340.幸せだからこその悩みかもしれないけど、自分の気持ちに正直に生きていく。
「なぜ自己理解が必要なのか」という動画の中で
八木仁平さんが言っていました。
そう、そうなんだ。
私は、自己実現がしたいんだ。
自分をもっと生かして
自分が大事に思うことに向かって
エンジンかけて生きていきたいんだ。
だからこそ、自分のことをもっと、ちゃんと理解したいんだ。
そう気がつきました。
八木さんはその動画の中で、
「自己実現のために自己理解が必要」なのがなぜか
について、マズローの欲求5段階説をもとに説明されていたのですが、
真っ先に私が思ったことは、
私の今の悩みって、
生理的欲求、
安全の欲求、
社会的欲求、
承認の欲求
という下位の欲求を
ある程度満たせているからこそ
抱いているんだ
ということでした。
今、育児のため休職中の私は
まだよちよち歩きの息子を連れて出掛けていく先々で
温かい声をかけていただくだけで
あぁ私は
一人で子育てしているんじゃないんだなって
思って、涙が出そうになるくらい
孤独だったりもします。
娘に「ママ、今日のごはん美味しかったよ、ありがとう」と
言ってもらっただけで
子育て支援センターの先生に
「お母さん、本当によくがんばっていると思う」と
言ってもらっただけで
涙が出そうになるくらい
承認欲求に飢えていたりもします。
でも、なんだかんだ言って幸せです。
衣食住が満たされているし、
大好きな家族がそばにいるし、
一人で子育てしているのではないと実感できているし、
家族に限らず自分自身のことを認めてくれる人がいるからです。
十分かどうかは分かりませんが、
私の欠乏欲求はどれもある程度満たされているんだと思います。
(八木さんによると、下位4つの欲求は欠乏欲求だそうです)
だからこそ、私は今
「ちゃんと成長できているんだろうか」
「自分が本当に大事だと思うものって何だろうか」
「自分には何ができるんだろうか」
といったことに悩めているんだと思います。
なんて贅沢な悩みなんだ。
十分幸せじゃないか。
そんなふうに心のどこかで
思ってきて生きてきた気がします。
確かにそれも一理あるのですが、
そう思いすぎるあまり、
自分の中に本当はあった
「自己実現の欲求」(「成長欲求」)が
満たされずに、モヤモヤした気持ちと
ちゃんと向き合えなかったところがあるように思います。
お母さんになるのも私の夢の一つだったから、
母以外の私の夢を傍に置いて
育児や家事に励んだ日々もある意味、
自己実現でもあったと思います。
また、母となったことで、
自分の欠乏欲求だけでなく、
子どもたちの欠乏欲求を満たすことに
ただただ必死だったから、
母以外の自己実現と向き合えなかったのは
仕方なかったとも感じています。
ただ、これからは
「もっと自分を生かしたい」
「母以外の私の人生も輝かせていきたい」
その気持ちに正直でいたいと思っています。
贅沢なんかじゃないよ、
正直に生きていいんだよ、
もっと幸せになっていいんだよ、
そんな時代になってきていると感じています。
私は、私の子供達のためにも
そんな時代を作る一人になりたいです。
いや、正直、自分のためばっかりですけど。
でも、自分のためにやったことが
子どもたちのためにもなったら
最高だなぁと思っています。
そんな生き方がしたいです。
さぁ、
まだ答えられていない自己理解の質問に向き合ったり、
気づきをアウトプットしたり、
小さくていい。
できることから1つずつやっていこうと思っています。
本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
記事を読んでくださったり、
反応までくださったりする
noteの世界の皆様に
一人じゃないんだ
認めてくれる人がいるんだと
いつも幸せをいただいています。
ありがとうございます。