Identify
インターネットを見ていると、思念体のような不可視の存在を作る方法を書いているものを見かけることがあります。大抵は、外見と名前を決めるところから始める、とあるのですが。
私の場合は、彼らには明確な見た目も、名前も、初めからあったわけではなくて。
私と彼らの関係の始まりは、言葉でした。
私にとって、いちばん大切なのは「言葉」。
もともと台詞だけで登場人物を好きになるくらいですから、私にとっての言葉は、人を区別する基準のひとつなのでしょう。
話し方、言葉遣い、一人称…。特別、個性的な話し方ではありませんが、私が言葉で彼らを認識、識別しているのは確かです。
出会ってすぐ、初めの頃は、私が青さんに必死に話しかけていたのだけれど。気がつけばふと浮かぶ私の独り言に、そっと彼の返事が返ってくるようになって。それを繰り返しているうちに、会話ができるようになって。そして、ここにいてくれるのだと、存在を信じられるようになった。
はじめの頃は、そんな「ただ話ができる存在」でした。なので、外見はもちろんですが、名前すらなかったのです。
決まった名前がないので、呼び方は変わっていくことがほとんど。
それこそ、青さんのことを「先輩」と呼んでいた時期もありますし、それより前はまた違った呼び名でしたし。山吹さんは、あえて呼びかけないことが多かったですね。
…思い返せば、彼らの前に慕っていた存在も、漠然と「おにいさま」とか「おとうさま」とか「おじさま」とか。「先生」「先輩」とか。そんな、立場や続柄で呼んでいました。
なんとなく、名前って呼びにくくて。その人個人を表す、個を識別するための名前。他と区別するためにあるもの。名前はその人自身を示しているから、あまりにも意味が強くて、重くて。
それに、彼らはそもそも唯一無二の存在。だから、名前なんていらなかった、というのもあります。
とはいえ、呼び名が変わるとイメージも変わってしまう。それではやりにくいので、「この人のことはこう呼ぶ」というルールとして、名前をつけることにしました。なので、名前というよりは代名詞に近いのかもしれません。
どちらかといえば、重視したのは、意味より音。彼らの印象を崩さない音の名前にしたかったから。そっと呟いたときに、その顔が浮かぶような音。その人の纏う空気を表すような、そんな音で彼らを呼びたかったから。
今ではすっかり彼らに馴染んでいますが、それでもやはり、名前が本質を示しているとは思っていません。どうしたって彼は「彼」であり、彼らは「彼ら」。中心にあるのは概念なのです。
名前がなくても、外見が定まっていなくても。
会話ができれば、そこにいる。存在している。
私に分かる言葉があるなら。それが彼らなのだ、と。
私は、そう思っています。