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剣道の常識が変わり「剣の理法」を失う

私はここ数年の剣道と剣道具の変化に非常に危機感を抱いている。
大半の人が最近の剣道・剣道具の変化を前向きに進化・進歩ととらえているが、私には剣道から刀法が失われあまり良い形で伝承されているようには思えなかった。
色々考えている時に、下の篠原信さんの文章を読んでなるほどと思った。

私は「竹刀は刀の代わりである」「竹刀は刀のように使うこと」ということは剣道の常識(前提)であると思っていた。
そのため剣道・剣道具を考える時も、「いかに竹刀で刀法を再現するか」が1番のテーマであった。

しかし試合に重点をおいている人は暗黙のうちに、「そこにこだわるとなかなか勝てないからあまり気にしすぎない」という共通認識があったようで、また実際に「刃筋の通った打突」という項目はあまり重要視されていなかったように感じる。

そしていつの間にか「竹刀と刀は別物だから、いかに竹刀を振り回すかを研究するべきだ」が剣道家の剣道の常識になってしまった。

面白いことに大半の剣道家の常識は「竹刀と刀は別物」であるのに対して、剣道をやらない日本人の大半は「剣道は刀の代わりに竹刀を持っている」と思っている。

「竹刀と刀は別物」という考え方はかなり昔からあったと思われる。
そのため昭和50年(1975)に「剣道の理念」が制定されたのだと思う。
これは剣道の前提は「竹刀を刀と思う事(竹刀での刀法の実現)」ということを改めて宣言したのだと思う。

ただ「勝利至上主義」や「流石に剣道から刀法は無くならないだろう」という甘い認識から「竹刀を刀と思う事」は失われ、「竹刀と刀は別物」が剣道の常識になってしまった。

そして「剣の理法」は失われる危機に瀕し、
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」
も形骸化しようとしている。

剣道・剣道具の変化をみていると
剣道として継承していくか?
竹刀道として変化していくか?
考えるべき時期にきていると思う。
今「剣道」はものすごく不確かなものになっている気がする。
これは私だけでなく気づいている人も少なからずいると思う。

続けていく人、これから始める人のためにも、もしこのままいくならば「剣道」という名前は捨てて「竹刀道」とするべきだと思う。そして刀法としての合理的な動きに縛られることなく竹刀道独自の道を確立するべきであると思う。

もしそうなった時には、私の受け継いできた「剣道・剣道具」を「剣の道としての剣道」として残していくことに尽力しようと思う。


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