降り頻る雷雨は禍福を糾える
「雷光が稲に当たると稲が妊娠して子を宿す」昔からの言い伝えだ。
この地域では信仰している竜が起こす雷雨が五穀豊穣の恵を齎すと言われている。
ただ、その引き換えとして大きな代償が必要になる。
月に一度竜への生贄として子供を一人差し出すことでその恵は約束されたも同然だった。
その約束を破れば凶作や大災害に見舞われ、この地域一体は滅びることになるだろうと子供達に口酸っぱく弁舌するほどだ。
万雷を束にした巨大な雷がここを撃ち滅ぼしにでも来るって言うのか。
全くもって馬鹿げている。
例え自分の妻が自らの命と引き換えに産み落とした双子を捧げるようなことになるようなら、俺はこの地域が滅んでも構わない。
二人の子供たちを妻が見れなかった分まで愛情を注ぎ、幸福な人生を歩んでほしい。ただそれだけ。
俺の子供達の命を脅かそうというものなら、俺が真っ先に神であろうが、龍であろうが殺してやる。
子供を守るのが親の役目、俺の核を構成するのはそれだけだ。
⚪︎
土着信仰として1000年前より雨空を翔る龍を信仰する地域、壟李(りゅうり)。
都よりこの辺境の地へと数年前より従兄弟とともに派遣された俺はいつの日も陰鬱とした気分で窓辺から黄金に実る稲穂を眺めていた。
帳簿に筆を動かす気にもなれず、仕事は一向に進まない。
龍がもたらした雷雨が河川を増水させ、下流域の村一帯が根刮ぎ洪水で流されてしまったという話も聞く。水は普段静まりかえり、容器に入っていたりすれば穏やかだが、暴走すれば岩をも砕き、時に木をも雑草の如く薙ぎ倒す。
恵を与えるとともに、裏返れば思いもよらないような厄災の化身として人の前に姿を現す。
その時は人数の多い方に流れて行かないように途中の堤防を破壊し、そちらへと方向転化させることで被害を最小限に食い止めたとのこと。
その村の生き残りが奇しくも私の妻だった。
一度夫である俺にその時の体験談を聞かせてくれたが、語る時の口調は静かだったが奥底に流れる憤怒、憎悪、怨恨で濁りに濁った激情が土砂を巻き込んだ濁流さながらに俺に訴えかける。
時折見せる底なし井戸の如く闇の深い瞳で虚空を眺めていることもしばしば、何も映していない虹彩には惨劇の一部始終が精神的外傷として繰り返し流れているのだろうか。
それも一人でいる時に大抵遠目で見える表情であり、俺といるときは家族愛に溢れた顔を浮かべている。
皆揃って素敵な笑顔だねというくらい彼女の笑顔は眩しかった。
でも、そんな彼女も双子の子供達を産み落とした直後に亡くなってしまった。
落日、俺の隣で燦々と輝いていた太陽は沈み、雷雨が降り注ぐ。
死に際、彼女と約束した。子供達をお願いね、私の分まで愛情を注いであげてと。
今は彼女の代わりに双子の子供達が俺を照らす太陽として輝いている。
飄々とした口調が部屋の奥から聞こえた。
「お〜ダーリェン手止まってるけど、煮詰まってんの〜?」
眼鏡の奥で三日月の如く細められた糸目、女のように艶やかな長い黒髪を三つ編みにし、赤の装飾を織り交ぜた黒の武術衣に白いズボンを着込んでいる同僚の従兄弟のシースが酒醸(チューニャン)を差し出してくる。
俺はメガネを置いて目頭を押さえる。いつの間にか眼の方に疲れがたまっていたようだ。
壟李で作られたもち米を使った酒醸(チューニャン)だ。お椀に入った米をレンゲで掻きこむ。口の中に広がる甘味が体の疲れを癒してくれる。栄養不足に喘いでいた脳みそが再び停止していた回転力を取り戻した。
「煮詰まっているというより、嫌なことを思い出したからだ」
「は〜それで手止まってんのか、一度突っかかると一歩踏み出すのに時間かかるなお前は」
そう言って再び米を掻き込む。
「ほっとけ、人を怠け者の鈍牛みたいに言いやがって」
心の内に浮かんできた考えがそのまま馬鹿正直に口に出てしまう彼の言動に若干苛立ちを覚えつつ悪態で突き返す。
「そこまで言った?自分」
「そう思うなら自分の胸に聞いてみろ」
シースが自分の胸に衣服越しに当てて素っ頓狂な顔を浮かべる。
「え?鼓動しか聞こえないけど」
「…あのな」
堅物の俺を手のひらで弾を転がして遊ぶ道化師さながらに揶揄ってくる呆れ半ばにため息をつくと、空になったお椀を突き返す。
「ほらよ、飯ありがとな、俺は仕事に戻る」
「どうもいたしましてっと、そんじゃ頑張れよ」
「ああ」
お椀を盆の上に戻して従兄弟が部屋から出ていったのを見送ると俺は再び仕事に戻った。
⚪︎
怪力乱神を語らず。荒々しく吹き荒れる嵐と暗闇を切り裂くような雷が轟く夜、今宵も子供の一人が龍へと生贄として捧げられた。子供一人の犠牲により大多数の人間を生かすのだ。
摩天楼の屋上に築かれし処刑台の上で龍が怒りの形相を浮かべながら畝る。その容姿は枝分かれした角、頬から生えた長い髭、腹から背中を覆う黒い鱗、橙色の蛇腹。暗闇の中でも尚目立ち、獲物を鋭く見据える金色の爬虫類のような瞳。頬まで裂けた顎が牙を剥き出しにして今にも生贄に飛びかかりそうな風体だった。
ここに来て以来ずっと見てきた憤怒の理由は未だに分からない。
号泣している子供の叫びは嵐と雷の轟音の中でも嫌というほどよく響く。溢れ出る涙も恵の雨の中へ薄められた。
子供が処刑人の男に突き落とされたのち、断末魔が空中を漂い、大口を開けた龍により噛み潰される。
最初は胃のなかをひっくり返したみたいに吐き戻したが、何度も見てきた光景に慣れてしまった俺は人手なしなのだろうか。
これを見て、亡き妻は今の光景に何もできない俺に対して、罵るのだろうか。
項垂れてここに住んでいる者からすれば無駄な思考に耽る。
人口増加傾向にあるこの地域では、収穫物の収量が上がることは全員を腹一杯満たすことに繋がる。
そして特産品である「龍雷米」は都で高額で取引される。竜の雷と雨が齎された稲穂は非常に栄養価が高く、味も美味しいと評判だ。
嬉しいのは山々なのだが、そのことのために子供一人が犠牲になっている事実を知っている身としては複雑な気持ちだ。
まあこの地域の大半の人間は過ぎたことだから、どうでもいいと罪悪感も感じずにのうのうと生きているという事実に、虫唾が走る。
こう考えている俺は効率的に物事を動かそうとしているこの国に生きる人間として少数派なのだろうが、多数派にとっては俺の方が異端だ。
外とはまあある程度交易で布や素材、ここでは作られてない香辛料や干し肉、果実なども仕入れてくる。
時折楽器屋から書物を運んでくる商人もいてそれに外の世界に感化されて出ていく若者も少なからずいる。そのあたりは外で好き勝手しているので数ヶ月もすれば勝手に戻ってくるのが常だった。
まあここの飯は美味いから戻ってくる理由もわからなくない。
今月の収穫量を紙に書き記していく。小麦、米、雑穀3ヶ月周期で輪作を繰り返しているのだが、病害虫による被害も含めても依然として豊作だった。
凶作になれば備蓄の米でなんとか凌げる程度には蓄えはある。というより需要に対して供給の量が倍以上に伸びているので外部に売り出しても十分に余るのだ。
夜になって帰宅する。
双子の子供たちが玄関まで走ってきて俺を出迎えてくれる。姉の方が若干足が速いらしく、弟は追いつけなくて悔しそうにしていたが、すぐに花の咲いた笑顔に変わる。
「ただいま」
「お帰りお父さん」
「いい子にしてたか?お前たち」
両手で双子の姉弟それぞれの頭を撫でる。
「「うん、してたよ〜」」
双子ならではの息のあった調和に緩んでいた頬がさらに緩んだ。
⚪︎
それは龍が起こした豪雨が降り注ぐ夜のことだった。妻のキサが二人の双子を産み落とした日。そして妻の命日となったあの日。
産婆に呼ばれて急いで中に入ると寝床で難産の末に力を使い果たした妻はぐったりしていた。
「よくやったな」
「あなた…子供達をお願いね」
「何を言ってる、お前もこれからこの子達と一緒に…」
「私の分も愛してあげて」
「おい、しっかりしろ、キサ」
彼女の手を取り、呼びかける。
目の前に横たわっている妻は指一本動く素振りすらない。
「頼む、目を開けてくれ…」
ー。
夢か…。
額に手を当てて、思いっきりため息を吐き切る。妻が亡くなってから毎日のようにこの悪夢に魘されている気がする。
子供達はスウスウと両隣で寝息を立てて眠っている。
喉がカラカラになっているので井戸にある水を組んでいっぱい飲もうと思い扉を開くと厨房に見知った顔があって目を見開く。
「おはよう、ダーリェン」
「シースか、いきなり人の家の厨房で調理してんなよな」
「まあいいじゃないか、俺も今じゃ独身みたいなもんだし、みんなで一緒に食おうぜ。一人じゃなんか味気なくなっちまうからさ」
この従兄弟は昔からよく言っていたな、同じ釜の飯をみんなで食ったほうが何倍もうまいって。
家族ぐるみでよく集まってよく朝食や夕食を摂ったものだ。
シースは嫁さんが土砂崩れに巻き込まれて、一人息子も生贄に捧げられてしまったのだから相当寂しい思いをしているに違いない。
「そうだな、昔みたいに家族ぐるみで朝飯食うか」
太陽がある程度登り始めたころ、双子もようやく起き出してきたようで四人で居間の食卓を囲い、朝飯にありついた。
お椀によそった米、野菜の漬物、豚肉と野菜を使用した汁物とう簡素な献立だったが腹の中に収まると活気が漲ってくる。
「シースおじさん」
「なんだい?レンファ」
「今度また川まで釣りに行きたいんだけどいい?」
「えー、僕も行きたーい」
「シエンもいいよ、みんなで一緒に行こう、お父さんも連れて」
「お前俺をクマか虎対策で連れていくつもりだろ」
「いいじゃねえか、ここ一番の武闘派はお前なんだから、刀を持てば敵なし、下手すら大河の国の象にも勝てるかもな」
「「お父さんすごーい」」
「シースやめろ、期待値上げすぎると子供らが何言い出すか分からん」
以前は子供達に上流域で鯉みたいに滝登りしてみてとシースがいらん法螺を吹聴したせいで危うく滝壺に沈みかけた。
冗談を交えつつの俺と従兄弟の漫才のような会話と子供たちの他愛のない会話で食卓に笑顔が溢れる。
こんな何気ない日常が続けばいい、そう思っていた。
⚪︎
街の北部にある天高く聳える木造の摩天楼、そこに街の重鎮が集まり会議を開いている。
蝋燭の灯った燭台が部屋を囲み、ほのかに照らしあげていた。
「う〜む、次の生贄をどうしようか」
「ワンの方の娘はどうだ?」
「いや、生贄に捧げるにはもう範囲外だろう」
「人口が増えてきたとはいえ、子供が増えなくてはいずれ死活問題になりかねん」
「それは1000年前から変わらん問題だろう」
月に一度の生贄に捧げているので一年で確実に十二人は死ぬ。選別されずに生き残った者が子を成すまでかなりの時間を要し、子供一人を生贄適齢期になるまでも相当時間を要する。
そのため、昔から余所者の子供を取り上げたり、左遷されてきた役人の子供を生贄として捧げてきたりしてきた。
「いい生贄がいる」
「どいつだ?」
「ダーリェンの双子だ」
「生贄としては適齢期だが、あいつは双子の子供達に手を出そうものなら鬼神のごとく怒り狂うぞ」
「ならこうすればいい」
一人の老獪な老人が切り出した。
「あやつを地下牢に閉じ込めておき、その間に双子のどちらかを捧げるのだ」
「なるほど、そいつはいい」
今の話を襖越しに聞き耳を立てていたシースは苦渋の表情を浮かべている。
「そいつはいいじゃねえよ、冗談きついぜ」
⚫︎
俺は従兄弟にも助けられていた気がする。
「おいシース」
「大丈夫だって誰にもバレやしないさ、そらっ開いた」
南京錠に針金を差し込んで鍵を開ける従兄弟の悪戯好きにいつも付き合わされて二人一緒に正座させられて大人たちに怒られたっけ。
怒られた後もこいつは常に笑っていた、それに釣られて俺も笑う。
あーあ、怒られたなって。ほとぼりが冷めないうちに次の悪戯を思いついては俺を無理矢理同行させて共犯扱いにされる。
正直散々だったけど子供心に楽しかった記憶がある。
数年前、土砂崩れにシースの女房が巻き込まれ、その翌月に子供が生贄に捧げられた。
道化の仮面が外れた彼の顔は引き攣っていた、無理に笑おうとして、でも無理だった。
悲しみの感情が決壊した彼は泣き崩れた。子供のように大声で周りに人がいるのにも顧みず。
この従兄弟が泣いているところなんて初めて見たような気がした。
雨が降りしきる中、俺はどっかりと横に座り、背中を丸めて泣き続ける従兄弟の背中を無言で撫で続けた。
⚪︎
「ダーリェン、ちょっと来てくれ」
仕事場で筆を動かしている最中、同僚に呼び出されたため座布団から立ち上がり、天井に向かって両腕を突き上げたりしてバキバキになった足腰をほぐす。
「了解」
「武器庫の武器をちょっとサビとかついてないか確認して欲しいんだ」
「武器?何か戦でも始まるのか?」
「いや、強ち間違ってはいないがぁ…近隣の国々がこの地域を虎視眈々と狙っているのは百も承知だろう?」
「備えあれば憂いなしだな」
少し迷走したような途中の口調に違和感を抱えるが見なかったことにした。
「ああ、ありがとう」
急に腕を掴まれて檻の中へと放り投げられた。
「…っ!?」
座敷牢の扉を南京錠で閉められ、鍵をかけられてしまった。
「なんの真似だ」
「すまないな、今日の生贄はお前の双子のうちの一人だ」
「ふざけるな!」
「子供への愛が強い父親は厄介ごとを起こしかねないからお前をここに幽閉しておけとの通達だ。悪く思うなよ?」
「ふざけるな!おい!ここから出せ!」
同僚は振り向くことなく階段を登っていく。
双子の子供達に手を出すのであれば龍だろうが、神だろうが俺が殺してやる。
⚫︎
生前妻が語っていたことを時折思い出す。
龍が起こした雷雨が異常なほど河川の水量を観測し、下流域にある堤防を決壊させて規模の小さい集落へと水を流すことになり、奈鞠という集落が選別対象として滅びることになってしまった。
避難先で生き延びたのは集落の長と兄と私だけだった。友達も父母も全員建物ごと水という軟らかさを秘めた暴威の怪物が押し流すのを高台から見ていた。
沸々と怒りが湧いてくる。なんでこんなことに…、
「堤防を破壊して奈鞠の方に水量が多くいくように調整したらしいな」
「そのようじゃ、恐らく被害を最小限に止めるための処置だろう」
私はその一言に堰を切ったように行き場のない怒りを爆発させる。
「そんなの詭弁よ!何が多くを生かすよ!犠牲になった少数はどうでもいいの!?少数派の人間の気持ちを考えたことがあるの!?」
「キサ、やめろ」
兄のユガに諌められても収まることを知らない。ギロリと兄に視線を向けて再び声を荒げる。
「でも兄さん!おかしいと思わない!?」
「キサよ、耐えねばならんのだ、生きていれば何とかなる。耐えねばならんのだ…」
「マコク老のいう通りだ」
こんなの理不尽すぎる、この暴雨を生み出す龍が憎い。災害をもたらすなら降らせている地域だけにしてよ…。
私は今もなお、理不尽に対する怒りを抑えながら生き永らえている。淀みに淀んだ感情をさらに濁らせながら壺の中へと蓋をして封じ込めた。
亡き妻が生前に語っていた想像を絶する幼少期、俺はかける言葉を失った。
⚪︎
彼女は龍によって起こされた洪水により故郷を失い、今度は命がけで産み落とした双子の子供を奪われようとしている。
「はあ、俺は妻との約束も守れないのか…情けない男だ」
誰も来るはずのない足音が聞こえる。なんだ?俺がここにいるということは役人は知らされていないはず。
一抹の希望を抱かずにはいられなかった。牢屋の先、目の前に伸びている階段から駆け降りてきたのは
「ダーリェン!」
髪を振り乱しながら汗だくで駆け寄ってくる従兄弟の姿があった。
「シース!ここがよく分かったな」
「今すぐ開けてやる」
「いや、鍵ないだろ」
「何言ってんだ、自分がいつも勝手に鍵開けてどこぞに紛れ込んでた悪ガキってこと忘れたのか?」
「そういやそうだった」
正当な場ですら空気をかき乱そうとするこいつは正真正銘の道化だ。
「家に行っても誰もいなかったからもしやここじゃないかってアタリをつけたんだ」
「誰もいない!?子供達は?」
「双子両方とも連れて行かれた、レンファの方を連れて行こうとしたが、シエンの方が邪魔するもんだから口封じのために連れ出したんだとよ。その1ヶ月後にシエンの方も生贄にするつもりだあの老害ども」
その言葉に心の奥底で熾火のように揺らめいていた炎の勢いが激しくなった。この身ですら焼き尽くすほどの憎悪と憤怒が入り混じり、より推進力に拍車がかかる。
「あとついでにこいつを持っていけ」
「これは?」
黒い鞘に収められた一振りの無骨な刀を投げ渡される。
「武器庫に保管されてる龍を殺すために作られた一振りの刀だ、それで龍の首を斬れ、機会は一回しかない。適時を見誤るなよ最悪二人とも死ぬ」
「おうよ、お前に熊や虎対策で連れて行かれるくらいなんだから、龍も一思いに斬り落としてやる」
⚪︎
俺は摩天楼の螺旋階段を必死の形相で登っていく。
従兄弟が武器庫より持ってきた一振りの刀。
龍が暴走した際に一思いに息の根を止めるための雷を織り込んだ鉄を使用したとされる伝説の刀だ。
まあ眉唾物なので実際に雷を使ったのかは十中八九あり得ないだろうと思ってしまう。
地下牢から疾風の如く這い上がってきたので呼吸するたびに肺が悲鳴をあげ、骨と筋肉が疲労で軋む。ここまで全力で上がって来れたのも単に自分の子供を生贄に捧げられることを阻止するためだ。
ようやくシースとともに摩天楼の最上階にやってきた。
天高く伸びる処刑台、そこに娘がいる。
「邪魔だ!」
やってくる二人の護衛を右袈裟懸けと左薙ぎで斬り払い、一直線に娘の元へと向かっていく。
泣き叫んでいるシエンが若い役人に取り押さえられて通路の床に転がされていた。
「シース!シエンを頼む!」
「あいよ!」
処刑台から突き落とすための役人が一人、娘の背中に足裏を押しつけて大仕事への準備を終えていた。
目の前に怒りの形相を浮かべる龍が雷雲の下で畝りながら唸り声をあげてこちらを凝視している。
こちらに気付くそぶりもない役人を押しのけて俺は両腕を背中で縛られたレンファの肩を掴んだ。
「おと…うさん…」
「今助けてやるから少し待っててくれ」
龍が大口を開けてこっちへと飛来してくる。急激に急降下して弓から放たれた矢が放物線を描いて獲物へと飛びかかるように一直線に獲物に狙いを定めている。
「ごめんよ、レンファ少し我慢してくれ」
「え?」
レンファを処刑台から突き飛ばし、俺は龍を目掛けて飛び出した。
龍が処刑台に上がった俺とレンファを視界に捉える。一瞬、切なそうな表情を浮かべて逡巡したように動きが鈍くなった気がする、そこで察した。
そうか、お前も…。
その哀哭を響かせる龍の首に向けて俺は刀を力一杯振り下ろす。
鱗を割り、肉を裂き、骨を断つ感覚が刀の柄から伝わってくる。刀を振り下ろした刹那、目の前の景色が大きく歪み、気づけば一刀両断された龍が上でまだ滞空していることに驚愕する。
いや、俺が一瞬雷に変質してあの異様に固い龍の体を切り裂くことができたのだと改めて考える。
落下している最中というのにこんなに冷静なのは俺の脳みそが麻痺しているのか。はてまた龍を討ち取ったという全能感が恐怖を上回るほどの感情が爆発して溢れ出させているのだろう。
下に雨で水かさが上がった堀が見える。俺とレンファはそのまま水の中に飛び込む。
コンマ数秒遅れて龍の体が地面に叩きつけられ、そばにある建築物たちを大きく揺らした。
水面へと浮かび上がり、止めていた息を思いっきり吐き出した瞬間、シースと共にシエンも飛び降りてきた。水飛沫が顔や頭にあたり薄汚い水の味が口の中に広がる。
「ぷはっ大丈夫か、シエン」
続々と階段を降りてきた役人たちに取り囲まれる。老人が禿げ上がった頭を雨に濡らしながら俺たちに問いかけた。
「なぜ、龍を殺した。答えろ」
「…親が子を守るのに理由がいるのか?」
「ふざけるな!あれはこの街の守神だ!あの守神がいるからこそこの街は発展してきた!」
「龍の子供を人質にしてでもか?」
「なぜそれを…」
龍の表情を一瞬見ての判断だったので半信半疑だったがうまいことハッタリが効いてくれたみたいだ。
「お前らはあの龍の子供を人質にする代わりに子供を捧げることにしたのか。自分の子供以上に大事なものはないってことだ。それに関してはあの龍も同じだったんだろう、だから何れ我が元に帰ってくるこを信じて愚かな人間たちとの契約に準じた」
禍福は糾える縄の如し。その恩寵はいつまでも続くわけではない、いずれは後世に生きる者たちがその代償を払うことになるのだ。
1000年も続いてきた歪みが正常に戻るのだから、その反動はとてつもないものになるだろう。
役人たちはその場で項垂れている。
「なあ、俺たちはどうすればいいっていうんだ」
「大人だろ、そんなこと自分で考えろ。シース行こう」
「あいよっと」
⚪︎
朝になり二人でぐっすりと眠っている双子を背中に抱えてこの街を後にする。
「はは、大きくなったよな二人とも」
「ああ」
「キサさんにも見てもらいたかったな」
「ああ」
「自分の息子も生きてたら、一緒に遊び回ってたんだろうな…」
彼の口調に涙ぐんだような悲しみが入り混じり始める。
「シース…」
数年ほど前、シースの一人息子が生贄として捧げられた。今も生きていたら兄貴分として双子を引き連れて近くの野山や川で遊んでいたことだろうが、もう過ぎた過去、想像でしか補えない思い出補正だ。
「今は生きることしか俺らにはできない。キサの分まで愛情を捧げ続けるだけさ」
「困ったら自分を頼ってくれよな?」
「ああ、無愛想な俺より道化のお前の方が教育に詳しそうだしな」
「どういうこと?」
「自分の胸に聞いてみろ」
「なるほどね、よく分かったよ」
「物分かりいいじゃねえか」
背中に何か貫くような気配を感じて一瞬後ろを振り向くと万雷を束にして一気に雷撃を一点に落としたような衝撃と眩しさに目を瞑る。
目を見開くと壟李の街が木っ端微塵になり、大きな円状の洞穴が開かれた。
「青天の霹靂か…」
1000年以上、恵を与え続けてもらった街の末路がこれか。
ハッとして空を見上げると一匹の龍が大空を悠々と揺蕩っている。人質として摩天楼の底に封じられていた龍の子供、あれが雷を落としたのか…。今までの怨恨を一撃の雷に込めたのだろう、相当鬱憤が溜まっていたに違いない。
ふっ…ざまあみろ。
そう呟いてから俺たちは声を張り上げて笑った。龍が泳ぎまわる目の前に浮かぶ晴天を仰いで。
了