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【DAY172】日本人のDNAに刻まれた生き様とは

こんばんは、あんです。

最近、「徒然草」を読み始めました。

といっても、
古典に馴染みのないわたしは
原文ではなく
現代語訳で読んでいるのですが・・

それでも
今では到底使わないような言葉が
たくさん使われていて

頭で理解しようと思ったら
ちょっと難しい・・
(わたしにとっては)

なので、
なんとなーく
雰囲気で読ませてもらってます。

とはいえ
言葉や表現は違えど、
やはり同じ日本人だからか

不思議なもので
雰囲気でも
伝わってくるものはありまして、

読んでいて
あ〜そうだよな
って思うことばかり。

700年以上前の文章が
今読んでも、
全く色あせてない、どころか
めちゃくちゃ輝いているのは

書かれていることが全て
本質的だから
だと思います。

一部抜粋して
ご紹介させていただきますね。


生命あるものをよく見ると、
人間ほど長く生きるものはない。

かげろうのように
朝に生まれても夕方には死ぬ運命にあったり、
セミのように夏だけの命で
春も秋も知らない生き物もあるではないか。

人間がたとえ1年間つくねんと過ごすだけでも、
それはこの上なく長くて安楽な生といえるではないか。

それでも寿命に満足せず名残惜しいと思うならば、
たとえ千年を過ごしても、
一夜の夢のように儚い気持ちがするであろう。

いつまでも生き続けることのできないこの世に、
老醜の姿をさらすまで生きることができても、
何の甲斐があろうか。

長生きすれば恥を描くことも多い。

長くとも、四十歳に達しないぐらいで死ぬのが
見た目もよいようである。

その年代を過ぎてしまうと、老醜の姿を恥じる心もなくなり、
人前に出たがり、老残の身で子や孫を溺愛し、
立身する将来を見届けるまでの余命を願い、
俗世に執着する欲心ばかり深くなり、
ついに情緒も理解できなくなっていくのが、
情けないことである。

「徒然草」兼好法師(小川剛生 訳)


もう、言葉が出ませんでした。

今の時代と
(”四十歳”は80歳とか100歳に伸びていると思うけど)
本質的に同じだなと。

長生きするのがいい、
みたいな風潮があったりしますが、

人生って、
長く生きりゃいいなんてことは
決してないですよね。

大事なのは、

いかに毎日、心を燃やして
熱く生きられるか。

いかに生きた証を
後世に残すことができるのか。

その瞬間、瞬間の
「密度」だと思います。

ゆにわや
ライティングギャラクシーで
いつも教えていただいているのが

”一日一生”

”無我夢中”


今日1日を
一生のように生きなさい。

いつ死んでも
悔いがないように

我を忘れて
目の前のことに夢中になって
生きなさい。


こんな生き方を表す言葉たちを
わたしたちは毎日のように
講師の皆様から
教えていただいているんです。


これは鎌倉時代からずっと
日本人のDNAに刻まれ
受け継がれてきた生き方
なのかもしれないと感じました。


いつ、
命の終わりが訪れても
決して後悔のないように。


今のわたしはまだまだ
そんな生き方には程遠いですが

志高く

一日一生

無我夢中

を目指して
日々精進していきます。


ぜひあなたも一緒に
そんな生き様、目指しませんか?


では今日はこの辺で。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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