できればひとりで幸せになりたい
あと3か月でまたひとつ歳を重ねる。とはいえ、劇的に私っていう人間がなにか変わるわけではない。誕生日を迎えたって私は小さいことでくよくよへこむし、おいしい食べ物で元気になるし、できないことが山のようにあってそのたびに私を嫌いになるんだろう。
私は変わらない。でも、周囲からの視られ方は変わる。
曖昧だった境界線が明瞭になって、今まで見過ごされてきたことが許されなくなったり、物事を任せられるようになっていく。自然の理で特段不満はない。ただ、恐怖と不安だけがある。
ここまで生きてきて自分についてそこそこ知っている自信があるのだけど、「責任を持つ」ということがどうやらとんでもなく苦手らしい。私。人間として重大な欠陥すぎやしないか。
一度持ったものを途中で放棄するのはなるべくしたくないタイプだし、むしろ最後の最後まで面倒を見てやるという熱意もあるほうだと思う。ただ、最初のステップである「責任を引き受ける」という事柄がとんでもなく苦手なのだ。おなか痛くなっちゃう。
私はずっと母に「結婚しないから孫は期待しないでくれ」と言い続けている。将来の夢は独身貴族だ。自由に楽しく気ままに暮らしたい。生活の中にどっぷりと誰かが入り込むことが耐えられない。人は好きになれたとて、その人と一生を添い遂げることにプラスな感情が働かない。
それも、「人ひとりの人生を預かって幸せにする責任」から逃げているのだと思う。結局は。
前時代的な考え方なのは気付いている。そもそも相手を幸せに「してあげる」という認識からして、最近主流とされる価値観からはズレているのだと理解もしている。幸せは相対的評価で決まるものだし、そもそも基準などがないし、私がすべて相手に与えてやるものでもない。なにより人生はいつだってソロゲームだ。プレイヤーは一人しかいない。けれど、わかっている=できる、ではないから。
誰かを幸せにできる自信がない。誰かと一緒に生きている自分が想像もつかない。誰かとの幸福を望めるほど自分が相手に体重を預けられるとも思えない。できればひとりで幸せになりたい。
え、世の中ってすごいな。私が絶対無理と思っていることが基盤にあって世界って成り立ってるんだものね。みんなすげえよ。私にはできない。
こういった世の中のだれも気にしないようなことでいちいち立ち止まって、悩んで、人の倍以上の時間をかけてゆっくり飲み込んで。その度に心を削りながら生きていくんだと思うと、本当に嫌になるね。泣きそうになっちゃう。
我ながら生きるという行為がへたくそだなあと思ってしまうけど、誕生日を迎えた新しい今年の私が結婚や誰かと生きるという行為について少しでも積極的になれていたらうれしいな。