#83 大丈夫。それでも、幸せになれるから。
私の体には、アトピーの色素沈着の跡がたくさんある。
それが私のコンプレックスだった。
私の肌は、「きれい」とは言えない。
「きれい」の対義語は「きたない」??
そう思うと、悲しくなる。
「お肌がきれいな人しか結婚できない」と思いこんでいた。
もし結婚できたとしても、お肌がきれいじゃないから、
「ウェディングドレスなんて着れないんだろうな」と思っていた。
でも、姉の結婚式で、それは「違う」と気が付いた。
姉も私と同じようにアトピーに悩まされ続けてきた。
その姉が結婚式でウェディングドレスを着て
本当に幸せそうな顔をしているのを見た時。
私の中で革命が起こった。
姉は、一点の曇りもない、満面の笑みを浮かべていた。
本当に幸せそうで、本当にきれいだった。
あんなに幸せそうで、あんなに美しい姉を
私はそれまで見たことがなかった。
アトピーのことで、自分や母を責めた。
小学生のときアトピーが原因でいじめられたことがあった。
そのとき私はいじめた相手ではなく、
アトピーである自分を責めた。
いじめた相手が悪いのではなく、自分がアトピーだからいじめられたのだ。
自分がアトピーであるのが悪いのだ、と思ってしまったのだ。
そして、自分がアトピーになった原因を探した。
アトピーになった原因が母親からの遺伝だったと気づいた時、
母親を心のなかで責めた。
病気になりたくてなる人なんていない。
「たまたま」なっただけ。
誰のせいでもない。
それなのに、自分や母親を責めるなんて
なんて愚かだったのだろう。
無知がゆえに仕方がなかったとは思うのだが、
大学で遺伝学を学んだ時、
己のあまりの愚かさに驚いた。
遺伝子の「変異」により病気は発症する
遺伝子が「変異」するのは当然であり、ゼロにできない
遺伝学を学んで知ったこと
病気は遺伝子の変異によるものであること。
変異が起きるのは自然の摂理だから、誰のせいでもないということ。
誰もが病気になりうる遺伝子をもっていること。
欠点がない人がいないように、完璧な遺伝子もないこと。
それらを知ってからは、
病気について自分や他者を責めたりすることは一切やめることにした。
そんな不毛なことをするよりも、
病気でも、「それでも幸せになる」ためにできることに注力するようになった。
自分の中の間違いに気付けたという意味で、
姉の結婚式と、大学時代に遺伝学を学んだことは、私の中の革命だった。
アトピーはまだ治っていない。
それでも、私は大好きな人と結婚できて、幸せになれた。
ウェディングドレスも着られた。
「誤差」に悩むよりも、今できることを
このことを思い出したのは、今朝、代筆屋けんせいさんのnoteを読んでいて、心が動いたから。
個々のヒトのゲノムの違いは、わずか「0.1%」だという。
それは、代筆屋けんせいさんが言うように「誤差」みたいに、わずかな違いだ。
その遺伝子の「誤差」みたいな僅かな差が、
一重か二重か、病気かそうでないか、などの違いを生む。
私たちは、その誤差に悩む。
それもまた、自然の摂理だと思う。
だって、病気になりたくてなる人なんていないのだから。
でも、大切なのは「それでも幸せになれる」ということだと思う。
「それでも幸せになれる」から、
自分なりに1個ずつ今できることをしていけばいいんだと思っている。
最後に
子どもたちも大きくなったときに
僅かな遺伝子の誤差による人との違いに悩むかもしれない。
そんなときに私の姉のように
「それでも幸せになれる」姿を見せられる自分でいたい。
「だから、大丈夫よ!」って笑顔で言える私でいたい。