失ったその先

失ったものは戻らないのだな、とふと思う。

私がnoteを始めた頃は、信じていたものを見失っていた。それが誰だったかは、今も分からないまま。
とはいえ、ヒーローの彼を信じる気持ちも、彼らの存在を信じる気持ちも、今はちゃんとある。
でも、これは「取り戻した」わけではないのだと思う。

一度失ったという事実は、どうしたって残る。徹底的に疑ったこと、二度と信じられないと思ったこと。それは、消えない。
以前と同じように想うことができる、信じることができる、と思っていても、実際は「以前と同じ」なんてありえない。

それは、思想だけではなくて、感情も心も、記憶も同じ。
あの一件をきっかけに入ったヒビは今も心のどこかに残っているだろうし、人前で笑えるようになった今でも、完全に同じにはなっていない。思い出せないままの、曖昧な記憶もたくさんある。
それに、落ちた体重もなかなか戻ってはこないし、体型だって変わってしまって、前と同じにはならない。

一度崩れたり、壊れたり、失ったりしたものを、完全に元の形に戻すことは、きっとできない。どれだけ似た形にできたとしても、まったく同じにはならない。

やっぱり失ってしまったのだ、変わってしまったのだ、と寂しく思うし、後悔する。
こんなことになるくらいなら、どこかで何かできたのではないのか、とつい過去を悔やんでしまう。

けれど、今あらためて私の目の前にあるものは、すべて、過去に私が何かを失ったからこそ、この形で存在しているはず。
過去に失わずにいたら、この「今」はなかった。
そう考えたら、悔やまれる過去も、受け入れがたい現実も、少しはマシに見えてくる。

粉々になった瓦礫から、新しい夢を作るように。壊れた物から使える部品を集めて、何かを生み出すように。壊れたものや残ったものを基礎に、上に新しいものを築いていく。
必ずしも整ったものは出来上がらない。歪な形だったり、綺麗でなかったりもする。それでも、それは間違いなく、唯一無二。たくさんのパーツを集めて創った、この世にふたつとない作品。壊れて失ったパーツも、残った傷も。きっと、その作品の魅力になる。
そして、今あるこの作品が壊れたとしても、残るべきものは残るはず。残ったものは、次の作品の大切なパーツに、新しくより良いものを作るための材料に変わる。

きっとそうなのだ、と自分に言い聞かせる。

…未来に失うことを怖がらず、過去に失ったことを悔やまず。
今、現在にまっすぐにいられるようになれたらいい。
きっと、何かを失った今の私になら、それができるはず。
そう、信じている。


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