剣道は難しい? 基本と試合と審査
「剣道は難しいのじゃなくて、奥が深いのだよ。」20代の頃先生に言われて心に残った言葉である。
それからは剣道を難しく考えないようにしてきた、もちろん奥深さは追求しながら。
しかしながら剣道は時間と共に難しくなってしまった様に感じる。
もしかしたら何か理由があってわざわざ難しくしたのかもしれないが…。
初心のうちは
「大きく振りなさい」
「遠間で稽古をしなさい」
「素直に打ちなさい」
それが試合にでるようになると
「大きく振っているから勝てない、小さく打ちなさい」
「遠くから打ったら相手にばれるからもっと近くで打ちなさい」
「どうやったら相手を打てるか工夫しなさい」
そう指導され、試合に勝つために、始めた時に教わったことと違う事を一生懸命積み重ねていく。
これは身を守る機能性をもった甲手が、試合に勝てるように甲手布団が短くなったり、もっと動かしやすくなるだろうと甲手頭の毛を抜いてペラペラにしていったことにそっくりである。
始めに習う「基本に忠実な剣道」と「試合に勝つための剣道」、この2つだけでも難しい状況なのに更なる試練がやってくる、審査である。
試合に勝つために稽古を積み、勝てる剣道が良い剣道・強い剣道と教わってきたところに突然
「剣道は基本が大事です」
「当てるのではなくしっかり打ち切りましょう」
「ひっかけて打ってはいけません、自分勝手ではいけません」etc
???なことを言われる。
「試合で旗が上がっていたけど、本当はあれはダメな打ち?」
「試合では勝てていたけど基本ができていなかった?」
「上手く打っていたつもりだけど、強引に打っていただけ?」etc
その時その時を一生懸命取り組んできた人ほど迷路に迷い込んでいく。
それは試合で勝てる・有利な道具が良いとされていたのに、急に本来の道具でないとダメだと言われるのと同じ状況である。
でも、一度形を変えてしまったものは容易に元に戻らない。
本来の道具を作ろうとしても一度ついた癖はなかなか抜けない。
使う側も同じである。変わった道具で馴染んでしまった人は本来の道具を使っても違和感が先立ってしまう。そしてもうどんな道具が良いのかわからなくなってしまう。
剣道と一括りに言いながら、僕が思いつくだけでも「基本に忠実な剣道」「試合に勝てる剣道」「審査の剣道」と複雑になってしまった。
難しく複雑になってしまったが、試合や審査は剣道の学び方の1つの手段であり、本来剣道は「刀法の修錬を通じた人間形成の道」である。突き詰めていくと、身体操作with刀を学ぶことで心身の調和を身につけ、剣道家の日常に自然と剣道が染み込むということではないか…。
剣道はもっと大らかで単純、だけど奥深いで良いのではないかと思う。
その上で剣道具師として僕が考える剣道具の理想は自然体である。
人として自然体で立ち、自然体で稽古をする。
積み重ねた剣道が剣道家に染み込んでいく手助けをする道具、自然体の剣道家のための道具、そんな道具を作りたいと考えている。
願わくば剣道が迷路ではなく奥深い道であって欲しい、
そして素晴らしい文化として後世に継承されますように。