理的思考に「ほへー、上手いこと考えよんなあ」と感動してしまうのだが、果たして生徒は。
ちなみに言っておくと、世界のすべてを水に還元する考えは如何にも思いつきに見えなくもないけれど、すべての物質はエネルギーに還元される、という現代物理学の観点からすれば、あながちタレスさんの水にすべてを求める考え方は間違っているとは言えない。
なおタレスさんは紀元前585年の日食を正確に予言したおじさんであり、「半円に内接する角は直角である」という数学でおなじみの定理を2つの二等辺三角形を使って証明したおじさんでもあるから、その科学的思考力は推して知るべし。その辺の人より数百倍は頭がよい人だと思いますよ。
でも、受験的には「タレス=水」なのである。何だかタレた鼻水みたいで哀れである。ミズッパナ、タレス。
受験以外では倫理や哲学なんて使うことはないから、「タレス=水」で思考が止まっちゃうのも分かるんですけどね。倫理を学んだって倫理的な人間になれる訳でもないし。
まぁ、何が言いたいかというと、倫理なんてわざわざ勉強するものじゃないですよ、アレは。やむにやまれず手を出してしまうものであって、そういう人、好きだけれども、まぁ、がんばって下さい。こんな言い方しかできませんが、心から応援しています。